キミの感情

自分が怒りの感情を持っていないことに気づいたのは高校生の時だった。
男の子達から毎日の様に告白をされ、下校時刻になると校門には、他校の男の子が私を目当てに群がる。

欠陥品の私は人間であって人間じゃない。 

そんな私のどこがそんなにいいのか全くもってわからなかった。だから私は誰とも関わらないことに決めた。彼らに無反応を貫き、友達も作らずいつも一人で行動した。

そんなある日のことだった。
私は一軍女子と呼ばれる同じクラスの子達にトイレに閉じ込められて、暴言を吐かれたのだ。それだけでは収まらず、彼女達は私の頭の上からバケツで水をかけた。

「な……何笑ってるの?」

主犯格の女が笑みを浮かべた私をみて、思わず後ろに下がった。

何故?そんなこと分からない。
ただ可笑しくて堪らなかった。目の前の女は私を睨みつけると腕を振り上げる。

乾いた音と共に左頬に痛みが走った。

「ふんっ、これでもまだ笑う?」

「……ふふ……」

「え?」

「……あはははははっ」

戸惑うような顔を見せる彼女たちが滑稽で、私は大きな声で笑い続けた。

それ以来、嫌がらせはなくなった。怒りの感情がなく、本来怒る場面で可笑しくなってしまう私を気味悪がって勝手に遠ざかっていった。

そうして一人きりの穏やかな日常を繰り返す中で、私はやがて感じた退屈と興味本位から恋人をつくることにした。いろんな人と告白されるままに付き合ってみたが、どの恋も長続きはしなかった。


『人形と付き合ってるみたい』  

それがお決まりの別れ台詞だった。

「お人形、みたい……か」

さきほど美咲に言われたばかりだからか、その言葉が心をえぐるように痛む。

「──お人形みたい? それ誰に言われたの?」

「……え?」

見上げれば、いつのまにか注文の際に接客をしてくれた男性店員が立っている。

「あ、あの……」

「此処いい?」 

反射的に頷いた私に微笑むと彼は真向かいに座り、手に持っていた新作のピーチスムージーをテーブルにコトンと置いた。

「ええっと……いいんですか? 仕事先でこんな……」

「ごめん。店の人には友達って言っちゃった。ちなみにバイトも終わったから。エプロンしてないでしょ」

「それなら……あの、良かったです」

「初対面の僕のこと気にしてくれるなんて、優しいんだね」

「いえ、優しくなんかないです」 

肩をすくめた私を見ながら彼は、柔和な笑顔を浮かべている。

「さっきは失礼だったよね。改めて自己紹介させて。僕は古谷英太(ふるやえいた)。通り挟んだ向かいの大学の四回」

「え……、大学同じです」

「そうなんだ、奇遇だね。良かったら名前おしえてよ」

ピーチスムージーをストローから吸い込みながら上目遣いで英太が私に訊ねる。素直に名乗るべきか迷うところだが、向こうも名乗ったのだからと変に律儀な考えが脳裏に浮かぶ。

荒木花音(あらきかのん)です。大学三回です」

「花音か、いい名前」

端正な顔立ちの男性からさらりと下の名前で呼ばれて、勝手に鼓動が跳ねた。

「飲んでみる?」

じっと見過ぎただろうか。その言葉にすぐに首を振る。


「美味しいよ」

彼はストローの先をさっとナプキンで拭いてから私に差し出す。断るのも気が引けて私はストローに口をつけた。


「……美味しい」

「でしょ、おススメだよ」

子供みたいに口を開けて笑った英太は、無邪気で人懐っこい。

(なんだろう……この感じ……)

彼の笑顔を見ながら私は胸に手を当てた。

何故だかわからないが、まだ会ったばかりの彼に対して心をゆるそうとしている自分がいた。

彼の笑顔はどこか私と似ているような気がして、隠していた心の奥の膜を勝手に剥ぎ取られるような何とも言えない感覚がした。