帰りのホームルームが終わり、教室の中が一日の苦行から解放された生徒たちのざわめきに満ち溢れる。この後すぐに帰る者、残って友人とのおしゃべりを楽しむ者、さっさと部活に向かう者と、行き先は人によって様々だ。
合宿から帰って今日で一週間。俺は今週、一度も陸上部の練習に顔を出せていなかった。
「内海、今日は調子良さそう?」
後ろの席の早良が、通学カバンを担いで俺の席の前まで回り込んできた。
「いや、まだちょっと……」
「先輩たち心配してたよ。そろそろリレーの走順も決めたいって。見学だけでもいいから一緒に行かない?」
「悪い早良。今日はちょっと……」
早良は「そっか……」と寂しそうに微笑んだ。陽キャの彼にはあまり似つかわしくない表情だった。
「俺と鷹野先輩はサッカー部の練習にも行かないといけないから、空木先輩今週は一人でグラウンド走ってることが多かったよ。走ってる背中になんとなく哀愁が漂ってて、見てて切なくなっちゃった」
あのとにかく元気で熱苦しい男と哀愁。全くもって似つかわしくない組み合わせである。
(あの前向きなだけが取り柄みたいな先輩が、寂しいとか思うことなんてあるんだろうか?)
俺が知っている空木先輩は、今時珍しい熱血漢で、強制鬼ごっこで入部を迫るような強引さを持ち、雰囲気で語る感覚人間で……大事な話をするときは、濁りのない純粋な瞳でまっすぐ相手のことを見つめる人であった。
(そういえば、入部を迫ってきたときはあんなに強引だったのに、今週は一度も押しかけて来たりはしなかったな……)
あの熱苦しい先輩が、夕暮れのグラウンドを背中を丸めて一人で走っているところを想像すると、罪悪感に少しだけ胸がツキンと痛んだ。
でも今はまだ、グラウンドへ踏み出す気分にはなれなかった。一度抉り出された過去の傷と正面から向き合う勇気を、俺は未だ持てずにいた。
なんとなくお手洗いにでも行こうかと、廊下をぶらぶらと歩いていた時のことだった。聞き覚えのあるハリのある声が近くの教室から聞こえて来て、俺は思わずその場でビクッと立ち止まった。
(こ、この声は……)
「第一志望はそこの国立大学の理工学部です!」
嘘だろ? あの空木先輩が理工学部? しかも国立の?
(あの人アホなフリしてるだけで、実はものすごい秀才だったんじゃ……)
「空木よ、お前ももう三年なんだから、そろそろ本気で現実的な進路を考えてくれよ」
やっぱりフリじゃなかった! 担任の頭を抱えている姿が目に浮かぶようだ。
「お前、じゃあこれ、このテストの点は一体どういうことなんだ?」
「すんません。テスト前になると無性に掃除がしたくなってしまうんです」
「ふざけるなよ! 確かに先生にもそんな時代があったけども」
先生〜、あんたもですか!
「ていうかなんで理工学部? 理系は必須科目が多いって分かってるだろ?」
「宇宙飛行士になりたいからです!」
夢はでっかく宇宙飛行士!
俺と同様、空木先輩と向かい合っている担任も言葉を失っている様子だ。
「先生の言いたいことは重々承知しています。俺の成績じゃ難しいって現実もよく分かっています」
でも、と先輩はさらに力強く言葉を続けた。
「部活を引退したら、勉強に全集中するって覚悟を決めてるんです。両親も一浪だけなら許してやるって言ってくれています。だから自分の心に従って、やりたいことに挑戦してみたいんです。無理だろうからって最初からやらないで諦めるのが一番嫌なんです!」
「う〜ん、でもなぁ……」
「先生、部員が俺しかいない陸上部で、団体競技に出場するだなんて不可能だって、以前仰いましたよね? たとえ助っ人を頼んだとしても、そんな突貫工事のチームじゃ話にならないって」
そういえば、あの先生が練習に顔を出したところなんて一度も見たことがなかったけど、空木先輩の担任が陸上部の顧問であったということを、俺は今さらながらに思い出した。
「それがなんと、いいとこまで行けそうなメンバーが、三年目にしてようやく揃ったんですよ!」
嬉しそうな先輩の声に、俺の心臓が変な風にドクンと跳ねた。
「癖のある連中なんですけど、みんないいものを持ってて。何より走ることに真剣なやつらばかりです。それに一人はなんと、県大会出場経験まであるんですよ! こんな定員割れした高校に、そんなすごいやつが入学してくるなんて、奇跡じゃないですか!」
ああ、ここで今あの人はきっと、太陽みたいにニカッと笑っているんだろうな。
別に隙間から覗かなくても、俺には手に取るように中の先輩の表情を想像することができた。
早良の言っていた通り、今日はサッカー部の二人はメインの部活の方に参加していて、陸上部の練習場所にはまだ誰も来ていない。野球やサッカーなど同じフィールド競技の部活の喧騒に比べて、この場所は異様なほど静まりかえっている。
(ここで三年間、ずっと一人で……)
団体競技に出場することを夢見ながら、黙々と一人で走り続けていたのか。
「おっ! もう調子は大丈夫なのか?」
あからさまに嬉しそうな声に振り返ると、スパイクを持った空木先輩が、息を切らしながらこちらに向かって走ってくるところだった。
「悪いな、今日に限って遅れちまって。進路指導という名の圧迫面接を受けさせられていたんだ」
あれが圧迫面接なら、この人は即採用の可能性が高そうだ。ストレス耐性だけはバッチリだろうから。
空木先輩が準備体操をしている間、俺は黙ってグラウンドの白線をじっと見つめていた。
自分の弱さと向き合うのはしんどい。嫌いな自分をじっくりと観察するというのは、それだけで自己肯定感を思いっきり下げるような行為だからだ。
だから、可能ならば、できれば見なくても済む道を選びたくなるものなのだ。
「……先輩、俺たちのリレーチームで、いいとこまで行きたいと思ってるんですよね?」
白線を見つめたまま声をかけると、地面に座ってストレッチをしながら、空木先輩がくぐもった声で返事をした。
「もちろん! 目指すはインターハイ優勝だ!」
またこの人はスケールの大きいことを、恥ずかしげもなく本気で口にする。
「でも、俺がまた肝心なところでやらかしたらどうするんですか?」
よっこらしょ、と背後で空木先輩が立ち上がる気配がした。
「また俺が失敗して、先輩の最後の夏を台無しにしたら……」
「俺の最後の夏を台無しにするかもしれないって、そんなことを恐れてるのか?」
振り返ると、予想通り熱苦しい笑顔の、いつもの空木先輩がいた。一週間練習をサボったにも関わらず、全く非難するような素振りも見せず、ただ俺がここにいるという事実だけで心から喜んでいるような、そんな温かい笑顔だった。
「走る理由は人それぞれだ。内海が俺のために走ってくれるっていうなら、失敗を恐れる必要はない」
「いや、だから……」
「目標は常に大きく! が俺のモットーだ。インターハイ優勝はあくまで目標。でも一番大事なのは、チームとして大会に出ることだ。なぜなら俺の夢は、団体競技に出場することだったんだからな」
三年間、たった一人でこの寂しいグラウンドを走り続けていた人間にそう言われると、言葉の重みが何倍にもなってのしかかってくるようだ。
「俺がお前に頼んでいるのは、一緒にリレーに出ることだ。失敗しないでくれ、と頼んでいるわけじゃない」
「……え?」
「俺のところまで真っ直ぐ走って来いって、ただそれだけ頼んでるんだ」
先輩はいきなりぱっと走り出すと、グラウンドに引かれた白線のコースの向こうまで一気に駆けて行き、そこでくるりとこちらを振り返った。
「ただそれだけなんだよー!」
白線のコースの向こうから、両手を口に当てて叫んだその言葉は、重くのしかかってきた先ほどの言葉すら弾き飛ばしてしまいそうなほどめっぽう軽い。
「空木せんぱーい! なに内海と二人で青春ごっこやってるんですかー?」
サッカー部の練習場所から、鷹野先輩の楽しそうな叫び声が聞こえてくる。
空木先輩がサッカー部に気を取られているうちに、俺は空木先輩が走って行ったコースのスタート地点に足を運んで、そこから真っ直ぐコースの先にいる先輩に視線を合わせてみた。
日に焼けて、しっかり鍛え上げられた筋肉質な体に、自称イケメンな彫りの深い横顔。
(何度見ても熱苦しいな……)
まさにギラギラと照りつける太陽。これだけの引力を誇る恒星を前にすれば、脇目など振る隙もなく真っ直ぐ強引に引き寄せられてしまいそうだ。
ふと、この引力に身を任せてみるのもいいかもしれないと思った。どうせ迷っているのなら、強引に引っ張られるがままに、引っ張られる方向に向かって、走ってみるのもいいかもしれない。
「なんでこれが青春なんだー?」
コースの向こうの太陽は、相変わらずどうでもいい疑問を鷹野先輩に向かって叫び返している。
「海辺で好きだーっ! て叫ぶシチュエーションっぽくないっすかー?」
「こんな大声で告白するだなんて、恥ずかしいだけだろうがー!」
「青春ってのは基本恥ずかしいものなんっすよー!」
鷹野先輩の言う通りだ。青春とは基本恥ずかしいものなんだ。どうでもいいことに本気になって、笑ったり泣いたり、悩んだり落ち込んだり。
(大人になったら、それがどうでもいいことだったって、本当に気づくんだろうか……?)
それが分からないのは、現在がその真っ只中だから。
「あー、そういえばさー、お前に伝えなきゃならんことがあってさー!」
「ちょっと空木先輩! いい加減鷹野先輩をサッカー部の練習に集中させてあげて下さいよ!」
いい加減しつこい空木先輩を止めるため、俺は白線のコースに向かってだっと駆け出した。無意識に走っているときは全く踏む気がしないのに、意識すると途端に足がこわばってくる。
(だったらその意識を、あの存在感の強い男に持っていければ……)
「鷹野の好きなグラビアアイドルの写真集、親父が持ってるの見つけたから教えてやろうと思ったんだが」
ズザザッ! とズッコケかけて、俺は白線を踏むどころか、危うく足の裏の範囲分消滅させるところだった。
「あっぶな! あんた一体何考えてんすか! それ一番大声で言っちゃいけないやつじゃないですか!」
「なんでだ? 別に何が好きだっていいじゃないか」
「それをわざわざ大声で触れ回る必要なんかないでしょ! 普通に恥ずかしいじゃないですか!」
てか知らないうちに巻き込まれるお父さんが一番可哀想!
「でも青春は恥ずかしいものだって鷹野が……」
「それはまた別の話!」
全く、こんなとんでもない人間を、一体どうすれば意識せずにいられるというのか。
俺はトントンと軽くつま先で地面を叩いて仕切り直すと、全く納得がいかないという表情を浮かべている空木先輩の元へ、白線の間を抜けて真っ直ぐに走って行った。
合宿から帰って今日で一週間。俺は今週、一度も陸上部の練習に顔を出せていなかった。
「内海、今日は調子良さそう?」
後ろの席の早良が、通学カバンを担いで俺の席の前まで回り込んできた。
「いや、まだちょっと……」
「先輩たち心配してたよ。そろそろリレーの走順も決めたいって。見学だけでもいいから一緒に行かない?」
「悪い早良。今日はちょっと……」
早良は「そっか……」と寂しそうに微笑んだ。陽キャの彼にはあまり似つかわしくない表情だった。
「俺と鷹野先輩はサッカー部の練習にも行かないといけないから、空木先輩今週は一人でグラウンド走ってることが多かったよ。走ってる背中になんとなく哀愁が漂ってて、見てて切なくなっちゃった」
あのとにかく元気で熱苦しい男と哀愁。全くもって似つかわしくない組み合わせである。
(あの前向きなだけが取り柄みたいな先輩が、寂しいとか思うことなんてあるんだろうか?)
俺が知っている空木先輩は、今時珍しい熱血漢で、強制鬼ごっこで入部を迫るような強引さを持ち、雰囲気で語る感覚人間で……大事な話をするときは、濁りのない純粋な瞳でまっすぐ相手のことを見つめる人であった。
(そういえば、入部を迫ってきたときはあんなに強引だったのに、今週は一度も押しかけて来たりはしなかったな……)
あの熱苦しい先輩が、夕暮れのグラウンドを背中を丸めて一人で走っているところを想像すると、罪悪感に少しだけ胸がツキンと痛んだ。
でも今はまだ、グラウンドへ踏み出す気分にはなれなかった。一度抉り出された過去の傷と正面から向き合う勇気を、俺は未だ持てずにいた。
なんとなくお手洗いにでも行こうかと、廊下をぶらぶらと歩いていた時のことだった。聞き覚えのあるハリのある声が近くの教室から聞こえて来て、俺は思わずその場でビクッと立ち止まった。
(こ、この声は……)
「第一志望はそこの国立大学の理工学部です!」
嘘だろ? あの空木先輩が理工学部? しかも国立の?
(あの人アホなフリしてるだけで、実はものすごい秀才だったんじゃ……)
「空木よ、お前ももう三年なんだから、そろそろ本気で現実的な進路を考えてくれよ」
やっぱりフリじゃなかった! 担任の頭を抱えている姿が目に浮かぶようだ。
「お前、じゃあこれ、このテストの点は一体どういうことなんだ?」
「すんません。テスト前になると無性に掃除がしたくなってしまうんです」
「ふざけるなよ! 確かに先生にもそんな時代があったけども」
先生〜、あんたもですか!
「ていうかなんで理工学部? 理系は必須科目が多いって分かってるだろ?」
「宇宙飛行士になりたいからです!」
夢はでっかく宇宙飛行士!
俺と同様、空木先輩と向かい合っている担任も言葉を失っている様子だ。
「先生の言いたいことは重々承知しています。俺の成績じゃ難しいって現実もよく分かっています」
でも、と先輩はさらに力強く言葉を続けた。
「部活を引退したら、勉強に全集中するって覚悟を決めてるんです。両親も一浪だけなら許してやるって言ってくれています。だから自分の心に従って、やりたいことに挑戦してみたいんです。無理だろうからって最初からやらないで諦めるのが一番嫌なんです!」
「う〜ん、でもなぁ……」
「先生、部員が俺しかいない陸上部で、団体競技に出場するだなんて不可能だって、以前仰いましたよね? たとえ助っ人を頼んだとしても、そんな突貫工事のチームじゃ話にならないって」
そういえば、あの先生が練習に顔を出したところなんて一度も見たことがなかったけど、空木先輩の担任が陸上部の顧問であったということを、俺は今さらながらに思い出した。
「それがなんと、いいとこまで行けそうなメンバーが、三年目にしてようやく揃ったんですよ!」
嬉しそうな先輩の声に、俺の心臓が変な風にドクンと跳ねた。
「癖のある連中なんですけど、みんないいものを持ってて。何より走ることに真剣なやつらばかりです。それに一人はなんと、県大会出場経験まであるんですよ! こんな定員割れした高校に、そんなすごいやつが入学してくるなんて、奇跡じゃないですか!」
ああ、ここで今あの人はきっと、太陽みたいにニカッと笑っているんだろうな。
別に隙間から覗かなくても、俺には手に取るように中の先輩の表情を想像することができた。
早良の言っていた通り、今日はサッカー部の二人はメインの部活の方に参加していて、陸上部の練習場所にはまだ誰も来ていない。野球やサッカーなど同じフィールド競技の部活の喧騒に比べて、この場所は異様なほど静まりかえっている。
(ここで三年間、ずっと一人で……)
団体競技に出場することを夢見ながら、黙々と一人で走り続けていたのか。
「おっ! もう調子は大丈夫なのか?」
あからさまに嬉しそうな声に振り返ると、スパイクを持った空木先輩が、息を切らしながらこちらに向かって走ってくるところだった。
「悪いな、今日に限って遅れちまって。進路指導という名の圧迫面接を受けさせられていたんだ」
あれが圧迫面接なら、この人は即採用の可能性が高そうだ。ストレス耐性だけはバッチリだろうから。
空木先輩が準備体操をしている間、俺は黙ってグラウンドの白線をじっと見つめていた。
自分の弱さと向き合うのはしんどい。嫌いな自分をじっくりと観察するというのは、それだけで自己肯定感を思いっきり下げるような行為だからだ。
だから、可能ならば、できれば見なくても済む道を選びたくなるものなのだ。
「……先輩、俺たちのリレーチームで、いいとこまで行きたいと思ってるんですよね?」
白線を見つめたまま声をかけると、地面に座ってストレッチをしながら、空木先輩がくぐもった声で返事をした。
「もちろん! 目指すはインターハイ優勝だ!」
またこの人はスケールの大きいことを、恥ずかしげもなく本気で口にする。
「でも、俺がまた肝心なところでやらかしたらどうするんですか?」
よっこらしょ、と背後で空木先輩が立ち上がる気配がした。
「また俺が失敗して、先輩の最後の夏を台無しにしたら……」
「俺の最後の夏を台無しにするかもしれないって、そんなことを恐れてるのか?」
振り返ると、予想通り熱苦しい笑顔の、いつもの空木先輩がいた。一週間練習をサボったにも関わらず、全く非難するような素振りも見せず、ただ俺がここにいるという事実だけで心から喜んでいるような、そんな温かい笑顔だった。
「走る理由は人それぞれだ。内海が俺のために走ってくれるっていうなら、失敗を恐れる必要はない」
「いや、だから……」
「目標は常に大きく! が俺のモットーだ。インターハイ優勝はあくまで目標。でも一番大事なのは、チームとして大会に出ることだ。なぜなら俺の夢は、団体競技に出場することだったんだからな」
三年間、たった一人でこの寂しいグラウンドを走り続けていた人間にそう言われると、言葉の重みが何倍にもなってのしかかってくるようだ。
「俺がお前に頼んでいるのは、一緒にリレーに出ることだ。失敗しないでくれ、と頼んでいるわけじゃない」
「……え?」
「俺のところまで真っ直ぐ走って来いって、ただそれだけ頼んでるんだ」
先輩はいきなりぱっと走り出すと、グラウンドに引かれた白線のコースの向こうまで一気に駆けて行き、そこでくるりとこちらを振り返った。
「ただそれだけなんだよー!」
白線のコースの向こうから、両手を口に当てて叫んだその言葉は、重くのしかかってきた先ほどの言葉すら弾き飛ばしてしまいそうなほどめっぽう軽い。
「空木せんぱーい! なに内海と二人で青春ごっこやってるんですかー?」
サッカー部の練習場所から、鷹野先輩の楽しそうな叫び声が聞こえてくる。
空木先輩がサッカー部に気を取られているうちに、俺は空木先輩が走って行ったコースのスタート地点に足を運んで、そこから真っ直ぐコースの先にいる先輩に視線を合わせてみた。
日に焼けて、しっかり鍛え上げられた筋肉質な体に、自称イケメンな彫りの深い横顔。
(何度見ても熱苦しいな……)
まさにギラギラと照りつける太陽。これだけの引力を誇る恒星を前にすれば、脇目など振る隙もなく真っ直ぐ強引に引き寄せられてしまいそうだ。
ふと、この引力に身を任せてみるのもいいかもしれないと思った。どうせ迷っているのなら、強引に引っ張られるがままに、引っ張られる方向に向かって、走ってみるのもいいかもしれない。
「なんでこれが青春なんだー?」
コースの向こうの太陽は、相変わらずどうでもいい疑問を鷹野先輩に向かって叫び返している。
「海辺で好きだーっ! て叫ぶシチュエーションっぽくないっすかー?」
「こんな大声で告白するだなんて、恥ずかしいだけだろうがー!」
「青春ってのは基本恥ずかしいものなんっすよー!」
鷹野先輩の言う通りだ。青春とは基本恥ずかしいものなんだ。どうでもいいことに本気になって、笑ったり泣いたり、悩んだり落ち込んだり。
(大人になったら、それがどうでもいいことだったって、本当に気づくんだろうか……?)
それが分からないのは、現在がその真っ只中だから。
「あー、そういえばさー、お前に伝えなきゃならんことがあってさー!」
「ちょっと空木先輩! いい加減鷹野先輩をサッカー部の練習に集中させてあげて下さいよ!」
いい加減しつこい空木先輩を止めるため、俺は白線のコースに向かってだっと駆け出した。無意識に走っているときは全く踏む気がしないのに、意識すると途端に足がこわばってくる。
(だったらその意識を、あの存在感の強い男に持っていければ……)
「鷹野の好きなグラビアアイドルの写真集、親父が持ってるの見つけたから教えてやろうと思ったんだが」
ズザザッ! とズッコケかけて、俺は白線を踏むどころか、危うく足の裏の範囲分消滅させるところだった。
「あっぶな! あんた一体何考えてんすか! それ一番大声で言っちゃいけないやつじゃないですか!」
「なんでだ? 別に何が好きだっていいじゃないか」
「それをわざわざ大声で触れ回る必要なんかないでしょ! 普通に恥ずかしいじゃないですか!」
てか知らないうちに巻き込まれるお父さんが一番可哀想!
「でも青春は恥ずかしいものだって鷹野が……」
「それはまた別の話!」
全く、こんなとんでもない人間を、一体どうすれば意識せずにいられるというのか。
俺はトントンと軽くつま先で地面を叩いて仕切り直すと、全く納得がいかないという表情を浮かべている空木先輩の元へ、白線の間を抜けて真っ直ぐに走って行った。



