目が覚めるとすでに日差しが強く差し込んできた。
窓から入ってくる風が心地いい。
……ん、ここどこだ?
そう思った瞬間に響き渡った明るい声に、俺は現在の状況を思い出した。
「おはおは! 朝だよ、ルゥくん!」
アルルさんだった。
朝から元気だな、この人は。やま
「あー、おはようございます」
ここはハイデル王国のなかでも辺境にあたる、シュタイナー領だ。そのなかでも、さらに領地の外れにある集落──ロクアット湖畔村だ。シュタイナー辺境伯の率いる騎士団と私兵たちに、兵糧である干し魚を供給している重要な拠点らしい。最近、魔獣の出没が多くなったことから、集落に守護──シュタイナー騎士団の熟練者とその配下が送り込まれている。
「やあ、おはよう。ルゥくん」
この優しげなおじさんが、そのシュタイナー辺境伯騎士団から派遣された守護だ。
ハンス・ヴィッテルさん。
ほわほわとした麦金色の髪と垂れ目、ソフトな口調。『魔獣の森に捨てられた身寄りのない子ども』である俺を引き取って、しばらく養ってくれるという人徳者……なのだが。
「ハンスさん、おはようございます……あの、それどうしたんですか?」
「ん?」
「顔にすごい痣が……」
ハンスさん。温厚そうな顔に、巨大な青あざを作っている。
さながらヤンキーに絡まれてボコボコにされたサラリーマンである。
「あはは……朝の撃剣訓練中に、若い子に一本取られてね」
若手ボコボコにされた騎士だった。本当に大丈夫だろうか。
弱く見せているだけ、とか?
妻であるマリィさんが、朝食の魚粥の鍋をかき混ぜながら溜息をつく。
「もう、あなた。お怪我には気をつけてくださいね」
ぷぅと頬を膨らませている表情が、アルルさんにそっくりだ。やっぱり親子なんだな。
マリィさんに叱られて、ハンスさんがぽりぽりと後頭部を掻く。
「心配かけたね。でも、アルルに治療してもらったから、大丈夫だよ」
え、ちょっと。
治してもらって、その青あざなんですか?
(おいおい、「てへへ」じゃないぞ……)
俺は確信した。
ヴィッテル一家は、いい人たちだ。
だが、かなり抜けている。天然というやつだ。
……俺が守らなくては。
そう。今までの俺とは違うんだ。
兄と国に尽くして、使い潰されていた人生は終わった。
理不尽には抗う。不義理には憤る。攻撃されたら報復を。そして、こんな俺に親切にしてくれる、善良な友人を守って──大切なものを護る。
「ルゥさんも早く座ってくださいな」
「あ、はい」
突っ立っていると、朝食をこしらえ終わったマリィさんが椅子をすすめてくれた。
「おやおや? ルゥくんも朝が弱いの?」
と、先に食卓についていたアルルさん。
魚粥のいい匂いがする。
「そういうわけじゃないよ。……ん、俺『も』?」
ヴィッテル家の人々は、三人とも朝が強い。
エネルギッシュというかなんというか、陽の気を纏っているのもあり、朝から元気いっぱいだ。
朝が弱い人が、俺以外にいるのか?
「兄さんも、朝寝坊だったよね。騎士団でちゃんとやってけてるのかな」
ほう。アルルさんには、お兄さんがいるのか。
父子で騎士団勤めとは、なかなか優秀だ。縁故採用かどうかはわからないけれど、お父さんのほうの働きぶりが微妙だと、息子を採用しようとはならないからね。
「ああ、ロダンも頑張っていると聞いているよ」
「あの子はちょっと真面目すぎるので、心配だわ」
「大丈夫さ、カトリーナ様の元で上手くやってくれるだろう」
カトリーナ・シュタイナー──女傑と名高い辺境伯は、さすが配下の騎士団員からの信頼も篤いようだ。
シュタイナー領は、同じハイデル王国内とはいえ、ほとんど別の国ってかんじだからね。地理的にも遠いし、魔王国ヴァル=ネクルとの睨み合いのせいで、活発な人の行き来なんて期待できないしね。
「はい、どうぞ」
マリィさんが魚粥を出してくれる。
湖に生息する淡水魚の干し肉をたっぷり混ぜ込んだ麦粥だ。元日本人としては、もう少しお出汁の成分が欲しいけど。
だが、味は二の次だ。そんなことは、どうでもいい。
「…………」
ハンスさん、マリィさん、アルルさん。家族の食卓に俺がいる。
温かい時間だ。心が満たされるのを感じる。
ずっと俺が欲しかったもの。最後まで手に入れられなかったもの。
俺はヴィッテル家にとって、単なるお客さんだ。だが、彼らの暮らす日常を守るために、俺の魔術を振るいたい。頑張るぞ。
(……あの子にも、本当はこういう環境を用意してやるべきだったな)
灰色の髪の弟子を思い出す。
あの子は上手くやっているだろうが、どうにか次の仕事の手配くらいはしてやりたい。それが最低限の上司の責任だ。俺亡き後では、かなり立場は危ういだろうし。
とはいえ、こんな子どもの姿では、ハイデル城には近づけないだろうな。
入り込めたところで、俺を抹殺しようとした人間がどう反応するかは想像に難くない。
◇◆◇
さて。
食事をしながらハンスさんとアルルさんがポツポツと話している内容を聞いてみよう。
「とにかく、今は自警団の訓練を最優先にしたい。アルルには訓練で怪我をした者の治療をお願いするよ。もちろん、正式に精霊術士として謝礼を支払うつもりだからね」
「のんのん、謝礼とかいいから」
なるほどね、アルルさんは、ただ実家に帰ってきているわけじゃない。家業のお手伝いをしにきたんだ。
着任したばかりのハンスさんは、このロクアット湖畔村の人間を鍛えて自警団を立ちあげるつもりらしい。自分の部下だけで魔獣との戦いを進めるつもりはないみたいだ。
それが無事に軌道に乗るまでは、選抜や訓練、それから頻発している魔獣害──魔獣による被害への対処などを並行して行うわけだ。
なかなかのハードワークだ。
(それにしても、ハンスさん……というか、シュタイナー辺境伯騎士団はまっとうというか、誠実というか)
自警団の立ち上げは、ハンスさんのような職業軍人にとっては負担でもあり、脅威にもなりえる。素人の練兵をするなんて、一時的とはいえ憎まれ役を買って出ないと務まらない仕事だ。
それに将来的に武力を持った自警団が増長する可能性もある。そうなったら、ハンスさん自信と対立する可能性もある。さらに、もっと言ってしまえば、自警団が集落にとってマイナスの存在となってしまったときに、住民達は誰を糾弾するのか──自警団を立ちあげた、ハンスさんだよね。
正規の騎士団だけで警備を続けていたほうが、楽だし安全だ。
それでもなお、ハンスさんは自警団を立ちあげることを最優先業務に位置づけている。
「でも、お父さま。練兵で自分が顔面に痣作ってるって……ちょっとかっこ悪いよ?」
「アルル、そういう言い方はいけないわ。父さんはね、新入隊員の練兵が上手いからって、カトリーナ様からこの土地の守護を仰せつかったのよ」
と、マリィさん。
そうなのか。確かにハンスさん、人望厚そうだしな。
「自警団が軌道にのったら、引き継ぎの人員が来る予定だよ。僕なんかよりもよっぽど強くて頼りになる騎士がたくさんいるからね、シュタイナー辺境伯の配下には」
「ふうん。自警団って、そんなに大事なの?」
「もちろん。集落の人たちだって、ただ守られているだけでは卑屈になっていってしまうからね」
まっとうだ。あまりにも芯が通っている。
要するに、守る側と守られる側に自然に発生する力関係や、それに対して民が抱く感情に細心の注意を払っているわけだ。
すごいね。中央部のハイデル王国軍に、この気遣いがあるかというと……うん、ないな。
「それに、お父さま。私だけじゃなくて、すごく心強い助っ人がいるんだから!」
と、アルルさんが、魚粥を啜っている俺に微笑む。
「ルゥくんの魔術、すっごいんだから」
「ああ、それは知っているよ」
ハンスさんが穏やかに頷いて、頭上を見つめる。
「うちの屋根がこうして雨を防いでくれてるのも、ルゥくんが『修復』してくれたおかげだよ」
「あはは……」
屋根が吹っ飛んだ原因であるアルルさんが苦笑いした。
食事を終えて立ち上がったハンスさんが、俺の頭をくしゃりと撫でる。
「魔術を使えるとわかると、色々と苦労もあるかもしれないが……しばらくは、ここでゆっくり過ごしてほしい」
「はい」
「ルゥくんの力が必要なことがあれば、助けてね」
新鮮な立ち位置だ。
特別な力を持っている者は、己を犠牲にして当然──それが今まで俺が生きてきた世界だったからね。
「は、ハンスさん! いらっしゃいますか!」
そのとき、息を切らせた男の人が、一家団欒の場に駆け込んできた。
一家の主であるハンスさんは特に嫌がることもなく、男を迎え入れた。
男が動くとちょっと生臭い匂いが鼻につく、お魚系の。北側にある湖の漁師なのだろう。
「どうしたんだい?」
「ハンスさん、また……またあの蜘蛛が……」
魔獣の発生報告だった。
例のキモ蜘蛛か……げんなりするな。
「わかった、心配ないよ」
ハンスさんが大きく頷いてみせる。
「大丈夫。シュタイナー辺境伯騎士団がここにいる。それに、君たちのなかでも勇敢な者たちが、自警団として訓練してくれているところだ」
「は、はい」
「さあ、行こう」
「あ、私も……!」
アルルさんが、ハンスさんを追いかける。
俺も駆け出そうとしたところで、首筋にぐいっと衝撃を受けた。
「うげっ!」
「待ってくださいね、ルゥさん」
「マリィさん……?」
「子どもは安全なところにいてください。そうでないと、私がお父さんに怒られちゃいます」
「あ、ああ」
俺は大人しく頷く。
というか、そうせざるを得ないのだ。マリィさんによって、子猫みたいに首根っこを掴まれたままぶら下げられているので。
マリィさん、もしかして怪力では?
「大丈夫、私が守りますからね……これでも騎士の妻ですから」
あ、これ強者ですね。
◇◆◇
やっと偉大なるマリィさんの目を盗んで集落に出た。
……すでに蜘蛛型魔獣の被害があちこちに出ているな。
物陰に潜んで様子を窺ってみる。
さすが漁村というだけあって、あちこちに網が干してあったり、小舟が立てかけてあったりするのだ。
ハンスさんとその部下の皆さん、それから自警団のみなさんが応戦している。すでに怪我人もかなり出ているようで、アルルさんも精霊術で治療にあたっているようだ。
(苦戦してるなぁ……)
物陰から覗いてみる。
蜘蛛の素早さに苦戦しているみたいだ。ハンスさんはさすがに太刀筋もよいし、動き慣れているが……空振りが多い。あのままだと疲れてしまうだろうな。
(よし、俺がやるべきことは……)
魔力を練り上げて、蜘蛛型魔獣どもに向けて放つ。
「──属性は土、その有り様は足かせ」
地面がメリメリと動いて、素早く動く蜘蛛たちの足に粘着して張り付いた。
そうです、ゴキ●リホ●ホイの原理です。
やつら、足が細くて毛がびっちり生えているので完全に足止めすることはできないが、跳んだり跳ねたり、素早く走ったりといったウザめの動きはどうにか封じ込めた。
「……ん、魔獣の動きが鈍った?」
ハンスさんが、さっそく蜘蛛型魔獣たちの異変に気がついた。
「てい!」
で、きれいなフォームで魔獣たちを一刀両断。やっぱり、さすがだ。
先頭を切って魔獣退治に勤しむハンスさんの活躍に、一気に士気が上がる。
「よし、俺たちでこいつら倒すぞ!」
「ああ、蜘蛛なんかに俺たちのシマ荒らされて溜まるかよ!」
うん、自警団って……たぶん、あの言葉使いから判断するに、ロクアット湖畔村のゴロツキなんだろう。
でも、今の彼らの顔には自分たちの村を守るんだという誇りが滲んでいる。ハンスさんが言っていたのは、こういうことなのだろう。
(……よし、多少はいいアシストができたかな)
そろそろマリィさんが俺が抜け出していることに気づいているかもしれない。
今のうちに戻っておこう。
──そう考えていた、瞬間だった。
「あれ、ルゥくん?」
「わっ」
背後に立っていたのは、アルルさんだった。
「なんかガタガタ音がすると思ったら……危ないからついてきたらダメだよ?」
と、アルルさん。
どうやら、ハンスさんの大活躍を聞きつけてやってきたらしい。ここにアルルさんがいるということは、怪我人の処置は落ち着いたのだろう。よかった。
「ルゥくん、ちゃんと聞いてる?」
「う、うん」
「大人しくしてないとだめだよ。魔獣を全部倒したあとに、ルゥくんには修理を手伝ってもらうからね。無理しちゃダメだよ」
くどくど。
アルルさんがお姉さんぶったお説教をはじめた。
まあ、仕方ないね。危ないことをした子どもは、ちゃんと叱らないといけない。
「お母さまと一緒に留守番してるはずでしょ。きっと心配してるんだから早く帰らなきゃ……って、いや。まだデカ蜘蛛がいるかもしれないし、危ないよね……うーん」
「ごめんなさい……」
ここは大人しくお説教を聞いておこう。
って、待て。
腕を組んで仁王立ちしているアルルさんの後ろに、蜘蛛型魔獣がいる!
「アルルさん、後ろ」
「え?」
蜘蛛型魔獣が、物凄いスピードでこっちにやってくる。
デカい。元々デカいけれど、昨日のやつらよりもちょっと大きい気がするぞ。
「わ、我が声に応えよ、風──」
アルルさんが風精霊を呼び出そうと、ランタンを掲げる。
……だめだ、間に合わない。
俺はアルルさんとデカ蜘蛛の間に、身体を割り込ませる。
「属性は風、その有り方は刃!」
ほぼ口の中で言葉を転がすだけ。なるべく小声で魔術を紡ぎ、発動する。
目の前で細切れになった蜘蛛型魔獣が、声にならない断末魔を上げる。
べしゃっと体液が飛び散る。なかなかグロいな。
「る、ルゥくん……!」
「アルルさん、大丈夫だった?」
「うん。今のって……私の精霊術、だよね?」
怪訝な表情のアルルさんが、俺を見つめる。
バレたか、今のはさすがにバレたか?
背中にたらりと冷や汗が流れる。
結局、アルルさんはそれ以上は追及してこなかったので助かったのだけれど──アルルさんと一緒に家に帰った俺はマリィさんにたっぷりお説教をうけることになった。……アルルさんのお説教の五倍は「圧」があった。
──でも。
俺には改めてやるべきことがわかった。
(……この人たちを助ける。陰ながら、な)
けっして、悪目立ちしすぎないように。
それでいて、恩着せがましくならないように。
……運良く辺境伯領までやってきたのは、ラッキーだ。
ここで体勢を立て直して、俺を殺したやつらに復讐する機会を待つんだ。
──俺を助けてくれた人を、陰ながら助ける。
今度は、誰のためでもない。誰に奪われることもない……俺自身の矜持のために。
窓から入ってくる風が心地いい。
……ん、ここどこだ?
そう思った瞬間に響き渡った明るい声に、俺は現在の状況を思い出した。
「おはおは! 朝だよ、ルゥくん!」
アルルさんだった。
朝から元気だな、この人は。やま
「あー、おはようございます」
ここはハイデル王国のなかでも辺境にあたる、シュタイナー領だ。そのなかでも、さらに領地の外れにある集落──ロクアット湖畔村だ。シュタイナー辺境伯の率いる騎士団と私兵たちに、兵糧である干し魚を供給している重要な拠点らしい。最近、魔獣の出没が多くなったことから、集落に守護──シュタイナー騎士団の熟練者とその配下が送り込まれている。
「やあ、おはよう。ルゥくん」
この優しげなおじさんが、そのシュタイナー辺境伯騎士団から派遣された守護だ。
ハンス・ヴィッテルさん。
ほわほわとした麦金色の髪と垂れ目、ソフトな口調。『魔獣の森に捨てられた身寄りのない子ども』である俺を引き取って、しばらく養ってくれるという人徳者……なのだが。
「ハンスさん、おはようございます……あの、それどうしたんですか?」
「ん?」
「顔にすごい痣が……」
ハンスさん。温厚そうな顔に、巨大な青あざを作っている。
さながらヤンキーに絡まれてボコボコにされたサラリーマンである。
「あはは……朝の撃剣訓練中に、若い子に一本取られてね」
若手ボコボコにされた騎士だった。本当に大丈夫だろうか。
弱く見せているだけ、とか?
妻であるマリィさんが、朝食の魚粥の鍋をかき混ぜながら溜息をつく。
「もう、あなた。お怪我には気をつけてくださいね」
ぷぅと頬を膨らませている表情が、アルルさんにそっくりだ。やっぱり親子なんだな。
マリィさんに叱られて、ハンスさんがぽりぽりと後頭部を掻く。
「心配かけたね。でも、アルルに治療してもらったから、大丈夫だよ」
え、ちょっと。
治してもらって、その青あざなんですか?
(おいおい、「てへへ」じゃないぞ……)
俺は確信した。
ヴィッテル一家は、いい人たちだ。
だが、かなり抜けている。天然というやつだ。
……俺が守らなくては。
そう。今までの俺とは違うんだ。
兄と国に尽くして、使い潰されていた人生は終わった。
理不尽には抗う。不義理には憤る。攻撃されたら報復を。そして、こんな俺に親切にしてくれる、善良な友人を守って──大切なものを護る。
「ルゥさんも早く座ってくださいな」
「あ、はい」
突っ立っていると、朝食をこしらえ終わったマリィさんが椅子をすすめてくれた。
「おやおや? ルゥくんも朝が弱いの?」
と、先に食卓についていたアルルさん。
魚粥のいい匂いがする。
「そういうわけじゃないよ。……ん、俺『も』?」
ヴィッテル家の人々は、三人とも朝が強い。
エネルギッシュというかなんというか、陽の気を纏っているのもあり、朝から元気いっぱいだ。
朝が弱い人が、俺以外にいるのか?
「兄さんも、朝寝坊だったよね。騎士団でちゃんとやってけてるのかな」
ほう。アルルさんには、お兄さんがいるのか。
父子で騎士団勤めとは、なかなか優秀だ。縁故採用かどうかはわからないけれど、お父さんのほうの働きぶりが微妙だと、息子を採用しようとはならないからね。
「ああ、ロダンも頑張っていると聞いているよ」
「あの子はちょっと真面目すぎるので、心配だわ」
「大丈夫さ、カトリーナ様の元で上手くやってくれるだろう」
カトリーナ・シュタイナー──女傑と名高い辺境伯は、さすが配下の騎士団員からの信頼も篤いようだ。
シュタイナー領は、同じハイデル王国内とはいえ、ほとんど別の国ってかんじだからね。地理的にも遠いし、魔王国ヴァル=ネクルとの睨み合いのせいで、活発な人の行き来なんて期待できないしね。
「はい、どうぞ」
マリィさんが魚粥を出してくれる。
湖に生息する淡水魚の干し肉をたっぷり混ぜ込んだ麦粥だ。元日本人としては、もう少しお出汁の成分が欲しいけど。
だが、味は二の次だ。そんなことは、どうでもいい。
「…………」
ハンスさん、マリィさん、アルルさん。家族の食卓に俺がいる。
温かい時間だ。心が満たされるのを感じる。
ずっと俺が欲しかったもの。最後まで手に入れられなかったもの。
俺はヴィッテル家にとって、単なるお客さんだ。だが、彼らの暮らす日常を守るために、俺の魔術を振るいたい。頑張るぞ。
(……あの子にも、本当はこういう環境を用意してやるべきだったな)
灰色の髪の弟子を思い出す。
あの子は上手くやっているだろうが、どうにか次の仕事の手配くらいはしてやりたい。それが最低限の上司の責任だ。俺亡き後では、かなり立場は危ういだろうし。
とはいえ、こんな子どもの姿では、ハイデル城には近づけないだろうな。
入り込めたところで、俺を抹殺しようとした人間がどう反応するかは想像に難くない。
◇◆◇
さて。
食事をしながらハンスさんとアルルさんがポツポツと話している内容を聞いてみよう。
「とにかく、今は自警団の訓練を最優先にしたい。アルルには訓練で怪我をした者の治療をお願いするよ。もちろん、正式に精霊術士として謝礼を支払うつもりだからね」
「のんのん、謝礼とかいいから」
なるほどね、アルルさんは、ただ実家に帰ってきているわけじゃない。家業のお手伝いをしにきたんだ。
着任したばかりのハンスさんは、このロクアット湖畔村の人間を鍛えて自警団を立ちあげるつもりらしい。自分の部下だけで魔獣との戦いを進めるつもりはないみたいだ。
それが無事に軌道に乗るまでは、選抜や訓練、それから頻発している魔獣害──魔獣による被害への対処などを並行して行うわけだ。
なかなかのハードワークだ。
(それにしても、ハンスさん……というか、シュタイナー辺境伯騎士団はまっとうというか、誠実というか)
自警団の立ち上げは、ハンスさんのような職業軍人にとっては負担でもあり、脅威にもなりえる。素人の練兵をするなんて、一時的とはいえ憎まれ役を買って出ないと務まらない仕事だ。
それに将来的に武力を持った自警団が増長する可能性もある。そうなったら、ハンスさん自信と対立する可能性もある。さらに、もっと言ってしまえば、自警団が集落にとってマイナスの存在となってしまったときに、住民達は誰を糾弾するのか──自警団を立ちあげた、ハンスさんだよね。
正規の騎士団だけで警備を続けていたほうが、楽だし安全だ。
それでもなお、ハンスさんは自警団を立ちあげることを最優先業務に位置づけている。
「でも、お父さま。練兵で自分が顔面に痣作ってるって……ちょっとかっこ悪いよ?」
「アルル、そういう言い方はいけないわ。父さんはね、新入隊員の練兵が上手いからって、カトリーナ様からこの土地の守護を仰せつかったのよ」
と、マリィさん。
そうなのか。確かにハンスさん、人望厚そうだしな。
「自警団が軌道にのったら、引き継ぎの人員が来る予定だよ。僕なんかよりもよっぽど強くて頼りになる騎士がたくさんいるからね、シュタイナー辺境伯の配下には」
「ふうん。自警団って、そんなに大事なの?」
「もちろん。集落の人たちだって、ただ守られているだけでは卑屈になっていってしまうからね」
まっとうだ。あまりにも芯が通っている。
要するに、守る側と守られる側に自然に発生する力関係や、それに対して民が抱く感情に細心の注意を払っているわけだ。
すごいね。中央部のハイデル王国軍に、この気遣いがあるかというと……うん、ないな。
「それに、お父さま。私だけじゃなくて、すごく心強い助っ人がいるんだから!」
と、アルルさんが、魚粥を啜っている俺に微笑む。
「ルゥくんの魔術、すっごいんだから」
「ああ、それは知っているよ」
ハンスさんが穏やかに頷いて、頭上を見つめる。
「うちの屋根がこうして雨を防いでくれてるのも、ルゥくんが『修復』してくれたおかげだよ」
「あはは……」
屋根が吹っ飛んだ原因であるアルルさんが苦笑いした。
食事を終えて立ち上がったハンスさんが、俺の頭をくしゃりと撫でる。
「魔術を使えるとわかると、色々と苦労もあるかもしれないが……しばらくは、ここでゆっくり過ごしてほしい」
「はい」
「ルゥくんの力が必要なことがあれば、助けてね」
新鮮な立ち位置だ。
特別な力を持っている者は、己を犠牲にして当然──それが今まで俺が生きてきた世界だったからね。
「は、ハンスさん! いらっしゃいますか!」
そのとき、息を切らせた男の人が、一家団欒の場に駆け込んできた。
一家の主であるハンスさんは特に嫌がることもなく、男を迎え入れた。
男が動くとちょっと生臭い匂いが鼻につく、お魚系の。北側にある湖の漁師なのだろう。
「どうしたんだい?」
「ハンスさん、また……またあの蜘蛛が……」
魔獣の発生報告だった。
例のキモ蜘蛛か……げんなりするな。
「わかった、心配ないよ」
ハンスさんが大きく頷いてみせる。
「大丈夫。シュタイナー辺境伯騎士団がここにいる。それに、君たちのなかでも勇敢な者たちが、自警団として訓練してくれているところだ」
「は、はい」
「さあ、行こう」
「あ、私も……!」
アルルさんが、ハンスさんを追いかける。
俺も駆け出そうとしたところで、首筋にぐいっと衝撃を受けた。
「うげっ!」
「待ってくださいね、ルゥさん」
「マリィさん……?」
「子どもは安全なところにいてください。そうでないと、私がお父さんに怒られちゃいます」
「あ、ああ」
俺は大人しく頷く。
というか、そうせざるを得ないのだ。マリィさんによって、子猫みたいに首根っこを掴まれたままぶら下げられているので。
マリィさん、もしかして怪力では?
「大丈夫、私が守りますからね……これでも騎士の妻ですから」
あ、これ強者ですね。
◇◆◇
やっと偉大なるマリィさんの目を盗んで集落に出た。
……すでに蜘蛛型魔獣の被害があちこちに出ているな。
物陰に潜んで様子を窺ってみる。
さすが漁村というだけあって、あちこちに網が干してあったり、小舟が立てかけてあったりするのだ。
ハンスさんとその部下の皆さん、それから自警団のみなさんが応戦している。すでに怪我人もかなり出ているようで、アルルさんも精霊術で治療にあたっているようだ。
(苦戦してるなぁ……)
物陰から覗いてみる。
蜘蛛の素早さに苦戦しているみたいだ。ハンスさんはさすがに太刀筋もよいし、動き慣れているが……空振りが多い。あのままだと疲れてしまうだろうな。
(よし、俺がやるべきことは……)
魔力を練り上げて、蜘蛛型魔獣どもに向けて放つ。
「──属性は土、その有り様は足かせ」
地面がメリメリと動いて、素早く動く蜘蛛たちの足に粘着して張り付いた。
そうです、ゴキ●リホ●ホイの原理です。
やつら、足が細くて毛がびっちり生えているので完全に足止めすることはできないが、跳んだり跳ねたり、素早く走ったりといったウザめの動きはどうにか封じ込めた。
「……ん、魔獣の動きが鈍った?」
ハンスさんが、さっそく蜘蛛型魔獣たちの異変に気がついた。
「てい!」
で、きれいなフォームで魔獣たちを一刀両断。やっぱり、さすがだ。
先頭を切って魔獣退治に勤しむハンスさんの活躍に、一気に士気が上がる。
「よし、俺たちでこいつら倒すぞ!」
「ああ、蜘蛛なんかに俺たちのシマ荒らされて溜まるかよ!」
うん、自警団って……たぶん、あの言葉使いから判断するに、ロクアット湖畔村のゴロツキなんだろう。
でも、今の彼らの顔には自分たちの村を守るんだという誇りが滲んでいる。ハンスさんが言っていたのは、こういうことなのだろう。
(……よし、多少はいいアシストができたかな)
そろそろマリィさんが俺が抜け出していることに気づいているかもしれない。
今のうちに戻っておこう。
──そう考えていた、瞬間だった。
「あれ、ルゥくん?」
「わっ」
背後に立っていたのは、アルルさんだった。
「なんかガタガタ音がすると思ったら……危ないからついてきたらダメだよ?」
と、アルルさん。
どうやら、ハンスさんの大活躍を聞きつけてやってきたらしい。ここにアルルさんがいるということは、怪我人の処置は落ち着いたのだろう。よかった。
「ルゥくん、ちゃんと聞いてる?」
「う、うん」
「大人しくしてないとだめだよ。魔獣を全部倒したあとに、ルゥくんには修理を手伝ってもらうからね。無理しちゃダメだよ」
くどくど。
アルルさんがお姉さんぶったお説教をはじめた。
まあ、仕方ないね。危ないことをした子どもは、ちゃんと叱らないといけない。
「お母さまと一緒に留守番してるはずでしょ。きっと心配してるんだから早く帰らなきゃ……って、いや。まだデカ蜘蛛がいるかもしれないし、危ないよね……うーん」
「ごめんなさい……」
ここは大人しくお説教を聞いておこう。
って、待て。
腕を組んで仁王立ちしているアルルさんの後ろに、蜘蛛型魔獣がいる!
「アルルさん、後ろ」
「え?」
蜘蛛型魔獣が、物凄いスピードでこっちにやってくる。
デカい。元々デカいけれど、昨日のやつらよりもちょっと大きい気がするぞ。
「わ、我が声に応えよ、風──」
アルルさんが風精霊を呼び出そうと、ランタンを掲げる。
……だめだ、間に合わない。
俺はアルルさんとデカ蜘蛛の間に、身体を割り込ませる。
「属性は風、その有り方は刃!」
ほぼ口の中で言葉を転がすだけ。なるべく小声で魔術を紡ぎ、発動する。
目の前で細切れになった蜘蛛型魔獣が、声にならない断末魔を上げる。
べしゃっと体液が飛び散る。なかなかグロいな。
「る、ルゥくん……!」
「アルルさん、大丈夫だった?」
「うん。今のって……私の精霊術、だよね?」
怪訝な表情のアルルさんが、俺を見つめる。
バレたか、今のはさすがにバレたか?
背中にたらりと冷や汗が流れる。
結局、アルルさんはそれ以上は追及してこなかったので助かったのだけれど──アルルさんと一緒に家に帰った俺はマリィさんにたっぷりお説教をうけることになった。……アルルさんのお説教の五倍は「圧」があった。
──でも。
俺には改めてやるべきことがわかった。
(……この人たちを助ける。陰ながら、な)
けっして、悪目立ちしすぎないように。
それでいて、恩着せがましくならないように。
……運良く辺境伯領までやってきたのは、ラッキーだ。
ここで体勢を立て直して、俺を殺したやつらに復讐する機会を待つんだ。
──俺を助けてくれた人を、陰ながら助ける。
今度は、誰のためでもない。誰に奪われることもない……俺自身の矜持のために。



