眠り姫・オレがモデルに恋したはなし

「おーい。二人とも、ここで降りてくれー」

 岡野先生によってワゴン車から降ろされたオレたちは、ぼーっと駅前のロータリーに立っていた。
 夕方の駅前は人と車でごった返している。
 どうやら、永臣も寝てたらしい。
 完全に寝起きで、ぼんやりと突っ立っている。
 オレは、ハッとあることを思い出して、永臣の前に立った。

「永臣」

「……なに」

 深呼吸。

「カーディガンくれ」

「……」

「いや、その……貸して。欲しいわけじゃなくて、借りたいだけ……」

 何言ってんだ。

「……」

 眠いのか、必死なオレに引いているのか、永臣は何も答えない。
 無言でオレを見ている。

 「いや違くて! あれがあると寝れて、なくなってから全然寝れなくて、今日で二日連続で寝てなくて、このままだと土日死ぬから、その、薬的な……そう、睡眠導入カーディガン的な……」

 自分で言ってて泣きたくなってきた。
 早く、なんでもいいから、答えてくれ!
 永臣は、しばらく黙ってオレを見ていた。

「二日、寝てないの?」

「うん」

「バカじゃん」

「お願い。バカでもなんでもいいから、あれを――」

「無理」

 ばっさり切られた。
 頭が真っ白になる。

「……え」

 なんで?
 こんなに頼んでるのに。

「家にある」

 永臣は短く言った。

「あ」

 そりゃそうだ。遠足に持ってくるわけない。
 絶望して、その場にしゃがみ込んだ。
 今日この場で受け取って、土日はひたすら寝る――っていうオレの計画は、一瞬で崩れ去った。

「終わった……あと二日寝れなかったら、もう終わる」

 永臣が、小さく息を吐いて言った。

「そこまで?」

「そこまで。マジで。もう、あれ無いと眠れない。お前のせいだ」

「俺のせいじゃないし……」

 そう言いながらも、永臣は少しだけ眉をひそめて、何か考える顔になった。
 オレはただ、永臣の返事を待つしかできない。
 ここで断られたら、家に帰って泣くだけだ。

「家、来る?」

 永臣が言った。

「え?」

(……今、なんて?)

 聞き間違いかと思った。
 だけど、やけにまっすぐこっちを見てる。

「カーディガン、取りにくれば?」

「う……だけど」

 家に、行く? 今から?

「このままだと土日困るんだろ?」

「……行く!」

 反射的に叫んでいた。

「……なんか、必死過ぎない?」

「いや、必死だから」

「じゃ、こっち」

 永臣がリュックを背負って歩き出す。
 オレは慌ててその後を追いかけた。
 自分の知らない、住宅街に入っていく。

「歩いて行くの?」

「うん……もしかして、足痛い?」

「足はぜんぜん平気」

(やばい、緊張してきた。足よりそっちの方が100倍やばい)

「あと、どのくらい?」

 つい、子どもみたいな質問をしてしまう。

「すぐそこ」

 永臣が指差した先に、ダークグレーのマンションが見えた。

(うお……あれか)

 永臣の家は、いかにもって感じのおしゃれなマンションの一室だった。
 エントランスを抜ける。
 気づいたらエレベーターから降りてて、玄関の前に立っていた。

「オレここで待ってる」

 永臣の家とか、未知の領域すぎる。入りたくない。
 誰かいたら、あいさつとかうまくできないし。

「入りなよ。誰もいないから」

 永臣はサラっと言ってドアを開けた。

「それに。そこにいられても……困る」

(それもそうか)

「おじゃましまーす」

 一歩入って、オレは思わずつぶやいた。

「あれ? においが違う」

 家のにおいが、永臣と微妙に違う。

(そっか。あれは家のにおいじゃなくて永臣の……うわ、考えるな)

 一気に顔が熱くなる。

「……なに、どうかした?」

「なんでもない!」

 ごまかすように、ぶんぶんと首を横に振る。

「部屋来る?」

「い、いいから! 早くカーディガン持ってこいよ!」

「わかったって」

 永臣が廊下の奥に消えたあと、オレは広いリビングを見渡した。
 なんか、モデルルームみたいだ。
 よく「足の踏み場が無い」なんて言うけど――この家はその真逆。
 床に物がひとつもない。テーブルの上も、何も置いてない。
 キッチンも、使ってるのかわからないくらい何もない。
 写真も一枚もないし……私物らしきものもない。

 (……これ、ほんとに人住んでるの?)

 物がない部屋が、こんなに落ち着かないなんて知らなかった。
 オレは無意識に靴を脱いでリビングに入った。
 ソファに座ろうかと思ったけど、なんか誰も使ってないみたいに整ってて、座れない。
 完璧過ぎて座れないソファって存在する意味があるんだろうか……なんて、意味不明なことまで考えた。

 ……永臣が戻ってこない。

「遅い!」

 カーディガン取って来るだけなのに。
 何してんだ?
 待ちきれなくて、靴下のまま、ゴミひとつ落ちてない廊下を、そろそろと進んだそのとき。
 すぐ近くで「カチャ」と、小さな音がした。

「……っ」

 足が止まる。

(……だれだ? 永臣? まさか、家族?)

 永臣がドアのひとつから、ひょいっと顔を出した。
 ふわっと、あのにおいがする。

「どうした?」

「あ……怖いから、お前の部屋行っていい?」

「いいけど。怖いってなに?」

 永臣が、ほんの少しだけ笑った。
 その笑顔につられて、気づいたらオレは永臣の部屋に入っていた。