♢
すべてが台本だった。
なにがといえば、俺の退任挨拶がである。
騎士団長の職を辞すると決めて、騎士団を管轄する王族の方にその意志を伝えると、強く慰留されたのち、一応は受け入れられたものの、
『君が辞めるとなると、影響が大きすぎる。発表までは決して団員たちには漏らさないでくれ。それと、挨拶の原稿はこちらで用意するからそれを読み上げるように』
こんな条件が提示されて、練習の末に(あれでも何度も練習した)、そのままを述べたのだ。
たしかに彼らならば、十分にこの国の騎士団を引っ張っていけるとは思う。
ただ辞めるに至った理由は、『後進に道を譲る』などという美徳のある話ではない。
端的にいうならば、衰えだ。
俺は今年でもう、齢四十になる。
騎士として、それなりに鍛えてきたつもりだが、年齢には逆らえない。
肩や腰の痛みも出るようになってきていたし、体力も如実に落ちてきており、限界を感じていた。
ただの仕事ならば騙し騙し続けているところかもしれないが、騎士団長という職には国や民を防衛するという大きな責任が乗る。
だから無責任にしがみつくような真似はしたくなくて、さっぱりと辞めることにしたのだ。
事前の根回しはしっかりと行っていた。
関係する貴族のお偉いさんたちには一人一人説明して、理解をしてもらった。そのうえで形式的にはなってしまったが、騎士団員への報告も済んだ。となれば、俺がそれを伝えるべき人はもうそう多くなかった。
挨拶の翌日、俺は日頃から世話になってきたエルフェイ公爵家の屋敷内にある鍛錬場へと足を向ける。
どんなふうに切り出すべきかといろいろ考えていたのだけれど、
「あんた、騎士団長辞めるんでしょ、クソオヤジから聞いた」
顔を合わせて早々にその相手のほうから、こう切り出してくるから、俺は面食らった。
鍛錬用の重たい木剣を肩の上で転がす、この口の悪い少女の名前は、リュナリア・フォン・エルフェイ。
エルフェイ公爵家の長女で、その年齢は十四歳だ。
彼女は、ただ可愛いだけの貴族の娘ではない。
その剣技、魔法の才能は、初めてあった七歳から常人離れしたものがあった。
剣では体格差をものともせず、五や六も離れた歳上の男すら凌駕する。
魔法も一級品だ。基礎魔法である『身体強化』を高いレベルで使いこなせるうえ、一人につき原則一つの魔法属性は、火属性で、かなりの出力を誇る。
そのうえ、鍛錬の末に獲得した固有特殊魔法は『爆発』だ。
総じて攻撃力に関しては、子どもにして、大人が束になっても敵わないほどだった。
そこで俺は「騎士団長であるから」という理由でエルフェイ公爵に頼まれて、彼女の剣技と魔法の指南役を仰せつかってきたのだ。
と言っても、最近では練習相手という側面の方が強い。
今の彼女は国内でもっとも優秀な人材の集まる王立第一貴族学校において、戦闘関連の授業においては、軒並みトップの成績を収め、学年首席にさえなっている。
まだ荒いところもあるが、教えられることはだんだんと減ってきていた。
「知っていたのか。意外と公爵とも話をしているんだね」
「……は? クソオヤジが勝手に言ってきただけのことよ」
彼女はツインテールに結んだ真紅の髪を頭の後ろに跳ね上げると、ため息をつきながら目を瞑る。
彼女に初めて会った七歳の頃から、この態度は変わらない。
まるで切れ味のよすぎる剣だ。見た目は申し分ないほど美しいが、触れると怪我をしかねないような危うさも彼女は孕んでいる。
幼い頃はすぐに喧嘩をして帰ってくるから、エルフェイ公爵はほとほと困り果てていたっけ。
ただまぁ、別にリュナリアは悪人であるわけではない。
少し直情的なところはあるが、それも彼女らしさだと俺は受け入れていた。
「で、わざわざそれを言いにきたわけじゃないでしょ」
リュナリアはそれまで手に握ったままだった木剣を腰に差すと、アーモンド状のきりりと鋭い目を顰めて、俺を見上げる。
そこまでお見通しならば、もう勿体ぶってもしょうがない。
「あー……、リュナの指導役も降りることになったんだ。騎士団長の職にいる間という契約だったからね。ぎりぎりまで言えなくてすまない。万が一にも辞任の情報が漏れないようにと言いつけられていてね」
俺が言うのに、リュナリアは大きなため息をつく。
「それも昨日クソオヤジに聞いた」
不機嫌そうな声での、かなり淡白な返事だった。
俺としては想定していたとおりのもので、思わずふっと笑ってしまう。
「……なによ。まさか私が『辞めないで』とか言うとでも思った?」
「いいや、思わないよ。ただ、リュナらしいなと思っただけさ」
「人の反応勝手に想像して笑い種にしないでくれる?」
「悪かったよ」
俺は苦笑いして、頭に手をやる。
これは癖のようなものだ。困っているとつい無意識に、手が伸びてしまう。
「で? 辞めて、どうするの。まさか無職?」
「まぁ、そういう言い方もできるかもしれないね」
「ぷっ。騎士団長から無職って、落差やば」
彼女はあはっと甲高い声で笑い、にっとその特徴的な八重歯を剥く。この顔は、よく知っている。
どうやらその嗜虐心に火をつけてしまったらしい。
彼女はにやにやしながら俺に近付いてくると、低い位置から俺の肩へと手を伸ばし、にやにやと笑う。
「ねぇ、雇ってあげようか。私の学園内の雑用係として。再就職先としては悪くないでしょ?」
そして、実に楽しげにこんな提案をしてきた。
俺としては別に、彼女のこういう一面も嫌いじゃないし、たしかに公爵令嬢の小間使いというのは、士官話として悪い話でもないのだけれど、首は横に振る。
「光栄だけど、遠慮させてもらうよ。旅にでも出ようと思っていてね」
「はぁ、旅ぃ? なに、世捨て人にでもなるの」
「そこまではいかないさ。小銭稼ぎでもしながら、適当に流れてみるつもりだよ」
「……旅ねぇ。そんなの散々、騎士団として遠征してきたんじゃないの」
「たしかに、遠出はよくしたけど、すべて任務だからね。自分の行きたいところに行けていたわけじゃないから。自由に行きたいところに行ってみたいんだ。まぁ優柔不断だから、決めるまではかなり悩んだけどね」
「……行きたいところに、ねぇ。ま、その気持ちは少しだけわかるけど」
リュナリアはその顎に手を当てると考えるようにしつつ首を縦に振る。
「意外だな。リュナが興味を示すなんて」
「……いろいろなところに行ってみたいとぐらい思うわよ。王都にずっといるのも退屈なの」
「はは、学生のうちはしょうがないね」
俺はそう言ってから、一つ思いついた。
「そうだ、たまに手紙を書くよ。そうすれば少しは、違う場所のことも知ることができるんじゃないか」
なかなかいいアイデアだ。俺としてはそう思ったのだけれど……
「手紙ぃ? いらないわよ、そんなの」
さすがはリュナリア。なかなかに手厳しい。口を歪めて、すぐに否定される。
それで俺はまた頭に手をやるのだけれど、
「……嘘。やっぱりよこしなさい。暇つぶしくらいにはなるし」
彼女はそっぽを向きながら、こう続けた。表情こそ窺えないが、横から見えるその真っ白な頬は、ほんのりと赤らんでいる。
実に嬉しい一言で俺はついつい微笑んでしまう。
俺にとって彼女は団員を除けば、初めてで唯一の教え子だ。
直接的な指導をする機会はなくなったとしても、なにかしらの形で関係を続けていきたい。そんなふうに思っていたのだ。
「な、なによ、その笑い方は! あんま馬鹿にしてると噛むよ?」
リュナリアが目をしかめて、言う。
ちなみに昔本当に噛まれて、歯跡が痣になったことがあるから、あまり笑えない。
「噛むのは勘弁してくれ。それに、馬鹿にしてるわけじゃないさ。ただ、少し感傷的になっちゃってね」
「……なにそれ。私のことで勝手に浸らないでくれる? おっさんくさいよ」
「はは、ごもっともだね。じゃあ、最後に稽古にでも付き合おうか?」
俺が言うのに、リュナリアはただ単に首を縦に振る。
それから腰に差していた木剣を抜くと、剣先をこちらへと向けた。
「そうね。いい機会だから、引導渡してあげる」
彼女は、もう剣士の顔になっていた。
にたりと唇を釣り上げるその顔には、ぎらぎらとした戦意が宿る。まるで、獲物を見つけて狙いを定める獣がごとく、その八重歯はむき出しになっていた。
すべてが台本だった。
なにがといえば、俺の退任挨拶がである。
騎士団長の職を辞すると決めて、騎士団を管轄する王族の方にその意志を伝えると、強く慰留されたのち、一応は受け入れられたものの、
『君が辞めるとなると、影響が大きすぎる。発表までは決して団員たちには漏らさないでくれ。それと、挨拶の原稿はこちらで用意するからそれを読み上げるように』
こんな条件が提示されて、練習の末に(あれでも何度も練習した)、そのままを述べたのだ。
たしかに彼らならば、十分にこの国の騎士団を引っ張っていけるとは思う。
ただ辞めるに至った理由は、『後進に道を譲る』などという美徳のある話ではない。
端的にいうならば、衰えだ。
俺は今年でもう、齢四十になる。
騎士として、それなりに鍛えてきたつもりだが、年齢には逆らえない。
肩や腰の痛みも出るようになってきていたし、体力も如実に落ちてきており、限界を感じていた。
ただの仕事ならば騙し騙し続けているところかもしれないが、騎士団長という職には国や民を防衛するという大きな責任が乗る。
だから無責任にしがみつくような真似はしたくなくて、さっぱりと辞めることにしたのだ。
事前の根回しはしっかりと行っていた。
関係する貴族のお偉いさんたちには一人一人説明して、理解をしてもらった。そのうえで形式的にはなってしまったが、騎士団員への報告も済んだ。となれば、俺がそれを伝えるべき人はもうそう多くなかった。
挨拶の翌日、俺は日頃から世話になってきたエルフェイ公爵家の屋敷内にある鍛錬場へと足を向ける。
どんなふうに切り出すべきかといろいろ考えていたのだけれど、
「あんた、騎士団長辞めるんでしょ、クソオヤジから聞いた」
顔を合わせて早々にその相手のほうから、こう切り出してくるから、俺は面食らった。
鍛錬用の重たい木剣を肩の上で転がす、この口の悪い少女の名前は、リュナリア・フォン・エルフェイ。
エルフェイ公爵家の長女で、その年齢は十四歳だ。
彼女は、ただ可愛いだけの貴族の娘ではない。
その剣技、魔法の才能は、初めてあった七歳から常人離れしたものがあった。
剣では体格差をものともせず、五や六も離れた歳上の男すら凌駕する。
魔法も一級品だ。基礎魔法である『身体強化』を高いレベルで使いこなせるうえ、一人につき原則一つの魔法属性は、火属性で、かなりの出力を誇る。
そのうえ、鍛錬の末に獲得した固有特殊魔法は『爆発』だ。
総じて攻撃力に関しては、子どもにして、大人が束になっても敵わないほどだった。
そこで俺は「騎士団長であるから」という理由でエルフェイ公爵に頼まれて、彼女の剣技と魔法の指南役を仰せつかってきたのだ。
と言っても、最近では練習相手という側面の方が強い。
今の彼女は国内でもっとも優秀な人材の集まる王立第一貴族学校において、戦闘関連の授業においては、軒並みトップの成績を収め、学年首席にさえなっている。
まだ荒いところもあるが、教えられることはだんだんと減ってきていた。
「知っていたのか。意外と公爵とも話をしているんだね」
「……は? クソオヤジが勝手に言ってきただけのことよ」
彼女はツインテールに結んだ真紅の髪を頭の後ろに跳ね上げると、ため息をつきながら目を瞑る。
彼女に初めて会った七歳の頃から、この態度は変わらない。
まるで切れ味のよすぎる剣だ。見た目は申し分ないほど美しいが、触れると怪我をしかねないような危うさも彼女は孕んでいる。
幼い頃はすぐに喧嘩をして帰ってくるから、エルフェイ公爵はほとほと困り果てていたっけ。
ただまぁ、別にリュナリアは悪人であるわけではない。
少し直情的なところはあるが、それも彼女らしさだと俺は受け入れていた。
「で、わざわざそれを言いにきたわけじゃないでしょ」
リュナリアはそれまで手に握ったままだった木剣を腰に差すと、アーモンド状のきりりと鋭い目を顰めて、俺を見上げる。
そこまでお見通しならば、もう勿体ぶってもしょうがない。
「あー……、リュナの指導役も降りることになったんだ。騎士団長の職にいる間という契約だったからね。ぎりぎりまで言えなくてすまない。万が一にも辞任の情報が漏れないようにと言いつけられていてね」
俺が言うのに、リュナリアは大きなため息をつく。
「それも昨日クソオヤジに聞いた」
不機嫌そうな声での、かなり淡白な返事だった。
俺としては想定していたとおりのもので、思わずふっと笑ってしまう。
「……なによ。まさか私が『辞めないで』とか言うとでも思った?」
「いいや、思わないよ。ただ、リュナらしいなと思っただけさ」
「人の反応勝手に想像して笑い種にしないでくれる?」
「悪かったよ」
俺は苦笑いして、頭に手をやる。
これは癖のようなものだ。困っているとつい無意識に、手が伸びてしまう。
「で? 辞めて、どうするの。まさか無職?」
「まぁ、そういう言い方もできるかもしれないね」
「ぷっ。騎士団長から無職って、落差やば」
彼女はあはっと甲高い声で笑い、にっとその特徴的な八重歯を剥く。この顔は、よく知っている。
どうやらその嗜虐心に火をつけてしまったらしい。
彼女はにやにやしながら俺に近付いてくると、低い位置から俺の肩へと手を伸ばし、にやにやと笑う。
「ねぇ、雇ってあげようか。私の学園内の雑用係として。再就職先としては悪くないでしょ?」
そして、実に楽しげにこんな提案をしてきた。
俺としては別に、彼女のこういう一面も嫌いじゃないし、たしかに公爵令嬢の小間使いというのは、士官話として悪い話でもないのだけれど、首は横に振る。
「光栄だけど、遠慮させてもらうよ。旅にでも出ようと思っていてね」
「はぁ、旅ぃ? なに、世捨て人にでもなるの」
「そこまではいかないさ。小銭稼ぎでもしながら、適当に流れてみるつもりだよ」
「……旅ねぇ。そんなの散々、騎士団として遠征してきたんじゃないの」
「たしかに、遠出はよくしたけど、すべて任務だからね。自分の行きたいところに行けていたわけじゃないから。自由に行きたいところに行ってみたいんだ。まぁ優柔不断だから、決めるまではかなり悩んだけどね」
「……行きたいところに、ねぇ。ま、その気持ちは少しだけわかるけど」
リュナリアはその顎に手を当てると考えるようにしつつ首を縦に振る。
「意外だな。リュナが興味を示すなんて」
「……いろいろなところに行ってみたいとぐらい思うわよ。王都にずっといるのも退屈なの」
「はは、学生のうちはしょうがないね」
俺はそう言ってから、一つ思いついた。
「そうだ、たまに手紙を書くよ。そうすれば少しは、違う場所のことも知ることができるんじゃないか」
なかなかいいアイデアだ。俺としてはそう思ったのだけれど……
「手紙ぃ? いらないわよ、そんなの」
さすがはリュナリア。なかなかに手厳しい。口を歪めて、すぐに否定される。
それで俺はまた頭に手をやるのだけれど、
「……嘘。やっぱりよこしなさい。暇つぶしくらいにはなるし」
彼女はそっぽを向きながら、こう続けた。表情こそ窺えないが、横から見えるその真っ白な頬は、ほんのりと赤らんでいる。
実に嬉しい一言で俺はついつい微笑んでしまう。
俺にとって彼女は団員を除けば、初めてで唯一の教え子だ。
直接的な指導をする機会はなくなったとしても、なにかしらの形で関係を続けていきたい。そんなふうに思っていたのだ。
「な、なによ、その笑い方は! あんま馬鹿にしてると噛むよ?」
リュナリアが目をしかめて、言う。
ちなみに昔本当に噛まれて、歯跡が痣になったことがあるから、あまり笑えない。
「噛むのは勘弁してくれ。それに、馬鹿にしてるわけじゃないさ。ただ、少し感傷的になっちゃってね」
「……なにそれ。私のことで勝手に浸らないでくれる? おっさんくさいよ」
「はは、ごもっともだね。じゃあ、最後に稽古にでも付き合おうか?」
俺が言うのに、リュナリアはただ単に首を縦に振る。
それから腰に差していた木剣を抜くと、剣先をこちらへと向けた。
「そうね。いい機会だから、引導渡してあげる」
彼女は、もう剣士の顔になっていた。
にたりと唇を釣り上げるその顔には、ぎらぎらとした戦意が宿る。まるで、獲物を見つけて狙いを定める獣がごとく、その八重歯はむき出しになっていた。



