愚者の園

 私立M女学院高等部は、開校から百年近い歴史を誇る関東屈指の名門校だ。何人もの著名人を輩出する乙女の園でいったいなにが起きたのか。
 今年の四月。一人の女生徒が自宅で首を吊った悲劇を皮切りに、たった三ヶ月のあいだに三人もの女生徒が謎の自死を遂げている。
 インタビューに応じてくれた同級生の話では、学内にいじめなどはまったくなく、彼女たちが自殺を選んだ理由も、皆目わからないという――。


「くだらねぇ」

 女性週刊誌を一読した行平は、うんざりと吐き捨てた。まったくもってくだらない。ついでに言えば、不可思議だとか呪いだとか、そういった着地点に誘導しようとしているところが最高に最悪だ。
 ぶつぶつと文句をこぼしながら、古新聞とひとまとめにして紙ひもで縛る。あとは廃品回収に出せば、それで良し。
 昨夜ふらりとコンビニを訪れた際に、酒と一緒に購入したことが間違いだったのだ。まぁ、ただの興味本位だったので、どう書かれていようが構わないのだが。
 
 ――それにしても、女子高生が三ヶ月で三人ねぇ。

 自殺は連鎖するとは言うが、お嬢様学校としては大問題だろう。
 まとめた古紙を小脇に抱え、使い慣れたモップとバケツを手に自室を出る。管理人業務の中でもビルの清掃は好きな仕事だ。掴みどころのない変人の相手より、無機物をきれいにする作業のほうが、よほど建設的である。
 事務所を貸し出すついでに管理人業務を押しつけた大家は、「住んでいるのは、化け物じみた変人だけだ」と笑っていたが。実際に住んでみると、住人たちの変人度合いは、行平の想像の斜め上をいっていた。
 自身の安請け合いを悔やんだものの、後の祭りである。

 ……ま、でも、寝る場所があって、仕事があるんだ。ありがたい話だよな。

 住人も大家も似非臭いが。半年前の荒んだ生活を思えば、そう評せざるを得まい。

「あれ。滝川さん。とうとう清掃員に転職したの」
「管理人の仕事のうちだ」
「またまたぁ。やぁっと飛び込んできた依頼があるんだから、そっちを優先したらいいのに」

 気配もなく現れた変人筆頭に、行平は階段を擦っていたモップの動きを止めた。通るなら通れである。
 昨日と同じ法衣姿の呪殺屋は、無言の圧力にも屈さず、満面の笑みを浮かべている。

「それで? どうするの?」

 いったいなにが楽しいのか。呪殺屋は階段の手すりに肘をかけたまま、行平をにこにこと見下ろしている。

「滝川さんが女子高前でひとりで人待ちする勇気がないなら、付き合ってあげてもいいけど」
「あのな」

 このまま放っておいたら、勝手に話を進めるに違いない。言い聞かせる調子でもって、行平は声のトーンを落とした。

「昨日も言ったが、あれは俺の客じゃない。そもそもとして依頼も受けてないし、追い返したのはおまえだろうが」
「えー、そういうこと言うの、滝川さん。俺、ちゃんと逃した代わりにお手伝いしてあげるって言ったのに」

 悲しそうに眉を下げた呪殺屋を無視して、掃除を再開する。その顔に騙されるには、中身を知りすぎている。

「それにどうせ、滝川さんは、あのあとで調べたんじゃないの」

 確信に満ちた揶揄に、モップの先が不本意な方向にずるりと滑った。小さく行平の肩が跳ねる。

「時間に無駄に正確なあんたの朝の清掃が、いつもより十分始まるのが遅かった」
「ただの寝坊だ。寝坊」
「へぇ。じゃあ、その古紙の隙間から見えてる週刊誌はなぁに? いつも二ヶ月分まとめて回収に出すくせに、今回は一ヶ月でまとめてるじゃない」
「ストーカーか、おまえは!」

 たまらず叫んだ行平に、呪殺屋は例のチェシャ猫じみた笑みを浮かべた。

「ううん。滝川さんが好きなだけ」
「ストーカーじゃねぇか!」

 怪しげ極まりない呪殺屋に好きだと言われたところで、小指の先ほども嬉しくない。

「べつにそんなに必死に隠さなくてもいいのに。滝川さんのお客さんなんだから」
「呪殺屋」
「なぁに、滝川さん」
「なんでおまえは、俺の客だって強調したがるんだ?」

 行平の疑念に、呪殺屋は軽く眉を上げて応えた。

「あんたの矛盾だらけの葛藤で、百発百中の見沢の予言を台無しにされたくないからね」

 百発百中ときたか。似非臭いことこの上ない情報に、行平はむっつりと黙り込んだ。

「それに」

 顔を上げなくとも呪殺屋が笑ったことがわかった。

「元・警官の正義感の強すぎる探偵さんは、世の不幸を無下にできない」

 昨日の雨のせいで、階段には黒い足跡が点々と残っている。こそぎ落としながら、あの少女のものだろうなと行平は考えていた。張りつめたアーモンド形の瞳が脳裏に浮かんで、溜息をひとつ呑み込んだ。
 明かり取りの窓からは、眩いばかりの日光が差し込んでいる。昨日とは大違いの晴天だった。それでも夕闇が近づくころには、再び雨になるかもしれない。夏の天気は変わりやすく、読みにくい。この、呪殺屋のように。
 おまえは俺のなにを知っているのか。嘯く代わりに行平は問いかけた。

「なぁ、呪殺屋」

 呪いという非科学をどう取り扱うべきなのか、行平は知らない。
 けれど、たしかに昨日見たそれは恐ろしかった。なにが恐ろしいのかさえわからないのに、ぞっとさせられる。それが「呪い」なのか。

「呪いで人は殺せるのか」
「俺を『呪殺屋』と称しておいて、それはまたひどい矛盾だね」

 返答に詰まった行平に、呪殺屋は小さく微笑んでみせた。陽光に照らされた瞳が黄金色に染まる。狙っているのか、いないのか。魔物めいた仕草に行平は苦虫を噛み潰した。

「ちゃんと興味を示せた滝川さんに、ご褒美代わりに助言をプレゼントしてあげようか」
「いらねぇよ」
「まぁまぁ、そう言わずに」

 げんなりと首を振った行平をものともせず、呪殺屋は続ける。

「俺はね、滝川さん。良い占い師は、最良のカウンセラーだと思っている」
「はぁ?」

 いきなり飛んだ話展開に、行平の声が裏返った。変人の思考回路には着いていけないと実感する瞬間でもある。呪殺屋は、表情だけはやわらかに微笑んでいる。

「簡単な話だよ。その人が求めている未来を提示する占い師を、人は信じようとするでしょう。だから、占い師は求められていることを正確に読み取って、背中を押してやろうとする。まるでカウンセラーだ」
「あぁ、まぁ、それはそうかもな」
「というわけで。見沢の占いによれば、今のあんたは月の逆位置だそうだ」
「月の逆位置?」

 タロットカードの意味など知る由もない。首をひねった行平に、呪殺屋の笑みが深くなる。

「意味はあんたが好きに解釈したらいい」

 解釈もなにも、原義を知らないのだから、しようがない。
 だが、呪殺屋はそれ以上の問答に応じるつもりはないようだった。踊り場に立てかけていた錫杖を手に取って肩にかける。しゃらりと涼やかな音が鳴った。

「さぁて、それじゃ、俺もお仕事に精を出そうかな。誰かを呪いたい人間で、この世は今日もいっぱいだ」

 軽口を叩いた痩身が、行平の脇をすり抜けていく。
 瞬間、どこか懐かしいお香の匂いが行平の鼻先を掠めた。寺だとか、田舎の仏間だとかで嗅ぐものに似た匂い。

「呪殺屋」

 呼び止めるつもりなどなかったのに、気がついたときには声が出ていた。下段の踊り場で立ち止まった呪殺屋が、行平を振り仰ぐ。

「どうしたの。滝川さん。そんなに講釈が聞きたいなら、俺じゃなくて見沢のところに行ったほうがいいと思うけど」
「いや、……なんでもない」

 わざわざあの詐欺師のところに出向きたくはない。苦い顔で首を振った行平に、呪殺屋はまたひとつ笑った。

「この世は呪いが蔓延しているからね。せいぜいがあんたも気をつけたらいい」