巻き戻り大賢者は、やり直し人生を無双する~殺されかけた不遇な俺は、古代魔術で返り咲く~

 ロクアット湖畔村の夜は、篝火に照らされていた。

 夜明け前から漁に出る船乗りたちのためのものではない。明々とした篝火は、夜通しの警戒態勢のためのものだ。

 湖畔に避難してきた住民たちに、湖から吹くじっとりとした風が吹きつける。

(……嫌な感じだな)

 子どもの俺は、ヴィッテル家の居候という身分もあって早寝早起きを心がけている。

 だが、今夜はそういうわけにもいかなかった。

 ハンスさんが率いる自警団によって、村人たちは全員、湖の畔に集められているのだ。

 百人、いや、二百人。もっといるかも。

 不安げな人たちを自警団のみなさんが励ましている。立派な働きだ。

 ──なにせ、ロクアット湖畔村から初めての蜘蛛型魔獣の犠牲者が出てしまったのだから。

「兄貴、大丈夫ですかね」

「まあ、デカいし丈夫な人だから」

 心配そうに髭面氏と大柄氏が話している。

 そう。初めての犠牲者は、例の『兄貴』だった。

 先日のサンドイッチ騒動以降、姿が見えなくなっていた。

 夜中になっても帰ってこないと騒ぎになった頃に、東の断崖のほうかフラフラとした足取りで戻ってきたのだ……蜘蛛の巣まみれになって。

「つーか、ハンスさんが怖がるくらいの魔物に襲われて生きて帰ってくるんだから、アイツも体力についちゃホンモノだぜ」

 髭面氏の意見に、俺も半分は同感だった。

 魔物に襲われて、生きて帰ってきただけでも儲けものってやつだ。

(アリアドネ……毒蜘蛛のたぐいじゃないが、かなり知能が高めの魔物だよな)

 で、残りの半分はというと──。

(たぶん、助かったんじゃなくて、()()()()()()だろうな)

 俺は子どもたちが集められているエリアをそっと抜け出して、介抱されている『兄貴』の様子を見に行く。

 治療にあたっているのは、アルルさんだ。

「ライくんが無事だったのは良かったが、これは……」

 治療に当たるアルルさんの隣で、ハンスさんが難しい顔で残留物を調べている。

 ライというのが、あのお山の大将の名前らしい。ハンスさん、あんなやつの名前も覚えているのか。うーん、人徳。

 まあ、問題はそこじゃない。そのライとやらが持ち込んだモノだ。

「……参ったな、アリアドネの糸だ」

 ハンスさんが手にしているのは、よく目をこらさないと見えない半透明の極細の糸。

 獲物を捕らえ、あるいは、その獲物の巣まで半人半蜘蛛の魔獣を導く、魔蜘蛛アリアドネが吐き出す糸だ。

 あれを体に巻き付けて、あの男はこの村に戻ってきた。

(まずいな、アリアドネに場所が割れた)

 子蜘蛛たちは、おそらく目的もなく放浪している中でロクアット湖畔村にたどり着いていたのだろう。それこそ、蜘蛛の子を散らすようにって言うしね。

 だが、その親──アリアドネは、糸を辿ってやってくる。より大量の人間たちを、襲うために。

 風精霊を使役していたアルルさんが、深刻な表情で呟く。

「やばやば。怪我はできるだけ治療したけど……全然起きないよ、この人」

「ありがとう、アルル。少し休んでいなさい」

「はい。お父さまは……?」

「私はやることがあるから。アルルは母さんの近くにいて手助けしてやってくれ」

「はい」

 緑の淡い光を放つ風精霊が、点滅しながらアルルさんのランタンの中に戻っていく。俺にははっきり見えないけれど、風精霊も疲弊しているんだろうな。

 ハンスさんが深いため息をつく。

「厄介なことになった。アリアドネは必ずこの糸を辿ってここまでやってくる」

 はい、そういうことです。

 このあと、まもなくアリアドネがこの村を襲いかかってきます。



 魔蜘蛛アリアドネ。

 ハイデル王国での遭遇事例は二例か三例が報告されている、かなり厄介な魔物だ。

 アリアドネの脅威はいくつかある。

 蜘蛛型魔獣を大量に産み、子蜘蛛たちが周囲の動物や人を食い荒らすこと。

 そして、もう一つはアリアドネ本体の知能の高さ。

 アリアドネの上半身は美しい女性の姿をしていて、人間のオスを魅了するのだ。そして、精力と生命力を吸い尽くす。お子様の教育には非常によろしくない魔物である。おそらく、糸を大量にくっつけたままで村に戻ってくるなり倒れ込んでから今まで、昏睡しているライもその能力にやられたんだろう。

 遭遇例も少ないので、一般の人々にアリアドネの情報なんてまったく行き渡らない。

 ――その脅威を甘く見ることも、あるだろうね。



 そういうわけで。

 ロクアットの人々は、夜の湖畔に集められているわけだ。

 アリアドネは夜闇に紛れてやってくるからね。それも、残っている子蜘蛛たちを連れて。

「ハンスさん、これからどうするの?」

 無言のままで眉間を揉んでいるハンスさんに、俺は尋ねた。

 こういう有事においての責任者であるハンスさんは、あれこれ対応に追われていると思うでしょ。今の状況では全員を避難させて警戒するより他に、やることがないのだ。

「え? ああ、そうだね。自警団のみんなが、村人全員が避難していること確認次第、避難計画を実行するつもりだ。もちろん、ルゥくんの安全も確保する。心配はいらないよ。村の周囲は騎士団の人間が警備しているし」

 ハンスさんが俺を安心してさせるように微笑む。

 かなり大きな声で喋っているのは、周囲にいる人たちにも聞いてほしいからだろう。

(なるほどな。村人の顔が分かっている現地の人間を自警団にしていた理由はこれか)

 単純な目先の戦力だけならば、ハンスさんと一緒にやってきた数人の部下でも賄えるかもしれない。けれど、村人の全員避難を目指しているとしたら、現地の人間以上の適任はいないわけだ。やはり、やり手だな。ハンスさん。

「あ、こらこら〜」

「わっ」

 急に後ろから抱きつかれる。アルルさんだった。

「ルゥくん、子どもはあっちで固まっててって言ったでしょ」

「ごめん、でも、俺だってアルルさんたちの手伝いがしたくて」

「子どもはそんなこと考えなくていいの!」

 アルルさんはお姉さん風を吹かせる。

 こうなったら、アレをやるしかないな。

「……ごめんなさい、アルル姉さん」

 姉さん。この言葉にアルルさんは、むふんと鼻息を荒くする。

「ウムウム、仕方ないな。私の側を離れないでね?」

「はーい」

 うん、ちょろい。

「たしかに、シュタイナーの騎士団がどんな仕事をするか、ルゥくんに見て貰わないとだもんね」

 アルルさんは胸を張る。

 おそらく、実の父親の仕事を目にするのは、アルルさん自身も初めてなのだろう。

 それでも、アルルさんからは『シュタイナー辺境伯騎士団』への尊敬と誇りが伝わってくる。

「あの森にいた、ハイデルの野蛮な軍人みたいな人ばっかりじゃないって、ルゥくんには知ってもらわないとね」

 と、アルルさんは続けた。

 魔獣に襲われたアルルさんを、ただ傍観して……あまつさえ、魔獣をけしかけていたクズたちのことを気にしているらしい。

 アルルさんが「なんでもしますから」とすべての尊厳を投げ打つような助けを請うまで、手出しをするつもりもなく、ゲラゲラと笑っていたあいつら。今思い出しても腹が立つ。

 そして、ああいう手合いが『ハイデルの軍人』と呼ばれているのは頭が痛い話だ。まあ、俺はもう王弟でも大魔術師でもないが。

(そうか。ハンスさんの仕事は、視察と本隊への連絡……本格的な討伐は、シュタイナー辺境伯騎士団の本隊が到着してから取り掛かるつもりだったんだろうな。ライが余計なことをしなければ……え、もしかして俺のせいか? ん……いや、そんなこと考えても仕方ないか)

 はぁ、と俺は思わずため息をつく。身の丈に合わない手柄を欲しがる人間に碌な人間はいない。

 ハンスさんは積極的に討伐に出て、アリアドネを刺激しないようにしていた。村周辺まで侵入してきた蜘蛛型魔獣の討伐に留めていたわけだ。

 ロクアット湖畔村への被害を抑え、子蜘蛛たちの数を減らしてアリアドネの戦力を削り、その間に事を構えるときに頼りになる現地の人間を増やす――ハンスさん、本気で有能だぞ。本人の戦闘力がやや低いことなんて、あまり問題にならないレベルじゃないか?

 まあ、周囲の人たちどころか、ハンスさん本人も自分の手腕に気づいていないっぽいけれど。

(いや、違うな)

 ハンスさんの能力を完全に把握しているであろう人が、確実にいる。

 俺はまだ会ったことのない、この地の領主に思いを馳せる。

(――カトリーナ・シュタイナー。傑物だな)



◇◆◇



 それから間もなくして、村民全員が湖畔に集まった。

 とっぷりと日が暮れて、満月が天上高く上がっている。すっかり真夜中だ。

 ハンスさんの指揮の元、住民たちの避難がはじまる。

「では、順番に小舟に乗って。蜘蛛型魔獣は水を渡れないことはわかっています、安心してください」

 自警団の皆さんのテキパキした誘導も相まって、スムーズに避難が進んでいく。

 アリアさんと俺は、避難の手伝いで走り回っていた。

「すごすご。湖の漁船を使って避難するなんて、よく考えついたね」

 と、アリアさん。

 水上に避難する、というのはたしかにトリッキーなアイデアだ。

「これね、自警団の皆さんが考えてくださったのよ」

 同じくハンスさんの手伝いをしているマリアさんが教えてくれた。

 なるほど。ロクアット湖畔村の皆さんが協力的なのは、そういう背景もあるのだろう。ヴィッテル家が全員総出で駆け回っているのも、かなり印象がいいよね。

「それにしても……これでは家財を守るには人手が足りないでしょうね。あまり被害が出ないといいのだけれど」

「大丈夫、怪我人は私が治療するし、壊れたものはルゥくんが直してくれるもんね!」

「頼もしいわね。でも、魔力というのを使うのでしょう? ルゥさんが疲れてしまうわよ」

 マリアさんが苦笑しつつも、俺を気遣ってくれる。

 正直、『修復』の魔術程度であれば、今の身体でも問題ないんだけどね。

 というか、アルルさん意外と押しが強いな。

「お母さん。騎士団からの応援って、いつ頃来るのかな?」

「そうねえ。伝令部の人が三日前に出発したのだけれど」

「うむうむ……騎士団の本拠地まで片道二日……伝令部の人ならもっと早いのかな……でも、すぐに応援を送ってくれるかもわからないし……」

 アルルさんがブツブツ呟きながら考え事をしている。

 さすが、色々と内情を知っているらしい。

(……正直、厳しいだろうな。あと四日はかかるんじゃないか?)

 即断即決して派兵したとしても、明日に到着したらいいほうかな。兵を動かすというのは、とにかく時間がかかるのだ。

 ──特に、兵をどれくらいの規模で、どう動かすかの判断。かなりの時間食い虫だ。ハイデル王城でも、しょっちゅう揉めていた。

 つまり、即断即決して派兵なんていうのは期待できない。

 ……それにしても、伝令か。嫌な記憶が蘇るよ。見た目だけは爽やかな近衛伝令団長、のうのうと元気にやっているだろうか。してるだろうな。俺の暗殺、成功したもんな。まずい、物凄く腹が立ってきた!

「ねえ、アルル姉さん」

「はいはい、なぁに。ルゥくん?」

「ちょっと、お手洗い行ってくる」

 というていで、そろそろ蜘蛛退治に行こう。

 俺を殺したやつらへの苛立ちをぶつける相手は、蜘蛛型魔獣(あいつら)しかいない。

 その場を離れようとする俺に、アルルさんが衝撃の一言を放つ。

「あらあら。じゃあ、着いて行ってあげよっか」

「いやだよ!?」

 一応、俺だって(見た目は)微妙なお年頃の男子なのですが。

 安全対策的にはアルルさんが大正解ですが。

 なんというか、この人やっぱり「お姉さん」に対して妙にこだわりがあるみたいだ。

「むむむむ。ルゥくん? お姉さんのいうことを聞きなさい」

「わ、わかった」

 仕方がない、ここは折れるしかなさそうだ。

 あれこれ言い合っていると、避難した船から湖に用をたせばいい──みたいな流れになりそうだしね。



◇◆◇



「絶対に、こっち見ないでね」

 湖畔から離れて、村はずれにやってきた。

 アルルさんに何度も念押しをして、俺は草むらに入る。

 なんとなく信用できないが……まあ、いい。逆にアルルさんの身の安全も心配だが、風精霊術も使えるから大丈夫だろう。

(……ま、俺がここで食い止めれば問題ない)

 草むらの奥。馴染みのある気配が、いくつも蠢いている。魔獣だ。

「属性は水、その有り様は霧。性質は静かなる水面」

 俺は術式を組み上げる。

 索敵を得意とする水の魔術だ。静かな水面が、小石一つでざわめくように。わずかな風の姿を捉えるように。

(魔物どもの動きを、俺に教えろ……)

 俺の魔術に応えて、もうもうと夜霧が湧き出てくる。実は自前の魔力でこの霧を発生させようとすると、結構な魔力消費(カロリー)になってしまう。だが、ここは湖畔だ。ロクアット湖はたっぷりと水を湛えている。それを使わせてもらっております。地の利ってやつですね。

 霧が充満して、音もなく暗闇を動く蜘蛛型魔獣たちの動きを俺に伝えてくる。

 身体中の触覚が拡張したような、なんとも言えない感じだ。

 ――魔獣たちの位置を把握し、俺は照準を合わせる。

「その有り様を変えろ」

 一気に術式を組み替える。霧は水に変わり、蜘蛛たちの気管を塞いだ。

 霧っていうのは小さな水の粒。水は凝集性が高い液体だ。気管の近くに一気に集めて液体化してやれば、蜘蛛型魔獣は陸にいながらにして溺れ死ぬ。

 こういう魔術の使い方もできるんだ、古代魔術文明の魔導書に書かれた内容を『修復』したから。

 有効範囲にいる蜘蛛型魔獣が全滅したことを確認して、俺はほっと息をつく。

 これで少しくらいは、ハンスさんの仕事を助けることができただろう。陰ながら、ね。

(よし、無事に完了。思ったより、あっさり終わったな。あまり時間をかけると……)

 大急ぎで戻ろうとした、その瞬間。

 ガサガサ、と不穏な音がした。

「へいへい、ルゥくんー?」

「うお、アルルさんっ」

 まさかと思ったが、マジで来るのかよ。

 硬直している俺の手をとって、アルルさんは頬を膨らませる。

「もう、ウロウロしないの」

「ごめん」

「さあ、避難するよ」

「はーい」

 俺は大人しく、アルルさんについていく。

 避難が終わるまでに、到達してきそうな蜘蛛型魔獣の群れを片しておいた。

 非常に危険なアリアドネのことは心配だが、もっとも危険な夜中に襲われる心配はなさそうだ。

 ──そう、思っていた。