【書籍12/26発売★】曰く「衰えた」おっさん騎士団長、引退して悠々自適な旅に出る~一人旅のはずが、いつのまにか各界の才能たちに追われてるんだが?~




「……これ、ソルベロスは相当、肥大化してるんじゃないですか」
「その可能性が高いだろうね」

ソルベロスはその身体の大きさ次第で、周囲に与える影響がかなり変わる。

まだ姿も見えないうちから気温を変えてしまうほどの大きさということは、かなりの個体に違いない。
俺たちは警戒を強めながら、さらに奥へ奥へと進む。そして、そのごとにだんだんと寒さは厳しくなっていく。

イザベルは自分を抱きしめるようにして、両肩をさすっていた。

「よければ使ってくれて構わないよ」

見ていられなくなった俺は、自分の羽織を差し出す。
が、イザベルはすぐには受け取らないで、ただただ羽織を見つめる。

それで俺は、はっと気づいた。

「わ、悪い。おっさんの着ていた服なんかいらないよね」

もしかしたら匂いなどもあるのかもしれないし、断わりづらいと思われていたら、申し訳ない。
俺はすぐにもう一度羽織を着ようとするのだけれど、イザベルは奪うようにして、それを手に取る。

「き、着ます! さ、寒いですから!」

魔導灯の頼りない明かりだけでも分かるくらい、その顔は赤くなっていた。
もしかしたら、おっさんの服を着るのと、寒さとを天秤にかけていたのかもしれない。
まぁ、だとしても、、それを不満に思うような気持ちはない。

「隊長は寒くないですか? もし寒かったら手を――」
「まぁ少し冷えるとは思うけど、問題ないよ」
「……そうですか。じゃあいいです」
「えっと、イザベル? なにか怒らせるようなことをしたかな」
「してないです、放っておいてください」

どういうわけか、イザベルは少し拗ねてしまうが、その後は少しペースを取り戻して歩く。
そして、その先で見たのは、完全に凍り付いてしまった地面だ。

「おっと」

危うく滑りかけたところをイザベルに助けられつつも、俺は立て看板のあるほうへと近づいていく。
するとそこには、「泉源につき、熱湯注意」と書かれているが、湯気ではなくむしろ冷気が立ち込めていた。

「本来なら、ここから湯が噴き出ていたみたいだね。ソルベロスが自分の身体に取り込んだんだろう」
「お湯をここまでにするなんて……。ソルベロス自体はいったいどこにいるんでしょうね」
「このあたりにいることはたしかだろうけど……」

黒の魔素は、一帯に強く垂れこめていた。
ただ、それがどこから発せられるものなのかは、特定できない。
普通は魔物に近付けば近づくほど、黒の魔素の濃度が濃くなるから、その位置を大方掴むことができるが、その濃度がどこも一定ときていた。

いったいどうなっているのだろう。
少し戸惑ったのち、俺はある可能性に気づいた。それも、最悪の可能性だ。

「イザベル、『浮遊』の魔術を使ってくれるか?」
「え、そりゃ構いませんけど、どうして?」
「もしかすると、今俺たちが立っている場所が、ソルベロスの上かもしれないからね」
「なっ!?」

俺は剣を抜くと試しに、その凍り付いた地面に強く差し込んでみる。

すると、どうだ。
表面に亀裂が走ったすぐあと、地面自体が大きく揺れ始めた。

「ほ、本当にこれ自体がソルベロス!?」

イザベルは驚きの声をあげつつも、『浮遊』の魔術を使って、俺をも浮かせてくれる。

そうして高いところから眺めてみてやっとその図体の全容が分かった。
どうやら、予想は当たっていたらしい。この湖そのもののが、ソルベロスの大きさだったらしい。
氷柱がいくつも重なったような巨体が、のろのろと動き始める。

「シャアァァ!!!」

そして、湖の中心から出てきた顔から放たれた咆哮はかなりの声量だ。
それは木々だけでなく大地をも揺らす。

「隊長、なんかでかすぎません?」
「たしかに、上級とされるダンジョンでも、このサイズは見たことがないね。これだけの大きさになろうと思うと、かなりの魔素が必要だ」

どうやってここまでの大きさになったのか、疑問には思うが、それを考えている場合でもない。

「とにかく、対処しようか」
「ソルベロスの退治といえば、少しずつ削っていく方法ですよね。普通は大人数での攻略が前提ですけど」

ソルベロスはその核となる部分を破壊することで、その再生力を失わせて、倒すことができる。
が、その核は身体の中心部分にあって、表面には見えていない。

そのため、破壊するためにはまず、その身体を徐々に小さくしていくのが定石だ。
火属性魔法の使い手ならば、溶かしにかかるという手もあるだろう。

だが、俺の火属性魔法は戦闘で使えるような代物じゃない。俺にできる方法は一つだけだ。

「もう夜も遅い。イザベル、ここは一気に行こう。サポートをしてもらっても構わないか」
「ふふ、隊長ならそう言うと思ってましたよ。とりあえず足場を結界を用意しますね」

イザベルはそう言うと、助走をつけられるだけの立派な結界を作り出してくれる。
さすがは元副官、まさしく俺の求めていたアシストだった。

「……本当に助かるよ、イザベル」
「なんでも分かってるんですよ。あれ、それ、って言ってくれれば分かりますよ、たぶん。なにせ元サヤですから」
「その言い方はやめてほしいけどね」

冗談みたいなやり取りはともかく、これならば心置きなくやれる。
俺はイザベルの作った結界に着地をすると、全身に『身体強化』をほどこした。そのうえでゆっくりと剣を抜き、呼吸を整える。
恐怖心がないわけじゃない。ただ、それで剣に揺らぎが出ないようにしっかりと心を落ち着けてから、俺は結界の上を一気に走り始めた。

そして声をあげながら勢いよく、足場から飛び出る。
なかなかの高度だった。

だが、落ちていく中でも、しっかりと態勢を維持して、俺は剣を振り被る。

「うおおおおおお!!!!」

そして、それをタイミングよく、そして勢いよく、ソルベロスの身体と化した湖に叩きつけた。
轟音があたりに響き渡り、体中に強い衝撃、痛みが走る。
それでも勢いをすべて地面へ伝えて、その反動で上に飛び上がると、イザベルが再び『浮遊』の魔術をかけて、結界の上に着地させてくれた。

そうして高いところから、斬撃の結果を確認すれば、上々の出来だ。
俺が剣を叩きつけた位置から、湖には大きな亀裂が入っていき、そしてそれは端から端までに達する。見事に、ソルベロスの身体を半分に割ることに成功していた。

「……ちょっとやりすぎじゃないですか、隊長。もしかしてまた強くなりました?」
「いいや、むしろ身体は衰えてきているよ」
「これで衰えって……。隊長がいなくなったあとの騎士団が心配です」
「心配ないと思っているよ、彼等なら。十分に国を守れる」
「そういうことじゃないですよ。高いレベルを求められすぎるってことです。まぁ、いいです。とにかく、あとは核を攻撃すれば――」

と、イザベルが言いかけた途中で、それは視界の端を掠めた。

俺はとっさの反応で、その正面に回り込み、イザベルの方へ向かっていくそれを剣で打ち落とす。
鋭い音が響いたのち、結界の上に転がったのは氷の楔だ。かなり鋭利に研がれていて、その殺意の高さを感じる。

「あ、ありがとうございます。ちょっと油断してました」
「気を付けてくれよ。油断すると、死ぬことだってあるんだ。生きていないとね」
「それ、久しぶりに聞きました。はい、次は気をつけます」

戦いというのは相手が誰であれ、命と命のやりとりだ。

その結果として、大怪我や死に繋がることだってあるし、俺は実際にそれを目の前で何度も見てきた。
ずっと続くと思っていた日常がいきなりに途切れる。昨日まで横にいた人が明日そこにいない。

その経験は戦いでの傷が癒えた今も、刺し傷のように、この身に刻まれている。
もうそんな経験をするのは、ごめん被りたい。

「行くよ、イザベル」
「はい、二度はありません。私があれを引きつけます。隊長は核をお願いします」
「うん、信じているよ」
「嬉しいお言葉ですね!」

イザベルはそう残すと、空へと飛び上がる。
そのうえで彼女は、自在に壁を作り出して、動き回ることで、ソルベロスの注意を引く。

「……本当に優秀すぎるな、イザベルは」

ぎりぎりまで近寄り引き付けて、楔が当たる寸前でひらりと躱す。そんな方法は普通なら取れない。
これで俺のほうはかなり動きやすくなった。

俺は剣を右手のみで持つと、核の位置を再確認する。

そのうえで助走をつけると、今度はさきほど露わになった核のほうに一足飛びで向かった。
そこで大きく胸を逸らして繰り出したのは、突きだ。

助走の勢いに加えて、身体強化も使って、かなりの威力を乗せた技である。岩くらいならば破壊できるはずだが、さすがに強敵だった。

「くっ……!!」

差し込んだ瞬間から、びりびりと黒い魔素がこちらに伝わってくる。
さらには俺を取り込もうとしているのだろう。

刀身を徐々に氷が包みはじめてしまう。

それは徐々に柄のほうまで迫ってきて、ついには俺の腕まで飲みこみだした。
強烈な冷たさに、身体の感覚はじわじわと失われていく。そして、そのうちにも氷は厚くなり範囲を広げ、肩口から首まで迫る。
くらくらと頭が揺れてきていた。

このままでは飲み込まれて氷漬けにされかねない、そう思った折だ。

『あなたは生きて』

頭の中に聞こえてきたのは、懐かしく優しい声だった。