そうして終盤を迎えたのだけれど、そこはかなり汚れている。
なにかわからないような小物が大量にあるうえ、その真ん中にはとても抱えきれないような大きな箱が鎮座していた。
「うわー、こういうのまじであるんですねぇ」
「……君の部屋もこうなりかけていただろう」
「そ、それは言わないお約束です! さーて片付け片付け!」
彼女は露骨に誤魔化して、魔術杖を振る。
使われたのは、『清掃』の術だ。
比較的簡単な生活魔術で、埃などのゴミはあっさりと巻き上げられて、一箇所に固められる。
「あとは、これで――!」
さらには『浮遊』の魔術まで使われて、小物がすべて宙に浮いた。
「おぉ、噂には聞いていたが、す、すごい」
驚くご老人に、イザベルは得意げにふっと笑って見せる。
それから、それらすべてを精査せずに、そのまま入り口に置いていた空箱に入れた。というか、突っ込んだ。
一部こぼれたものも、ぽいっと放り入れる。
「はい、終わり!」
魔術自体は、やはり細やかに操られていて感心するのだけれど、片付けはできないというのがまた彼女らしい。
残った大きな木箱を前に、彼女はこちらを見上げる。
「隊長、あとお願いしてもいいですか? 私、どうしても力がなくて~」
「あぁ、うん。分かった」
「もはや反応もなし!? というか、本当に『浮遊』の魔術使っても持ち上がらないんですよ?」
「はは、拗ねないでくれよ。そのあたりは理解してるつもりだ」
たしかに魔術は便利な分、出力は出ない。この重さのものは、浮かせられないだろう。
俺は、まず魔法を使わないまま持ち上げようと試してみることにして、その場でかがみ込んで、箱の角をまず持ち上げる。
「中に古い剣とか重いものが詰まっているんです。少しずつやっていただいてもいいんですぞ?」
と、ご老人は言ってくれたが、これくらいなら問題ない。
箱に手を入れると、一気に持ち上げて、立ち上がる。床がぎぃと嫌な音を立てるが、俺自身は平気そのものだ。
「な、なんて怪力だ……! ほ、本当に大丈夫なのですか!?」
「えぇ、心配なさらないでください。魔力も使っていませんしね」
「さっすが隊長! 健在ですね。すごくいいです、うっとりします」
腰を抜かすご老人と、なぜか赤く染まった頬に両手を当てるイザベルを横目に、俺は荷物をすぐ横にある新しい倉庫まで運ぶ。
そうして一息ついた時に、自分の肩が少し濡れていることに気づいた。
どうやら、運んできた大きな箱が濡れていたらしい。
それで俺は空っぽになった旧倉庫に戻ってきて、最後の箱が置いてあった倉庫の角を確認へ向かう。
日の光が届かず、暗がりになっていたから、俺は火属性魔法で指先に火を灯した。
そこへ後ろから、イザベルも覗き込んでくる。
「隊長、なにかありましたか?」
「ちょっと気になったことがあってね」
「そうですか……。でも二属性使えるって、やっぱりいいですね。羨ましいです。普通は一つですもの」
「……まぁね」
これは、別に俺に特別な才能があったからできることでもない。むしろ持っていない方が幸せだったとさえ思っている。
だから彼女の褒め言葉をこう流して、床部分をよくよく見てみれば、その板の一部が腐ってしまっていた。
「あちゃあ、こりゃもう床がぼろぼろですねー。今に崩れそうですよ」
「雨水がどこからか溜まっているんだろうね」
古い木造の倉庫ならば、仕方のない話だ。俺たちはその事実をすぐに、外で待っていたご老人に伝える。
同時に、現場を見てもらうと、
「……この位置は」
ご老人はよたよたと歩いて、その腐った箇所を覗き込むように屈む。
そして一人、何度か首を縦に振った。
「懐かしいなぁ。私の祖父の頃までは、ここにも温泉があったんじゃった」
「そうなんですか」
「あぁ。今の泉源とは別の個所からも昔は自噴していてねぇ。それが、だんだん少なくなって、閉じることになって、あとは質屋仕事に転身したと聞いているよ。うちの祖父は、実に精悍な人じゃった。私がまだ小さなときは、毎日山まで登って芝刈りと、それから大きな岩を割るための特訓を――」
ご老人は実に楽しそうに、過去回想を始める。
しかし、その内容はといえば、ほとんど耳に入ってこず抜けていく。
温泉の跡地である場所から、水が漏れ出している。とすれば、この水気は、ただの雨水ではなく、温泉水の可能性もある。俺は湿って腐った床材の破片を手に取ると、その匂いを嗅ぐ。すぐ手前ではイザベルも同じことをしていて、二人同じタイミングで目を合わせた。
「……隊長、これ」
「あぁ、間違いない。これがマアリの温泉の匂いだよ」
ほんのわずかに香ってくる程度だが、過去に入ったときに感じたものと同じ、鉄の匂いが残っていた。
ただし、それよりももっと濃く感じたものがあって、俺がそれを確かめようとしていたら、イザベルがもう動いていた。
彼女は杖を取り出すと、手に持った木くずにとある魔術をかける。
すると、木くずからは黒い煤が発生して、すぐに消えていった。
「『浄化』の魔術に反応した……。隊長、この水、黒の魔素がまぎれてますね。しかも、この綺麗な反応は溶けて間もないですよ」
イザベルが言うのに、俺は少しの間、言葉を失う。
魔素とは簡単に言うなら、あらゆるものに含まれる魔力の源となる粒子のようなものだ。
魔素は色で分類がなされ、赤なら火属性、青なら水属性、と言った具合に、それぞれ相性のいい属性魔法がある。
じゃあ黒の魔素がなにと相性がいいかといえば、魔物や魔人の類の使う魔力だ。
黒い魔素は、人間には害があるとされている。
たとえば、その濃度が高い空間はいるだけで魔力を消費し、最悪の場合は身体が魔毒に侵されることもある。
黒い魔素は、特定の地点から継続的に発生することが多く、そうした場所は「ダンジョン」として国にランク付けなどもされ、冒険者らの狩り場として利用されているが……このあたりには、そうした場所はない。
かつて任務でここを訪れたのは、突発的な魔物の発生と狂暴化であり、それも以後は収まっているとバルトロさんから聞いたばかりだ。
「……泉源のある山で、また魔物が発生した?」
「でも、だとしたらすぐに分かりそうなものですよ。調査に入ってもう結構な時間が経ってますよね?」
「あぁ。普通ならば気づくだろうね」
「なんか、きなくさくなってきましたね……」
俺は首を縦に振る。
まだこれだと決めつけられる段階でもなく、分からないことは多い。それでも、問題が起きているのはどうやら泉源と見て間違いなさそうだった。
ここからどうしたものか。
やっと進展した原因究明の今後を俺が考え込んでいると、ふとそれは耳に入り込んできた。
「その頃には、私はもう十の歳になっていてなぁ。近くに住んでいた婆さんと、母親から無理に仲良くするよう仕向けられてなぁ……」
どうやら、ご老人の回顧録はまだ続いていたらしい。
しかも、祖父の話からまったく違う筋の話にすり替わっている。いつのまにか恋愛話だ。
「……少しだけ気になる話なんですよね、さっきから」
イザベルが呆れたように言うのに、俺は一つ首を縦に振った。



