もう聞くことのできないその声は、とうの昔に、記憶の隅にしまったはずのもの。
ただその声は、こうした窮地の際には、いつも俺に力を与える。
そう、俺はこんなところで死ぬわけにはいかないのだ。
もう取り消すことのできない約束だ。勝手に反故にするような真似はしたくない。
そう強く念じると、身体の奥底から力がみなぎり始める。それは力を失いかけていた四肢に魔力となって伝わっていく。
これならば、いける。
そう確信した俺は、持てる魔力のすべてを『身体強化』へと注ぎ込んだ。
すると、張り付いていた分厚い氷が首元から順番に割れ始めてくれた。
そして、剣が解放されて自由になる頃には、
「隊長! ひと思いにお願いします!!」
足元に結界の足場が用意されていた。
いまだ空の上で飛びまわって注意を引きつけてくれているイザベルに感謝しつつ、俺は上体を大きく逸らしてから、全身全霊の突きをお見舞いする。
そして、それは今度こそ威力十分。
完全に核を壊すに至っていた。破片が周囲に飛び散ると同時、その身体は急速に水へと戻っていく。
「アア……」という悲鳴のような声をあげながら、最終的にその存在は完全に消えていた。
残ったのは元の湖と、そして、戦いの痕跡だけだ。
これが、このソルベロスという魔物の特徴だ。本体は核のみだから、倒してしまえば、そこにはなにも残らない。
周囲から黒い魔素が消えていることを確認して、俺は深く大きな息をつく。
またあいつに助けられた。
俺が一人、懐かしい声に感謝をささげていたら、それは後ろからずどーんときた。敵襲……ではない。
「たいちょー!! やりましたね!!」
イザベルが勢いよく、後ろから飛びついてきたのだ。
力を抜いていたこともあり、俺は盛大によろめいて、
「なっ」
結界の上から落ちかける。そして真下に地面が見えたところで、身体がふわりと浮いた。
「セーフ! 危ないところでした!」
イザベルが『浮遊』の魔術をかけてくれたらしい。
ゆっくりと俺を結界の上へと下ろしてくれる。
「……さすがに危ないだろ」
「す、すいません~!! 次は気をつけます~」
一点して、しゅんと小さくなって、ぺこぺこと頭を下げるイザベル。
その姿に、俺は思わずくすりと笑った。たしかにその無鉄砲さは困らされることもある。ただ決してそれだけじゃない。
「でも、ありがとうな。今回の件は、ほとんどイザベルのおかげだ」
「……え? でも、魔物はほとんど隊長が倒しましたよ?」
「でも俺一人だったら、そもそもこの森に入ってもないからね。それに、色々と助けてもくれただろう。だから感謝しているよ」
俺がまっすぐに褒めるのに、彼女は目を大きく見開く。そして頬を紅潮させたと思ったら、満面の笑みを見せる。
「お役に立てたなら、すごく嬉しいです。二重丸ですね、いぇいです」
手のひらをこちらに見せてくるから、俺はそれに応じた。乾いた気持ちのいい音があたりに軽く響く。
「まぁともあれ、これで温泉復活ですね! たぶんですけど」
「すぐにじゃないだろうけど、そうなるといいね。しかし、大きな敵だったな」
「というか強すぎませんでした? 隊長があそこまで追い込まれるなんて」
「……やっぱり衰えかな」
「いいえ。おかしなくらいの大きさでしたもん。あんな敵だと騎士団クラスの討伐隊がいくらあっても足りないですよ、普通。私一人だったらたぶん負けています」
「たしかに、あれは異常だったね。そんな奴があんなごろつき連中に管理されていたっていうのはおかしな気がするね」
「たしかに。あんな奴らじゃ絶対に制御しきれない気がします」
「まぁ、死んでももみ消すつもりだったのかもしれないけど……。少し違和感はあるね」
戦いが終わったこともあって、俺とイザベルはしばし静かな森の中で考えを巡らせる。
ただ、結局答えに至る前に、イザベルが再びあくびをした。そして今度は俺もそれにつられてしまう。
東の空はいつのまにか白み出していた。もう夜明けが近いらしい。
「とりあえず帰って寝ましょう。それで明日、領主に報告しましょうか。代理の人は信用ならないので、直で!」
「……会ってくれるものかな? 正当な手続きをとった方がいいんじゃ」
「心配しすきです。隊長は元騎士団長ですよ。それに私も伯爵貴族の令嬢! 二重丸な計画です」
「……そういえば、そうだったね。君といると、その前提を忘れそうになるな」
「ふふ。それも、褒め言葉として受け取っておきますね」
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