そして放課後。部活終わりの相馬と待ち合わせをし、二人で向かったのは、その友達の姉がバイトしてるらしい通学路上にあるコンビニ。
おいおい、俺このコンビニよく使うぞと驚きつつ、「あ、居た」と外からコンビニを覗いた相馬は当たり前の顔をして入店するので、え、行くの?と、慌ててその後に続く。
相馬は流れるようにお茶のペットボトルを取ると好きな人のレジに向かい、「お疲れ様ー」と挨拶をし、ついでに俺のことをその人に紹介した。
「こいつ浦島一郎、じゃなかった、太郎」
「一郎であってんだわ」
そして「初めましてー」と挨拶をすることになり、めちゃくちゃ気まずい思いをした。こんな予定じゃなかったのに。でも「またね」と、去り際に低い位置で小さく手を振るその人はさっき相馬の話を聞いて俺のイメージの中に居たその人と同じで、じわっと脳からなんか出た。
まぁ、うん。顔を見て、声を聞いて、仕草を知って、相馬のポエムの解像度がかなり上がった。そのために急遽バ先に突撃したわけだけど、なるほど。思っていたより良かったかもしれない。
そしてそのままの流れで公園によると、二人で感想会へ移った。
「で、会ってみてどうだった?」
「まずめっちゃ普通に入ってくからビビったわ」
「え、だってどんな人か知りたいって話だったよな? 一番手っ取り早くね?」
「いやお前……まぁそうだよな。初恋とか言うからてっきりもっとそわそわしてるものかと思ったもんで」
「あはは! いや普通に自分がどんな顔してるかわかんないくらいそわそわしてたよ! わかんなかった?」
ケロリとして笑ってる相馬を見て、なるほど、これが陽キャの実力かと違いを見せつけられた。
てっきりあの人なんだけど……みたいな感じで外からコソコソ様子を見るものだとばかり思っていた俺はやっぱりただの根暗隠キャメガネなのだ。サッカー部のストライカーは初恋であろうと心構えと対応力が違う。
「言ってた手の振り方わかったわ。いいな」
「だろー?」
「でも紹介されたくなかった。このコンビニよく使うのに」
「? それこそ紹介しといた方がよくね?」
「気まずいだろーが。次からどうしてくれんだよ」
「えー……なんで機嫌悪くなってんの……?」
全く。こういう気持ちをわからない奴とポエムを書いて歌まで作ろうとしてんだから人生わかんないもんだなと思う。
「まぁ頑張れよ。お前の初恋応援してるから」
「嘘くせー」
「ほんとほんと。んでポエムまた読みたい」
「なぁ、太郎。俺のことバカにしてる……?」
「違う違う、マジで違う。ほんっとお前って俺の気持ちわかんねぇよな」
そういう奴とだから、新鮮で楽しいのかな。
「健やかに育ってくお前のポエム、めっちゃいいだろうなって思っただけだから」
なんだろうなぁ。相馬はきっと俺の世界を広げるんだろうなぁ。
自然と、「明日もまた昼休み校舎裏な!」と笑って約束していた。それに「めっちゃご機嫌じゃん」と相馬も笑って、昼休みのポエム部の活動は順調に進んでいった。
——が、大変なことが起こる。
「嘘だろ……」
一人だというにも関わらず、思わず呟いていた。
寝坊していつもとはだいぶ遅い時間に通学路を歩いていたんだけど、その途中で例のコンビニに寄ったわけだ。
そしたら、ちょうどコンビニから出てきたところでスッと路肩に二人乗りのバイクが停まって、後ろに乗ってた女が降りてヘルメットを取ると、前の男に軽くキスした場面に出くわしてしまったのだ。
おいおいさすが大学生は浮かれてんな、くらいの気持ちでゲンナリとすれ違ったはずが、瞬きの間でハッとする。なんか知ってるぞと。
振り返るとその女はコンビニの関係者用の入り口に入っていったのが見えて……嫌な予感が的中した。
今の相馬の好きな人じゃん。
どう考えても彼氏じゃん。
え、じゃあ相馬失恋したってこと……?
じわっと嫌な汗が背中を伝い、ショックで一瞬頭が真っ白になるが、ぶんぶん頭を振って正気を取り戻す。
でもまだ彼氏と決まったわけじゃないしなと。そうだよ、だって聞いたわけでも証明されたわけでもあるまいし。
いやっ、でもそれはそれで彼氏でもないのに二人乗りして朝っぱらからバ先まで送らせた挙句、自分からキスしてる女とか嫌すぎる。てか相手が彼氏だとしても嫌だ。浮かれ大学生の典型じゃねぇかよ。
てか! だったらあの小さい手の振り方はなんだったんだよ。めっちゃ良かったじゃん、控えめでさりげない可愛い感じ。弟の友達にも優しくていきなり紹介された地味メガネにもちゃんと挨拶してくれる穏やかな感じ。なのに実態はこれかよ……女って結局マジで女だよな。
なんて考えてるうちに学校について、心にモヤモヤが溜まったまま昼休みになって、さっさと吐き出そうと校舎裏でメモ帳を取り出して、書き出そうとした手を止める。ダメじゃん、これ相馬も見るじゃん、と。
今まで恋愛ポエムを書いたことのない人間だとバラしてしまっている手前、突然そういう関係のものだと匂わせるポエムがここに増えていたら相馬のことだとバレるかもしれない。そんな俺のポエムを読んで相馬が間接的に自分の失恋に気づいたらどうする……?
だって相馬は純粋な奴なのだ。本当に、サッカーの次に手に入れた感情が恋愛だった、みたいなやつで、今は二人で相馬の恋愛について掘り下げているところだった。
女なんて怖いだけだと教えたこともあったけど、あいつは全然信じないんだから。俺は上に二人姉が居るって言ってんのに夢見たことばっか言っていて、まぁその幸せな夢の中にまだ居ろよとあたたかく見守ることにしたところだった。そのせいであいつはまだ女に夢を見たままだ。
自分の初恋の人が男にバイクでバ先まで送らせて、人目も憚らず朝っぱらからキスしてるこんな現実、もし相馬が知ったらあいつ、あいつ、受け止められんのかな……
「おいっ、太郎!」
ハッとした。突然聞こえてきたデカい声に隣を見ると、訝しげな顔をしてこちらを見ている相馬と目があって、「何度も声かけたんだぞ」と文句を言われた。「悪い」と素直に謝る。
「なんだよ太郎、やけにぼんやりしちゃって。竜宮城にでも行ってたのか?」
そんな相馬のからかいに、いつものように適当なツッコミが入れられないでいると、「ほんとに大丈夫か?」と次は心配される始末。
「何? 集中してた?」
そう言って相馬が俺の手元のメモ帳を覗き込むけど、そこには何も書かれていない。
良かった……危ないところだった。
よし、切り替えろ。とりあえず今はこの変な空気をなんとかしないと。
「あー、なんかメガネ合ってないかも」
「え、メガネ?」
「そそ。度が合ってない的な。ぼんやりして集中できないようなできてるような、その時々をメガネに支配されてる感じがする」
「へー。メガネってそういうもんなの? だから今日遅刻したん?」
「そう! そうそう! 全部メガネのせいでね、そういうことだね」
つい、今朝の出来ごとを思い出して力の入った返事をしてしまうと、「そんなんもうメガネが本体じゃん!」と、そんなことに気付かない相馬は爆笑した。全く、誰のためにピエロを演じてやってるんだか。
「あー、じゃあ今日書いてきたけど読めそうにない?」
「……うん。悪いけど、そうだな」
そして、答えながらガッカリする。あー、もう。折角相馬が新しいの書いてきてくれたのに。
相馬が書いてきたポエムを読まないのはこれが初めてだった。本当は読める。目だって見えてるし。読むくらいいけるって全然言いはれた。でも今この心境で、相馬の幸せが詰まった恋愛ポエムを読む勇気が足りなかった。
だってどんな反応をすればいいのか、その反応で傷つけてしまわないのか、相馬に対しても自分に対しても不安しかなかったから。ポエムを人に読ませるのは勇気がいることだ。自分の心の繊細で傷つきやすい部分をそのまま渡すことだとわかってるから、だから、今はできないと思ってしまう。勇気がでない。
お前があの人に本気だって知ってるから、俺には読めない。
「……ごめんな、相馬」
「なんだよ……ほんとに大丈夫?」
困ったように笑う相馬を見るだけで、可哀想にという気持ちが心の中で生まれた。いい奴なのにな、なんて。
同情心? わかんない。なんか悲しい気持ちになるし、辛い気持ちになる。だってこの爽やかサッカー少年の初恋だぞ? サッカー以外に初めて自分の中に見つけたものだぞ? 色んなもんでぐちゃぐちゃな俺の中と違ってこいつの中はいつもシンプルで明るくて純粋で、
「あー、俺さ、裸眼なんだよ。日光って視力を良くするんだって。多分サッカーしかしてこなかった人生の恩恵だと思うんだけど……でももし俺がサッカーしてないで目が悪かったらさ、今太郎の気持ち、わかってやれたのかな」
それでいて、優しい。いい奴なんだよほんと。俺と違って。
「あはは、バーカ」
ほんとバカ野郎だよ、相馬って奴はさ。
そんな相馬のことを考えると、色んな複雑な気持ちが溜まっていくのにメモ帳に吐き出せなくて、整理がつかないままのそれがどんどんストレスとして積み重なっていった。
相馬が書いてくるポエムも断り続けるわけにはいかないから読んでたんだけど、それもさらにストレスを加速させ、今日はついにわざと家にメガネを忘れて「ごめん、メガネないから読めない」と、朝一から昼休みの集まりごと断ってしまった。
何やってんだろと、素顔の自分のまま学校生活を送っている自分にため息をつく。
「おい太郎! 一郎どこやったんだよ!」
「これじゃあただの浦島太郎じゃねぇかよ! お前のアイデンティティ大事にしろよ!」
いつもの通りクラスの奴らにいじられ、席を一番前の黒板が見えやすい特別席に移動されたりもう、色々教室は盛り上がっていた。それをメガネ越しでなく直で感じるとパワーに圧倒されて、そうだった、だからメガネをかけるようになったんだったと、かつての自分を思い出す。
俺のメガネはただの伊達メガネなのだ。始めから度なんて入ってない。確か中学二年生ぐらいだったか、一度ポエムを書いていることがバレそうになったことがあって、俺を疑い、何かしらのほつれを見つけてやろうとする視線がうるさくて、メガネを掛けて別の話題を提供するという手で乗り越えたのだ。
当初は騒ぎがおさまったら外す予定だったけれど、その時一枚ガラスを挟むだけでだいぶ世界から守られた気持ちになることに気づいてから、しっくりきてずっとかけている。そんなただの惰性伊達メガネ。
ちなみに今は浦島太郎がその役割をしてくれている。
「今日返したテスト、全体的に点数が悪過ぎる。今から配るテストで五十点以下の奴は明日補習を受けるように。浦島、明日はメガネ忘れないよう気をつけろよ」
「先生、それ補習確定ってことですよね……?」
どっと、メガネのくせに居残りかよとクラスが沸き、謝る先生にやれやれとため息をつく。
「太郎補習?」
「そーう。相馬はテスト大丈夫だったのか、よかったな。遅れないで部活行けんじゃん」
「先輩怖いんだろ?」と、かつてのソックスの件を思い出して訊ねると、「……そうだね」と、なんだか複雑な顔で返ってきた。まぁ、運動部の相馬にも色々あるんだろう。
相馬にもメガネがあったらいいのに。あぁでも、裸眼で真正面から悪意にぶつかっても純粋さを失わない相馬には必要ないか。
あってもなくても本当は変わらないけど、俺にはやっぱり外界と隔ててくれるメガネは必要だなと、メガネが無いだけで盛り上がるバカな男子校生達を見て思った。
次の日。無事にメガネをかけて登校すると、「おかえり一郎!」とやけに祝われて、朝から放課後まで大騒ぎだった。
迎えた補習では、受ける人数がクラスの半分近くて、こりゃあ先生が思わずメガネ忘れんななんて口走ってしまったわけだと納得する。先生もきっとクラスの不甲斐ない結果にダメージを受けていたのだろう。
最後に再テストをして、終わった者から教室を出ていった。このあとに部活が控えている奴らは大慌てで出ていくのでそれをみるのが面白かったから、わざと一番最後まで残る。無駄メガネだのなんだのと絡まれながら挨拶をして全員を見送ると、ポツンと自分一人だけ取り残された教室が出来上がり、それがめちゃくちゃ自分の心に刺さって、新しい四代目のメモ帳を取り出した。二代目と三代目は今日、相馬のポエムのために預けてある。
いつも紙に書いてもってきたそれをメモ帳に写したり貼ったりしてたんだけど、見るのも辛くなるならもう相馬に渡しちゃって新しいのに書けばいいんじゃん!と気づいたのが昨日という俺は、だいぶ相馬の失恋に動揺してたんだと思う。さっさとこっちに書き出してスッキリして、また相馬の恋愛ポエムと改めて向き合いたいと思っていた。
あいつは今頃、元気にサッカーしてんだろうな。
『蹴り出す足の勢いで、くたびれるまで駆け回れよ。きっと全部がいつかの自分になるから』
自然と書き出していたポエムが応援ソングの歌詞みたいになってて笑った。応援してるんだよなぁ、ほんと。
さて、そろそろ帰るか。
気づけばもう部活も終わっているような時間帯になっていて、校舎を出ると、校門に向かうために中庭を通り過ぎ、ちょうどサッカー部の部室の前を通りがかる。
……ん?
なんか、騒ぎになっている。
言い合いになってる感じの声が聞こえてきて、どうしたんだろうと遠巻きに様子を眺めると、騒ぎの渦中に居たのは相馬とサッカー部の先輩らしき人。
てか、え? 相馬ブチギレてね……?
先輩に対して声を張り上げて言い返していて、それを同じ学年の部員に宥められている。あの相馬が?と、信じられないものを見た感覚だった。相手の先輩の方はそれを適当に受け流していて、結局相馬の怒りにきちんと向き合うことなく、さっさと帰り支度を済ませたと思ったら他の部員を引き連れて帰っていく。そこに相馬と、相馬と親しい奴だけが残された。
その途端、相馬は部室内に戻り、何かを探しているような動きをし始める。そんな相馬に他の奴が何かを言っていたけれど、どうやら相馬は彼らの言うことに聞く耳を持たないようで、最後まで彼らは心配そうにしながらも相馬を置いて帰っていった。
それら全部を見送って、俺は一人になった相馬の元に向かう。
「おい、何してんだよ」
声をかけると、苛立ちを露わにした相馬が振り返り、俺と目が合うとハッと、その目を丸くした。



