高校ではもう陸上はやらない。絶対に走ったりなんかしない――そう心に決めていた。
なのになぜ俺は今、正式な部員は一人しかいないという陸上部の部室で、自己紹介させられることになっているんだろう。
「それじゃあ内海、自己紹介してくれ。ど〜んと熱いやつを頼むぞ!」
なぜならそれは、この暑苦しい男、空木大志先輩にうっかり押し切られてしまったから。
「……内海陽真です。よろしくお願いします」
言えたよ、噛まずに。別に失敗したってどうでもいい場面に限って。
「おい、全然熱くないぞ! もっとこう、魂をぶつけてこい!」
勘弁してくれよ。なんでたかが自己紹介に魂をぶつけなきゃならないんだ? そもそも俺は自己紹介ってのが苦手なんだ。毎回そんなことしてたら、俺の魂粉々だわ。
「まあまあ空木先輩、ウザ絡みすると後輩に嫌われるっすよ」
そう助け船を出してくれたのは、リレーなら助っ人で出てもいいと言ったらしい、サッカー部で二年の 鷹野怜央先輩だ。
「ウザい? 一体どの辺が?」
「無自覚なところがまたピュアで大問題っすよねぇ」
鷹野先輩は半分呆れたように――しかし半分は尊敬しているような表情で立ち上がると、ボロボロの部室の扉をガラッと開けた。
「陸上部なら走って自己表現! 部室でぐだぐだ管を巻いてるより、一発走った方が手っ取り早いっすよ」
「おお! 熱いな鷹野!」
すぐに空木先輩が部室からグラウンドに向かって飛び出して行き、俺はウンザリしながらも渋々立ち上がった。
「俺、いつもはこんな恥ずかしいやつじゃないから、勘弁な」
鷹野先輩にこそっと耳打ちされて、俺は思わずぷっと吹き出した。
「サッカー部の先輩まで、空木先輩の影響を受けちゃってるのかと思いました」
「とんでもない! 俺はあくまで部外者です。ちゃんと適正な距離感を持って、あのギラギラ太陽みたいな先輩とは接しているつもりだよ」
「太陽に近づきすぎるのって、ろくなことないですもんね。蝋で固めた翼をもがれたイカロスとか」
「そうだねぇ。でも……」
グラウンドに向かって歩きながら、鷹野先輩は不意に遠い目をした。
「君はせっかく陸上部に入ったんだから、思い切って近づいて火傷してみるのもいいかもしれないよ」
俺は、イマイチ感情の読み取りにくい鷹野先輩の横顔をチラッと見上げた。
「……イカロスの二の舞は勘弁なんですけど」
「まあまあ! とにかく君の走りってやつを見せてよ。空木先輩めちゃくちゃ君のこと褒めてたからさ。俺、実は今日ちょっと楽しみにしてたんだよ」
あいつが褒めるのも当然だ。陸上をやってる人間で、俺の走りを見ても何も感じないなら、それはそいつの目が節穴ってことだ。
(……まぁ、部員がたった一人しかいない弱小陸上部の人間にしては、ちゃんとしてる方なのかな)
グラウンドを軽いジョグで何周かしてから、地面に腰を下ろしてゆっくりストレッチを行う。それから試しに100メートルのタイム測定を行った。
「おおっ、11秒台前半!」
タイムを測ってくれた鷹野先輩の歓声に、空木先輩が大げさに飛び上がってガッツポーズを決めている。恥ずかしいからマジでやめて欲しい。
「いいぞ! うちのエースはお前で決まりだ!」
部員二人しかいない陸上部のエースって、ハリボテ感が半端なくて逆に虚しいんですけど。
俺は初めて履いた短距離用のスパイクで試しに何度か地面を蹴ってみた。中距離のものよりプレートが固く、踵部分も削ぎ落とされて丸みを帯びている。慣れるまで違和感は拭えなさそうだ。
(俺は短距離専門じゃないから、100メートルのタイムはやっぱりイマイチだな。スタートダッシュもそこまで得意じゃないし。だからといって他の二人が俺よりマトモかどうかは怪しいけど……)
「中学時代のベストタイムは何秒だ?」
「いや、何秒って、俺専門中距離だったんですってば」
「大会とか、結構いいとこまで行ってたんじゃないの?」
鷹野先輩の言葉に、空木先輩がベストタイム以上に興味津々な様子で俺の方に身を乗り出してきた。
「もしかして、母校は全国大会常連校だったりするのか?」
「全国までは行ってません! 県大会決勝までです!」
「県大会!」
「しかも決勝だって?」
しまった。こんなこと言うつもりなんかさらさら無かったのに。空木先輩の口車に乗せられて、うっかり口を滑らせてしまった。
「やっぱり超有望選手だったんじゃないか!」
「全然ですよ。最後の最後でやらかして、それっきりです」
自嘲気味な俺の言葉を聞いた二人の先輩は、黙ってチラッと顔を見合わせた。
「……痴情のもつれで部が崩壊した?」
「空木先輩、しっ!」
「人数が多いとそれはそれで大変なんだな」
空木先輩は自信満々のドヤ顔で、誰も走っていないトラックを大げさな身振りで指し示した。
「それがお前のトラウマで、走るのをやめた原因なら、うちの部に入って正解だったな。うちにはマネージャーどころか女子部員すらいないから、もつれる物なんか何もないぞ!」
「違いますって! いつ俺が痴情のもつれを肯定しましたか!」
「でも、じゃあやらかしたって一体……?」
「空木先輩のやらかすって、女性関係しかありえないんですか?」
全く。話すつもりなんかさらさら無かったってのに。俺は小さくため息をつくと、ぐるっとグラウンドに描かれているトラックの白線をじっと見つめた。
中学最後の県大会。男子1500メートル決勝。夏休み真っ只中の、ジリジリと太陽が照りつける真夏日だった。駅伝は冬に行われるのに、トラックの大会は真夏に開催されるというのが地味にいつも疑問だった。でもじゃあどっちがいいかと言うと、俺は夏の方が断然コンディションが良い。冬は耳や鼻から吹き込む冷たい空気のせいで頭痛が酷く、走るのが苦しいと言うより痛いという感じになって苦痛だからだ。
出だしは好調。最初はペースメーカーを誰かに絞って、そいつの後をピタリと付けていく。そいつの速度が落ちてきたら次々と乗り替えて、常に二番手以下のポジションをキープしていく。ただしそれもトラック三周目までの話だ。
最後の一周は溜めておいた体力を使い切る勢いで、一気にスピードを上げてトップに躍り出る。もちろん周りも全員同じことを考えているので簡単にはいかない。でもこの日はすごくいい感じだった。最後の直線で一気に加速した時、二位のやつとは僅差の距離で競り勝っていて、俺は勝利を確信していた。
だけど……
(あっ!)
ほんの一瞬の油断だったと思う。ふらっと体がバランスを崩して、俺はうっかりあらぬ所に左足を踏み出してしまった。
トラックの内側、白線の上だった。
(やべっ!)
すぐ横を、二番手だった選手が風のように走り抜けていく。慌てて体勢を整えて二位でゴールしたものの、判定は“失格”だった。
あと少し、数メートルの距離だった。あの時白線さえ踏まなければ、たとえ後ろのやつに抜かれていたとしても、俺は全国に行けたのだ。1000メートル以上必死で走ってきたのに、最後の最後の大事な場面で、それまでの努力を全て水の泡にしてしまった。肝心な場面でやらかしてしまった結果、俺は優勝するどころか、表彰台に上がることすらできなかったのだった。
「……そういうのって、本人の人間性とかもあると思うんですよね。俺は肝心な場面で必ず失敗する心の弱い人間なんじゃないかってその時気がついて。人前で発表する時なんか、緊張して噛んじゃうこととか多いし」
「何言ってんだ? 緊張して失敗するなんてよくあることだろう? 別にお前だけ特別心が弱いわけじゃない」
空木先輩が心から不思議そうにフォローを入れようとしたが、俺は頑なに首を振った。
「心の強い人間っていうのは、キメるところではちゃんとキメられる人間です。他がどんなに手抜きでも、最重要点だけきちんと押さえられれば結果は付いてくるし、周りも納得します。でもその逆はダメです。どんなに普段ちゃんとしていても、キメるところをキメられなければ、全てが台無しになる」
「それってただの要領のいい人間じゃね?」
鷹野先輩がそう口にして、空木先輩はますます不思議そうに首を傾げている。
「そういう側面もあるかもしれません。でも俺は心も弱いし、きっと要領も悪いんだと思います。今でこそこんなふうに話せますけど、当時は結構キツかったんですよ」
正直、もう二度とあんな思いをするのはごめんだった。頑張って頑張って頑張って、あと一息で手が届きそうだったものを、肝心な場面でやらかして逃してしまう経験など。
「高校受験も絶対失敗すると思ったから、確実に入れそうな所を選びました。ちょうど陸上部もなさそうだったので、俺には好都合に思えて……」
「わはは! 詰めが甘かったな。部員が一人の陸上部だなんて学校の恥だということで、事務員が陸上部を“その他”に含めたパンフレットを作成していたんだ。だからうちの高校のホームページにもパンフレットにも、陸上部の名前はない! 俺は“その他”扱いなのさ!」
俺はそんな悲しすぎる理由のせいで、陸上部が無いと騙されてこの学校を受験してしまったというのか。
「内海がやらかしたという理由はよく分かった。正直よく分からなかったが」
え、どっち? 分かったの? 分からなかったの?
「とりあえず暴力沙汰でなくて良かった。実力さえあれば人間性など問わないという考え方もあるが、俺は命を預け合うチームメイトの人間性は重視したい性だからな」
「命を預かるつもりはありませんし、預けるのなんか絶対に嫌です」
ていうか、心配してたの痴情のもつれだったんじゃなかったっけ?
「要はそれぐらい、チーム競技にかけているってことだ!」
太陽のように明るく笑う空木先輩の笑顔が眩しくて、俺は思わず彼の顔から視線を逸らしていた。
「どんな理由にせよ、内海がうちの学校に来てくれて、俺は本当に良かったと思っている。記念出場でもできればいいほうだと思っていたリレー競技だったけど、お前のおかげでもしかしたらいい勝負ができるんじゃないかって夢を持てるようになったからな」
(だから、その夢とやらを俺が壊すことになりかねないんですってば。だって俺はいつも肝心な場面で……)
そう釘を刺したかったのだが、空木先輩があまりにも嬉しそうに笑っているので、俺はついその言葉を言い出せずに喉の奥にぐっと飲み込んだのだった。
なのになぜ俺は今、正式な部員は一人しかいないという陸上部の部室で、自己紹介させられることになっているんだろう。
「それじゃあ内海、自己紹介してくれ。ど〜んと熱いやつを頼むぞ!」
なぜならそれは、この暑苦しい男、空木大志先輩にうっかり押し切られてしまったから。
「……内海陽真です。よろしくお願いします」
言えたよ、噛まずに。別に失敗したってどうでもいい場面に限って。
「おい、全然熱くないぞ! もっとこう、魂をぶつけてこい!」
勘弁してくれよ。なんでたかが自己紹介に魂をぶつけなきゃならないんだ? そもそも俺は自己紹介ってのが苦手なんだ。毎回そんなことしてたら、俺の魂粉々だわ。
「まあまあ空木先輩、ウザ絡みすると後輩に嫌われるっすよ」
そう助け船を出してくれたのは、リレーなら助っ人で出てもいいと言ったらしい、サッカー部で二年の 鷹野怜央先輩だ。
「ウザい? 一体どの辺が?」
「無自覚なところがまたピュアで大問題っすよねぇ」
鷹野先輩は半分呆れたように――しかし半分は尊敬しているような表情で立ち上がると、ボロボロの部室の扉をガラッと開けた。
「陸上部なら走って自己表現! 部室でぐだぐだ管を巻いてるより、一発走った方が手っ取り早いっすよ」
「おお! 熱いな鷹野!」
すぐに空木先輩が部室からグラウンドに向かって飛び出して行き、俺はウンザリしながらも渋々立ち上がった。
「俺、いつもはこんな恥ずかしいやつじゃないから、勘弁な」
鷹野先輩にこそっと耳打ちされて、俺は思わずぷっと吹き出した。
「サッカー部の先輩まで、空木先輩の影響を受けちゃってるのかと思いました」
「とんでもない! 俺はあくまで部外者です。ちゃんと適正な距離感を持って、あのギラギラ太陽みたいな先輩とは接しているつもりだよ」
「太陽に近づきすぎるのって、ろくなことないですもんね。蝋で固めた翼をもがれたイカロスとか」
「そうだねぇ。でも……」
グラウンドに向かって歩きながら、鷹野先輩は不意に遠い目をした。
「君はせっかく陸上部に入ったんだから、思い切って近づいて火傷してみるのもいいかもしれないよ」
俺は、イマイチ感情の読み取りにくい鷹野先輩の横顔をチラッと見上げた。
「……イカロスの二の舞は勘弁なんですけど」
「まあまあ! とにかく君の走りってやつを見せてよ。空木先輩めちゃくちゃ君のこと褒めてたからさ。俺、実は今日ちょっと楽しみにしてたんだよ」
あいつが褒めるのも当然だ。陸上をやってる人間で、俺の走りを見ても何も感じないなら、それはそいつの目が節穴ってことだ。
(……まぁ、部員がたった一人しかいない弱小陸上部の人間にしては、ちゃんとしてる方なのかな)
グラウンドを軽いジョグで何周かしてから、地面に腰を下ろしてゆっくりストレッチを行う。それから試しに100メートルのタイム測定を行った。
「おおっ、11秒台前半!」
タイムを測ってくれた鷹野先輩の歓声に、空木先輩が大げさに飛び上がってガッツポーズを決めている。恥ずかしいからマジでやめて欲しい。
「いいぞ! うちのエースはお前で決まりだ!」
部員二人しかいない陸上部のエースって、ハリボテ感が半端なくて逆に虚しいんですけど。
俺は初めて履いた短距離用のスパイクで試しに何度か地面を蹴ってみた。中距離のものよりプレートが固く、踵部分も削ぎ落とされて丸みを帯びている。慣れるまで違和感は拭えなさそうだ。
(俺は短距離専門じゃないから、100メートルのタイムはやっぱりイマイチだな。スタートダッシュもそこまで得意じゃないし。だからといって他の二人が俺よりマトモかどうかは怪しいけど……)
「中学時代のベストタイムは何秒だ?」
「いや、何秒って、俺専門中距離だったんですってば」
「大会とか、結構いいとこまで行ってたんじゃないの?」
鷹野先輩の言葉に、空木先輩がベストタイム以上に興味津々な様子で俺の方に身を乗り出してきた。
「もしかして、母校は全国大会常連校だったりするのか?」
「全国までは行ってません! 県大会決勝までです!」
「県大会!」
「しかも決勝だって?」
しまった。こんなこと言うつもりなんかさらさら無かったのに。空木先輩の口車に乗せられて、うっかり口を滑らせてしまった。
「やっぱり超有望選手だったんじゃないか!」
「全然ですよ。最後の最後でやらかして、それっきりです」
自嘲気味な俺の言葉を聞いた二人の先輩は、黙ってチラッと顔を見合わせた。
「……痴情のもつれで部が崩壊した?」
「空木先輩、しっ!」
「人数が多いとそれはそれで大変なんだな」
空木先輩は自信満々のドヤ顔で、誰も走っていないトラックを大げさな身振りで指し示した。
「それがお前のトラウマで、走るのをやめた原因なら、うちの部に入って正解だったな。うちにはマネージャーどころか女子部員すらいないから、もつれる物なんか何もないぞ!」
「違いますって! いつ俺が痴情のもつれを肯定しましたか!」
「でも、じゃあやらかしたって一体……?」
「空木先輩のやらかすって、女性関係しかありえないんですか?」
全く。話すつもりなんかさらさら無かったってのに。俺は小さくため息をつくと、ぐるっとグラウンドに描かれているトラックの白線をじっと見つめた。
中学最後の県大会。男子1500メートル決勝。夏休み真っ只中の、ジリジリと太陽が照りつける真夏日だった。駅伝は冬に行われるのに、トラックの大会は真夏に開催されるというのが地味にいつも疑問だった。でもじゃあどっちがいいかと言うと、俺は夏の方が断然コンディションが良い。冬は耳や鼻から吹き込む冷たい空気のせいで頭痛が酷く、走るのが苦しいと言うより痛いという感じになって苦痛だからだ。
出だしは好調。最初はペースメーカーを誰かに絞って、そいつの後をピタリと付けていく。そいつの速度が落ちてきたら次々と乗り替えて、常に二番手以下のポジションをキープしていく。ただしそれもトラック三周目までの話だ。
最後の一周は溜めておいた体力を使い切る勢いで、一気にスピードを上げてトップに躍り出る。もちろん周りも全員同じことを考えているので簡単にはいかない。でもこの日はすごくいい感じだった。最後の直線で一気に加速した時、二位のやつとは僅差の距離で競り勝っていて、俺は勝利を確信していた。
だけど……
(あっ!)
ほんの一瞬の油断だったと思う。ふらっと体がバランスを崩して、俺はうっかりあらぬ所に左足を踏み出してしまった。
トラックの内側、白線の上だった。
(やべっ!)
すぐ横を、二番手だった選手が風のように走り抜けていく。慌てて体勢を整えて二位でゴールしたものの、判定は“失格”だった。
あと少し、数メートルの距離だった。あの時白線さえ踏まなければ、たとえ後ろのやつに抜かれていたとしても、俺は全国に行けたのだ。1000メートル以上必死で走ってきたのに、最後の最後の大事な場面で、それまでの努力を全て水の泡にしてしまった。肝心な場面でやらかしてしまった結果、俺は優勝するどころか、表彰台に上がることすらできなかったのだった。
「……そういうのって、本人の人間性とかもあると思うんですよね。俺は肝心な場面で必ず失敗する心の弱い人間なんじゃないかってその時気がついて。人前で発表する時なんか、緊張して噛んじゃうこととか多いし」
「何言ってんだ? 緊張して失敗するなんてよくあることだろう? 別にお前だけ特別心が弱いわけじゃない」
空木先輩が心から不思議そうにフォローを入れようとしたが、俺は頑なに首を振った。
「心の強い人間っていうのは、キメるところではちゃんとキメられる人間です。他がどんなに手抜きでも、最重要点だけきちんと押さえられれば結果は付いてくるし、周りも納得します。でもその逆はダメです。どんなに普段ちゃんとしていても、キメるところをキメられなければ、全てが台無しになる」
「それってただの要領のいい人間じゃね?」
鷹野先輩がそう口にして、空木先輩はますます不思議そうに首を傾げている。
「そういう側面もあるかもしれません。でも俺は心も弱いし、きっと要領も悪いんだと思います。今でこそこんなふうに話せますけど、当時は結構キツかったんですよ」
正直、もう二度とあんな思いをするのはごめんだった。頑張って頑張って頑張って、あと一息で手が届きそうだったものを、肝心な場面でやらかして逃してしまう経験など。
「高校受験も絶対失敗すると思ったから、確実に入れそうな所を選びました。ちょうど陸上部もなさそうだったので、俺には好都合に思えて……」
「わはは! 詰めが甘かったな。部員が一人の陸上部だなんて学校の恥だということで、事務員が陸上部を“その他”に含めたパンフレットを作成していたんだ。だからうちの高校のホームページにもパンフレットにも、陸上部の名前はない! 俺は“その他”扱いなのさ!」
俺はそんな悲しすぎる理由のせいで、陸上部が無いと騙されてこの学校を受験してしまったというのか。
「内海がやらかしたという理由はよく分かった。正直よく分からなかったが」
え、どっち? 分かったの? 分からなかったの?
「とりあえず暴力沙汰でなくて良かった。実力さえあれば人間性など問わないという考え方もあるが、俺は命を預け合うチームメイトの人間性は重視したい性だからな」
「命を預かるつもりはありませんし、預けるのなんか絶対に嫌です」
ていうか、心配してたの痴情のもつれだったんじゃなかったっけ?
「要はそれぐらい、チーム競技にかけているってことだ!」
太陽のように明るく笑う空木先輩の笑顔が眩しくて、俺は思わず彼の顔から視線を逸らしていた。
「どんな理由にせよ、内海がうちの学校に来てくれて、俺は本当に良かったと思っている。記念出場でもできればいいほうだと思っていたリレー競技だったけど、お前のおかげでもしかしたらいい勝負ができるんじゃないかって夢を持てるようになったからな」
(だから、その夢とやらを俺が壊すことになりかねないんですってば。だって俺はいつも肝心な場面で……)
そう釘を刺したかったのだが、空木先輩があまりにも嬉しそうに笑っているので、俺はついその言葉を言い出せずに喉の奥にぐっと飲み込んだのだった。



