十二月の初雪の降る日のことだ。
変わることのない日々の中、忘れられずにいる過去を見て見ぬふりをして当たり前のように過ごしていた。
私は凍てつく寒さに耐え、学校から家に着く。
そのまま玄関のドアを開けようとした瞬間ふと、ポストに目が止まった。
僕は下校中にこれから冬が本格的になると告げる粉雪が綺麗だと思った。
だから、この光景を反射的にスマホのカメラで収める。ちゃんと撮れているのか確認するためにその場で立ち止まっていると通知が来た。
無理やり入れられたポストの中には入り切らず、はみ出たままの回覧板。
私は指先を真っ赤にして寒さで凍りついた手でポストから取り出すと、中身を確認する前にすぐ家の中へ入る。
家の中は冷たい風が通ることがなく、それだけでも温かく感じた。
――でも、少し肌寒い。
本当ならこのまま家の中へと上がりゆっくりしたい。
これから回覧板の内容を確認して必要な情報だったら親へ伝えたり、近所のお家へ持って行くのが正直面倒なところ。
僕のスマホの画面には母からのメッセージで、写真と共に短い文章が連続で送られてくる。
――急になんだろう。
こうやって送ってくること自体が稀なことで少しびっくりした。
どうしようか一瞬考えそうになるけど、ポストから取り出してしまったからにはちゃんとやらなきゃ。
私はそっと息を吐いてから、回覧板をゆっくりと開いていく。
僕は迷いのない動きで、その通知欄を押すとメッセージアプリへと移り代わり、送られてきた要件を見た。
【回覧板に入ってたお知らせ。びっくり!】
次の瞬間、視界に映るものがあまりにも衝撃的すぎて言葉を失う。
旧桜星小学校解体工事のお知らせ
桜星小学校では、校舎等の老朽化に伴い、【来年度に校舎および第一体育館の解体工事】を実施する予定です。
あわせて、敷地内の樹木につきましても、伐採・撤去を行います。
解体後の跡地につきましては、新たに道路を整備し、これまで一方通行であった道路を公道として開通させる計画です。
なお、校庭および第二体育館は存続し、今後は地域の皆さまにご利用いただける場として活用していく予定です。
工事の詳細につきましては、決まり次第お知らせいたします。
工事期間中はご不便をおかけしますが、ご理解とご協力をお願いいたします。
「えっ」
5年前に通っていた小学校が無くなる?
そっか、そうなんだ。
「……嘘だ」
あの場所が消えてしまうのか。これから、跡形もなく。
それがあまりにも信じられない。
桜星小学校には、私は沢山の後悔と忘れられないあの人との、
僕にはどうしようもできなかった過去といつかまた会えたらと思う君との――思い出が、
たくさん詰まっていた場所だったのに。
そんな気持ちを秘めたままでいるはずだった。
突然の出来事でふたりに転機が訪れることをまだ知らない。
*
12月5日
今日は初雪が降った。震えてしまうほど外は寒い。
雪はあまり積もらなければいいな。
授業で習ったところの数学が難しくて大苦戦。
今は解けなくてもテストでは解けられるようにしたい!
急だけど、桜星小学校がなくなってしまうみたい。悲しいと思った。
私が通っていた当時はそのまま残しておくと言っていたのに。
「書くことはこれくらいかな」
私は寝る前の習慣として日記を書いている。今時としては珍しいことだろう。
幼い頃から周りの人と比べて忘れっぽいことから、僅かなことでも何か形として残して置きたいと思ったのがきっかけだった。
このA5サイズの日記帳は、なにかメモしたいことがあった時にも使っていていつも持ち歩いていた。
書き終えた日記を眺めてなんとも言えない気持ちになる。
母校を解体工事をするということに、未だに実感が持てない。
だって、なくなるとは思ってもみなかったことだから。
私が高学年の頃、少子化の影響で四つの学校が一つに合併して新しい学校を作る話が噂のように流れ始めた気がする。
当時は校舎を取り壊さない方向で進む話だったのに、今となっては恐らく管理するのにデメリットが多くなったのだろう。
仕方がないこととはいえ、なくならないままで居てほしかった。
良かったことより、嫌な出来事の方が多かったそんな場所。でも、不思議とあの頃へ戻りたいと心のどこかで思ってしまう自分がいる。
「解体される前に、最後の校舎開放日ってあるのかな」
あの回覧板にはそんな予定は一切書いていなかったから分からない。だけど、あったらいいなと思う。
でも、そういう日があったらあの人は来るのだろうか。会いたいと思えない幼馴染が。
彼は私にとって光のような存在で、だからこそ私は突き放してしまった。無理やり縁を切るように。
『もう、ほっといて。私といる必要なんてないんだよ』
『夕月、でも……』
『世の中の全てが大嫌い。嫌なの、何もかも。人はいずれ一人になるから、早めに慣れるためにも変わらななくちゃ。だから、さよなら』
あの日やってしまったことを後悔として背負って生きている。生きてしまってる。
合わせる顔もないのなら、避け続けることがきっと正しいことなんだ。
会う可能性が僅かでもあるのなら行かない方が絶対良い。そうだと分かってる。
でも、最後に一度くらいは母校を見ておきたい。
「よし、明日行こう」
行きたいと思う気持ちが薄れてしまう前に行動に移したかった。
突拍子もないことだけど、行けなくて後悔を増やしてしまうくらいなら行った方が良い。
雪はまだ降っているし、誰もきっと居ないだろう。
そう思うようにして一日を終えた。
次の日の朝、雪はすでに止んでおり、地面は真っ白に染まっている。
数センチ程度で意外とあまり積もっておらず、日差しによってすぐに溶けてしまうくらいだった。
「行ってきます」
九時過ぎくらいに家を出て、このまま小学校へ向かう。
小学校に行くのは、三年前の弟の運動会以来。
桜星小学校最後の卒業生となった弟の担任が偶然私の時と同じ先生で最後くらいはと会いに行ったのだ。
とても生徒想いの良い先生で沢山お世話になっていたから少し会話できただけでも嬉しかったな。
小学校への道は普段はあまり通らないせいか見慣れた田舎道のはずなのに妙な懐かしさがある。
田んぼやマンションなどの町並み。何もなかった場所が知らないうちに変わった建物になっているところもあった。記憶の通りの景色ではなくなっていたりと少し残念。
風を通さないコートを羽織っているものの寒いものは寒い。手先はすぐに赤く染まっていた。
こんなことなら、手袋をつけて置くべきだったと今になって思う。
真っ白な一面に私が歩いたところだけ足跡がついた。
黙々と歩いていると校庭とそれに続く校舎が見えてくる。
私の家からだと校門よりも校庭側からの方が近いから、校舎より先に校庭から見て回ろう。
「えっ」
実際にたどり着くと、あったはずなのになくなっていたものがあった。鉄棒や雲梯、ブランコなどよく遊んでいた遊具。
変わらずあったのは、グラウンドを囲むように周りにある木々とサッカーゴールだけだった。
そう言えば、弟が数ヶ月前にここに来てそうなっていたと言っていたっけ。
撤去した理由は管理が面倒なのと、誰かが怪我をしても責任を取れないからだろうか。
私が知っている頃と全然違う......全てが嘘だったみたいに。
殺風景で悲しい気持ちが込み上げる。
解体工事が始まったら、この周りの木々も跡形もなく消えるんだ。
そしたら、ただただ広いだけのグランドと化してしまう。
過去の記憶をそっとなぞるように校庭の中へと入っていた。
地面は雪に覆われている。地面はでこぼこしていた。真っ平らな部分があまりなかった。
「雪が溶けたら、大きな水たまりができるのかな」
運動会本番数日前に雨が降ってしまったとき、職員の先生方が協力してちりとりで雨水をすくってはバケツに入れる作業をしていたっけ。校庭が乾いて使えるように手が空き次第やっている姿を授業中に見たことがあった。
先生たちは、行事をしっかりやり切れるように誰よりも動いていて凄いと何度も思った気がする。
広いグランドを歩いていくと左側の一番奥に地面が小山のように盛り上がった場所があり、そこには大きな切り株が残っていた。
遠目でも見えていたそれは桜星小学校のシンボルとして植えられてたポプラの木の名残。
低学年の頃、『だるまさんが転んだ』を遊んだりした場所で、懐かしく思いながら切り株の元へ向かう。
急な坂で、少し登りにくい。誰が一番早く登って降りることができるのか、謎の競争していたあの頃の自分はよくやったな。
無事に登り切ると、そのポプラの木の切り株を見つめた。
私が小学生の頃は、まだ折れたりすることなくそびえ立っていた。ただ、近いうちに折れてしまうのかと思うくらいに弱っていたのをなんとなく覚えている。数年前に強風で折れてしまったと弟から聞いたときは衝撃的だった。
この切り株も来年にはなくなってしまうのかな。これくらいは残してほしいと思ったそのとき――
背後から足音が聞こえた。
「ゆっ、ゆづ? 久しぶり」
若い男性の声だった。
後ろの方から急に呼ばれて反射的に肩を震える。心臓が一拍、大きく跳ねた。
私の名前を呼び捨てで呼ぶ人を私は一人しか知らない。誰なのか一瞬で分かった。
このまま後ろを見ずに逃げ出したい気持ちに駆られる。どうして、会いたくないと思うあの人がいるのだろう。
心臓が急に早鐘を激しく打って、やけにうるさい。平静を装うように、動揺していない素振りで、そっと振り返った。
「久しぶりだね……光凪」
もう少しうまく喋れてもいいはずなのに緊張が先立ってしまい、声の震えを隠すことで精いっぱい。
記憶に残る姿より、身長は高く大人っぽい雰囲気だった。
「うん、そうだね」
そう言って、五年ぶりの再会を嬉しそうな優しいまなざしを私に向けてきた。
ずっと隣で居てくれたあの頃に戻ってしまったような錯覚をしてしまう。なにも変わってないよと言うように。
どうして。なんで。
あなたは今、どんな気持ちで私を見ていますか?
疑問を投げ掛けたい衝動をなんとか押さえ、思わず言ってしまう前に飲み込んだ。
私と彼の間に沈黙が流れる。互いに見つめ合うだけで冷たい風だけがただ吹いている。
見つめられることに不慣れな私はそっと視線を逸らす。
どうしたら良いのだろう。一緒に居た頃はどんな風に話していたっけ。思い出せない。
気まずさが漂う沈黙を破ってくれたのは彼の方からだった。
「夕月はこの学校の解体工事の話知ってる?」
「うん。昨日、回覧板が来て知ったよ。悲しい、よね」
「そうだな」
光凪は悲しさを帯びたような表情をしていた。その顔を見て、学校の解体工事が嘘ではなく本当に行われると少しだけ実感してくる。
私は視線をこの場所だからこそあたり一面に見渡せるグランドと校舎の方へ移した。
すると、自然と彼も同じように後ろの方を向く。そして眺めた。
晴れた空と真っ白な地面。ここから左の少し奥側に見える第二体育館とそれに続く校舎たち。
第二体育館のみが残されて、他は消える。消えてしまった後のことを想像しそうになって、やめる。
「夕月は高校通えてる?」
暗い空気を変えるように話題を振ってきた。
「うん。勉強は難しいけど」
「そっか、良かった」
困ったような笑みを浮かべて言うと、ほっとしたような笑顔を浮かべる。
本当に私が知っている頃となにも変わらない表情だった。
私なんかに向けて良い顔じゃないはずなのに。光凪のことが分からない。
「そろそろ、帰るね。さよなら」
このまま一緒に居ても気まずさが残るだけと思い別れを切り出す。
元気そうなら、それだけで私は十分だから。
過去のことを掘り返さずに当たり障りのない会話だけで済んで良かった。
彼が私の名を小さく呼ぶ声が聞こえたけれど、気のせいだと思ってそのままこの場を後にしようとする。
「夕月!」
呼び止めるように、今度ははっきりと言う声にびっくりして反射的に振り返って立ち止まった。
「今、スマホ持っていたら連絡先交換しない?」
「……わかった」
断る理由がすぐに思いつかなくて承諾してしまう。
光凪は慣れた手つきで。私は不慣れな動作で。
無事に交換できると光凪は「ありがとう」と目を細めて本当に嬉しそうに笑った。
それは、一緒にいた頃となにも変わらない無邪気な顔と重なって見えた。
その日の夜、スマホに通知が突然鳴った。
元々あまりスマホを使う習慣がなかったせいか誰からなのかすぐに分かる。
確認してみると光凪からだった。
内容を読もうか読まないでいようか一瞬迷ったが結局見ることにする。
【急にごめん。今日、久しぶりに会えて嬉しかった。おやすみなさい】
なんて返したら良いんだろう。だって、私は会いたくなかったから。
こういうとき、嘘を書いたりするのが正しいのかな。
でも、私は嘘を書きたくなかった。だから、当たり障りのない程度に思ったことにしよう。
【偶然って本当にあるんだね。では、おやすみなさい】
これで大丈夫なのか不安を抱きながらも、なんとか送ってそっと息を吐く。
私と光凪は物心がついた時から一緒だった。
だから、互いになにが好きで嫌いなのか色々なことを知っている。
それも、小学生だった頃までだけど。
光凪は私と違って頭が良くていつも助けられて。
それまで私らしく日々を過ごすことができたのも、彼のおかげなのかも知れない。
だから、私の方から縁を切った。
それも、区切りの良い小学生の卒業式の日に。
光凪に対して抱いていた気持ちを押し殺して、知らない振りをして。



