ふり向いてくれよ、アマデウス

 お節介だというのは重々承知だけど、何かしてみたくて、こうして弁当を二つも作って抱えて中庭に向かっている。

 クラスでの撮影は十分に素材がそろったのか、それともやはりさすがに単位がますくなったのか寿瑪は教室に来ないつもりらしい。二週間ぼっちだったけど校内にいる間は雛鳥みたいに後ろをついて回っていたのに、なくなってみると寂しさも感じなくはなかった。

 きっともう昼ごはんのシーンだってひとつもいらないだろう。話しかけたときみたいに「いらない」と断ればいいのに、彼はベンチに先に着いていた。今度は手元でカメラを遊ばせているのに、どうしてかほっとして駆け寄る。差し出した弁当を素直に受け取ってもらえた。

 メニューはからあげとごはん、梅干し、ホウレンソウとベーコンの和え物と卵焼き、小さいチーズ。まずいと残されても困るので小さめの弁当に入れてみた。まじまじと箱を回し見てから、寿瑪が蓋をあける。

「え。これ作ったんだ」

 ふふんと自慢げに鼻を鳴らしてみる。スマホを取り出して写真を数枚撮っている彼の横に腰を下ろして、僕も弁当箱を広げた。真っ先に野菜を口に入れる。彼も見様見真似で野菜を食べだしていて、思わず笑いだしそうになった。

 どうやらまずくはなかったらしい。寿瑪の箸は順調に進み、半分がさっさと食べられており、準備したものとして喜ばしかった。一日程度で結果は出ないと思うのでこの餌付けを継続したいなと僕もからあげを張る。下味をしっかりつけたのでおいしいが、おかげで寿瑪ががっついたのかむせていた。

「早食いはよくないよ。よく噛まないと」

 わかってる、と咳の合間に寿瑪が返事をする。背中をさすろうと手を伸ばしかけ、はた、と止めた。

 さきほど藤元さんに怖い顔を向けていた彼の顔が頭をよぎる。藤元さんですら、あの曲を弾きたくないと強情になっている僕に気を使ってくれている。

 しかし寿瑪は違う。あれだけ自然体を撮りたいと主張してきていたのに、そこだけは自分の意志や願いを強行しようとしている。

 実際コンクールの勝敗については、小さかったがネットニュースになったほどだった。僕を持ち上げるムーブメントが落ち着いていてくれたから騒ぎにならずに済んだだけで、ファンからも心配に声がいくつも届いていたし大事になりかけていたのだ。一位の人にはとても悪いことをしたと悔やんでも悔やみきれない。

 この男は僕の父親のことも調べ上げていた。いや、すぐネットで検索をかければ出てくることではある。だが大会の記事も同様にトップに出てくるはずだ。知らないとは言うまい。肺呼吸が浅くなっていることに気づき、急いで鼻から息を大きく吸った。

 あぁ、だから聞きたかったんだ。どうして撮影してるのかも、どんな風に僕の演奏をとらえたのか。この人になら僕の感じているズレや苦しさが見えているのかもしれない。思いついたことが全部混じり、体が急激に冷えていく。

 食べ終わって空になった弁当箱を寿瑪が物悲しそうに見つめている。食に対して興味がないと言い切った男が突然豹変していて戸惑った。

 つい数分前まで彼から与えられた熱を思い出したり、シェフとしての喜びをかみしめていたってのに僕もおかしくなっている。

「ねぇ、いつでもいいから、藤元さんにちゃんと謝ってほしい。あんなにらみつけるなんてどうかしてるよ」

 背中をするのはやめて、地面を歩いていた蟻の行方を眺めた。

「彼女が一番伴奏が上手なんだ。断られたら困るから、自分からきちんと謝罪して」

 口から自動で音声が出ている気分だ。考えているのとは違う言葉が吐き出されていく。考え抜いた解から目をそらしたがっているのかもしれない。寿瑪から反論が来ないようにまくしたてた。

「明日からいよいよ定期演奏会の練習に入るし、また練習ばっかりの日々になるけど。取れ高があるといいね」

 スッとベンチから立ち上がる。しかし腕をしっかりとつかまれ、前につんのめった。

「もうそろそろ昼休み終わるし、クラスに戻りたいんだけど。他に用事があった?」

「わかった。あの子には謝るから。なんで怒ってるんだ」

 寿瑪には背を向けている。もしかしたらいま、カメラが回っているかもと思うと不安がうねりを上げて混み上がってきた。腕を振るが離してはくれず、力が強くなる。「怒ってない」と声を張った。

 だめだ。怖い。もし、もし彼が僕を落ちた天才だと描きたいというのなら、事実だからありのまま描き出される。

 ……そんなことをされたら、もう二度と自分と向き合えなくなる。

 振りほどこうとした手はまだ僕をつかんだままだった。背後で弁当箱が落ちて地面にぶつかった音がしたからビクッと体が震えた。寿瑪も立ち上がったらしく、見下ろされている気配を感じ取る。息をつめた瞬間、彼の腕が僕の腹に回されぐっと体がくっついた。

「なに、」

 彼の大きな手が服越しに腹を撫でてくる。そこがじんわりと温かくなって、慌てて引っぺがすためにつかもうとしたのだが叱られたことを思い出し躊躇した。

「アマデウスは弾けるから」

 耳元に顔が近づいてきてバリトンで囁かれる。さらに体が密着していく。

「俺が聞いた中で一番うまかったのはきみの演奏だ。絶対に変わらない。自分がどう思っていようが、アマデウスは小鐘奏音以外ありえないんだよ」

「すず──」

 もう片方の手が僕の顎に添えられて無理やり目を合わせられた。黒曜石みたいな目の奥が、赤みをはらんでいる。なにもかもに感情を動かなさそうにしていたのに、藤元さんのときからずっとこの目になにかを訴えられている。わからない。僕はきみみたいな天才じゃないから、どれも予想が浮かばないんだよ。

 思っていた以上に距離が近く、彼の鼻先がぶつかりそうだ。不意に脈が速くなる。あれ、ていうかこのままだとロが当たりそうじゃないか。耐えられず肩を強く押せば寿瑪の体がようやく離れてくれた。

「もっと素直になった方がいいんじゃない?」

「は? な、なん、どこが素直じゃないんだ」

「そういうところ。俺に訊きたいことがありそうなのに言わないし」

 カッと熱があがったところで呼びチャイムが鳴った。寿瑪は弁当を拾い上げると軽く振って、笑顔、いや口角をあげた。また見た事のない顔をして!

「おいしかったからまた作って。それじゃ、放課後に」

「さっさとどっか行け!」

 拳を握って叫んでいた。彼はくつくっと喉を転がしながら校舎の方へ歩いていく。

なんなんだよ、もう。喜んだり怖くなったり恥ずかしくなったり、自分の感情がせわしない。こんなの初めてだ。どうすればいいんだ。