長旅に向けての準備は、辞める前から着々と進めていた。
薬や携帯食料の確保に加えて、テント、魔物除けの護符、虫除けなど野宿に必要なアイテムもすでに揃えてあったから、リュナリアへの挨拶をした翌日の早朝。
俺はついに、王都を発つことにした。
なぜ早朝を選んだかといえば、その涼しさが理由だ。
王都は三方を山に囲まれ、もう一方は海に面している。
陸路でこの街を出ようと思えば、きつい山道を越えることが必須になり、昼だとその暑さは四十歳の身体には結構酷なのだ。
今日までの契約になっていた家を出て、俺は深夜で静まり返る街を横目に、北門までを歩く。
街を出る際には、検問が求められる。だから、詰所のカウンターに背負っていた荷物を乗せ、通行証を提示すると、
「これはアレクト騎士団長!」
検問官にこう話しかけられた。
「はは、もう騎士団長ではありませんよ」
「そういえば、そうでした……。どこかへお出かけですか」
「えぇ、少し旅に出るんです。最初は、マアリの町に行こうと思っています」
「マアリとこれば、かなり遠いですな。しかし、温泉地とは羨ましい。では、剣も含めて荷物だけ確認させてください。いやはや、これがアレクト様の愛剣……。剣も鞘も、少し反った形になっているんですなぁ」
「えっと、まぁ、特注品なんですよ」
検閲で引っ掛かるようなやましいものは、なに一つ持ち歩いていなかった。
しかし、荷物量が多かったせいで、検査には少し時間を要する。
結果的に問題はなく、その検問官は俺に荷物を返してくれようとするのだが――
「お、重い……!」
持ち上げられないでいたので、俺はカウンターから手を伸ばして、それをひょいっと取り上げた。
「こ、こんな重いものを背負われていたのですね」
「いや、見た目通りといいますか、心配性なんで色々買いすぎたんです。置いてくるのももったいないですから」
実際、俺は基本的になんでも慎重なほうだ。
一世一代の思い切りで旅をすることを決めたのだが、それでも結局、性格自体は変えられないらしい。
とにかくも、無事に検問は終わり、王門の外へと出る。
田舎の没落男爵家を出て騎士団に入ってからは、長くこの街で暮らしてきた。
ここには、苦い思い出も甘い思い出も色濃く残っている。
朝焼けに照らされる王都を振り返ると、それらがいっぺんに蘇ってきて、また少し胸にくるものがあったが、逆にすがすがしいような気持ちもあって、思ったよりもすぐに切り替えることができた。
「さて、少し急がないとね」
俺は、キャラバンのために舗装された山道を早足で歩き出す。
分かってはいたことだが、大荷物を抱えて徒歩で行くには、なかなかきつい勾配だった。
ただ、のろのろと歩いていたら、検問の遅れもあったから、朝のうちに山を越えられないかもしれない。
そう考えた俺はまず、『身体強化』を足元に使う。
『身体強化』は、基礎魔法の一つだ。
身体の各部位に魔力を回すことで、身体能力を一時的に跳ね上げることができる。
シンプルであるがゆえに、おろそかにされることも多い魔法だ。
わざわざ極めるくらいなら、属性魔法や特殊魔法を鍛えた方がいいと巷では言われているが……俺としては、もっとも頼りにしている魔法だ。
これにより、一気に高く跳び上がることや素早く動くことも可能になる。
ただ、魔力の消費をできれば避けたかったから風の属性魔法による推進力を組み合わせることで、力をセーブしつつ、それなりのスピードを出す。
「これなら大丈夫そうだね」
俺は快調に歩き続け、山を越えることに成功する。
結局、食料にも水にも手をつけないまま、昼前には次の街にたどり着いていた。
大荷物を運んだだけの無駄骨になったが、まぁ足りなくなるよりはよっぽどいい。
そうして滑り出した旅は、その後もそれなりに順調に進んだ。
目指す温泉地・マアリの町は、王都から見れば、西の遠方に当たる。
馬車でも一か月近くはかかる距離だ。急ぐ理由もなかったから、俺は趣味の一つである地場の酒、スイーツなどを楽しみつつ、のろのろと進む。
途中、リュナリアへの手紙もきちんと出した。俺が移動しているため返事はもらえないが、それでも俺としては十分に満足だった。
そして、あと一週間もすればたどり着くというところまできたのだが、誤算はその最後に待ち受けていた。
「……まさかここまできて、野宿することになるとは思わなかったな」
あてにしていた隣町に宿の空きがなく、泊めてくれるような人も見つからなかったのだ。
ただ長旅の影響から疲れてもいたし、舗装もされていない夜の山道を無理に強行することは避けたかった。
それで俺は町から少し外れたところにある丘で野宿をするため、テントを構える。
そして諸々のセッティングが終わるやいなや、寝袋にくるまった。
どこでだって寝られるのは、過酷な状況での戦いを強いられることもある騎士団員には、ある種当たり前の能力だ。
それになにより、俺個人としてはこれくらい狭い場所の方がなんとなく落ち着くのだ。寝袋の、このぴったり包まれている感じも心地いい。
おかげで俺は、すぐに眠りへと落ちていくのだが、しかし。
それは、落ち着いたものにはならなかった。
どれくらい経った頃か、俺は周囲に気配を感じて、枕元に置いていた相棒たる剣を手に取り、跳ね起きる。
悲鳴が聞こえたのは、そのすぐあとのことだ。
俺はすぐに剣を抜き、テントの上部を切り裂き、外へと跳び出た。
着地をしてみれば、周囲を覆面の男たちに囲まれていたが、
「くそ、なんだこれは……!」
うち一人は俺の仕掛けた罠に嵌って、足を絡め取られている。
旅に出る前、念のために買っていたのが功を奏していた。



