【書籍12/26発売★】曰く「衰えた」おっさん騎士団長、引退して悠々自適な旅に出る~一人旅のはずが、いつのまにか各界の才能たちに追われてるんだが?~



その後、イザベルは、完全に酔いつぶれてしまった。

止めても酒を呷った挙句、最後にはぐったり椅子の背にもたれかかり、なにやら呟いてこそいるものの、ほとんど微動だにもしない。
こうなったらもう、早く寝させるほうがいい。そう判断した俺は、カバンを前にかけて彼女を背中におぶった状態で、店を後にした。

「……う~、たいちょ~」

身体は密着して、息が耳に吹きかかる距離に、顔があるような状態だった。

「かっこいい~。こっち向いてくださーい」

しかも、この酔いどれは、耳元でこんなことまで囁いてくるから、たちが悪い。
いくら倍近く年齢が離れている相手かつ元部下相手とはいえ、妙な気分が胸の奥からせりあがってきそうになるのだが……

「う、きもちわるいれす……」

数秒後にはもう、違う意味で心臓がどくどくとしていた。

「おいおい、吐くのだけは勘弁してくれよ」

俺はそう声をかけつつも、覚悟だけは決めていた。だから、右手にはバルトロさんから「万一の時に」と持たされた麻袋を構える。
外から見れば、よほど珍妙な格好だったのだろう。

まばらな通行人のほとんどが、すれ違いざまに俺のほうを振り見る。
長年、騎士団長なんて役職に就いていたが、もともとは、注目されるのは得意じゃない。

俺はそれを耐え忍びつつ、いつのまにか暗くなった大通りを進む。そうして向かう先はといえば、イザベルの泊まっている宿だ。ただし、その場所はといえば俺には分からない。

「なぁ、こっちであってるのか?」
「はい~」

一応の返事こそあれ、本当なのかどうかは、実に疑わしかった。
ただ他に手がかりもないから、イザベルが指示する方向に、俺はとりあえず歩を進める。
中心街でさえ人気がないのに、町外れに離れていくと、もはやほとんど魔導灯もなく、次第に不安を覚える。
そんな時間がしばらく続いたのち、その宿はいきなりに現れた。

「……雰囲気あるなぁ」
「えへへ、私の雰囲気ですかぁ? 褒めてくれてありがとうございます~」

ありえないくらい成り立っていない会話はともかくとして。
その宿は、見るからに年季が入っていた。

一応改装などはしているのだろうが、かなりの築古と見えて、表に出ている看板に書かれている宿代も破格の値段、銅貨四枚だ。

大通り近くにあった宿は、銀貨二枚程度だった。つまり、五分の一程度と来ているのだから、さすがに安すぎる。
とても貴族の令嬢で、一流の魔法使いが泊まるところには見えない。

それで俺が店の前で立ち尽くしていると、引き戸がからからと開けられた。
中からは館主らしき老婆が出てくる。

「泊まりかい? 申し訳ないけど今は温泉も出ないし……って、その子はうちに泊まっている女の子じゃないかい」
「あぁ、すいません。俺は、この子の知り合い、まぁ元上司です。再会したので酒を飲んでいたら酔いつぶれてしまって」
「そうかい。じゃあ、お前さんが……。とりあえず上がっていくといいよ。部屋は、二階の突き当りだよ」

少し含みを残したような言葉が少し気になったが、ここにイザベルを降ろすわけにもいかない。
俺は低い天井をくぐるようにして、その宿の中へ入る。
そのまますぐ正面にある軋む階段を上って、彼女の泊まる部屋の前に着いたところで、はたと気づいた。

「……イザベル。鍵は?」
「かぎぃ? あー、それなら……むねですぅ」
「は?」
「だからむねです~」

そう言われてみれば、背中に当たる柔らかいもののなかに、なにやら固い感触が混じっている気がする。
……なんてことだ。

俺は頭を抱えたくなるが、彼女を責めてもしょうがない。
一度イザベルを下ろした俺は、その背中へと回って、彼女の羽織っていた薄手のジャケットを脱がせる。

「んっ」

イザベルがやけに色っぽい声を出すが、それを気合で聞かなかったこととして、その胸ポケットから鍵を拝借した。
それを差し込んで、部屋の戸を開ける。

「……まったくイザベルらしいな」

いったい何日泊まったらこうなるんだか。
物や服、もはや肌着までもが乱雑に置かれた部屋のなか、俺は隙間を探して歩き、前に抱えた彼女をベッドに横たえる。

吐いてしまったときに喉元で詰まってしまわぬよう、顔を左に向けさせて、やっと一息ついた。

それから俺は部屋を後にすると、一度、一階へと降りる。

「大丈夫だったかい? ずいぶんぐったりしていたねぇ」

すると、ちょうどカウンターにいた館主にこう尋ねられた。

「えぇ、どうにか。すいません、他の部屋に空きはありますか」

俺はこう聞き返す。

もう結構、夜も深い。今から他の宿を探すというのは現実的ではないし、イザベルの様子も気になる。
ならば、俺もここに泊まるのがいい。

そう思ったのだけれど、館主は首を横に振る。
安いこともあるから、意外と人気なのか……? そんなふうなことを失礼ながら考えていたら、

「あの部屋以外は、今ベッドが壊れていたり、隙間風が酷かったりして調整中なんだ」

……予想を超えてくる理由だった。
やはり、その老朽化はかなり激しいらしい。

「どうしてもというなら、あの子と相部屋しかないね」
「い、いや、さすがにそれはまずいんじゃ。イザベルの許可も得ていませんし」
「あんた、アレクトさんだろう?」

「え、えぇ、そうですが」
「だったら、それについては、大丈夫だとは思うけどねぇ。いずれにせよ、もう少し様子見をしてやってくれるかい?」
「し、しかし」

俺は躊躇いから眉を下げて返事を濁す。

「うちにとっては、最後の使える部屋だ。もし吐かれて汚されたら敵わないからね」

が、最後にはこう押し切られてしまった。
館主はといえば、ゆったりした足取りで、後ろへ引っ込んでいってしまう。

「……う~、たいちょ~……」

そこに階上からこんな呻き声が聞こえてきたら、戻らざるをえなかった。
結局、ベッドの端に椅子を持ってきて、イザベルを見守ることとなる。

はじめはリュナリアへの手紙を書くなどしていたが、俺もさすがに疲れていたらしく、急激に瞼が重くなってきて、気づけば意識を手放していた。

もともと眠りが浅いのに加えて、体勢の悪さも相まって、翌朝の俺は日が昇って早々に目覚めた。

イザベルはまだ眠っていた。
気持ち悪さが残っているのか、なにやら呻き声をあげている。
そのうえ、いつのまにか毛布も蹴飛ばしていた。

「騎士団の癖はもう抜けてるみたいだね」

俺は座ったまま、毛布を掛け直してやる。
それで自分ももう一度目を瞑って仮眠に入ろうとするのだけれど、そこでイザベルの瞼がぴくりと動く。
そして、綺麗な深い青緑色の瞳がその下からちらりと覗いた。

「隊長……?」

と、回らぬ舌で呟くのに、俺は「寝ていて構わないよ」と返事をする。

が、次の瞬間には彼女は大きく目を見開き、がばりと起き上がった。
勢いをつけすぎたようで頭を抑えてから彼女は俺の方にそろりと首を振り向ける。

「ま、まさか、ま、ま、まさか! 私たち、その、色々重大なことがありました!?」
「君が酔い潰れたから宿まで送ったんだよ」
「そ、それだけ……?」
「それだけ……。こんな大チャンスに、それだけ……? 私って馬鹿だ……、無能だ……」

イザベルの顔から露骨に光が消える。さらには再度毛布を被って、小さく丸まってしまう。
そもそもの顔色も悪かったのに、この様子だ。もしかすると、まだ酔いが醒めきっていないのかもしれない。

「えっと、散歩にでも行こうか。天気もいいし、ちょうど気分転換にもなるだろう」

そこでこう誘いをかけると、彼女はにゅっと首を毛布から出して、何度か瞬きをする。

「えっと、おっさん臭かったかな」
「いえ! そうじゃなくて、予想外というか嬉しくて! 行きましょう、ここから巻き返したいので!」

イザベルはそう言うと、毛布を跳ねのけて一気に立ち上がる。

「うぅ……」

が、すぐに頭を押さえてよろけるようにうずくまってしまった。
うん、この感じは完全に二日酔いだ。

「お、おい、大丈夫か」と声をかけながら俺は椅子を立とうとする。

そこでずきりと腰に痛みがきた。

やはり、椅子で寝たのが祟ったらしい。結局そのまましゃがみこんでしまって、イザベルと低い位置で顔を合わせる。

「隊長、今の私たちが騎士団に戻ったら……」
「すぐにクビになるかもしれないね」

俺たちはその場で、互いの無様さを笑いあったのち、少し休んでから立ち上がる。それから、外へと繰り出した。