【書籍12/26発売★】曰く「衰えた」おっさん騎士団長、引退して悠々自適な旅に出る~一人旅のはずが、いつのまにか各界の才能たちに追われてるんだが?~



幸いなことにからっと晴れた天気の中、俺たちはゆっくりと歩きだす。

「怖いんですけど、昨日の私ってどんな感じでした……?」
「なかなか派手な飲みっぷりだったね。ずっと一人で飲んでは、喋っていたよ」
「へ、変なこと言ったり、したりしてないですよね……?」
「あー、まぁそうだな」

本当は、顔を引き寄せられて、妙なこと言われたりはしたけども。
あえて、それをここで持ち出してくる必要もないだろう。
俺は視線を道端へと逸らす。が、それが露骨すぎたらしい。

「なんですか、今の間!? やっぱり私、変なことしたんですか!?」
「い、いやぁ、そこまでのことは――」
「じゃあ言ってください。なにをやったんですか私!」

イザベルは俺の前に回り込むと、袖を引きながら、必死の顔で尋ねてくる。
事実をありのまま伝えてしまったらショックを受ける可能性も高い。

それで俺はぼかした言い方を探してみるのだけれど、すぐには思いつかず、答えに窮していたそのときのこと。

どこからか、こちらを窺う視線のようなものが飛ばされてくるのを、俺は察知した。
すぐに腰に提げた剣に手をやり、腰を少し屈め左足を後ろに引く。

イザベルも同じものを察知していたようで、その大きな目を鋭く細めて腰の裏に挿していた魔術杖に手をやり、辺りを見回していた。
なんだかんだ言っても、このあたりはさすがの実力だ。

「なにか狙われているみたいだね。それも一人じゃない、三人ってところかな」
「隊長、逃げますよ」
「え」
「まともに相手すると本当に面倒くさいんです、こいつら」

イザベルはそう言うと、俺の手を掴んで走り出す。
戸惑いながらもそれについていきつつ、俺が気になったのは、その口ぶりだ。

「知ってる相手なのかい?」
「はい、もう何回もこうして狙われてるんです。この感じ、たぶん同じ人間だと思います。せっかく、わざわざ裏路地の目立たないところに泊まってたのに……。こんな朝早くから動き出すなんて」
「……そういう理由で、あの宿だったんだね」
「はい、まぁ他の客もいないし、割と居心地はいいので気に入ってますけど。でも、あいつらに見つかったら、また移動しないといけないかも。本当、面倒くさくて最悪な奴らです」

イザベルほどの実力者にここまで言わしめるとは、なかなかに骨が折れそうだ。
だいたい、彼女がその追尾を退けきれていないという時点で、その実力の高さは窺えた。

俺は走りながらも、引き続き気配に意識を配る。

この際に大事なのは、視界だけに頼らないことだ。聴覚、触覚など、あらゆる感覚を研ぎ澄まして、人の気配を探す。
そして、しっかりとそれを捕まえた。

「三人。今は左右の住宅地にそれぞれ一人と、後方に一人だね。もうかなり近い」
「相変わらず凄すぎますね、隊長は」
「大したことじゃないよ、これくらい」
「普通は、どれだけ腕の立つ人でも、そこまで正確にはわかりませんよ。私にも分かりませんでしたし」
「それで、どうする?」
「策ならありますよ!」

イザベルはそう言うと、魔術杖を振る。

すると、その先端についたいくつかのリングが光って、空気中に魔術サークルが描かれた。
一見すると、なにか変わったようには見えなかった。

が、なにをしたのかは何度か見たことがあったため、その術式で分かった。

「これで俺たちは、相手からは見えなくなったわけだね?」
「はい。『姿隠し』の魔術です。まぁ一分くらいしか持たないので、かなり一時的ですけど。隊長、あれお願いしても?」
「……分かったよ」

俺はため息をつきつつも、風属性魔法を軽くだけ使い、彼女の身体を浮かせる。

「きゃっ」

いつものオーバーなリアクションで身体を丸めるイザベルの膝下と背中に手を入れて、お姫様抱っこの格好で、彼女を抱えた。

「ふふ、久しぶりですけど、やっぱりいいですね、お姫さま抱っこ!」

彼女は顔を上気させて、楽しそうに言う。
そういえば、騎士団の副官を務めてもらっていた頃も敵から瞬時に逃げるために、こうして何度か抱え上げたことがあったっけ。

「隊長の腕の中、ふわふわします〜。あったかさも二重丸ですね!」
「……イザベル。遊びでやってるわけじゃないからね?」
「分かってますよー、一応。あ、でもこっち向きがいいかも。こっちなら、隊長にいつでも息を吹きかけられます」

そのまるで緊張感のない返事に呆れつつも、俺は『身体強化』を足に使う。


そして、一気に町中を走り抜けることとした。
そのうち追手の気配はどんどん遠ざかっていく。そして無事に、巻き切ることに成功していた。
マアリの町を抜けてすぐにある小さな林の中で、俺はイザベルを下ろす。

「もう少し先まで行ってくれてもよかったのに」と彼女は口を尖らせていたが、俺はそれをスルーしつつ、木の根元に座った。

イザベルも同じように腰を下ろしたところで、俺は尋ねた。

「それで、なんだったんだい、あれは」

これにイザベルは眉間にしわをむっと寄せて、一気に表情を険しくする。

「……しつこい敵ですよ」
「具体的には?」
「…………厄介な、水回りに生えるカビとか、夜中に部屋に入ってきた大きい蚊みたいな敵です」

うん、なにも分からない。これじゃあただの言葉遊びだ。

ただ、言いたくないだろうことはよく分かった。
俺はそこで追及するのをやめにして、話は終わりとばかりに広がる青空に目を移す。流れる雲を目で追っていたら、

「……聞かないんですね。明らかに誤魔化してるのに」

イザベルがぼそりと呟いた。

「だって聞かれたくないんだろう」
「微妙なところです。話したいような、話したくないような、そういう感じです」
「あるよなぁ、そういう話。まぁ気が向いたらで構わないさ」

大切な元部下のことだ。
気にならないわけではなかったし、なにか深刻な問題を抱えているようならば、一緒に解決してやりたいとも思っている。
ただ、だからって無理強いをしてまで聞き出していたら本末転倒だ。

「少し休んでいこうか」

だから、イザベルにこう声をかけるのだが、

「隊長。治しましょうか、それ」

返ってきたのはこの返事だ。

「え?」
「腰ですよ。痛いんですよね」

……まったくの無意識だったが、いつのまにか右手が腰に向かっていたらしい。

「すまない。昨日は椅子で寝たせいだね」
「もしかして、ずっとあそこにいたんですか!?」
「あぁ、泊まるところがほかにないと言われてしまったんだ」

「……そういうことですか。ほんと隊長らしいです。なら、私のベッドで寝てくれてよかったのに」
「はは、さすがにそうはいかないよ」
「私は歓迎しますけど」

イザベルはそんな冗談を言いながら、俺の腰に魔法杖を当てる。

そのうえで使われたのは、治療魔術・ヒールだ。

俺の腰付近に、薄緑色の光で作られた魔術サークルが描かれる。そのすぐあとに、まるで嘘だったようにすーっと痛みが引いていく。

「これでしばらくは大丈夫ですね」

イザベルは簡単そうに言うが、本来はそう簡単にできる魔術じゃない。
その才能に改めて驚かされていると、

「……結婚ですよ」

彼女は小さな声で言う。
なにを言われたかは聞こえた。ただ、どういう脈絡かは掴み切れないで俺は彼女を見つめる。

「結婚を迫られてるんです」
「えっと、誰に? というか、いきなり話が変わったかい?」
「追手の話です! 両親が『もう適齢期だから、そろそろ自由にさせるのは終わりだー』って、相手まで勝手に探してきて、私を連れ戻そうとして来るんですよ! ここ三年間ずーっと!」

憤慨して語気を強めるイザベル。
それに対して俺はといえば、目が点になる。

「……つまり、なんだ。あの追手は、シャネラ伯爵家の人間ってことか……? というか、三年前ということは――」
「はい、恥ずかしながら……。騎士団を抜けたのもそれが理由です。あのまま王都にいたら、すぐに結婚させられてました。それで、しょうがなく辞めたんです」

理由は濁されていたから、なにか事情があるのだろうとは思っていた。
が、それがまさか親子喧嘩の延長戦で、今も競り合いが続いていたとは思いもしない。

肩からどっと力が抜ける。

超一流の魔術師たるイザベルのことだ。もしかすると、なにか大きな事態に巻き込まれているかもしれない。
そんなふうに勘ぐっていたから、話がだいぶ小さくなったように感じた。

「無理に結婚とか、ほんっとありえないですよね! あと、しつこすぎます」
「えっと。ちなみになんだが、そんなに嫌がるような相手なのか?」
「はい、もうありえない面子ばかりです」

彼女はそう言うと、魔法杖を振る。
すると、透明な膜のようなものが空気中には現れて、そこに数人の男の顔が映し出された。

これだけ強烈に拒否をするのだ。

大きく歳が離れていたり、評判の悪い貴族が相手の可能性もある――そんなふうに思っていたが、その人選はそう悪いものでもない。
中には、俺の顔見知りである貴族もいて、ルックス、器量、性格、身分、どれも申し分ない人もいる。

一般的な感覚からすれば、むしろ好物件だらけだ。

「……これだけいて、全員だめなのかい?」
「あー、もう全然。全員ありえないですね。私、こういうタイプの人みーんな無理なんです。あと、単純に弱そうです。戦いだけじゃなくて、色々と。私、強い人がいいんです」

誰かに聞かれていたらと思うと、ぞっとするような全否定ぶりだった。
それに、きわどいところを突く発言に俺は苦笑いするしかできない。

「あーあ、いい人いませんかねぇ」

イザベルは膝に肘をついて、あごを乗っけながら、こちらにちらりと視線をよこす。
それに俺はお手上げとばかり、両の手のひらを上に向けて、首を横に振った。

「悪いけど、俺にはあてがないよ」

彼女と同じ年ごろの知り合いといえば、騎士団の連中くらいだが、王都を出て以来は連絡も取っていないしね。
なにかを期待していたのか、この答えにイザベルは背中を少し丸めて、露骨なため息を漏らす。

「あてならあるんですけどね、すぐそこに。しかもお互いの」
「……なにのことだい?」
「まぁ今はまだいいです。じっくりやるつもりですし――って、あれ? いや、待ってください、隊長!」
「ど、どうかしたのかい?」
「めちゃくちゃいいこと、思いついたかも! もう、二重丸すぎるアイデア!」

彼女はいきなり、こちらに身を乗り出してくる。
さっきまで、実につまらなさそうだった顔をしていたのが、一転していた。その表情は活き活きとして、きらきらとしたオーラを帯びる。

青のリボンで結んだサイドの髪の毛が、まるで嬉しい時の犬のしっぽのように立ち上がって見えた。

「隊長、ちょっと耳貸してください!」
「……ここでその必要ないんじゃないか? 誰も聞くような人がいないと思うけど」
「むー、正論はやめてください。これは、儀式、様式美みたいなものですから! ほらほら~」

流れ的に、ろくな思いつきではない気がしつつも、俺は昔からこういう時はこの元部下に逆らえない。
だから仕方なく、イザベルの方に耳を傾ける。

そこに彼女が耳打ちしてきたことはといえば、うん、やっぱりろくでもない話だった。


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