「お疲れ様でしたー」
「おう、菜緒ちゃん、気をつけてね」
私こと柊菜緒(ひいらぎ なお)はバイト先のラーメン店『まいど屋』の店主に笑顔を返すと、裏口から外へ出た。
「さむっ」
今夏が猛暑だったせいか、今年の冬は例年よりもやけに寒く感じる。私は鼻先を掠めていく真冬の風に慌ててマフラーで口元を覆った。
「クリスマスか……」
ぽつりと呟いた声は、すぐに白い吐息と共に夜空に吸い込まれていく。
私はいつものように店裏の自転車置き場に向かおうとして、足を止めた。
「そうだ……自転車パンクしたからバスで来たんだった」
自宅からバイト先のラーメン屋まで自転車なら十五分程度だが、歩きとなると三十分はかかる。私は自転車を修理に出したその足でバスに揺られて、駅からすぐのこのラーメン屋までやってきたのを思い出した。
(バスの時間、いいのあるかな……)
私は回れ右をすると駅に向かって歩き出す。
駅までの大通りはライトアップされ、どの店先にも華やかなクリスマスツリーが飾られている。そんなキラキラした景色を見ながら私の心にはモヤがかかる。
「はぁあ。もうすぐクリスマスってことはアイツの誕生日も……」
去年編みかけてほったらかしていた、グレーのマフラーを完成させたのは一昨日のことだ。
(どうせ想いを伝える勇気も渡す勇気もないくせに……)
それでも高校生最後のクリスマス。
それも好きな人の誕生日だと思うと、なんだか気持ちがそわそわと落ち着かなくて、夜な夜な手編みの本を頼りに編み上げてしまった。
「おつかれ、菜緒」
(え?)
聞き慣れたその声に振り返ると、幼なじみのアイツ――日浦拓斗(ひうら たくと)が自転車に跨ったままこちらに向かって手をあげた。
「拓斗……なんで」
今しがた私の頭を占領していた相手の登場に一瞬思考が止まるも、とっさに前髪に手をやって整える。
ラーメン屋のバイトはなりふり構ってられないくらいなかなかにハードで、汗もかくし髪も乱れるのだ。
油と汗でべとべとな髪は、額に張り付いて思い通りにはいかないけど、どうにかそれなりにはなっていると思いたい。
(もう家に帰るだけだから、メイクだって直してないのに……)
内心で文句を言いつつも、気持ちは正反対に喜んでいる自分を私は認めるしかないのだけど。
「なんでって、自転車パンクしたぁってライン送ってきたのお前だろ」
“したぁ”のところで泣き真似をする拓斗が憎らしくもあり、可愛くもあり、私はむっとふくれっ面を作った。
「あれはべつに……迎えに来てって意味で送ったんじゃ……」
「わかってるよ。コンビニ行く用ができたから、ついでに菜緒の疲れた顔でも拝んどくかーと思って」
「なっ……ひっど」
肩をグーパンしても拓斗は「はは」と笑ってやり過ごす。
その拓斗の変わらない優しさに、胸がぎゅっと苦しくなった。
コンビニなんて家から歩いていける距離にあって、私のバイト先は自転車で15分はかかる距離だ。
“ついで”の距離なんかじゃない。
なのに私のラインひとつでこうして迎えにきてくれるんだから、やんなる。
(諦められないの、拓斗のせいなんだから)
去年の11月の終わり頃、拓斗に彼女ができた。
それを本人の口からではなく、人づてに知った私はショックで、当時編みかけだったマフラーをクローゼットの奥に押し込んだ。
――伝えるはずだった、私の想いも一緒に……。
結局、クリスマスよりも前に彼女に振られたとかで、誕生日当日は「慰めて」って泣きついてきた拓斗と一緒にクリスマスケーキを食べたのだけど……。
『別れると気まずくて、付き合う前と同じってわけにはいかないもんだな』
慰めてって言う割には呑気にそう言った拓斗のその言葉を聞いて、私は想いを伝えなくてよかった、とほっとした。
そして同時に、もし想いを伝えていたらどうなっていただろう、と怖くなった。
想いを伝えたら、例えどちらに転んだとしても、私たちの今の関係は終わってしまう。
そんな気がして、ずっとこの想いを胸にしまってきた。
今の、この幼なじみとしての関係のままでいい。
そう思ってきたはずなのに……。
(どうしてマフラー完成させちゃったかなぁ)
「ほら、乗れよ」
ぶっきらぼうに促されて、「捕まっても知らないからね」なんて憎まれ口をききながら自転車の後ろに横向きで座った。
ぐんっと勢いよく進みだす自転車。
体が後ろに置いていかれそうになって、慌てて拓斗の腰にしがみついた。
もこもこのダウンのポケットに手を忍ばせたら「自分だけ暖をとるな。しかも人のポケットで」と文句が飛んでくる。
(こうして、一緒に過ごせるのもあと少しなんだよね……)
私は地元の美容専門学校に、拓斗は隣県の大学への進学が決まっている。
そうなれば、もうこんな風に時間を過ごすことはできない。
「そういえば、お前クリスマスどーすんの? 母さんがケーキ食べにおいでって言ってたけど」
「え、今年もいいの?」
「いいってゆうか、母さん張り切っててさ。誕生日の俺より、菜緒に食べて欲しいってどういうことだよ」
「あはは、嬉しい。おばさんのケーキ絶品なんだもん」
拓斗のお母さんは看護師の傍ら、お菓子作りが趣味で私が小さい頃から誕生日には必ず手作りケーキを届けてくれている。
「今年もイチゴかな?」
「俺の苦手なチョコレートケーキとか嫌がらせすぎんだろ」
「って、ワンチャン?」
「ねぇわ」
拓斗の後ろで声を上げて笑う。こんなくだらなくて、どうでもいいやり取りを小さな幸せだと感じるようになって何年経つだろう。
無条件にこれからもずっと一緒だなんて思っていた子供のころとは違う。
私たちは来年から、それぞれの道を未来に向かって別々に歩んでいく。
大人になるってそういうこと。
(来年から拓斗はもう……隣にいないんだ)
わかっていても胸はずきんと痛む。そして想いを伝えられない、弱虫の自分に嫌気までさしてくる。
(はぁあ……)
顔が見られないのをいいことに拓斗の後ろで私は暗い顔をして俯く。
その時、自転車が速度を落とすと緩やかに停車した。
「どした?」
「えっ?」
はっとして顔をあげれば、横断歩道の先に赤信号が見えた。この信号を渡って公園を右手に曲がれば家に着く。
「なんか菜緒、急に黙るから」
「あ、えっと……クリスマス終わったら、すぐ卒業だなって」
「ああ。そうだな」
行き交う車とバイクを見つめながら、青信号になるのを待つ。
「てことは……最後だよな」
「ん?」
「クリスマス一緒に過ごすの」
拓斗は前を見つめたままで表情はわからない。
「う、ん。そうだね……」
私は拓斗の腰に回した手にぎゅっと力を込めた。
「……何か欲しいもんある?」
「……え?……いま、なんて言ったの?」
「あー、ハズいな。クリスマス一緒に過ごすの最後だからさ、何か欲しいもんあるのかって聞いた」
「待って……それって、拓斗がクリスマスプレゼントくれるってこと?」
拓斗が顔だけ振り返ると、綺麗な二重瞼をきゅっと細めた。
寒さのせいだとは思うが頬がわずかに赤い。
「どう考えてもそうだろっ」
「な、なんで私が怒られてるの?」
「ばか。もう疑問系で返してくんな。で?」
「ええっと……」
拓斗は信号が青に変わるのを見て、またゆっくりとペダルを漕ぎ始める。
(欲しいもの……)
そんなのひとつしかない。
来年も再来年も拓斗の隣にいたい。拓斗の隣が欲しい。なんて漫画みたいな恥ずかしいセリフ、弱虫で意地っ張りで可愛げのない私には、天地がひっくり返っても言えっこない。
「菜緒?」
「……ずっと、持っておけるものがいい」
拓斗の隣と言えない私の精一杯の返事だ。
拓斗からプレゼントを貰えるのなら、食べ物や消えてなくなるものは嫌だった。
ここまで拗らせてるのだから、このどうしようもない恋心と一緒に思い出としてそばに置いておけるものが欲しい。
「うーん……ムズいな」
「だよね。なくていいよ」
「いや、何か渡す」
「じゃあ、えっと……私も、渡すね。誕生日だし……」
この流れなら不自然じゃないはず、とマフラーを脳裏に浮かべて口にしたものの、何だかぎこちなくなってしまった。
自転車が私の家の前にピタリと止まる。
「はい、到着。てか菜緒から誕プレとか初めてじゃん〜」
「要らないなら、持ってかないけど?」
ちょっと茶化すような彼の言い方に、すぐに可愛くない返事をしてしまう自分がもはや恨めしい。
「いる。ただしチョコレートケーキ以外な」
拓斗が悪戯っ子のようにニカッと笑うのに見惚れながら、私はできるだけ素っ気なく「はいはい」と答えて拓斗に手を振った。
そして──瞬く間にクリスマス当日がやってきた。
「メリークリスマス!」
インターホンを鳴らして、すぐに玄関ドアが開かれたその瞬間、私は百均で買ったクラッカーの紐を引っ張った。
パァンッという破裂音と共に色とりどりのキラキラテープが飛び出て、目を瞑った拓斗の頭に降りかかる。
「ドッキリ大成功」
「……お前なぁ……」
あきれ顔でこっちを見る拓斗に、へへへと笑って私は中へと滑り込むようにして上がった。
こうでもしないと、緊張でどうにかなりそうだった。
(だって、二人きりだなんて聞いてない……)
拓斗のお母さんは夜勤で、お父さんは接待でいないって知ったのはつい数日前のこと。
去年は二人とも居てみんなでわいわいクリスマスパーティーをしたから、てっきり今日もそんな感じかなって思ってたのに……。
クリスマスの夜に、好きな人と二人きりなんて……。
マフラーのラッピング材料を買いに行った百均で目についたクラッカーを、気付いたら買っていた。
拓斗の驚く顔を見て、ほんの少しいつもの自分に近づけたからこっちも大成功かな。
「お邪魔しまーす」
「おい、ゴミ片付けろよ」
玄関に散らばったクラッカーのキラキラを、拓斗が拾っているのをよそ目にリビングドアを開ければ、電飾にライトアップされた大き目のクリスマスツリーが私を出迎えてくれた。
「おばさん忙しいのにツリー出しててえらいねぇ。うちなんか数年前からもう飾らなくなったよ」
私のお母さんは、こういうイベント系はめんどくさいって全然やる気なし。
だから今日だってチキンもなければケーキもない。もちろんプレゼントも小学生で打ち切り。
そんなんだから、うちの家族まで拓斗のお母さんのケーキのおこぼれを楽しみにしてるくらいだ。
「……今年は俺が出したんだよ」
気付いたら拓斗がすぐ後ろに立っていた。
中に進んで、とりあえずマフラーの入った紙袋を椅子の上に置く。
「手伝ってえらいじゃん」
「違う。俺が出したかったから出したの。母さん、今年は仕事でパーティーできないからツリーも出さないって言うから」
「ふーん?」
拓斗がそんなにクリスマスに思い入れがあるとは知らなかったな。
可愛いとこあるじゃん、なんて呑気に思ってたら、
「せっかく菜緒と二人でパーティーなのに、ツリーないと味気ないじゃん」
なんてセリフが飛んできて、私はその場で固まってしまった。
(は……? 今、なんて言った?)
せっかく?
二人?
味気ない?
口を開けば憎まれ口しか言わないような拓斗から、まさかそんな言葉が出てくるなんて予想してなくて。
固まった思考のまま、彼の真意を図るべく見上げた私。
そっぽを向いた拓斗の照れ顔に当てられて、顔がかぁっと熱くなった。
(なになになに、この甘い空気! やめてよ、期待しちゃう……っ)
今日の約束が決まってからずっと、この想いを伝えようか諦めようか悩んで悩んで、結局決められないまま今日を迎えた。
今日を最後にしたくない。
これから先も、拓斗の隣にいたい。
けれど、受け入れてもらえなかったら?
それこそ、幼なじみとしての隣も失ってしまう。
どっちも怖い。
そんな葛藤を繰り返していた私に、拓斗のこの態度は予想外すぎて……。
ただでさえ不安定な私の心を大きく揺らした。
「あ、ありが、と……、やっぱりツリーあるといいね。クリスマスっぽくて気分上がる! あ、これ、うちのお母さんが作ったポテサラとノーソンのNチキ! この寒い中菜緒さまが買ってきたんだからありがたーく食べなさいよ」
「おーサンキュー! 腹減った。早速食べようぜ」
「うん!」
さっきの変な空気は消え去って、いつもの私たちに戻った。
それがほっとしたような、ちょっと残念なような……。
私は拓斗へのこの想いをどうしたらいい?
いつまでたっても決められない情けなさを胸に抱えたままテーブルにつく。
それでも、ちょうどやっていた歌の特番を観ながらチキンを食べて。
他愛のない会話で笑いあっていれば、さっきまでのモヤモヤなんて忘れてしまうくらいに、私は拓斗とのクリスマスを心から楽しんでいた。
食べきれないと思ったディナーは、気づけば二人で綺麗に平らげて、残すはケーキとプレゼントだけ。
「わぁ、美味しそう〜」
「やっぱイチゴだったな」
拓斗が冷蔵庫からケーキを取り出すと、切り分けてソファーの前のガラステーブルに置く。
私はダイニングテーブルの椅子に置いていたマフラーの入った紙袋を持つと、ソファーに腰掛けた。
すぐに拓斗が飲み物を抱えて隣に座る。さっきよりも距離が近くて、いつも通りを装いたいのに鼓動が速くなる。
「先、食べよっか」
「あ、うん……そうだね」
先と言うことは拓斗もちゃんと私にプレゼントを用意してくれていると言うこと。
嬉しいけれど手編みのマフラーを渡す瞬間が刻一刻と迫っている。
「お、うまっ」
「ん〜、今年のケーキもすっごくおいし〜」
「母さんに言っとくわ」
「うん、私からもラインしとくね」
「おう」
今年もおばさん特製の苺のケーキは絶品すぎて、話もほどほどに二人して夢中頬張る。
先に拓斗が食べ終わるとフォークを置き、立ち上がった。
「ご馳走さまでした。ちょっと取ってくるわ」
私は拓斗に頷きながら最後の一口を口に放り込むと、紙袋を手元に引き寄せた。
それと同時に拓斗も紙袋を抱えて戻ってくる。
「はい、これ例のブツ」
「ちょっと言い方」
「ほら、はやく受け取れって」
「はいはい」
長年幼なじみをやっているが、プレゼント交換なんて初めてで、なんだかくすぐったい。
ぶっきらぼうに渡された紙袋を受け取ってから、私もおずおずとマフラーの入った紙袋を差し出した。
「これ、あげる……」
「お。さんきゅ、すっげー嬉しい」
タイミング的に告白はやっぱりできなかったが、ようやく二年越しに渡せたことにホッとする。
しかしホッとしたのも束の間、今度は拓斗の反応が気になって、緊張から息苦しくなってくる。
(どうしよう)
(今更だけど……手編みとか重かったかも)
(だって……彼女でもないのに)
そんなネガティブな考えが浮かぶが、もう後戻りはできない。
「なぁ、開けていい?」
「えっと……じゃあ、せーので開けよっか?」
「いいよ。じゃあ、せーの」
「え、早……っ」
拓斗がしゅるりとリボンを解くのを見ながら、私もサンタクロースとトナカイが描かれた、お洒落なラッピング袋を開けた。
「うわ、あったかそう」
「わぁ、あったかそう」
同時に声を発した私たちは顔を見合わせる。
拓斗が私にプレゼントしてくれたのは、小さなイチゴのチャームがついた白の手袋だった。
それも去年から私が欲しくて買おうか悩んでいたブランドのもの。
通っている高校が自宅から五分ほどという事もあり、去年は使用頻度を考えて買うのを見送ったのだ。
「菜緒が欲しいって言ってたの思い出したのと、寒がりのくせに手袋持ってないから」
「高かったのに……ありがとう。ずっと大事にするね」
拓斗が私との些細な会話を覚えていてくれて、私のために選んでくれたと思うと胸がいっぱいで目の奥がじんと熱くなる。
うっかり涙を溢さないように、私は拓斗から手袋に視線を移すと両手でそっと包み込んだ。
「……バイトして良かったわ」
「え?」
「あー、なんもない。てかこれって手編み? 菜緒が編んだの?」
拓斗からのプレゼントがあまりにも嬉しくて、あんなに心臓をバクバクさせていたマフラーのことが頭から吹き飛んでいた。
拓斗はマフラーを繁々と見つめていて、一瞬で冷や汗が出そうになる。
「ええっと……その、手編みとか……どうかなって思ったんだけど」
「ん? どういう意味?」
「な、なんか、重くない?」
「それって気持ち、ってこと?」
拓斗の神妙な顔がこちらに向けられて、咄嗟に逸らしてから、やっぱり手編みのマフラーは失敗だったと俯いた。
「うん……ただの幼なじみなのに……困るよね。彼女できたら捨てていいから」
「…………」
沈黙が拓斗の返事のように思えて、悲しくて涙が出そうになってくる。
「菜緒……あのさ……」
「あ、ほんと気にしないで。暇だったから編んだだけだし」
「暇って、これ結構時間かかるだろ?」
「全然っ、この菜緒さまにかかれば、三日もあればできちゃうんだから〜」
拓斗のことを想いながら、何度もほどいてはやり直して完成に三ヶ月かかったなんて、とても言えない。そして拓斗への自分の気持ちを悟られないように誤魔化そうとすれば、変に饒舌になってしまう。
「ってかさ〜、来年こそ私とじゃなくて彼女と過ごしなよ〜。あっ、そういえばこの間、拓斗のこと気になってる子いるらしいって友達から聞いたんだった。卒業式で告白とかされちゃうかも〜。いいなぁ、私も早く彼氏欲しいなぁ」
私は無駄にヘラヘラしながら、手袋をラッピング袋にそっと仕舞う。早くこの場をあとにしないと涙が出るのも時間の問題だ。
「あっ、もうこんな時間。そろそろ帰るね」
わざとらしくリビングの時計に目をやりながら立ち上がろうとすれば、拓斗が私の手首をぐっと掴んだ。
「……拓、斗?」
「大事にする」
「え……?」
「菜緒がくれたマフラー、ずっと大事にする……だって好きな子が編んでくれたから」
真剣な目をした拓斗が私を見つめる。
頭の中でさっきの言葉を反芻するが、理解が追いつかない。
「俺……ずっと菜緒が好きだった」
「……え……? でも、あの拓斗……去年、彼女……」
拓斗はバツの悪そうな顔をすると、私を座り直させてから胡座をかいた。
「あれはさ……告白されただけで付き合ってもないのに、お前が誰から聞いたのか、おめでとうとか笑顔で言うから……なんかヤケになった。でも結局、気持ちないのに失礼だなって思って友達に戻ろうって言って別れたんけど、疎遠になった」
「……そう、だったんだ……」
「うん。だから俺……いまの菜緒との関係壊したくなくて気持ち言うの怖くてさ。でも後悔したくないから……」
拓斗が小さく息を吐いてから背筋を伸ばすと、私を真っ直ぐに見つめた。
「菜緒が好きです──俺と付き合ってくれませんか?」
知らなかった事実と予想外の展開に頭が混乱している中、拓斗の言葉が私の胸を突く。
まさか拓斗も私と同じ気持ちでいてくれたなんて……。
その上、こうして想いを伝えてくれたことが、すごく嬉しかった。
(私は怖くて言えなかったのに……)
今の関係を壊したくなくて気持ちを言えなかった臆病な私とは違い、勇気を持って一歩を踏み出した拓斗が、いつもの何倍もかっこよく見える。
「……ずるい」
「え?」
「私だって……、ずっと好きだったんだから!」
嬉しいのに、悔しさも一緒に滲み出てきた私は声を荒げた。
こんな時にまで幼なじみとして張り合おうとしてしまう自分が情けなくも、一度開いた口は止まってくれない。
「なのに去年拓斗に彼女ができたって聞いて私ショックで……、でもお祝いしなきゃって思って必死におめでとうって言ったの! なのになんなのよ、ヤケで付き合うって……最低」
「うん、それは否定できない」
「このマフラーだって、ホントは去年のクリスマスにあげようと思ってたし、作るのに三カ月かかったんだからね……!」
「うん、ありがと」
「私のが、ずっとずっと、好きなんだからぁ……」
視界が滲んで、拓斗の顔がぼやける。
メイクが崩れて、きっと情けない顔してる。
それでも、いろんな想いが涙に変わって溢れてきた。
「泣くなよ、菜緒」
「誰の、せいだと――」
涙を拭こうとした手が掴まれて、引かれる。
体勢を崩した私は、そのまま倒れ込むようにして拓斗の胸に抱き留められた。
拓斗の手が私の背中を優しくとんとんする。
触れたところから、どちらのものかわからない熱が伝わってきて、心臓が張り裂けそうなくらいにどくどくと鼓動を響かせた。
こっちは今の状況にいっぱいいっぱいなのに、頭上からは「ふはっ」という笑い声が届いて首をかしげる。
「な、なに?」
「久しぶりに菜緒の泣き顔みて、お前が泣き虫だったの思い出した。小学校の九九で俺の方が先に覚えたときとか、漢字テストで俺のがいい点取ったときとか、俺に負ける度にお前泣いてたよな」
「……」
「……菜緒? おーい、菜緒さーん?」
黙り込んだ私の肩を掴んで離す。
心配そうに覗き込んでくる拓斗を、私は恨めし気に睨みつけた。
「ねぇ……、それ、今言う……?」
(仮にも好きな相手が泣いてるっていうのに!)
相変わらずのデリカシーのなさに涙は引っ込んだし、ムードが台無しだ。
「お、泣き止んだ」
「泣き止むでしょう!」
「ごめんって。……お前に泣かれると、俺どうしたらいいかわかんなくなるからさ。それに、好きな子には笑っててほしいし」
「うぅ……っ」
(また好きな子って言った!)
嬉しさと恥ずかしさのダブルパンチが私をノックアウトする。
むず痒さに慣れていない私は、耐えきれずに両手で顔を覆った。
「菜緒、顔見せてよ」
「無理、恥ずか死ぬ」
イヤイヤしてるのに。
「菜緒の顔、見たい」
両手を掴まれて剥がされた。
情けない顔を見せたくないのに、胸の内で膨らむ期待にどうしたって抗えなくて見上げてしまう。
視界一杯に映ったのは、大事な幼なじみで、私の大好きな人。
まだ涙が残る視界の中、クリスマスツリーの電飾が彼の黒い瞳をキラキラと輝かせて綺麗だなと頭の片隅で想った。
「大好きだよ」
吐息が触れる距離で囁かれた、蕩けるような彼の声。
堪らず目を閉じれば、甘やかな熱が唇に降ってきたのだった――。
おしまい
2025.12.24 遊野煌・紀本明
「おう、菜緒ちゃん、気をつけてね」
私こと柊菜緒(ひいらぎ なお)はバイト先のラーメン店『まいど屋』の店主に笑顔を返すと、裏口から外へ出た。
「さむっ」
今夏が猛暑だったせいか、今年の冬は例年よりもやけに寒く感じる。私は鼻先を掠めていく真冬の風に慌ててマフラーで口元を覆った。
「クリスマスか……」
ぽつりと呟いた声は、すぐに白い吐息と共に夜空に吸い込まれていく。
私はいつものように店裏の自転車置き場に向かおうとして、足を止めた。
「そうだ……自転車パンクしたからバスで来たんだった」
自宅からバイト先のラーメン屋まで自転車なら十五分程度だが、歩きとなると三十分はかかる。私は自転車を修理に出したその足でバスに揺られて、駅からすぐのこのラーメン屋までやってきたのを思い出した。
(バスの時間、いいのあるかな……)
私は回れ右をすると駅に向かって歩き出す。
駅までの大通りはライトアップされ、どの店先にも華やかなクリスマスツリーが飾られている。そんなキラキラした景色を見ながら私の心にはモヤがかかる。
「はぁあ。もうすぐクリスマスってことはアイツの誕生日も……」
去年編みかけてほったらかしていた、グレーのマフラーを完成させたのは一昨日のことだ。
(どうせ想いを伝える勇気も渡す勇気もないくせに……)
それでも高校生最後のクリスマス。
それも好きな人の誕生日だと思うと、なんだか気持ちがそわそわと落ち着かなくて、夜な夜な手編みの本を頼りに編み上げてしまった。
「おつかれ、菜緒」
(え?)
聞き慣れたその声に振り返ると、幼なじみのアイツ――日浦拓斗(ひうら たくと)が自転車に跨ったままこちらに向かって手をあげた。
「拓斗……なんで」
今しがた私の頭を占領していた相手の登場に一瞬思考が止まるも、とっさに前髪に手をやって整える。
ラーメン屋のバイトはなりふり構ってられないくらいなかなかにハードで、汗もかくし髪も乱れるのだ。
油と汗でべとべとな髪は、額に張り付いて思い通りにはいかないけど、どうにかそれなりにはなっていると思いたい。
(もう家に帰るだけだから、メイクだって直してないのに……)
内心で文句を言いつつも、気持ちは正反対に喜んでいる自分を私は認めるしかないのだけど。
「なんでって、自転車パンクしたぁってライン送ってきたのお前だろ」
“したぁ”のところで泣き真似をする拓斗が憎らしくもあり、可愛くもあり、私はむっとふくれっ面を作った。
「あれはべつに……迎えに来てって意味で送ったんじゃ……」
「わかってるよ。コンビニ行く用ができたから、ついでに菜緒の疲れた顔でも拝んどくかーと思って」
「なっ……ひっど」
肩をグーパンしても拓斗は「はは」と笑ってやり過ごす。
その拓斗の変わらない優しさに、胸がぎゅっと苦しくなった。
コンビニなんて家から歩いていける距離にあって、私のバイト先は自転車で15分はかかる距離だ。
“ついで”の距離なんかじゃない。
なのに私のラインひとつでこうして迎えにきてくれるんだから、やんなる。
(諦められないの、拓斗のせいなんだから)
去年の11月の終わり頃、拓斗に彼女ができた。
それを本人の口からではなく、人づてに知った私はショックで、当時編みかけだったマフラーをクローゼットの奥に押し込んだ。
――伝えるはずだった、私の想いも一緒に……。
結局、クリスマスよりも前に彼女に振られたとかで、誕生日当日は「慰めて」って泣きついてきた拓斗と一緒にクリスマスケーキを食べたのだけど……。
『別れると気まずくて、付き合う前と同じってわけにはいかないもんだな』
慰めてって言う割には呑気にそう言った拓斗のその言葉を聞いて、私は想いを伝えなくてよかった、とほっとした。
そして同時に、もし想いを伝えていたらどうなっていただろう、と怖くなった。
想いを伝えたら、例えどちらに転んだとしても、私たちの今の関係は終わってしまう。
そんな気がして、ずっとこの想いを胸にしまってきた。
今の、この幼なじみとしての関係のままでいい。
そう思ってきたはずなのに……。
(どうしてマフラー完成させちゃったかなぁ)
「ほら、乗れよ」
ぶっきらぼうに促されて、「捕まっても知らないからね」なんて憎まれ口をききながら自転車の後ろに横向きで座った。
ぐんっと勢いよく進みだす自転車。
体が後ろに置いていかれそうになって、慌てて拓斗の腰にしがみついた。
もこもこのダウンのポケットに手を忍ばせたら「自分だけ暖をとるな。しかも人のポケットで」と文句が飛んでくる。
(こうして、一緒に過ごせるのもあと少しなんだよね……)
私は地元の美容専門学校に、拓斗は隣県の大学への進学が決まっている。
そうなれば、もうこんな風に時間を過ごすことはできない。
「そういえば、お前クリスマスどーすんの? 母さんがケーキ食べにおいでって言ってたけど」
「え、今年もいいの?」
「いいってゆうか、母さん張り切っててさ。誕生日の俺より、菜緒に食べて欲しいってどういうことだよ」
「あはは、嬉しい。おばさんのケーキ絶品なんだもん」
拓斗のお母さんは看護師の傍ら、お菓子作りが趣味で私が小さい頃から誕生日には必ず手作りケーキを届けてくれている。
「今年もイチゴかな?」
「俺の苦手なチョコレートケーキとか嫌がらせすぎんだろ」
「って、ワンチャン?」
「ねぇわ」
拓斗の後ろで声を上げて笑う。こんなくだらなくて、どうでもいいやり取りを小さな幸せだと感じるようになって何年経つだろう。
無条件にこれからもずっと一緒だなんて思っていた子供のころとは違う。
私たちは来年から、それぞれの道を未来に向かって別々に歩んでいく。
大人になるってそういうこと。
(来年から拓斗はもう……隣にいないんだ)
わかっていても胸はずきんと痛む。そして想いを伝えられない、弱虫の自分に嫌気までさしてくる。
(はぁあ……)
顔が見られないのをいいことに拓斗の後ろで私は暗い顔をして俯く。
その時、自転車が速度を落とすと緩やかに停車した。
「どした?」
「えっ?」
はっとして顔をあげれば、横断歩道の先に赤信号が見えた。この信号を渡って公園を右手に曲がれば家に着く。
「なんか菜緒、急に黙るから」
「あ、えっと……クリスマス終わったら、すぐ卒業だなって」
「ああ。そうだな」
行き交う車とバイクを見つめながら、青信号になるのを待つ。
「てことは……最後だよな」
「ん?」
「クリスマス一緒に過ごすの」
拓斗は前を見つめたままで表情はわからない。
「う、ん。そうだね……」
私は拓斗の腰に回した手にぎゅっと力を込めた。
「……何か欲しいもんある?」
「……え?……いま、なんて言ったの?」
「あー、ハズいな。クリスマス一緒に過ごすの最後だからさ、何か欲しいもんあるのかって聞いた」
「待って……それって、拓斗がクリスマスプレゼントくれるってこと?」
拓斗が顔だけ振り返ると、綺麗な二重瞼をきゅっと細めた。
寒さのせいだとは思うが頬がわずかに赤い。
「どう考えてもそうだろっ」
「な、なんで私が怒られてるの?」
「ばか。もう疑問系で返してくんな。で?」
「ええっと……」
拓斗は信号が青に変わるのを見て、またゆっくりとペダルを漕ぎ始める。
(欲しいもの……)
そんなのひとつしかない。
来年も再来年も拓斗の隣にいたい。拓斗の隣が欲しい。なんて漫画みたいな恥ずかしいセリフ、弱虫で意地っ張りで可愛げのない私には、天地がひっくり返っても言えっこない。
「菜緒?」
「……ずっと、持っておけるものがいい」
拓斗の隣と言えない私の精一杯の返事だ。
拓斗からプレゼントを貰えるのなら、食べ物や消えてなくなるものは嫌だった。
ここまで拗らせてるのだから、このどうしようもない恋心と一緒に思い出としてそばに置いておけるものが欲しい。
「うーん……ムズいな」
「だよね。なくていいよ」
「いや、何か渡す」
「じゃあ、えっと……私も、渡すね。誕生日だし……」
この流れなら不自然じゃないはず、とマフラーを脳裏に浮かべて口にしたものの、何だかぎこちなくなってしまった。
自転車が私の家の前にピタリと止まる。
「はい、到着。てか菜緒から誕プレとか初めてじゃん〜」
「要らないなら、持ってかないけど?」
ちょっと茶化すような彼の言い方に、すぐに可愛くない返事をしてしまう自分がもはや恨めしい。
「いる。ただしチョコレートケーキ以外な」
拓斗が悪戯っ子のようにニカッと笑うのに見惚れながら、私はできるだけ素っ気なく「はいはい」と答えて拓斗に手を振った。
そして──瞬く間にクリスマス当日がやってきた。
「メリークリスマス!」
インターホンを鳴らして、すぐに玄関ドアが開かれたその瞬間、私は百均で買ったクラッカーの紐を引っ張った。
パァンッという破裂音と共に色とりどりのキラキラテープが飛び出て、目を瞑った拓斗の頭に降りかかる。
「ドッキリ大成功」
「……お前なぁ……」
あきれ顔でこっちを見る拓斗に、へへへと笑って私は中へと滑り込むようにして上がった。
こうでもしないと、緊張でどうにかなりそうだった。
(だって、二人きりだなんて聞いてない……)
拓斗のお母さんは夜勤で、お父さんは接待でいないって知ったのはつい数日前のこと。
去年は二人とも居てみんなでわいわいクリスマスパーティーをしたから、てっきり今日もそんな感じかなって思ってたのに……。
クリスマスの夜に、好きな人と二人きりなんて……。
マフラーのラッピング材料を買いに行った百均で目についたクラッカーを、気付いたら買っていた。
拓斗の驚く顔を見て、ほんの少しいつもの自分に近づけたからこっちも大成功かな。
「お邪魔しまーす」
「おい、ゴミ片付けろよ」
玄関に散らばったクラッカーのキラキラを、拓斗が拾っているのをよそ目にリビングドアを開ければ、電飾にライトアップされた大き目のクリスマスツリーが私を出迎えてくれた。
「おばさん忙しいのにツリー出しててえらいねぇ。うちなんか数年前からもう飾らなくなったよ」
私のお母さんは、こういうイベント系はめんどくさいって全然やる気なし。
だから今日だってチキンもなければケーキもない。もちろんプレゼントも小学生で打ち切り。
そんなんだから、うちの家族まで拓斗のお母さんのケーキのおこぼれを楽しみにしてるくらいだ。
「……今年は俺が出したんだよ」
気付いたら拓斗がすぐ後ろに立っていた。
中に進んで、とりあえずマフラーの入った紙袋を椅子の上に置く。
「手伝ってえらいじゃん」
「違う。俺が出したかったから出したの。母さん、今年は仕事でパーティーできないからツリーも出さないって言うから」
「ふーん?」
拓斗がそんなにクリスマスに思い入れがあるとは知らなかったな。
可愛いとこあるじゃん、なんて呑気に思ってたら、
「せっかく菜緒と二人でパーティーなのに、ツリーないと味気ないじゃん」
なんてセリフが飛んできて、私はその場で固まってしまった。
(は……? 今、なんて言った?)
せっかく?
二人?
味気ない?
口を開けば憎まれ口しか言わないような拓斗から、まさかそんな言葉が出てくるなんて予想してなくて。
固まった思考のまま、彼の真意を図るべく見上げた私。
そっぽを向いた拓斗の照れ顔に当てられて、顔がかぁっと熱くなった。
(なになになに、この甘い空気! やめてよ、期待しちゃう……っ)
今日の約束が決まってからずっと、この想いを伝えようか諦めようか悩んで悩んで、結局決められないまま今日を迎えた。
今日を最後にしたくない。
これから先も、拓斗の隣にいたい。
けれど、受け入れてもらえなかったら?
それこそ、幼なじみとしての隣も失ってしまう。
どっちも怖い。
そんな葛藤を繰り返していた私に、拓斗のこの態度は予想外すぎて……。
ただでさえ不安定な私の心を大きく揺らした。
「あ、ありが、と……、やっぱりツリーあるといいね。クリスマスっぽくて気分上がる! あ、これ、うちのお母さんが作ったポテサラとノーソンのNチキ! この寒い中菜緒さまが買ってきたんだからありがたーく食べなさいよ」
「おーサンキュー! 腹減った。早速食べようぜ」
「うん!」
さっきの変な空気は消え去って、いつもの私たちに戻った。
それがほっとしたような、ちょっと残念なような……。
私は拓斗へのこの想いをどうしたらいい?
いつまでたっても決められない情けなさを胸に抱えたままテーブルにつく。
それでも、ちょうどやっていた歌の特番を観ながらチキンを食べて。
他愛のない会話で笑いあっていれば、さっきまでのモヤモヤなんて忘れてしまうくらいに、私は拓斗とのクリスマスを心から楽しんでいた。
食べきれないと思ったディナーは、気づけば二人で綺麗に平らげて、残すはケーキとプレゼントだけ。
「わぁ、美味しそう〜」
「やっぱイチゴだったな」
拓斗が冷蔵庫からケーキを取り出すと、切り分けてソファーの前のガラステーブルに置く。
私はダイニングテーブルの椅子に置いていたマフラーの入った紙袋を持つと、ソファーに腰掛けた。
すぐに拓斗が飲み物を抱えて隣に座る。さっきよりも距離が近くて、いつも通りを装いたいのに鼓動が速くなる。
「先、食べよっか」
「あ、うん……そうだね」
先と言うことは拓斗もちゃんと私にプレゼントを用意してくれていると言うこと。
嬉しいけれど手編みのマフラーを渡す瞬間が刻一刻と迫っている。
「お、うまっ」
「ん〜、今年のケーキもすっごくおいし〜」
「母さんに言っとくわ」
「うん、私からもラインしとくね」
「おう」
今年もおばさん特製の苺のケーキは絶品すぎて、話もほどほどに二人して夢中頬張る。
先に拓斗が食べ終わるとフォークを置き、立ち上がった。
「ご馳走さまでした。ちょっと取ってくるわ」
私は拓斗に頷きながら最後の一口を口に放り込むと、紙袋を手元に引き寄せた。
それと同時に拓斗も紙袋を抱えて戻ってくる。
「はい、これ例のブツ」
「ちょっと言い方」
「ほら、はやく受け取れって」
「はいはい」
長年幼なじみをやっているが、プレゼント交換なんて初めてで、なんだかくすぐったい。
ぶっきらぼうに渡された紙袋を受け取ってから、私もおずおずとマフラーの入った紙袋を差し出した。
「これ、あげる……」
「お。さんきゅ、すっげー嬉しい」
タイミング的に告白はやっぱりできなかったが、ようやく二年越しに渡せたことにホッとする。
しかしホッとしたのも束の間、今度は拓斗の反応が気になって、緊張から息苦しくなってくる。
(どうしよう)
(今更だけど……手編みとか重かったかも)
(だって……彼女でもないのに)
そんなネガティブな考えが浮かぶが、もう後戻りはできない。
「なぁ、開けていい?」
「えっと……じゃあ、せーので開けよっか?」
「いいよ。じゃあ、せーの」
「え、早……っ」
拓斗がしゅるりとリボンを解くのを見ながら、私もサンタクロースとトナカイが描かれた、お洒落なラッピング袋を開けた。
「うわ、あったかそう」
「わぁ、あったかそう」
同時に声を発した私たちは顔を見合わせる。
拓斗が私にプレゼントしてくれたのは、小さなイチゴのチャームがついた白の手袋だった。
それも去年から私が欲しくて買おうか悩んでいたブランドのもの。
通っている高校が自宅から五分ほどという事もあり、去年は使用頻度を考えて買うのを見送ったのだ。
「菜緒が欲しいって言ってたの思い出したのと、寒がりのくせに手袋持ってないから」
「高かったのに……ありがとう。ずっと大事にするね」
拓斗が私との些細な会話を覚えていてくれて、私のために選んでくれたと思うと胸がいっぱいで目の奥がじんと熱くなる。
うっかり涙を溢さないように、私は拓斗から手袋に視線を移すと両手でそっと包み込んだ。
「……バイトして良かったわ」
「え?」
「あー、なんもない。てかこれって手編み? 菜緒が編んだの?」
拓斗からのプレゼントがあまりにも嬉しくて、あんなに心臓をバクバクさせていたマフラーのことが頭から吹き飛んでいた。
拓斗はマフラーを繁々と見つめていて、一瞬で冷や汗が出そうになる。
「ええっと……その、手編みとか……どうかなって思ったんだけど」
「ん? どういう意味?」
「な、なんか、重くない?」
「それって気持ち、ってこと?」
拓斗の神妙な顔がこちらに向けられて、咄嗟に逸らしてから、やっぱり手編みのマフラーは失敗だったと俯いた。
「うん……ただの幼なじみなのに……困るよね。彼女できたら捨てていいから」
「…………」
沈黙が拓斗の返事のように思えて、悲しくて涙が出そうになってくる。
「菜緒……あのさ……」
「あ、ほんと気にしないで。暇だったから編んだだけだし」
「暇って、これ結構時間かかるだろ?」
「全然っ、この菜緒さまにかかれば、三日もあればできちゃうんだから〜」
拓斗のことを想いながら、何度もほどいてはやり直して完成に三ヶ月かかったなんて、とても言えない。そして拓斗への自分の気持ちを悟られないように誤魔化そうとすれば、変に饒舌になってしまう。
「ってかさ〜、来年こそ私とじゃなくて彼女と過ごしなよ〜。あっ、そういえばこの間、拓斗のこと気になってる子いるらしいって友達から聞いたんだった。卒業式で告白とかされちゃうかも〜。いいなぁ、私も早く彼氏欲しいなぁ」
私は無駄にヘラヘラしながら、手袋をラッピング袋にそっと仕舞う。早くこの場をあとにしないと涙が出るのも時間の問題だ。
「あっ、もうこんな時間。そろそろ帰るね」
わざとらしくリビングの時計に目をやりながら立ち上がろうとすれば、拓斗が私の手首をぐっと掴んだ。
「……拓、斗?」
「大事にする」
「え……?」
「菜緒がくれたマフラー、ずっと大事にする……だって好きな子が編んでくれたから」
真剣な目をした拓斗が私を見つめる。
頭の中でさっきの言葉を反芻するが、理解が追いつかない。
「俺……ずっと菜緒が好きだった」
「……え……? でも、あの拓斗……去年、彼女……」
拓斗はバツの悪そうな顔をすると、私を座り直させてから胡座をかいた。
「あれはさ……告白されただけで付き合ってもないのに、お前が誰から聞いたのか、おめでとうとか笑顔で言うから……なんかヤケになった。でも結局、気持ちないのに失礼だなって思って友達に戻ろうって言って別れたんけど、疎遠になった」
「……そう、だったんだ……」
「うん。だから俺……いまの菜緒との関係壊したくなくて気持ち言うの怖くてさ。でも後悔したくないから……」
拓斗が小さく息を吐いてから背筋を伸ばすと、私を真っ直ぐに見つめた。
「菜緒が好きです──俺と付き合ってくれませんか?」
知らなかった事実と予想外の展開に頭が混乱している中、拓斗の言葉が私の胸を突く。
まさか拓斗も私と同じ気持ちでいてくれたなんて……。
その上、こうして想いを伝えてくれたことが、すごく嬉しかった。
(私は怖くて言えなかったのに……)
今の関係を壊したくなくて気持ちを言えなかった臆病な私とは違い、勇気を持って一歩を踏み出した拓斗が、いつもの何倍もかっこよく見える。
「……ずるい」
「え?」
「私だって……、ずっと好きだったんだから!」
嬉しいのに、悔しさも一緒に滲み出てきた私は声を荒げた。
こんな時にまで幼なじみとして張り合おうとしてしまう自分が情けなくも、一度開いた口は止まってくれない。
「なのに去年拓斗に彼女ができたって聞いて私ショックで……、でもお祝いしなきゃって思って必死におめでとうって言ったの! なのになんなのよ、ヤケで付き合うって……最低」
「うん、それは否定できない」
「このマフラーだって、ホントは去年のクリスマスにあげようと思ってたし、作るのに三カ月かかったんだからね……!」
「うん、ありがと」
「私のが、ずっとずっと、好きなんだからぁ……」
視界が滲んで、拓斗の顔がぼやける。
メイクが崩れて、きっと情けない顔してる。
それでも、いろんな想いが涙に変わって溢れてきた。
「泣くなよ、菜緒」
「誰の、せいだと――」
涙を拭こうとした手が掴まれて、引かれる。
体勢を崩した私は、そのまま倒れ込むようにして拓斗の胸に抱き留められた。
拓斗の手が私の背中を優しくとんとんする。
触れたところから、どちらのものかわからない熱が伝わってきて、心臓が張り裂けそうなくらいにどくどくと鼓動を響かせた。
こっちは今の状況にいっぱいいっぱいなのに、頭上からは「ふはっ」という笑い声が届いて首をかしげる。
「な、なに?」
「久しぶりに菜緒の泣き顔みて、お前が泣き虫だったの思い出した。小学校の九九で俺の方が先に覚えたときとか、漢字テストで俺のがいい点取ったときとか、俺に負ける度にお前泣いてたよな」
「……」
「……菜緒? おーい、菜緒さーん?」
黙り込んだ私の肩を掴んで離す。
心配そうに覗き込んでくる拓斗を、私は恨めし気に睨みつけた。
「ねぇ……、それ、今言う……?」
(仮にも好きな相手が泣いてるっていうのに!)
相変わらずのデリカシーのなさに涙は引っ込んだし、ムードが台無しだ。
「お、泣き止んだ」
「泣き止むでしょう!」
「ごめんって。……お前に泣かれると、俺どうしたらいいかわかんなくなるからさ。それに、好きな子には笑っててほしいし」
「うぅ……っ」
(また好きな子って言った!)
嬉しさと恥ずかしさのダブルパンチが私をノックアウトする。
むず痒さに慣れていない私は、耐えきれずに両手で顔を覆った。
「菜緒、顔見せてよ」
「無理、恥ずか死ぬ」
イヤイヤしてるのに。
「菜緒の顔、見たい」
両手を掴まれて剥がされた。
情けない顔を見せたくないのに、胸の内で膨らむ期待にどうしたって抗えなくて見上げてしまう。
視界一杯に映ったのは、大事な幼なじみで、私の大好きな人。
まだ涙が残る視界の中、クリスマスツリーの電飾が彼の黒い瞳をキラキラと輝かせて綺麗だなと頭の片隅で想った。
「大好きだよ」
吐息が触れる距離で囁かれた、蕩けるような彼の声。
堪らず目を閉じれば、甘やかな熱が唇に降ってきたのだった――。
おしまい
2025.12.24 遊野煌・紀本明



