片羽の僕たちは ~あなたのお気に召すままに スピンオフ~


「千歳……」
「……え ……ッ? ちょ……」


 ツイッと背伸びをして目の前にある柔らかそうな唇に、自分の唇を押し当てる。
 フワリと温かな感触に心がトクンと跳ね上がった。
「千歳……」
 もう一度その甘い感触を堪能しようと、離れていった唇を追いかけようとした瞬間、トンッと肩を両手で押された。
 ハッと我に返ると口を手で押さえ、真っ赤な顔をした智彰がいた。心なしか、体が小刻みに震えている。
 たかがキスくらいでこんなに狼狽えるなんて……こいつ程見た目が良ければ、キスくらいなんてことないだろう? とそのオーバーリアクションにイライラしてしまう。いちいちうるさい奴だ……。こっちはあわよくば、その先までと下心丸出しだったのに。


「な、なんてことすんだよ……!?」
「はぁ? 何がだよ」
「ファ……だったのに……」
「だから! はっきり話してよ!」
「ファーストキスだったのにぃぃぃ!?」
「はぁぁぁぁ!?」


 あ、ありえないだろ。こんなイケメンが高校生にもなって、キスもしたことがないなんて……。
 お前の兄貴は下半身ユルユルだったぞ?


「せ、責任とれとか言わないよな!?」
「言わねぇよ。俺、ゲイとかはよくわかんねぇけど、可愛い人がタイプだもん。あんたみたいなキツいタイプは逆に苦手だ」
「あぁ?」
「目が真ん丸で華奢で……元気で明るくて、前向きで何にでも一生懸命で。純粋で優しい人がいい」
「悪かったな……汚れきってて」
 あまりにも自分と真逆のタイプを挙げ連ねられてしまえば、何も言い返すことなんかできやしない。
 それに、借りにも申し訳ないことをしてしまったことは事実だ。
 そんな人がタイプならば、きっとファーストキスも大切にしてたんだろう。
 俺はあまりの自分の愚かさに、俯くことしかできなかった。目の前がまた涙でユラユラと揺れる。


 本当に、なんて馬鹿なんだろう。


「ったく、しょーがねぇな! ほら!」
「え?」
「今日だけは、兄貴の代わりをしてやるよ。ほら、手は?」
 ぶっきらぼうにそう言いながら手を差し出してくる。
「ほら、早く」
 急かすようにブンブンと目の前で振られたから、恐る恐るその手を握る。
 あ、あったかい……。
 厚い氷の上に、熱湯を垂らした時のように少しずつ心が溶けていくのを感じる。
 あったかい……。
 大きく息を吐いて目を閉じた。


「見かけによらず泣き虫なんだな?」
「はぁ? 悪かったな。お前の兄貴は本当にいい男だったんだよ」
「そっか……橘さんは案外一途なんだね。でもさ、そんだけ兄貴を想ってくれてありがとう」
 にっこり笑うその顔に、千歳の面影はない。こいつ、こんなに優しく笑うんだ……って胸が熱くなった。
 よかった……今日、お前に会えて。


「大人になって独り身だったら、俺が相手してやるよ」
「だーかーら、橘さんはタイプじゃないって!」
「まぁそう言うなって。気持ちいいことも教えてあげるよ」
「なッ!?」
「ふふっ。子供は可愛いなぁ」
 顔を真っ赤にしながら口をパクパクさせる智彰を見て、純粋に可愛いなって思う。
 純粋で真っ直ぐで……俺には眩しいくらいだ。
「いい男になれよ。兄貴みたいに」
 智彰の手をギュッと握ってそっと体を寄せる。
 秋の夜風が、火照った体をそっと冷やしてくれるのが気持ちよかった。