そんな人が、わざわざここまで出向いて俺に会おうだなんておかしない。
まさかと思いつつ、その言葉に従って外へと出れば、町外れに位置するぼろ宿の前とは思えないほど人が詰めかけていて、騒がしい。
「おぉ、アレクト。変わらないなぁ」
そして、その中心には、そのウィンストン・ガヴィーナ辺境伯がいた。
彼はいつか見た時よりかなり横に大きくなっていた。
だが、その面影ははっきり残っていて、本人であることは分かる。彼は体を揺すりながら、馬から降りると、俺に握手を求める。
俺がそれに応えると、彼は一気に破顔してみせた。
「いやぁ、二十年ぶりだな。あの世界侵攻があった時以来か?」
「……そうですね。大変ご無沙汰しております」
「おいおい、やめてくれ。そうかしこまるな。一緒に戦った中だろう? 今は絶対に無理だがな」
そう、あの時の彼はまだ辺境伯家の子息であり、戦力の一人として戦線に加わっていた。
その際、年齢が近かったこともあり、意気投合していたのだ。
「えっと、ウィンストン様は、どうしてここに?」
「あぁ、アレクトがこの度の魔物退治、領内の揉め事解決に力を貸してくれたと聞いてね。礼を言いにきたんだ。ありがとう」
「……それだけじゃないでしょう?」
「はは、まいったな。普段は情けなく見えるのに、鋭くて困るよ」
彼はそこで一つこほんと咳払いをする。それから切り出してきたのは、
「端的に言おう。ガヴィーナの家に君が欲しいんだ、アレクト。うちに仕官してくれないか」
よもやの話だった。
「君はふらふらと彷徨ってていいような人材ではない。最高待遇で迎える。頼む、私の刀になってくれないか」
悪い話では当然なかった。
たぶん最高待遇というのも嘘ではないし、もしかすると給金だけでいえば、騎士団長時代よりもいただけるかもしれない。
減る一方の身銭を考えれば、ありがたい話だ。
が、しかし、俺は首を横に振る。
「なぜだ? 悪い話じゃないだろう。私はお前を戦争の駒にするつもりは誓ってない。お前が辞めたいと思えば、いつ辞めても構わない」
「あなたの人柄は、分かっているつもりです。それに、わざわざお越しいただき打診を貰ったことは、ありがたくも思っています」
「じゃあどうして」
「旅に出るのは長年の夢でしたから、まだ続けたいんですよ」
こう端的に答えてから、少し足りないなと感じて付け加えた。
「それに今は十分、充実しています。自由に流れて酒を飲んで、気ままに暮らして。いつまでかはともかくイザベルもいてくれる。俺には、それで十分なんです」
なんの偽りもない本音だった。
いつか本当に困るまでは、こうしていられれば、それがいい。少なくとも今はそんなふうに思っている。
「……なるほどな」
俺の答えに、ウィンストンはふっと笑う。
「だが、このような宿に泊まるということはお金が足りていないのではないか?」
「そこはうまく工面いたしますよ」
「……そうか。アレクトは一度決めたら、意志が固い。昔から変わっていないな」
彼はそう言うと、傍に控えていた役人になにやら合図を送る。
すると、その役人が片膝をついて俺に差し出してきたのは、立派な木箱だ。そののしには、『報奨金』との字がある。
「このたびの礼だ。仕官を断られても、渡すつもりだったんだ。金貨が二十枚ほど入っている。受け取ってくれ」
かなりの大金だった。
金貨が二十枚もあれば、少なくとも半年以上は毎日晩酌をしてお菓子を食べて、高級宿に泊まることもできる。
騎士団時代の貯蓄もあるから、まだ直近の身銭には困っていなかった。
しかし、すり減る一方で、潤沢にあるわけじゃない。正直に言えば、貰い受けたいものであったが……
「受け取れませんよ」
俺はすぐに固辞をする。
「それなら、この町の復興に当ててください。温泉は戻りましたが、人が戻るまでにはまだ時間もかかるでしょう」
別に金がなくなったら、なにかの仕事を受ければいいだけだ。
が、一度人のいなくなった町を元に戻そうというのはそう簡単な話じゃない。それはいくら、マアリほど名の通った観光地でも同じだ。
「はは、そうくるか。聖人だな、まるで」
「そんな大したものではありませんよ。ただここの温泉が、人が好きなだけです」
「なるほど、それについては私も同意するよ。ここはいい町だ」
そう言ったのち、彼は顔を俺の後ろへと向ける。
「イザベル・シャネラ伯爵令嬢殿。この報奨金には、君のものも含まれている。それで構わないか?」
いつのまにか、イザベルも身支度を終えて、出てきていたらしい。
彼女はびくっと肩を上げると、どういうわけか目を逸らすようにしながら頷く。
「……そうか。ならば、そうさせてもらおう」
彼はふっと軽く笑ってから、役人を後ろへと下げる。
「これから時間はあるか? 仕官話に関係なく、酒屋ででも話を――」
そして、こう言いかけたところで、なにやら急いで走ってくる役人の姿があった。
その役人は、ウィンストン卿になにやら囁く。それを受けた彼はといえば、目を瞑りながらため息を落とした。
「すまない、行かねばならぬ急用ができてしまった」
さすがに、辺境伯ともなれば、かなりの忙しさらしい。
「またいずれ酒を酌み交わそう。アレクト」
「楽しみにしています。しばらくはここにいるつもりですから、お誘いいただければ向かいますよ」
「なに、私が来るさ。今日は、ここの温泉に入りそびれてしまったからね」
ウィンストン卿はそう残すと、俺に背を向けて、再び馬に乗り込む。こちらに片手を挙げながら、どこぞへと去っていった。
かつては痩身長躯で、すらっとしており、その乗馬姿はかなり様になっていた。
が、その後ろ姿は今や見る影もないほどころっとしている。その重さゆえか、馬の動きも心なしか悪い気がした。
……歳を取るわけだ、俺も。
そんな風に思いつつ、俺は彼の姿を見えなくなるまで見送る。
「まさか、あんなお偉いさんが来るなんてびっくりですよ。なにかと思いましたもん」
「俺もだよ。心臓に悪いね、まったく」
「でも、あのお金があったらなぁ~」
「イザベルは受け取ってくれてもよかったんだよ」
「ふふ、冗談ですよ。私も、隊長に完全同意ですから! この町が好きになりましたもん。とりあえず、飲みに行きましょうか」
イザベルはよほど酒を楽しみにしていたらしい。
お風呂上がり仕様で、青リボンで一つくくりにした髪を右耳の上で跳ねさせながら、少し駆けるようにして俺の前へと出る。
「ほどほどにしてくれよ」
と声をかけつつも、まぁ今日くらいはいいかとも思って、俺は彼女を介抱する未来まで見据える。
俺のほうは少し控えめにしようなどと考えていたら、「隊長」と声がかかった。
その声音に少し真剣みを感じて、俺は顔を上げる。ただ、イザベルが足を止めないから、のろのろと歩く。
「……さっきの、忘れてくださいって言った話あったじゃないですか」
「あぁ、この先どうするかって話だよね」
「あれなんですけど、私、隊長についていきます。たぶんこの先も。私がそうしたいし、私も今に満足しているんで」
イザベルの言葉に、俺は大きく目を見開く。そして、つい足を止める。
素直に嬉しい言葉だった。
同じような気持ちでいてくれたということに、喉元が熱くなって、込み上げてくるものがある。
が、しかし、それはあることに気づいた途端にふっと引っ込んでいった。
「……イザベル」
「どうしたんですか隊長。もう意見は変えませんよ? 考えてみたら、私、婚約者ですし」
「……それはふりの話しだろう? って、そうじゃなくて、その……。もしかして、聞いていたかい?」
なにをと言えば、さっきのウィンストン卿へのセリフだ。聞いてなければ、「私も」というのはおかしい。
彼女はしばらく黙って歩いたのち、くるりと身を翻して、こちらを振り向く。
その際、揺れた花柄のレーススカートに目を取られていたら、
「秘密です♪」
彼女は片目を瞑り、人差し指を当てた口元を、ほんのりとだけをほころばせる。
その濃いブラウンの長いまつ毛には、いたずら心がたっぷりと乗っていた。瞳の中では、きらきらと陽の光が揺れる。
彼女らしい、いつもの思わせぶりな振る舞いだった。
これで聞いていないわけがない気がする。が、相手がイザベルである以上、確信を持ち切ることもできない。
「待ってくれ。聞かれていたとしたら、その、本当に恥ずかしいんだが……」
「さぁ、どうでしょうねー。答えませんよ。あ、でも、お酒をたくさん飲んだら喋っちゃうかもです」
「……あのなぁ」
「まぁまぁ、とりあえず飲みましょう」
調子のいい奴だ、まったく。でもまぁ、今日くらいはそれでもいいかとも思う。
別に聞かれていたとしても、嘘偽りではないわけなのだから。



