※※※
──二ヶ月後。
「里奈、この段ボール、寝室に持っていくな?」
「うん。運んだらそのなかのスーツをクローゼットにかけていってもらえない?」
「了解」
悠作に指示を出すと私は『食器類』と記載された段ボール箱を開封していく。
(こんな短期間にまた引っ越しすることになるなんて)
でも仕方なかった。とてもじゃないがあの家には住めない。
「ママー、僕の新しいお部屋って……窓際のお部屋で合ってる?」
「ええ、そうよ」
悠聖がリビング横にある子供部屋の窓をガラリと開けた。
「わぁ、三階だから景色いいね」
「そうね」
新しい住居は心機一転したくてマンションにした。社宅扱いで補助がでるので、割高だが駅から近く小学校の裏にあるこのマンションに決めた。
「ママは食器片付けてるから悠聖は教科書とか机に並べてね」
「はーい」
すぐに荷解きを始めた悠聖の小さな背中を見ながらほっとする。悠聖もあの日以来、美穂子の名前を出さなくなった。同じく悠作もだ。
──美穂子がキッチンの小窓からこちらを覗き見ていた日。
私は慌てて仕事から戻ってきた悠作に美穂子の家族は亡くなっていること、ゴミを漁られたこと、さらにキッチンの小窓から覗き見されたことを涙ながらに訴えたのだ。
悠作は戸惑いながらも、私の尋常ではない取り乱した様子を見てすぐに会社に異動届を提出してくれた。そして転勤先が決まると私達は家をすぐに引き払い、こうして新たな街へと引っ越してきたのだ。
悠聖の度重なる転校は可哀想だったが、美穂子の目がある、あの家にどうしても住みたくなかった。
そして私は何よりも愛する家族を守るために、あの異常な美穂子から遠く離れたかった。
「……やっと……落ちついて生活できそう」
私は家族三人分の食器を並べ終わると新生活に胸を弾ませた。
「さてと、次は……この段ボールにしよっか。あれ?」
手にかけた段ボールには側面に何も書かれていない。後回しにしようと抱えようとしたが重たくてピクリともしない。
(すごく重たい……悠作のよね?)
「中身、なんだろう?」
私はベリベリとガムテープを剥がし段ボールを開く。中身を見た私は思わず微笑んだ。
「これ。懐かしい」
そこには大量のアルバムが入っていた。
大学時代、写真サークルで知り合った私達は互いの共通の趣味が写真だったことから意気投合して交際が始まった。
「ふふっ……これは大学の写真展のときね」
そこには顔を寄せ合い、幸せそうに笑う悠作と私が映っている。
「この時は、沢山の人が見に来てくれて……いまでもいい思い出だわ……」
そして私はアルバムをパラパラと捲ると、被写体である私達の後ろに、写り込んでいる人影に息を呑んだ。白いワンピースに長い黒髪。
(……嘘っ……な、んで……あの人が……)
その時、忘れていた記憶が蘇る。
「あの時……悠作を訪ねて、きた?」
十年も前のことで曖昧なところはあるものの、やはり私は美穂子に会っている。写真から展覧会の際に悠作の後輩だと名乗り、訪ねてきた美穂子と三人で軽く挨拶を交わした記憶を思い出したのだ。
帰宅してから、その後輩を名乗る女性を悠作が全く覚えてないと話し、人の顔をなかなか覚えられない彼を揶揄い二人で笑ったことを思い出す。
「間違い、ないわ……」
人の顔を記憶するのが割と得意な私はその際、彼女そのものよりも耳元の黒い薔薇のピアスが気になった。実家が花屋を営んでいる私は花に関する知識が豊富だったから。
黒い薔薇の花言葉は『あなたはわたしのもの』
──ピンポーン
(!!)
過去を振り返っていた私は、突然鳴ったインターホンに身体が跳ねた。
「里奈ー、俺ちょっと手が離せないんだ。出てくれるか?」
悠作の声にはっとして、私はすぐに返事をする。
「あ……えぇ、分かったわ」
私はアルバムから手を離すと玄関の扉を開けた。途端にひゅっと自身の息を呑む音が聞こえた。
「こんにちは。隣に住んでいる杉原美穂子です」
「……そ……そんな……」
「あら、お隣さんが里奈さん御一家だなんて嬉しい。こんな偶然あるのね。また仲良くできそうで嬉しいわ」
白いワンピースに黒の薔薇のピアスをつけた美穂子がにんまりと笑う。そして彼女はぐっと距離をつめると、声の出ない私に耳打ちする。
「──ねぇ、思い出した? だってあなたはわたしのものだもの」
「……な、に……言ってる、の?」
「時間はたくさんあるんだから、あせらずゆっくりまたお話しましょう。二人っきりで」
口元に人差し指を当てながら、美穂子がニタリと笑う。そして後ろ手から紙袋を差し出した。
「これ。つまらないものですが」
彼女から強引に手渡された紙袋の中には、黒い薔薇の花と一緒にあの時の子供用のスウェットが入っている。
「……な、なんなの……、あなたは一体……」
「ふふっ……里奈さん、末永く宜しくね」
私は美穂子が隣の部屋に帰るのを見ながら、その場に崩れ落ちた。
──二ヶ月後。
「里奈、この段ボール、寝室に持っていくな?」
「うん。運んだらそのなかのスーツをクローゼットにかけていってもらえない?」
「了解」
悠作に指示を出すと私は『食器類』と記載された段ボール箱を開封していく。
(こんな短期間にまた引っ越しすることになるなんて)
でも仕方なかった。とてもじゃないがあの家には住めない。
「ママー、僕の新しいお部屋って……窓際のお部屋で合ってる?」
「ええ、そうよ」
悠聖がリビング横にある子供部屋の窓をガラリと開けた。
「わぁ、三階だから景色いいね」
「そうね」
新しい住居は心機一転したくてマンションにした。社宅扱いで補助がでるので、割高だが駅から近く小学校の裏にあるこのマンションに決めた。
「ママは食器片付けてるから悠聖は教科書とか机に並べてね」
「はーい」
すぐに荷解きを始めた悠聖の小さな背中を見ながらほっとする。悠聖もあの日以来、美穂子の名前を出さなくなった。同じく悠作もだ。
──美穂子がキッチンの小窓からこちらを覗き見ていた日。
私は慌てて仕事から戻ってきた悠作に美穂子の家族は亡くなっていること、ゴミを漁られたこと、さらにキッチンの小窓から覗き見されたことを涙ながらに訴えたのだ。
悠作は戸惑いながらも、私の尋常ではない取り乱した様子を見てすぐに会社に異動届を提出してくれた。そして転勤先が決まると私達は家をすぐに引き払い、こうして新たな街へと引っ越してきたのだ。
悠聖の度重なる転校は可哀想だったが、美穂子の目がある、あの家にどうしても住みたくなかった。
そして私は何よりも愛する家族を守るために、あの異常な美穂子から遠く離れたかった。
「……やっと……落ちついて生活できそう」
私は家族三人分の食器を並べ終わると新生活に胸を弾ませた。
「さてと、次は……この段ボールにしよっか。あれ?」
手にかけた段ボールには側面に何も書かれていない。後回しにしようと抱えようとしたが重たくてピクリともしない。
(すごく重たい……悠作のよね?)
「中身、なんだろう?」
私はベリベリとガムテープを剥がし段ボールを開く。中身を見た私は思わず微笑んだ。
「これ。懐かしい」
そこには大量のアルバムが入っていた。
大学時代、写真サークルで知り合った私達は互いの共通の趣味が写真だったことから意気投合して交際が始まった。
「ふふっ……これは大学の写真展のときね」
そこには顔を寄せ合い、幸せそうに笑う悠作と私が映っている。
「この時は、沢山の人が見に来てくれて……いまでもいい思い出だわ……」
そして私はアルバムをパラパラと捲ると、被写体である私達の後ろに、写り込んでいる人影に息を呑んだ。白いワンピースに長い黒髪。
(……嘘っ……な、んで……あの人が……)
その時、忘れていた記憶が蘇る。
「あの時……悠作を訪ねて、きた?」
十年も前のことで曖昧なところはあるものの、やはり私は美穂子に会っている。写真から展覧会の際に悠作の後輩だと名乗り、訪ねてきた美穂子と三人で軽く挨拶を交わした記憶を思い出したのだ。
帰宅してから、その後輩を名乗る女性を悠作が全く覚えてないと話し、人の顔をなかなか覚えられない彼を揶揄い二人で笑ったことを思い出す。
「間違い、ないわ……」
人の顔を記憶するのが割と得意な私はその際、彼女そのものよりも耳元の黒い薔薇のピアスが気になった。実家が花屋を営んでいる私は花に関する知識が豊富だったから。
黒い薔薇の花言葉は『あなたはわたしのもの』
──ピンポーン
(!!)
過去を振り返っていた私は、突然鳴ったインターホンに身体が跳ねた。
「里奈ー、俺ちょっと手が離せないんだ。出てくれるか?」
悠作の声にはっとして、私はすぐに返事をする。
「あ……えぇ、分かったわ」
私はアルバムから手を離すと玄関の扉を開けた。途端にひゅっと自身の息を呑む音が聞こえた。
「こんにちは。隣に住んでいる杉原美穂子です」
「……そ……そんな……」
「あら、お隣さんが里奈さん御一家だなんて嬉しい。こんな偶然あるのね。また仲良くできそうで嬉しいわ」
白いワンピースに黒の薔薇のピアスをつけた美穂子がにんまりと笑う。そして彼女はぐっと距離をつめると、声の出ない私に耳打ちする。
「──ねぇ、思い出した? だってあなたはわたしのものだもの」
「……な、に……言ってる、の?」
「時間はたくさんあるんだから、あせらずゆっくりまたお話しましょう。二人っきりで」
口元に人差し指を当てながら、美穂子がニタリと笑う。そして後ろ手から紙袋を差し出した。
「これ。つまらないものですが」
彼女から強引に手渡された紙袋の中には、黒い薔薇の花と一緒にあの時の子供用のスウェットが入っている。
「……な、なんなの……、あなたは一体……」
「ふふっ……里奈さん、末永く宜しくね」
私は美穂子が隣の部屋に帰るのを見ながら、その場に崩れ落ちた。



