——カラン♪
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか」
午後からは大学近くにあるカフェのバイト。夕方には終わるので、晩御飯は家で宗一郎と食べる予定だ。
ニコニコ笑顔を振り撒きながらも、考えていることは今朝の出来事である宗一郎とのキス。
ふいに唇に手を持っていくと、あの時の情景が目に浮かぶ。
——キスの後、呆気に取られた俺は、顔を真っ赤にさせながら必死で誤解を解こうとしたのだが……。
『そんなに照れちゃって。カワイイ』
全く分かってもらえない。むしろ煽っているようにしか見えないと押し倒されそうになり、逃げるようにしてバイトにやってきたのだ。
だから、今日はどんな顔をして帰れば良いのか分からない。
「はぁ……」
「水野君。今日は帰る?」
溜め息を吐いていると、店長に心配されてしまった。
「い、いえ。すみません。働きます!」
「そう? それなら助かるけど」
店長は二十代半ばの男性だ。
彼は柔らかい印象で、常に優しい。怒ったところを見たことがなく、苛々とは無縁なのか、いつ見てもニコニコしている。
注文の品を客に出した後、そんな店長に質問してみた。
「あの、好きでもない相手に、キスしたり出来るもんなんですかね?」
「どうしたの? 水野君にも、とうとう春が来た感じ?」
「いや、春っていうか……」
どうしよう。質問したのは良いが、これでは俺がキスされたみたいだ。実際されたのだが、それが男だなんて言えないし。
「友達……そう、友達が相談してきて! その友達、ルームシェアしてる幼馴染にいつも素っ気ない態度取られてて、嫌われてるとばかり思ってたんです。でも……」
「キスされたんだ?」
「はい……って、俺じゃないですよ!?」
笑顔の店長は、うんうんと頷いてから応えた。
「まぁ、そもそも嫌いだったらルームシェアしないんじゃない?」
「それはそうなんですけど、俺が……じゃなくて、友達が、まるで母親みたいにお節介焼くから嫌われたみたいで。今は多分、家賃とかお金の問題で一緒にいるのかな……と」
「そっか」
それに、あのキスだって——。
『ねぇ、綾人にぃ。キスしてあげよっか』
完全に上からものを言っていた。俺が宗一郎のことを好きだから、だからキスをしてあげる。そんな感じ。
つまりは、宗一郎は俺のことは何とも思ってはいないということ。
「まぁ、状況が分かんないから何とも言えないけど、僕は好きな人にしかしないかなぁ」
「ですよね」
「まぁ、でも、僕の友人はセフレとか作ってるから、一概には言えないけど」
「セ、セフレ……」
あの後、押し倒されそうにもなったし、完全にそっちの線が強くなった。現に、宗一郎はこの一年半、拗れた時に面倒だからと言って彼女を作っていない。
しかし、宗一郎だって男だ。性欲がないわけではないはず。なるほど、俺で発散させようとしているのか。俺が宗一郎を好きなら良いだろう……と。
——カラン♪
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか」
それから店内は客で賑わい、雑談どころではなくなり、この話は終了となった。
◇◇◇◇
バイトが終わったのは十七時。空は、ほんのり夕焼け色に染まっている。
近所の激安スーパーで晩御飯の食材を買い、あとは帰るだけ。帰るだけなのに、いつもより足が重い。
(ひとまず誤解を解かなきゃなぁ……)
そう、誤解さえ解ければ、宗一郎が俺をセフレの相手に選ぼうなんて思わないはず。そもそも、溜まっているからって、男を選ぶのが間違っている。
そんなことを考えていたら、あっという間にアパートの前だ。
築三十年のまだ小綺麗なアパート。その二階の二〇四号室の扉を開けた。
「ただいま」
「ん、おかえり」
一応挨拶は返ってくるが、宗一郎は俺の方を見向きもしない。スマホを片手で操作しながら、テレビを観ている。
「ご飯、からあげで良い?」
「ん」
「あ、宗一郎! またトイレの電気つけっぱじゃん!」
「そう? ごめん」
トイレの電気を消しながら、また小言を言ってしまったと後悔する。
そして、宗一郎は今朝のことなど無かったかのように普段通りだ。もしかしたら、あれは夢だったのだろうか。夢だったのかもしれない。
それから俺が食事の支度をする間も、宗一郎は自分から話しかけてくることはなく、自分の世界に入っていた。
それから三十分——。
「宗一郎。出来たけど、食べる?」
「いる。ありがとう」
何だかんだ食事を作ると感謝の言葉が返ってくる。だから、作って良かったなと思える。
宗一郎が席に着き、唐揚げをパクリと頬張った。
美味しいとは言わず、黙々と食べる宗一郎。
一度も美味しいと言われたことがないので、あまり気にはならない。しかし、一度くらい美味しいと言われてみたいとも思う。そう思った時だった。宗一郎が無表情のまま言ったのは。
「美味しいね」
「……え?」
「唐揚げ、美味しい」
何だろう、この胸の高鳴りは……この高揚感は。
「マジで?」
「うん」
宗一郎の返し方はいつものように素っ気ない。
そして、料理は得意な方ではないにしても、その一言でまたご飯を作ってあげたいという気持ちになる。
「総一郎。明日は何が食べたい?」
「オムライス」
「よし、任せとけ!」
それから会話という会話はなかったけれど、何だか満たされた気がして――――誤解を解くことを忘れていた。
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか」
午後からは大学近くにあるカフェのバイト。夕方には終わるので、晩御飯は家で宗一郎と食べる予定だ。
ニコニコ笑顔を振り撒きながらも、考えていることは今朝の出来事である宗一郎とのキス。
ふいに唇に手を持っていくと、あの時の情景が目に浮かぶ。
——キスの後、呆気に取られた俺は、顔を真っ赤にさせながら必死で誤解を解こうとしたのだが……。
『そんなに照れちゃって。カワイイ』
全く分かってもらえない。むしろ煽っているようにしか見えないと押し倒されそうになり、逃げるようにしてバイトにやってきたのだ。
だから、今日はどんな顔をして帰れば良いのか分からない。
「はぁ……」
「水野君。今日は帰る?」
溜め息を吐いていると、店長に心配されてしまった。
「い、いえ。すみません。働きます!」
「そう? それなら助かるけど」
店長は二十代半ばの男性だ。
彼は柔らかい印象で、常に優しい。怒ったところを見たことがなく、苛々とは無縁なのか、いつ見てもニコニコしている。
注文の品を客に出した後、そんな店長に質問してみた。
「あの、好きでもない相手に、キスしたり出来るもんなんですかね?」
「どうしたの? 水野君にも、とうとう春が来た感じ?」
「いや、春っていうか……」
どうしよう。質問したのは良いが、これでは俺がキスされたみたいだ。実際されたのだが、それが男だなんて言えないし。
「友達……そう、友達が相談してきて! その友達、ルームシェアしてる幼馴染にいつも素っ気ない態度取られてて、嫌われてるとばかり思ってたんです。でも……」
「キスされたんだ?」
「はい……って、俺じゃないですよ!?」
笑顔の店長は、うんうんと頷いてから応えた。
「まぁ、そもそも嫌いだったらルームシェアしないんじゃない?」
「それはそうなんですけど、俺が……じゃなくて、友達が、まるで母親みたいにお節介焼くから嫌われたみたいで。今は多分、家賃とかお金の問題で一緒にいるのかな……と」
「そっか」
それに、あのキスだって——。
『ねぇ、綾人にぃ。キスしてあげよっか』
完全に上からものを言っていた。俺が宗一郎のことを好きだから、だからキスをしてあげる。そんな感じ。
つまりは、宗一郎は俺のことは何とも思ってはいないということ。
「まぁ、状況が分かんないから何とも言えないけど、僕は好きな人にしかしないかなぁ」
「ですよね」
「まぁ、でも、僕の友人はセフレとか作ってるから、一概には言えないけど」
「セ、セフレ……」
あの後、押し倒されそうにもなったし、完全にそっちの線が強くなった。現に、宗一郎はこの一年半、拗れた時に面倒だからと言って彼女を作っていない。
しかし、宗一郎だって男だ。性欲がないわけではないはず。なるほど、俺で発散させようとしているのか。俺が宗一郎を好きなら良いだろう……と。
——カラン♪
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか」
それから店内は客で賑わい、雑談どころではなくなり、この話は終了となった。
◇◇◇◇
バイトが終わったのは十七時。空は、ほんのり夕焼け色に染まっている。
近所の激安スーパーで晩御飯の食材を買い、あとは帰るだけ。帰るだけなのに、いつもより足が重い。
(ひとまず誤解を解かなきゃなぁ……)
そう、誤解さえ解ければ、宗一郎が俺をセフレの相手に選ぼうなんて思わないはず。そもそも、溜まっているからって、男を選ぶのが間違っている。
そんなことを考えていたら、あっという間にアパートの前だ。
築三十年のまだ小綺麗なアパート。その二階の二〇四号室の扉を開けた。
「ただいま」
「ん、おかえり」
一応挨拶は返ってくるが、宗一郎は俺の方を見向きもしない。スマホを片手で操作しながら、テレビを観ている。
「ご飯、からあげで良い?」
「ん」
「あ、宗一郎! またトイレの電気つけっぱじゃん!」
「そう? ごめん」
トイレの電気を消しながら、また小言を言ってしまったと後悔する。
そして、宗一郎は今朝のことなど無かったかのように普段通りだ。もしかしたら、あれは夢だったのだろうか。夢だったのかもしれない。
それから俺が食事の支度をする間も、宗一郎は自分から話しかけてくることはなく、自分の世界に入っていた。
それから三十分——。
「宗一郎。出来たけど、食べる?」
「いる。ありがとう」
何だかんだ食事を作ると感謝の言葉が返ってくる。だから、作って良かったなと思える。
宗一郎が席に着き、唐揚げをパクリと頬張った。
美味しいとは言わず、黙々と食べる宗一郎。
一度も美味しいと言われたことがないので、あまり気にはならない。しかし、一度くらい美味しいと言われてみたいとも思う。そう思った時だった。宗一郎が無表情のまま言ったのは。
「美味しいね」
「……え?」
「唐揚げ、美味しい」
何だろう、この胸の高鳴りは……この高揚感は。
「マジで?」
「うん」
宗一郎の返し方はいつものように素っ気ない。
そして、料理は得意な方ではないにしても、その一言でまたご飯を作ってあげたいという気持ちになる。
「総一郎。明日は何が食べたい?」
「オムライス」
「よし、任せとけ!」
それから会話という会話はなかったけれど、何だか満たされた気がして――――誤解を解くことを忘れていた。



