巻き戻り大賢者は、やり直し人生を無双する~殺されかけた不遇な俺は、古代魔術で返り咲く~

 気持ち悪い。二日酔いだ。

 部署の飲み会は、いつもこうだ。体育会でヨットだかボートだかを漕いでいたのが自慢の上司は、とにかく乾杯をしたがる。

 ほら、「杯を乾かすと買いてカンパイ!」が口癖だ。もちろん、グラスに飲み物がなくならないと許されない。

 ああ、クソが……ん?

 いや、違う。そうだ。

 俺は二回目の人生でも死んだんだ。

 それも(おそらく)兄さんの策略で毒を飲まされて、殺された──と、思っていたのだけれど。

「い、てて」

 俺はゆっくりと起き上がる。

(……ここは、歩いてた森じゃないな。アルデバラン山麓か?)

 周囲を見回す。

 おそらく、毒を飲まされて死んだあと、殺害現場よりもさらに深い森の中に捨てられたのだろう。この森は普通の人間が足を踏み入れることのない、魔王国の領域近くだ。俺の死体が見つかることはないし、よしんば見つかったとしても()()()()()()()ってことにされるわけだな。

 とにかく、奇跡だ。まだ生きているらしい。

 かなり強い毒だったはずだけれど──保険が効いた。

「古文書にあった蘇生術……まさか、本当に発動するとはな」

 そう。俺は保険をかけていたのだ。

 一度だけ、死をキャンセルできる魔術である。

 すごくないか?

 俺の日々のタスクに、集めた古代の魔術書を解読するというのがある。今、この国には魔術の才能を持って生まれる人間は少ない。だが、大昔にはけっこう高度な魔術文明があったっぽいんだよな。

 で、俺はその古文書の中にあった『死から蘇生する』という魔術を使っていた。

 この魔術を発動するためにはかなり大量の魔力が必要だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というのはネックだったけれど。

 もしもの時に備えていて、本当によかった。

 まあ、魔力の残りを気にしなければ、森で独りトボトボ歩いていることもなかったし、近衛伝令団長に殺されることもなかったのかもしれないが。

「……とりあえず、俺は生きてる」

 言葉にしてみて、初めて実感する。

 俺は、まだ生きている。

「生きてる、生きてる」

 ありがとう、かつての俺。ワンチャンスに賭けて、死をキャンセルできるとかいう眉唾な魔術を試してくれてて。かつての魔術師の皆さんにも感謝だ。すっっっっげえ魔術を開発してくれてて。マジでありがとう。

 ──ありがとう、俺にやり直す機会をくれて。



 ◆◇◆



 俺はまだ生きている。 嬉しいね。

 とはいえ、やっぱり身体の感覚がおかしい。

「……喉渇いたな」

 よろよろと立ち上がろうとするが、まだ上手く手足が動かない。

 それになんか、声も変だ。甲高い。

 とりあえず水を飲もう。

 ええっと、魔力は……問題なさそうだな。

「──命じる。属性は水、その有り様は泉」

 手をかざして、飲み水確保のために魔術を使う。属性と有り様を定義する、この世界の魔術の基礎中の基礎ってかんじの術式だ。これを火属性を指定して展開すると、足元一帯が火の海になるわけだ。マグマみたいにね。

 ざばばばぁ、と地面から景気よく水が噴出する。

 ん? なんだか意外と疲れてるみたいだな。この程度の魔術だけど、魔力の量が心許ない。力の加減ができてないのかもしれない。

 とりあえず、小型の泉を出現させることには成功した。これで飲み水には困らない。魔術で出した水だから、腹を壊す心配もないし。

 まずは水分補給をしよう。喉がカラカラだ。頭も痛いし、胃も気持ち悪い。

「うう、水、水」

 自分で出現させた泉を覗き込む。

 そこに映った姿を見て、俺はフリーズした。

「は? え、誰この子?」

 水面に映っているのは、子どもだった。

 年齢はおそらく十歳ちょっとか。小学校高学年、あるいはギリ中学生になったかならないかってかんじだ。

 ほっぺたの丸みが残ってて、あどけない印象。

 ん、ちょっと待ってくれ。

 ……これが俺の姿ってことか?

 俺は、毒殺されたと思ったら、必死になって研究していた古代魔術のおかげで死の淵から蘇った。……ガキの姿で。

 いやいや、ガキとか言っちゃいけないな。お子様です、お子様。

「な、なんで?」

 いや、理屈はどうでもいい。結果がすべてだ。

 成人男性の平均くらいあった身長は縮んでいるし、往年のV系かってくらいに濃かった目の下のクマもない。王族として、一応きちんと感を出そうと、ジャストサイズで着ていた服もぶかぶか──それが今の俺。

「意味わからん。でも、ちょっと、いや、かなり興味深いな!」

 いわゆる『魔力』と呼ばれるものが、いわゆる生命力みたいなものだという仮説を立てると説明がつくな。死から復活するために大量の魔力を使ったということか。

 蓄えた魔術の知識を総動員して考える。

 今になって思えば、王族というのは名ばかりの冷遇された日々で、魔術の勉強だけが俺の心の安らぎだった。

「あるいは、蘇生魔術が単純な時間の巻き戻しという可能性も……」

 俺は考えながら歩き始めた。

 水の確保は問題ない。食べ物は森の中で調達できたら御の字だ。



 ◆



 丸一日歩くと、森の景色が変わってきた。

 現在地は不明だが、とりあえず俺の殺害現場からは遠ざかった。犯人は現場に舞い戻るっていうし。

 今の俺の状態を知られるのは得策ではない。死んだと思ってもらえているのならば、そちらのほうが都合がいいからね。

 近衛伝令団長を使って俺を殺した人間には、いつか自分がしたことの意味をわからせてやる。

 俺はもう、我慢しない。

「方角的には、王都からも遠ざかっているはず……ん?」

 

 ──人間だ。



 それも、若い女が、必死に逃げている。

「た、たすけて……っ」

 よろめくように走る女を追い詰めているのは、魔王国ヴァル=ネクル周辺に生息する、獣型の魔物だ。

 ヒトの言葉を解さない、もっとも知能の低いタイプの──はい、デカくて凶暴で人間のことが大嫌いなオオカミです。かなり獰猛なやつ。

 だが、何か妙だ。

 あの魔獣は、本気ではない。

 まるで遊ぶように、女を追い詰めている。

「……命じる。属性は風。その有り様は、囁き」

 周囲の風を操り、聴覚を強化する。

 俺の耳に、卑下た声が聞こえてきた。

「ハハ。こんなとこに、いいカモがいたな」

「可哀想にねぇ? さすがにこんな場所に助けはこないよ」

「そう。俺たちの他にはな」

 感覚を鋭敏にした俺にしか聞こえない声は、逃げ惑う女を嘲笑っていた。

「ほら。助けてほしいなら、金とちょっとの奉仕。それで手を打ったらどうだ」

 とかなんとか抜かしている。

 俺は物陰に身を潜めた。 

(こんなところに、人間……?)

 ヴァル=ネクルとの国境線上の森には、あまりヒトはいないはずだが。

 それこそ、魔王国からの斥候を警戒するために見回りをしているハイデル王国(ラント)の兵くらいだ。

 魔獣に追い立てられている女が、意を決したように杖を振りかざす。

 杖の先にくくりつけた、簡素なランプのようなものが揺れた。

(……あの子、精霊使いか)

 この世界に偏在する精霊の力を借りて、奇跡の術を行う技術だ。あのランプのようなものは、精霊籠。あの中に契約する精霊が宿っている。

「我が声に応えよ、風精霊(シルフィ)!」

 少女の呼び声とともに、ランプから鋭い風が噴出する。 

 吠え立てる魔獣を一瞬怯ませることに成功した。が、状況をひっくり返すことはできない。

「ギャオォォ!」

 風精霊の攻撃に怒り狂った魔獣が、明確な怒りを表す。

「ひっ」

 精霊使いの少女が魔獣の迫力に腰を抜かした。

 さっきの一撃が彼女にとって最後の切り札だったのだろう。それが無効だった段階で、彼女の心は折れたのだ。

「……」

 俺は思った。

 あれはもう、ダメだろう。

 俺が隠れている場所から彼女が八十メートルくらいだろうか。

 彼女が事切れれば、あの魔獣を差し向けている奴ら――男女、おそらく三人ほどの無法の輩――が正体を表すだろう。あるいは、可能性は低いけれど、ゆすりまがいのことを言っていた彼らもさすがに目の前の少女を助けるか。

 ああ、こういうときには、妙な正義感を出さないのが長生きするコツだ。俺だって昔は目の前の誰かを救いたいと思って、あれこれ足掻いたよ。だけど、結局は俺のやったことは無駄だった。大昔には、孤児だったコルネリア(希少な魔術師で俺の秘書まがいのことをしてくれていた彼女)を拾ったりね。でも、それが原因で彼女には非常に厄介な目に合わせてしまったのだけれど。

 そう、とにかく、俺には精霊使いのを助ける必要はないし、そうするべきではない。

 王族としてするべきことは、大いなることだ。

 ハイデル王国の王族として、勝手なことはできない。俺の気まぐれで、王族の名を汚すことは許されない。

 今は俺だって緊急事態に陥っているし。

 ……、…………。

 ああ、そうだよな。

 ()()()()()()()()()()

 ああ、ああ。そうだよ。

 少し前までの俺だったら、王弟として、王国に籍を置く魔術師として、彼女を見捨てていただろうさ。

 だが、今は。今の俺は、誰なんだ?

 身内に殺されて、()()が発動したおかげで蘇ったはいいものの、身体が縮んで、この有り様だ。おまけに、ここがどこだかすらわからない。

 精霊使いの彼女が何者なのかは知らないが、これだけはわかる。

 ……人間に魔獣をけしかけて、笑いながら嬲れる奴は、まともじゃない。

「ハハ! さあ、助けてほしいなら、そう言えよ」

 腰を抜かしている少女を嘲け笑う声を聞いたと同時に、俺は駆け出していた。

「あ、あ、たすけて……風精霊様……!」

 少女はか細い声をあげて、自身が契約し使役する精霊の名を呼ぶ。

 俺は走りながら、魔力を練り上げる。

「さがって!」

 思ったよりもモタついたが、ギリギリで俺は魔獣と少女の間に身体を割り込ませた。……本当に時間かかったな。短い足なので。いや、正直普段から魔術に任せた仕事ぶりだったもので、普通に運動不足だってのもあるかも。

「えっ、子ども?」

 精霊使いの少女が声をあげた。

 というか、子どもって俺のことか。そうだよな。俺から見たら『少女』だが、彼女からすれば俺の方が何歳か年下に見えているのだろう。

 突然、目の前に身を躍らせてきた俺に魔獣がけたたましく吠える。

 俺が口の中で転がした詠唱は吠え声にかき消される。

「――命じる。属性は風、その有り様は……濁流」

 組み上げた術式は問題なく発動し、俺の手から限界まで圧縮された風が爆ぜて放たれる。

「ギャオ」

 爆心地なき爆風を喰らった魔獣が、短く間抜けな声をあげてぶっ飛んでいく。

 さっきの風魔術の直撃を受ければ、よくて内臓破裂レベル。オオカミ魔獣は助からないだろう。

 そして。上空にぶっ飛んでいく魔獣を、間抜けな顔で見上げている男女三人組がいた。

「は、何今の……なんで子どもが?」

「おい、もしかしてヤバいんじゃないか!」

 なんとも、間抜けな声がする。

 俺が放った風が到達する一瞬前の、無防備で間抜けな表情を晒している人間たちだ。

(……ハイデル王国の軍服?)

 その事実を認識したと同時に、奴らが突っ立っていたところに風が到達する。

 人間は魔獣よりも軽くて弱い。人間たちは俺の放った突風に巻き上げられ、あっという間に吹っ飛んでいく。

「うおおお、なんなんだよ、これ!」

 かろうじて、三人組のうち一番まともな腕っぷしをしていそうな男が木の枝にしがみついていた。

 魔獣と戦うはずのハイデル王国の人間が、どうしてこんな場所で追い剥ぎまがいのことをしているのか。それも、魔獣をけしかけて。

 色々と聞きたいことはあるが、今はそれどころではない。今、虫の居所がかなり悪いんだ。



 ──他人を理不尽に虐げるようなゴミくずは、消し飛べ。

 

 吹き荒れる風の濁流は止まらない。枝にしがみついて少しばかり耐えていた男も、ついに吹き飛んでいった。絶叫が聞こえる。

 ……あの高度から落ちたなら、よくて全身打撲といったところだろうか。生きているといいね。

 

「い、今のって……?」

 背後の少女が、呆然とした声で呟く。

 あー。ちょっとまずいな。

 魔術師というのは、かなり希少な存在だ。そのほとんどは王国に仕えているか、あるいは王侯貴族側の人間かなのだ。ここは適当に精霊術の一種とかって誤魔化したほうがいいかもしれない。とはいえ、精霊使い相手にそんな言い訳が通用するかは、一か八かの賭けだけれど……なんて思っていたのだが、俺の懸念は杞憂に終わった。

「すっご!! 今のって、私の精霊術!? やばやば!!」



 ◆



 不思議な気持ちだ。

 後先考えずに、怒りにまかせて力を振るったのなんて、いったい最後にしたのはいつのことか。

 理不尽を見て見ぬフリをしない。己のなかの正義を信じる。

 ……それだけのことを、俺は今まで諦めていた。

(とにかく、俺は……この女の子を助けた、んだよな)

 魔獣に殺されるはずだった少女は、なぜか俺の前で腕組みをし、仁王立ちになっている。もちろん、浮かべているのは笑顔なんかじゃない。とっても怖い顔をしている。

「きみ、反省しないとだよ?」

「は、はい」

 まあ、まっとうな指摘だろう。鉄火場に子どもが飛び込んできたら、叱りつけるのが年上の役目だ。

 ……今の俺の見た目がお子ちゃまであることを思い知らされる事案である。

 神妙な表情を浮かべる俺に、精霊使いさんはちょっと語気を和らげた。

「うむうむ。急に飛び出してきたのはビックリしたけど……私を助けようとしてくれたんでしょ? その心意気や立派です!」

 精霊使いの少女が、うんうんと深く頷いている。一人で何か納得しているみたいだね。

「どもども、私はアルル。風の精霊様と契約している、精霊使い」

 アルルは、短く切りそろえたうねりの強い藍色の髪を揺らして微笑む。

 くりくりとした好奇心旺盛そうな瞳と、しゃんと伸びた背筋。

 元気いっぱいのお嬢さんだ。

「それにしても、よかったね。私の風精霊術が炸裂して! 危ないところだったよ?」

「は、はい」

 本当は俺の魔術が炸裂したんだけどね。

 ややこしいことになるから、このまま勘違いしておいてもらおう。アルルさんが精霊使いであることは本当だし。

「それで、あなたは?」

「ルー……」

 おっと、ちょっと待て。

 俺は名乗りかけて、言葉に詰まった。

 ルーデンス・ハイデルベルグ。それが俺の名だ。ハイデル王国を統べる王家の名を冠した姓はもってのほかだが、「ルーデンス」という名も知られないほうがいいだろう。王弟としての俺は、それなりに名前が知られている。普段の冷遇で忘れがちだが、俺は一応は王族なんだ。

「ルゥ? ルゥくんっていうの?」

「あー、うん」

 いい感じの勘違い、ありがたい。

 アルルさんの勘違いに乗っかることにしよう。

「ふむふむ。で、ルゥくんはどうしてここに?」

 おっと、難しい質問だ。

 大人の姿なら「まあ、色々と」とか言葉を濁しておけばいいけれど──発言者が子どもの場合、その手が通じるかどうかは相当微妙だろう。子どもの発言権は弱く、同じくらいに黙秘権も弱い。どこの世界でもね。

「ええっと、その……迷子に」

「迷子? なんでこんなとこで?」

 目を丸くしているアルルさん。まあ、それはそうだろう。

 魔王国ヴァル=ネクルとの国境にある森は、魔獣の森と呼ばれている。魔王軍が兵力として用いている以外にも、野性の魔獣が多く生息する危険地帯だ。たしかに子どもがうろついているのは不自然だったか。

「まあ、自分で来たわけじゃないっていうか」

「ってことは……なるほど、なるほど」

 アルルさんが大きく頷く。また何か一人で合点している。

「その、慰めになるかはわからないけど、その……よく聞く話。きみみたいな年頃の子が魔獣の森に捨てられてしまうというのはね」

「あ、はい。どうも」

 なるほど、捨て子か。そういうことね。

 ただでさえハイデル王国の村々は貧しい。いわゆる口減らしというのも、当たり前に行われているのだろう。一応は施政者側にいる人間としては、頭が痛いことだ。

「で、アルルさんはどうして一人で魔獣の森に?」

「え、私?」

「はい。その、アルルさんも、ぼくとそんなに歳変わらないっぽいんで」

「むむっ」

 アルルさんがちょっと唇をとんがらせた。あれ、もしかして機嫌を損ねてしまったかな。

「こらこら。私、こう見えても十七になりますが?」

「えっ」 

 しまった。十三か十四くらいだと思っていた。

 なんというか、かなり色々と控えめな体格なので。

「まあ、まあ! いいよ、許す。少年の背伸び心を尊重しましょう!」

「は、はぁ」

 背伸び心ってなんだ、それは。

「たぶん、私は君よりおねえさんです。それだけは忘れずに」

「そ、それで、アルルおねえさんは、ここでなにを?」

 おねえさん。言っていて恥ずかしくなる。

 でも、アルルさんはご満悦で俺の質問に答えてくれた。

「私は里帰りの途中なのですよ、父がこのたび領地の守護者の任務を賜りまして!」

「領地? 守護者?」

 耳慣れない言葉だ。ハイデル王国中央の制度ではない。

 俺が首を傾げていると、アルルが得意げに(どこか「おねえさん」っぽい口調で)説明してくれる。

「各地に直属の騎士団員を配置して、魔族たちから領民を守る……我らが辺境伯カトリーナ・シュタイナー様の采配だよ!」

 辺境伯シュタイナーといえば、女傑と名高い名将軍だ。

 ハイデル王国の中でも、王都を主に守っているハイデル近衛軍の手が届かない辺境地を広く治めて守っている。

「そっか、ここはシュタイナー領なのか……」

 かなり歩いたもんな。

 子どもの足とはいえ、丸一日以上歩き通しだったし。

「……ねえ、ルゥくん」

「はい?」

「その、靴なんだけどさ」

「ああ、靴」

 身体が縮んでしまったおかげで、服も靴もブカブカだ。服はそういうファッションに見えなくはないかもしれないけれど、さすがに靴はおかしかったかな。

「なんかさ、色変じゃない? もしかして、血?」

「あー……」

 そうです。ぶかぶかの靴で歩き通しだったせいで、靴擦れができています。

 正直、痛くて仕方ない。靴擦れってのは日常で生じる痛みのなかでも、かなり耐えがたい部類だよね。

 意識した瞬間に、ズキズキと肉と神経を抉られるような痛みを感じ始めた。

「こらこらー! 『あー』じゃないでしょーっ! 足は旅人の命、靴は鎧よりも大事!」

 アルルさんが血相を変えた。

 俺の靴を脱がせて、手当を始める。彼女の背負っているバッグには包帯や薬がたっぷり詰め込まれていた。

「里帰り中なのは本当だけど、精霊使いとしてのお仕事はちゃんとやるよ」

「お仕事……」

 アルルさんは旅の精霊使いらしい。

 各地を旅して契約した精霊の力を使って人助けをし、その対価を得る人たちだ。

 王都やハイデル軍にも精霊使いは所属していたのだけれど、実際にその技を見るのは初めてだった。

 というのも、精霊術って、ちょっと怪しげなものとして捉えられているんだよね。わずかな人間が使うことのできる魔術のほうが何故か高級な扱いだったりする。希少価値ってやつかな。

 ……まあ、意味不明だけど、人間ってそういう序列みたいなもの付けがちだよね。

「風精霊と水精霊は、それぞれ癒やしの力を司るんだよ」

 アルルさんが俺の靴擦れに手をかざしながら、軽く講義をしてくれる。もちろん、俺にとってはすでに知っている事柄だけれど、黙って耳を傾けた。なんていったって、アルルさんは『おねえさん』だからね。

「わ、こりゃ酷いね。痛そう」

「痛いです」

「私の契約している風精霊は外傷を癒やすのが得意だからね、安心して」

 アルルさんがランプをかざして、風精霊を呼び出す。

「──我が声に応えよ、風精霊(シルフィ)

「おお、痛くない」

 緑色に淡く光る風精霊の力が、靴擦れを撫でる。あっという間にぐずぐずだった傷が乾いて、塞がった。

 正直、かなり助かる。

「どう、ルゥくん?」

 慈愛と期待に満ちた瞳で、アルルさんが俺を見つめている。

 年上(うん、彼女は断じて年上だ)の人間にこんなふうに心配されたのなんて、こっちに産まれてから初めてだ。

「すごくいいよ。ありがとう、()()()()()

「うむ、うむ。よろしい!」

 アルルさんは嬉しげに笑った。





◇◆◇



 というわけで。

 アルルさんに保護された俺は、彼女の里帰りに同行することになった。

 旅は道連れとはよくいったものだけれど、まあ、正直に言おう。

 ……俺、かなりの方向音痴なんだよね。

 木、木、樹木、木ってかんじの景色が続くこの森を一人で抜けられるとは思えない。

 キッズサイズに縮んでなければ、魔力が回復次第力業で王都まで帰るところだったんだが、今はそうもいかないからね。



 アルルさんの実家に向かう道すがら、アルルさんはよく喋った。ちょっとうるさいくらい。

 いわゆるこの世界の『一般人』と、こんなに長い時間喋ったのは初めてのことだ。王城産まれ王城育ちだからね。城勤めの使用人たち以外は、軍人とか魔術師とか、なんらかの技能をもった人とばかり接してきた。ちょっとした仕事のついでに、市民と交流したり、魔術の才がある子どもを保護したりってことはあったけれど、あくまで散発的なイベントだった。

 アルルさんとの会話は、なんだか新鮮だ──とか思っていると。

「ねえ、ルゥくんは魔術って見たことある?」

 唐突に、話を振られた。ビクッとしちゃうね。

「え、なんですか。急に」

 なんですか、藪から棒に。

 俺はあくまで、この森に捨てられてしまった少年ですが。

 アルルさんは続ける。

「大昔に失われた『魔術』を蘇らせた大賢者様は知ってるよね? あのね、これはあくまで噂なんだけど……その大賢者様、今の国王陛下の、弟らしいんだよ」

「へ、へえ」

 どこで聞いたんだろう。

 アルルさんは飛びきりの秘密を打ち明けるみたいなテンションで教えてくれる。当の本人である俺に。

「すごいよね。失われちゃってた技術を元通りにするなんて。……でも、国王陛下の弟って人は人前に出てきたことがないらしいんだ」

 まあ、忌み子だからね。

「そ、そうなんだ」

「もしかしたら……大賢者様として、裏からハイデル王国を操ってたりして!」

「いやいや、そんなことはしてない」

 って、思わずツッコミを入れてしまった。まあ、王都周辺に魔術的な結界を張るくらいはしてたけど。そういえば、あの結界も張り替えなくちゃいけないんだった。まあ、今となってはどうでもいいことだが。

 俺のツッコミをスルーして、アルルさんは特に怪しまずに続ける。

「でね、でね。王都方面でヴァル=ネクルとの大きな戦闘があるっていうから、怪我人の治癒のために精霊使いが招集されてたの。それで私も前線に向かっていたんだけど」

「そうなの?」

「うんうん。魔術なんて見たことないからさ、一度見てみたかったな~!」

「や、やめておいたほうがいいよ」

 こんな天然モノのドジっ子があの現場に。考えただけでも恐ろしい。

 むしろ辺境では、こういう感じの子が一人旅をしているのか。それくらいに魔族や魔獣が抑え込めているということだもんね。敏腕だな、シュタイナー辺境伯。

「どしたの、ルゥくん」

「え、いや別に!」

「反応薄いなぁ……んー」

 アルルさんがにっこりと俺に向かって微笑んで見せる。

「大丈夫、心配しないで。お父さんの名にかけて、アルル・ヴィッテルがきみの安全は確保する。それに魔獣が出てきても、私がさっきみたいにすっごい精霊術で倒しちゃうんだから!」

「……うん」

 そうか、アルルさんは俺……つまりは、魔獣の森に捨てられた子どもを励まそうとして、やたらと明るく振る舞っていたんだ。空元気に見えないといえば、嘘になる。でも、こんなに若いのに立派な心根をしている。

 アルルさんはしゃがんで、俺の頭をぽんぽんと撫でる。

 それから、ぎゅうっと短く強く俺を抱きしめた。

 ……温かい。

 こっちに産まれてから、今まで一度も感じたことのなかった感覚に、俺は不覚にもちょっとジーンとしてしまった。

 いい人だな、アルルさんは。本人が家庭を望めば、きっといい母親になるタイプだ──とか思っていたのだけれど。

 アルルさんは立ち上がって、にへへっとだらしない笑みを浮かべた。

「それにしても大賢者様って、きっとイケメンなんだろうなぁ! 国王陛下の肖像画も、すっごくカッコいいし!」

「お、おう」

 ……やっぱり、ただの脳天気な女の子なのかもしれない。



 まあ、でも。

 目覚めたときに感じた煮えたぎるような憎しみや怒り、それと焦れるような復讐心は、ちょっとだけ落ち着いているみたいだ。それは間違いなく、アルルさんのおかげだろう。

 俺を殺した奴を許すことは絶対にないけどね。