水と油、混ざり合う青

音が無くなった。
代わりに自分の呼吸音がうるさく聞こえる。
視界が狭くなった。
代わりに心の中に穴が空いているのが見える。
彩られた世界が、色落ちていく。

『...ん!れ...蓮...!!』

スマホから届いた翼の声で現実に触れる。

「...ん?」

あからさまに震える声に、微かな苛立ちを覚える。
気遣うように語られる翼の言葉も、上手く頭が処理を始めない。
右から左へ流れるだけ。
親指の爪が人差し指に食い込む痛みを感じながら、俺は声を張り上げる。

「いや〜!寂しくなるな...!」

『蓮...』

「友達って呼べる奴ができて、嬉しかったぞ〜」

本来、人付き合いが苦手で、何にも持ち合わせていない俺には、作り笑いは向いていないようだ。
翼が居心地悪そうに唸る声が聞こえる。
俺はその場から逃げるように通話を切った。
何も考えられなくて、ただ(明日も学校か)と理性が頭を過るだけで、頭はモヤを抱いている。
ベッドに倒れ込み、電球の光が視界を貫いてくる。
反射で目を瞑り、そのまま現実から身を隠すように、意識を手放した。

♦︎

アラームをセットしていなくとも、窓から差し込む光で目が覚めた。
あのままずっと眠っていられたなら、今日は学校を休んでも良かったのに。
いつも通り起きてしまったからには準備するほかない。
もう懐かしく感じる朝のだるさを嘲笑いながら、リビングに向かうと、母さんの慌ただしい姿が目に入る。
世界は今日も回ってる。
冷蔵庫の前に立つも、特に食べたいものなんて浮かばず、チョコを一粒放り込み、支度を始めた。
いつも通り外に出て、現実を彩るようにイヤホンを挿し込む。
聴き慣れた音楽の中に、翼に勧められた音楽が混じる。
最近ようやく聴き慣れてきたのに、今は耳障りだ。
適当に飛ばし、自分の好みなのか、新たな刺激を入れたくないだけなのか、それすらも分からなくなった数年間変わってない音楽リストを再生する。

(最近のアーティストは翼から仕入れてたのか...)

流行りの曲を聴くようになって、内心舞い上がっていたが、それも翼から与えられていたものだと今更気づく。
俺の生活を一変させてくれた翼、友達になってくれた翼。
そんな大切な奴なのに、今の俺は『会いたくない』と思ってしまっている。
昨日翼は、明後日には引っ越すとか言っていた。
いや、言ってたっけ?
それすらも分からない。
散々翼に貰ったものがあるのに、俺は恩を仇で返している。

(我ながら最低だな...)

久しぶりに道端のタバコの吸い殻を数えながら、校門を潜っーー。

「蓮...!」

「っ、、」

呼び止められた声に肩が強張る。
いつもなら顔をあげて、くだらない話で盛り上がるのだろう。
でも、今の俺はどうしても顔が上がらない。
様子を伺うように声をかけてくる翼から、さりげなく距離をとる。
避けたい話題に触れられないように、声を明るくした。

「おはよー!今日合同体育だな〜着替えだる〜」

「そ、そうだな」

気まずくて再び下を向くと、翼の後ろから賑やかな声がして、眉を顰める。
あからさまに戸惑っている翼が、クラスの友達に連れていかれる背中を見つめて、小さく息を吐いた。
今日はやっぱりサボろうかな...
校門を逆走し、無我夢中で思うがままに進んだ。
今日はうざいくらいに晴天だ。
雲一つなく、青々としている。
なのに。

(灰色だ...)

色褪せた世界は慣れてるだろ...
空がどれだけ青だろうが、道端の草がどれだけ緑だろうが、今の俺にとっては全部色がない。
何も感じない。
これを翼と見ていたなら、空にまつわるくだらない話で盛り上がっていたのだろうか。
気がつけば、高台の上まで来ていた。
住宅街が見下ろせて、空を飛んでる鳥を目で追える。

「学校サボったな...」

ほんの少しの罪悪感を感じながら、学校にいた世界線の俺を想像して、気疲れする。
視線を下げたその時、おばあちゃんの荷物を持つ、サラリーマンを見つけた。
......人付き合いは苦手だ。
脆くて、温度の差があって、なんとなく続いていくだろうと期待してしまうから。

「まぁ、小学生だったしな...」

口から溢れ出た言葉は、情けないほどに古傷を抉った。
あれは小学六年生になった春。
社交的でなかった俺は、なかなか友達ができず、いつも遊ぶ相手は特定だった。
そいつは俺と似たようなタイプで、教室の隅で本を読んでいるようなやつだった。
低学年の頃からずっと二人で遊んで、どんなに小さなことでも競い合っていた。
身長はどっちが高いか。どっちが早く間違い探しをクリアできるか。どっちが多く先生に褒められるか。
そんな些細な楽しみを二人だけの世界で分かち合っていた。
なのに、新学期の真新しいクラスメイトに皆が興奮していたあの日。
俺は、床に転がっていた持ち主も誰だかわからない上履き入れに、足を引っ掛けド派手に転んでしまった。
強く着いた手のひらよりも周りの視線の方が痛く、助けを求めるように迷いなく親友を見た時ーー。

『...あ、...あはは、、はは』

助けてくれると思った。
そいつだけは、「大丈夫...?」と声をかけてくれて、手が伸びてくると思った。
なのに現実は、痛む手で自ら起き上がり、突き刺さる視線の中に親友(異物)が混じっていた。
それからというもの、お互いなんとなく気まずくなり、同じ教室にいるのに関わらず、卒業した。
永遠は決定事項ではなく、ましてや約束すらもしていなかったのに、痛みを感じる時には無条件にそいつが隣にいると思い込んでいた。
内気な俺に、新たな友達なんてそう簡単に出来るはずもなく、高校二年生まで引きずり、ただ干からびた心で日々をこなしていた。
そんな中、何の情報も知らず知り合った翼と意気投合して救われた。
何も知らないから、疑いも、期待も、羨望も、なかった。
お互いが、話したいから話す。
その関係が心地よかった。
人と関わることから逃げたくせに、翼との関係が脅かされた今、彩りを失うことにビビってる。
他人と関わることで彩りを得ていたなんて事実は、冷静になった今、俺の心臓をキツく鷲掴んでくる。
矛盾で気分が悪くなりスマホに目を向けると、すごい量の通知が入っていた。

「うお、何だこれ」

【どこ行った】

【話したいことあったんだけど】

【俺明後日には引っ越すから、それまでに話したい】

【おい】

相手は言わずもがな翼だ。
今の時間帯は授業中だが、そんな時まで何してんだ。
俺は既読をつけてしまったが故に、返信することにした。

【学校から20分くらいの〇〇区の高台】

それだけ送って、俺はその場で居眠りを始めた。