「この世界は五つの国が存在する。一つ、『富国』という名の『人間族』が住み、『工業技術』が栄える国。一つ、『聖国(せいこく)』という名の『妖精族』が住み、『聖なる加護』が栄える国。一つ、『響国(きょうこく)』という名の『人魚族』が住み、『音楽』が栄える国。一つ、『想国(そうこく)』という名の『亡霊族』が住み、『記憶』が(よみがえ)る国。一つ、『夢国(むこく)』という名の『妖狐族』が住み、『真偽』が栄える国。これらの国は栄えているものが異なる。それによる対立も盛んである。分かったかい。ベルタ」

 幼少期のころ、私の父は使い古された絵本を破れないようにゆっくりページをめくりながら、穏やかな声で読み聞かせてくれた。父の声は落ち着きのある、よく眠れて、大好きだった。
 いつか、旅で世界を見たいと夢に見ていた。
 
 あっという間に月日が経ち、父が治らぬ病気で他界してしまった。
 それを節目に、ずっと前から考えていた旅の計画を実行しようと決意した。
 父が残してくれたお金は貰ったが、世界を回るには働かないと生きていけない。
 だから、大人になってもお金が稼げるように、薬草学に手を付けていた。
 旅に出る準備と決意が整った。
「では、行ってまいります。」
 父と暮らした家の扉を開けると晴天なのが、日光の暑さでいやでも感じてしまう。
 しかし、扉が開けてしまったせいか、父とのたくさんの思い出がそこら中に飛んで行ってしまう。
 勢いよく閉めた扉は少しぼろついてはいるものの、頑丈だ。
 家は森の中に建っているため、自然の香りが日常的にしみ込んで、家から距離ができるにつれて名残惜しく、今にも思い出を振り返って、顔が雪崩のように崩れてしまいそうだ。
「決意を決めてきたんだ。泣いても誰も助けてくれない。信じるのは己のみ。」
 父の口癖が不意に出てしまった。やはり無意識でも悲しさはこぼれてしまうのだろうか。
 ベルタは、悲しみを人の前で見せない意志を持つ。
 まさに我慢強い少女である。だからこそ、聡明かつ勇敢さを備えている。
 ベルタの家は人間の国「富国」の町から少し離れた森の中、言わば田舎である。

「まずは、隣国の聖国を目標に出発しようかな。」
 町の屋台で買ったであろう、焼き肉の棒を片手に、苦手な地図読みを一生懸命顔と睨めっこしている。自分でどうにかしようと頑張るところは母譲りかもしれない。
 しかし、ベルタは母の顔も、声も知らない。なぜなら、物心つく前に亡くなっているから。ベルタの記憶上では一欠片も残っていない。なんと嘆かわしいことだろう。実の母のことを思い出せないのは「運命」という言葉では言えないほどの穴がある。
 あまり思想は語りたくないが、人は心の拠り所を常に求め、己を否定したくないから、相手を貶し、精神の安定をしている。どの世界でも変わらない。人種差別をして、戦をすれば、どうにかなると考えている。なんと無様で滑稽なのかが手に取るようにわかる。

「あんなところに本屋なんてあったんだ。この世界のことについて書かれた本あるかな。旅に役立ちそう。」
 本は、後々の計画立てに便利なものだと思う。そして知識や歴史を司る化身。
 この考え方が、とある部族の習わしであると聞いたことがある。しかし、時には偽りという名の嘘がまき散らされている。歴史において「噓も方便」という言葉も大切である。物事の秩序を保つためでもあるから。
 本屋のドアを開けた瞬間に香る独特な匂いは落ち着く。ベルタにとっては心が安心するようなものだ。古く年季の入った建物だが、本の量は多く、種類も豊富だ。
「えぇと、歴史、れ〜。どこにあるんだろう。」
 この本屋はジャンル分けされており、ベルタは連呼しながら辺りを見回していた。
「あった。やっぱ、歴史となると本が分厚いな。あ、この本、歴史ともっと詳細な地図がある。」
 珍しくわかりやすい本は今後にも役立つ可能性が大幅に高い。
 ウキウキな気分を辺りに散りばめながら、本を買って、スキップするように本屋を後にした。
 地図を見ると現在地から聖国の国境までは馬車で三日はかかりそうな距離だ。
 周りを見回すと、事前に用意していたのかと疑ってしまうところに、休憩中の乗降車(馬車)がちょこんとしていた。
「聖国に行きたいのですが、いくらかかりますか。」
「あぁ。がきじゃねぇか。お前を一人で乗せる気はねぇよ。ガキは大人しく、家で親に甘えていろ。」
 舐めたように罵るこの男は典型的なクズだと容易に想像できる。
 ベルタは心自体、優しいものの、弱き者を罵倒して馬鹿にする者を決して許さない。まるで正義感の強いヒーローと自称している者のようだ。
「てめぇ、いい加減にしろよ。人が丁寧に聞いているのに、上から目線でなめてんじゃねーぞ。」
 こうなってしまうと、ベルタを止める方法はない。届かぬ声は頑丈な壁を突き破ることができないのだ。
 ベルタは昔から口が悪い。俺が死ぬまで治らず苦戦していた。しかし、この立場からすると可愛らしいというかなんというかだ。
「ねぇ、お兄さん、そこら辺にしておきな。死ぬよ。」