※
……なんだかんだで、依人もマシになったと思ってたんだけどなぁ。
体育祭の準備時間にあてられた、ホームルームのさなか。校舎一階の廊下の窓枠に肘を置いた俺は、中庭を眺めながら首をひねっていた。
中庭で作業しているのは、うちの寮の一年生たちだ。一年生の主な作業内容は応援看板の作成で、楽しい共同作業のはずなのだが。
「依人の話しかけるなオーラがやばすぎる……」
ぽつりと呟いて、改めて依人の様子を確認する。
大きな模造紙を広げ、みんながわいわいと作業する中、ひとり黙々と仕事をこなす依人の背中は、はっきり言ってめちゃくちゃ悪目立ちしていた。
純平が、「ほんま頼むで」と俺に圧をかけたのも納得というレベル。
看板つくるの、俺は楽しかったけどな。去年の今ごろを思い返していると、純平のブラザーの道長くんが目に留まった。
輪を離れた道長くんが依人に歩み寄り、なにやら話しかけている。みんなのところに誘ってくれていると気づき、俺は「お」と声をもらした。
……いい子だよなぁ、道長くん……って、断んのかよ!
すげなく一蹴したらしい依人の反応に、思わず身を乗り出す。
ツンケンする人間に声をかける行為は、勇気がいると知っているからだ。それをあいつは、ともやもやしていると、立ち上がってこちらを向いた依人と目が合った。
俺を見とめた依人の表情が、徐々にバツの悪いものになる。
「あー……、依人」
気まずそうな変化に根負けし、俺は来い来いと手招いた。むっすりとした顔で近づいてきた依人に、少しだけ呆れた声を出す。
「気まずくなって立ち上がるくらいなら、優しく対応してあげたらいいじゃん。優しく声かけてくれたんでしょ? 道長くん」
「寮生委員の先輩に頼まれたんじゃないですか。そうでもなきゃ、ふつうかまわないでしょ」
ふつうに考えて、俺なんか、と言いたげな依人の背後。つまるところ、俺たちのやりとりを見守っている道長くんに目を向ける。
あの顔は、自分がよけいなこと言ったかな、とか。依人が俺に怒られないかな、とか。そういう心配をしてくれている顔だと思うよ、と俺の想像を伝えることは簡単だ。でも。
「前から気になってたんだけどさ。依人、『ふつうに考えて』とか、『世間一般的に』みたいな言い方、よくするよね」
俺の指摘に、依人は小さく瞬いた。
よけいな口出しだっただろうか。不安になったものの、俺は言い切ることを選んだ。
「あんまりよくないと思うよ、俺。『ふつう』なんて結局、自分の価値観なんだし。『俺はこう思う』でいいじゃん」
「いや、なんの説教ですか、それ」
「説教っていうか、……うーん。じゃあ、質問なんだけど、依人はなんで俺がここにいたと思う?」
「知るわけないでしょ」
面倒くさいという感情を隠すことなく、依人が眉を寄せる。
「先輩も寮生委員の先輩に頼まれました? 仲良さそうですもんね」
「それもある」
純平の話が気になって、ごみ捨てついでに一年生の作業場に足を運んだことは事実だ。依人の予想を素直に認め、顔の前でピースをつくる。
「でも、それだけじゃないよ。俺が気になったから来たの。そしたら、依人、道長くんにさっそくツンケンしてんだもん。来て正解」
にこりと笑った俺に、依人はじとりとした視線を返した。
「マジで小学生の屁理屈みたいなこと言いますね」
「まぁ、屁理屈だけど。いろんな側面があるよって言いたかっただけ。悪い面ばっか見て嫌な気持ちになるより、いい面見たほうが楽しくない?」
道長くんだって、依人と仲良くなりたかったのかもしれないよ、という。依人の言う小学生じみた俺の言外を、依人はばっちり汲み取ったらしい。
なんとも言えない沈黙を挟み、依人が唇を曲げる。
拗ねた顔の幼さに、しかたないなぁという気分で、俺は苦笑をこぼした。
俺が言わなくても、道長くんの好意もわかっていたと思うけど(気まずそうな顔をしていたのが、いい証拠だと思う)。
わかった上で素直になれないのも、それはそれでしんどいんだろう。
「今日、放課後もこのまま作業でしょ。看板作業は人手足りてそうだし、二年の手伝い来る気ない?」
「は?」
「二年の作業って、備品チェックとか、三年生の応援合戦の準備とか、細々したやつが多くてさ。人手が増えると助かるんだよね」
「……なんで、俺」
「二年の作業に、一年の看板づくりのフォローとか、そういう人数調整も含まれてるから?」
首を傾げると、依人はめちゃくちゃ苦い顔で黙り込んだ。
なんか、勝手に借りつくったって思ってそうだな。野生動物だし。そんなことを考えつつ返事を待っていると、依人が小さく頷いた。
渋々といった雰囲気の了承を笑い、道長くんに少し大きな声で呼びかける。
「道長くん、ごめん。ちょっと二年の作業場、人が足りなくてさ。依人借りてくね」
「わかりました、了解です」
百点満点のいい子の返事をした道長くんが、「高見くん」と依人に声をかけた。
「じゃあ、そっち、がんばってね」
名指しでの応援に無反応を貫くことはできなかったらしい。道長くんのほうを振り返った依人が、軽く頭を下げる。
……こういうとこがかわいいんだよな、結局。
悪ぶり切れない性根が透ける部分に絆されるというか、なんというか。
かわいいを連呼する俺に、「本気で言ってんの」と沢見は引いた顔をするけれど、かわいいに決まっているのだった。
にっこり笑った道長くんに手を振って、依人に「こっち」と少し先にある渡り廊下を示す。
「そこから入っておいでよ。上の空き教室でやってるから」
溜息ひとつで窓際を離れた依人が、渡り廊下から校舎に入ってくる。それを待って、俺は依人と歩き始めた。
そういえば、ふたりで校舎を歩くのははじめてだなぁ、なんて。のんきな思考に浸っていると、依人がぽつりと口を開いた。
「知ってましたけど」
「ん?」
「先輩って、めちゃくちゃお節介ですよね」
「うざい? まぁ、でも、ブラザーの特権ってことで」
けっこう説教くさいことも言っちゃったけど、と続け、なんでもないように笑う。
実際、ブラザーとしては当然の行動だったつもりだ。
「だからさぁ、依人も甘えていいよ。同級生にツンケンするのがしんどいんだったら、俺にツンツンしてたらいいし」
「いや、なんでですか」
「ん? だって、依人のことかわいいって思ってるし」
答えたあとで、依人の疑問は「同級生にツンケンするのがしんどい」と評したほうにかかっていたのかな、と気がついた。横目で依人を見る。
……ま、いいか。
あいかわらずの平淡な横顔に、俺は蒸し返すことをやめた。
ブラザーとして依人のことを知りたいと思っているけど、なにからなにまで無遠慮に知りたいわけじゃない。
それに、俺だって言いたくないことはある。そういうものだと自戒して、目的の教室のドアを引く。
「ただいまー。ごめん、遅くなった。――あ、純平」
ちょうど近くにいた純平に声をかけると、純平は「げ」という顔をした。
一年生と仲良くさせろと言ったのに、なんで連れてきたと思っているに違いない。だが、純平はすぐに愛想のいい顔に切り替えた。
「遅なったはええんやけど、どうしたん? もしかして、依人くん、なんか質問あった?」
「ううん。一年のとこは手ぇ足りてたから、こっち手伝ってもらおうと思って」
依人に代わって答えた俺と無言の依人を見比べること数秒。純平は思いきり妥協した。
「まぁ、ええか。人手足らんのはほんまやし。依人くんもええんやんね? 夏に無理やり押し切られたわけやないんよな」
「はぁ、まぁ」
「じゃあ、奥の机使っていい? 依人と一緒に衣装のチェックしようかなって」
無理やり押し切ったって人聞き悪いなと内心憤慨しながら尋ねると、純平の目が輝いた。
「嘘、ほんまに? ありがとう、正直めっちゃ助かる!」
「だと思った。いいよ、いいよ。俺も気になってたから。――依人」
嬉々とした純平のテンションにだろう、不審げな顔をした依人を、「じゃあ、始めよっか」と促して移動する。
移動先は、教室の後方だ。壁際に設置されたロッカーの前に、衣装が入った段ボールが三つ積み上がっている。
近くに机と椅子を動かし、段ボール箱を新しくふたつ組み立てていると、依人が不思議そうに口を挟んだ。
「なんなんですか、衣装って」
「あ、えっとね。そうだ、とりあえず、そっちの椅子座って。説明するし」
なんか、すごいブラザーっぽいな、と感動しつつ、積み上がった段ボールを指し示す。
「さっき言ってた三年生が応援合戦のときに使う衣装。倉庫から持ってきたやつなんだけど、古い衣装も混ざってるから、きれいなものを選別するの」
「そっちの空の段ボールにセーフとアウト分けて入れたらいい感じですか?」
「そう、そう。そんな感じ。補修もするんだけど、今日は選別と片づけで終わりかな。今年のうちの寮は学ランだけど、袴とかいろいろあるんだよ」
「へぇ」
「ちなみにだけど、学ランは大当たり。袴だと準備大変なんだって。まぁ、去年の三年生は新選組やるって喜んでたけど」
つまり、海先輩たちは苦労したということだ。
「へぇ」という淡々とした相槌に、ちらりと様子を窺う。俺の話を長いと感じているのか、依人はちょっとつまらないというような顔をしていた。
……興味なさそうだけど、でも、たぶん、初耳だよな。依人、あんまり談話室に顔出さないし。
だから、依人は、良くも悪くも、寮の人間関係や情報から一線を引いている。
今さらながら気づいた事実に、自然な調子を装って会話を続ける。
「これもちなみにだけど、うちの体育祭の一番の見せ場は、三年生の応援合戦なんだよ。先輩みんなかっこよくて、楽しみなんだよね」
もちろん、俺の一番の楽しみは海先輩の雄姿だが。
思い出し笑いをした俺に、依人はとうとう嫌そうな声を出した。
「もう始めていいんですか、これ」
「あ、ごめん。始めて、始めて。っていうか、俺もやる。一番上の箱から確認して、オッケーなのが右で、駄目なのは左に入れよっか」
調子に乗って喋りすぎたかもしれない。慌てて段ボールの箱を開けると、中身を確認した依人が一瞬無言になった。
「……やば汚くないですか、ガチで」
「ああ、まぁ、洗濯してからしまってるはずなんだけど、歴戦のあれだから」
「誰もやりたがらないやつじゃないですか」
「後日、洗濯もしまーす」
「面倒くさいのオンパレードじゃないですか」
「まぁ、まぁ」
気持ちはわかるが、宥(なだ)めるしかない。
「だから、あの人うれしそうだったんだ」
依人の呆れ切った台詞を、はは、と笑い、俺は取り出した衣装の山を机に積み上げた。
俺と依人のいる教室の一番うしろの空間は、みんながわいわい作業する前方と比べ、少しだけ静かな時間が流れている。
……でも、正直助かるな。放っておいてくれて。
依人を連れて教室に入った直後は、興味本位の視線も多かった。今は意識して無視してくれているのだろう。
同級生の配慮に感謝して、正面に座る依人に視線を向ける。
はじめの一、二枚は嫌そうな顔をしていたが、三箱目に突入した今はすっかり慣れた雰囲気だ。
その顔を見つめ、ふっと目を細める。
放課後の教室の和気藹々とした空気も、窓から入るほのかにぬるい風も。なんだかんだ言いながら真面目に作業する依人の伏せた瞳も。
なんていうか、青春って感じだ。
「なんですか?」
「え?」
唐突に問いかけられ、俺はぱちりと瞬いた。確認を終えた衣装を箱に入れた依人が、改めて俺に言う。
「いや、なんかこっち見てたから」
「え、ああ、うん。いや、ありがとね」
うっかり凝視していた事実を誤魔化すべく、俺はお礼を告げた。そうしてから、これさ、と実情を打ち明ける。
「さっき依人が言ったとおりで、みんなやりたがらないやつなんだよね。俺はべつにやってもよかったんだけど。ふたり一組でやるのが基本だし」
「はぁ」
「もうひとりどうしようかなって思ってたから。依人が手伝ってくれて助かった。ほら、誰かに押しつけんのも悪いじゃん」
「俺への気遣いだけなくないですか、それ」
「そこは、ほら。ブラザーの宿命ってことで」
「宿命……」
「そう、そう。一蓮托生ってやつ。でも、大丈夫。依人が困ってたら、俺もなんでもやるから。安心していいよ」
自信満々に胸を張った俺に、依人はひとつ溜息を吐いた。
「先輩って、くじ引きで下から二番目のやつが当たっても、ドベじゃなくてよかったって喜びそうですよね」
「え、でも一番下より良くない?」
「…………」
「あ、これ? もしかして、依人とやってる今のこれのこと? 下から二番目とかじゃない、ない」
冷めた顔をした依人に、焦って否定する。
「巻き込んで悪かったとは思ってるけど、俺はむしろうれしいっていうか。様子見に行ってよかったなって、めっちゃ思ってる。マジ役得」
「わいわいしてるほうが好きなんじゃないんですか、先輩は」
「それはそれ、これはこれ。俺、依人と喋ってんの好きだよ」
教室の前方をちらりと見た依人に言い、俺は依人の頭を撫でようと手を伸ばした。
「依人」
ありがとね、と続けるつもりだった声かけが、音になる前に消える。
俺の手を依人が掴んだからだ。机ひとつ挟んだだけの、なんなら身を乗り出した分だけ、さらに近い距離で目が合う。
「え、っと……」
瞳の吸引力に負け、俺はたじろいだ声を出した。教室の前方はあいかわらずにぎやかなのに、なんだか妙に声が遠い。
「依人」
「先輩って」
「え? え、なに?」
きれいに重なった呼びかけに、またしても動転した声になる。でも、依人は気にしなかったみたいだった。淡々と俺に問いかける。
「俺が最初に言ったこと覚えてます?」
「最初?」
「歓迎会のあと、談話室で」
談話室。二拍ほど遅れて思い当たった光景に、俺は「ああ」と頷いた。その俺の顔をじっと見つめたまま、依人が言う。
「俺、男が好きだから。先輩の顔も好みだし、あんまり仲良くすると、好きになっちゃうかもしれないよ」
間違いなく聞いた覚えのある台詞で、質の悪い冗談と判じた台詞だった。
それなのに、改めて真顔で告げられたせいか、なんだかどうにも落ち着かない。
視線を泳がせたい衝動を堪え、俺は口を開いた。
「え、いや、……でも、あれって冗談じゃないの?」
「はぁ?」
誤魔化すように笑った俺と相反する声の低さに、ぎくりとする。心なしか、手を握る指の力が強くなったような。
「冗談っていうか、あの、俺が男同士のいろいろに偏見持つな的な説教したことに対する仕返しかなー、みたいな」
「…………」
「あの、依人?」
頭の痛そうな顔で黙り込んだ依人に阿ると、依人はめちゃくちゃ嫌そうに息を吐いた。「どうりで」と呟いて、俺の手を離す。
「平気な顔して触ってくると思った」
「平気な顔って、ぜんぶブラザー間の通常コミュニケーションじゃん」
「それは、先輩の思う『ふつう』でしょ」
わいわいと楽しそうに喋る同級生の声だとか、窓から入る風の音だとか。急速ににぎやかさの戻った室内で、依人はしれっと俺の反論を一蹴した。
そのまま黙々と手を動かし始めた依人を、じとりと見つめる。本当に、ああ言えばこう言うすぎるだろ。
「っていうか、逆に聞きたいんだけど。じゃあ、依人はどういう意図で言ったわけ。ほとんど初対面の、仮にも先輩に」
「ふつう、同室になる男にそういうこと言われたら、ヤバい、距離取ろうって思いません?」
「ああ、そういう……」
距離取ってほしかったわけね、と俺は納得した。まぁ、冗談か嫌味か牽制かのどれかだと思ってたけど。
はい、はい、とおざなりな相槌を打って、段ボールから衣装を取り出すと、今度は依人がじとりとした目になった。
「夏先輩って、たしかに害はないかもしれないですけど、ときどきめちゃくちゃ無神経ですよね。ノンデリっていうか」
「……今の俺の発言のどこがノンデリだったかわかんないけど、そこはごめん」
自覚はある、としおしお認めると、思いのほか穏やかな声が返ってきた。
「まぁ、べつにいいですけど」
「え?」
言葉どおりの許容した雰囲気に、落としていた視線を上げる。目が合った先で、ほんの少し依人の瞳の色が和らいだ気がした。
「俺も楽しくないわけじゃないんで」
「依人くーん、ちょっといい?」
へ、という間抜けな声とほとんど同時に響いた純平の呼び声に、慌てて視線を向ける。声の方向、教室の前方の入口にいるのは純平と、道長くんだ。
愛想良くぺこりと頭を下げた道長くんの隣で、純平がさらに声をかける。
「最後ちょっとだけ、依人くんに看板手伝ってもらいたいんやって。いい?」
「あ――、うん。大丈夫。ありがとね、依人。たくさん手伝ってくれて」
どうにかそう言うと、依人は「はぁ」と面倒くさそうに立ち上がった。でも、たぶん、本心から気が重いという顔じゃない。
歩き出そうとした依人に、俺は小声で呼びかけた。
「よかったね、依人」
「いや、マジで、それはよけいなお世話です」
反抗期さながらの悪態が、なんだか妙にほっとする。気づいた自分の心境に、俺は、はは、と苦笑いを浮かべた。
かわいくて素直なブラザーを熱望していたくせになんなのかと言われると、返す言葉はない。本当にないんだけど。
教室を出ていったふたりを見送り、ぽつりとひとりごちる。
「なんか、心臓に悪……」
結論。普段ツンケンしているブラザーが、急に素直さの片鱗を見せると、俺が死ぬ。
深々と息を吐き、俺はのそりと作業を再開した。急にデレるなよなぁとお門違いな文句を内心で吐きながら。
おかげで、なんか、謎にときめいちゃったじゃん。
……なんだかんだで、依人もマシになったと思ってたんだけどなぁ。
体育祭の準備時間にあてられた、ホームルームのさなか。校舎一階の廊下の窓枠に肘を置いた俺は、中庭を眺めながら首をひねっていた。
中庭で作業しているのは、うちの寮の一年生たちだ。一年生の主な作業内容は応援看板の作成で、楽しい共同作業のはずなのだが。
「依人の話しかけるなオーラがやばすぎる……」
ぽつりと呟いて、改めて依人の様子を確認する。
大きな模造紙を広げ、みんながわいわいと作業する中、ひとり黙々と仕事をこなす依人の背中は、はっきり言ってめちゃくちゃ悪目立ちしていた。
純平が、「ほんま頼むで」と俺に圧をかけたのも納得というレベル。
看板つくるの、俺は楽しかったけどな。去年の今ごろを思い返していると、純平のブラザーの道長くんが目に留まった。
輪を離れた道長くんが依人に歩み寄り、なにやら話しかけている。みんなのところに誘ってくれていると気づき、俺は「お」と声をもらした。
……いい子だよなぁ、道長くん……って、断んのかよ!
すげなく一蹴したらしい依人の反応に、思わず身を乗り出す。
ツンケンする人間に声をかける行為は、勇気がいると知っているからだ。それをあいつは、ともやもやしていると、立ち上がってこちらを向いた依人と目が合った。
俺を見とめた依人の表情が、徐々にバツの悪いものになる。
「あー……、依人」
気まずそうな変化に根負けし、俺は来い来いと手招いた。むっすりとした顔で近づいてきた依人に、少しだけ呆れた声を出す。
「気まずくなって立ち上がるくらいなら、優しく対応してあげたらいいじゃん。優しく声かけてくれたんでしょ? 道長くん」
「寮生委員の先輩に頼まれたんじゃないですか。そうでもなきゃ、ふつうかまわないでしょ」
ふつうに考えて、俺なんか、と言いたげな依人の背後。つまるところ、俺たちのやりとりを見守っている道長くんに目を向ける。
あの顔は、自分がよけいなこと言ったかな、とか。依人が俺に怒られないかな、とか。そういう心配をしてくれている顔だと思うよ、と俺の想像を伝えることは簡単だ。でも。
「前から気になってたんだけどさ。依人、『ふつうに考えて』とか、『世間一般的に』みたいな言い方、よくするよね」
俺の指摘に、依人は小さく瞬いた。
よけいな口出しだっただろうか。不安になったものの、俺は言い切ることを選んだ。
「あんまりよくないと思うよ、俺。『ふつう』なんて結局、自分の価値観なんだし。『俺はこう思う』でいいじゃん」
「いや、なんの説教ですか、それ」
「説教っていうか、……うーん。じゃあ、質問なんだけど、依人はなんで俺がここにいたと思う?」
「知るわけないでしょ」
面倒くさいという感情を隠すことなく、依人が眉を寄せる。
「先輩も寮生委員の先輩に頼まれました? 仲良さそうですもんね」
「それもある」
純平の話が気になって、ごみ捨てついでに一年生の作業場に足を運んだことは事実だ。依人の予想を素直に認め、顔の前でピースをつくる。
「でも、それだけじゃないよ。俺が気になったから来たの。そしたら、依人、道長くんにさっそくツンケンしてんだもん。来て正解」
にこりと笑った俺に、依人はじとりとした視線を返した。
「マジで小学生の屁理屈みたいなこと言いますね」
「まぁ、屁理屈だけど。いろんな側面があるよって言いたかっただけ。悪い面ばっか見て嫌な気持ちになるより、いい面見たほうが楽しくない?」
道長くんだって、依人と仲良くなりたかったのかもしれないよ、という。依人の言う小学生じみた俺の言外を、依人はばっちり汲み取ったらしい。
なんとも言えない沈黙を挟み、依人が唇を曲げる。
拗ねた顔の幼さに、しかたないなぁという気分で、俺は苦笑をこぼした。
俺が言わなくても、道長くんの好意もわかっていたと思うけど(気まずそうな顔をしていたのが、いい証拠だと思う)。
わかった上で素直になれないのも、それはそれでしんどいんだろう。
「今日、放課後もこのまま作業でしょ。看板作業は人手足りてそうだし、二年の手伝い来る気ない?」
「は?」
「二年の作業って、備品チェックとか、三年生の応援合戦の準備とか、細々したやつが多くてさ。人手が増えると助かるんだよね」
「……なんで、俺」
「二年の作業に、一年の看板づくりのフォローとか、そういう人数調整も含まれてるから?」
首を傾げると、依人はめちゃくちゃ苦い顔で黙り込んだ。
なんか、勝手に借りつくったって思ってそうだな。野生動物だし。そんなことを考えつつ返事を待っていると、依人が小さく頷いた。
渋々といった雰囲気の了承を笑い、道長くんに少し大きな声で呼びかける。
「道長くん、ごめん。ちょっと二年の作業場、人が足りなくてさ。依人借りてくね」
「わかりました、了解です」
百点満点のいい子の返事をした道長くんが、「高見くん」と依人に声をかけた。
「じゃあ、そっち、がんばってね」
名指しでの応援に無反応を貫くことはできなかったらしい。道長くんのほうを振り返った依人が、軽く頭を下げる。
……こういうとこがかわいいんだよな、結局。
悪ぶり切れない性根が透ける部分に絆されるというか、なんというか。
かわいいを連呼する俺に、「本気で言ってんの」と沢見は引いた顔をするけれど、かわいいに決まっているのだった。
にっこり笑った道長くんに手を振って、依人に「こっち」と少し先にある渡り廊下を示す。
「そこから入っておいでよ。上の空き教室でやってるから」
溜息ひとつで窓際を離れた依人が、渡り廊下から校舎に入ってくる。それを待って、俺は依人と歩き始めた。
そういえば、ふたりで校舎を歩くのははじめてだなぁ、なんて。のんきな思考に浸っていると、依人がぽつりと口を開いた。
「知ってましたけど」
「ん?」
「先輩って、めちゃくちゃお節介ですよね」
「うざい? まぁ、でも、ブラザーの特権ってことで」
けっこう説教くさいことも言っちゃったけど、と続け、なんでもないように笑う。
実際、ブラザーとしては当然の行動だったつもりだ。
「だからさぁ、依人も甘えていいよ。同級生にツンケンするのがしんどいんだったら、俺にツンツンしてたらいいし」
「いや、なんでですか」
「ん? だって、依人のことかわいいって思ってるし」
答えたあとで、依人の疑問は「同級生にツンケンするのがしんどい」と評したほうにかかっていたのかな、と気がついた。横目で依人を見る。
……ま、いいか。
あいかわらずの平淡な横顔に、俺は蒸し返すことをやめた。
ブラザーとして依人のことを知りたいと思っているけど、なにからなにまで無遠慮に知りたいわけじゃない。
それに、俺だって言いたくないことはある。そういうものだと自戒して、目的の教室のドアを引く。
「ただいまー。ごめん、遅くなった。――あ、純平」
ちょうど近くにいた純平に声をかけると、純平は「げ」という顔をした。
一年生と仲良くさせろと言ったのに、なんで連れてきたと思っているに違いない。だが、純平はすぐに愛想のいい顔に切り替えた。
「遅なったはええんやけど、どうしたん? もしかして、依人くん、なんか質問あった?」
「ううん。一年のとこは手ぇ足りてたから、こっち手伝ってもらおうと思って」
依人に代わって答えた俺と無言の依人を見比べること数秒。純平は思いきり妥協した。
「まぁ、ええか。人手足らんのはほんまやし。依人くんもええんやんね? 夏に無理やり押し切られたわけやないんよな」
「はぁ、まぁ」
「じゃあ、奥の机使っていい? 依人と一緒に衣装のチェックしようかなって」
無理やり押し切ったって人聞き悪いなと内心憤慨しながら尋ねると、純平の目が輝いた。
「嘘、ほんまに? ありがとう、正直めっちゃ助かる!」
「だと思った。いいよ、いいよ。俺も気になってたから。――依人」
嬉々とした純平のテンションにだろう、不審げな顔をした依人を、「じゃあ、始めよっか」と促して移動する。
移動先は、教室の後方だ。壁際に設置されたロッカーの前に、衣装が入った段ボールが三つ積み上がっている。
近くに机と椅子を動かし、段ボール箱を新しくふたつ組み立てていると、依人が不思議そうに口を挟んだ。
「なんなんですか、衣装って」
「あ、えっとね。そうだ、とりあえず、そっちの椅子座って。説明するし」
なんか、すごいブラザーっぽいな、と感動しつつ、積み上がった段ボールを指し示す。
「さっき言ってた三年生が応援合戦のときに使う衣装。倉庫から持ってきたやつなんだけど、古い衣装も混ざってるから、きれいなものを選別するの」
「そっちの空の段ボールにセーフとアウト分けて入れたらいい感じですか?」
「そう、そう。そんな感じ。補修もするんだけど、今日は選別と片づけで終わりかな。今年のうちの寮は学ランだけど、袴とかいろいろあるんだよ」
「へぇ」
「ちなみにだけど、学ランは大当たり。袴だと準備大変なんだって。まぁ、去年の三年生は新選組やるって喜んでたけど」
つまり、海先輩たちは苦労したということだ。
「へぇ」という淡々とした相槌に、ちらりと様子を窺う。俺の話を長いと感じているのか、依人はちょっとつまらないというような顔をしていた。
……興味なさそうだけど、でも、たぶん、初耳だよな。依人、あんまり談話室に顔出さないし。
だから、依人は、良くも悪くも、寮の人間関係や情報から一線を引いている。
今さらながら気づいた事実に、自然な調子を装って会話を続ける。
「これもちなみにだけど、うちの体育祭の一番の見せ場は、三年生の応援合戦なんだよ。先輩みんなかっこよくて、楽しみなんだよね」
もちろん、俺の一番の楽しみは海先輩の雄姿だが。
思い出し笑いをした俺に、依人はとうとう嫌そうな声を出した。
「もう始めていいんですか、これ」
「あ、ごめん。始めて、始めて。っていうか、俺もやる。一番上の箱から確認して、オッケーなのが右で、駄目なのは左に入れよっか」
調子に乗って喋りすぎたかもしれない。慌てて段ボールの箱を開けると、中身を確認した依人が一瞬無言になった。
「……やば汚くないですか、ガチで」
「ああ、まぁ、洗濯してからしまってるはずなんだけど、歴戦のあれだから」
「誰もやりたがらないやつじゃないですか」
「後日、洗濯もしまーす」
「面倒くさいのオンパレードじゃないですか」
「まぁ、まぁ」
気持ちはわかるが、宥(なだ)めるしかない。
「だから、あの人うれしそうだったんだ」
依人の呆れ切った台詞を、はは、と笑い、俺は取り出した衣装の山を机に積み上げた。
俺と依人のいる教室の一番うしろの空間は、みんながわいわい作業する前方と比べ、少しだけ静かな時間が流れている。
……でも、正直助かるな。放っておいてくれて。
依人を連れて教室に入った直後は、興味本位の視線も多かった。今は意識して無視してくれているのだろう。
同級生の配慮に感謝して、正面に座る依人に視線を向ける。
はじめの一、二枚は嫌そうな顔をしていたが、三箱目に突入した今はすっかり慣れた雰囲気だ。
その顔を見つめ、ふっと目を細める。
放課後の教室の和気藹々とした空気も、窓から入るほのかにぬるい風も。なんだかんだ言いながら真面目に作業する依人の伏せた瞳も。
なんていうか、青春って感じだ。
「なんですか?」
「え?」
唐突に問いかけられ、俺はぱちりと瞬いた。確認を終えた衣装を箱に入れた依人が、改めて俺に言う。
「いや、なんかこっち見てたから」
「え、ああ、うん。いや、ありがとね」
うっかり凝視していた事実を誤魔化すべく、俺はお礼を告げた。そうしてから、これさ、と実情を打ち明ける。
「さっき依人が言ったとおりで、みんなやりたがらないやつなんだよね。俺はべつにやってもよかったんだけど。ふたり一組でやるのが基本だし」
「はぁ」
「もうひとりどうしようかなって思ってたから。依人が手伝ってくれて助かった。ほら、誰かに押しつけんのも悪いじゃん」
「俺への気遣いだけなくないですか、それ」
「そこは、ほら。ブラザーの宿命ってことで」
「宿命……」
「そう、そう。一蓮托生ってやつ。でも、大丈夫。依人が困ってたら、俺もなんでもやるから。安心していいよ」
自信満々に胸を張った俺に、依人はひとつ溜息を吐いた。
「先輩って、くじ引きで下から二番目のやつが当たっても、ドベじゃなくてよかったって喜びそうですよね」
「え、でも一番下より良くない?」
「…………」
「あ、これ? もしかして、依人とやってる今のこれのこと? 下から二番目とかじゃない、ない」
冷めた顔をした依人に、焦って否定する。
「巻き込んで悪かったとは思ってるけど、俺はむしろうれしいっていうか。様子見に行ってよかったなって、めっちゃ思ってる。マジ役得」
「わいわいしてるほうが好きなんじゃないんですか、先輩は」
「それはそれ、これはこれ。俺、依人と喋ってんの好きだよ」
教室の前方をちらりと見た依人に言い、俺は依人の頭を撫でようと手を伸ばした。
「依人」
ありがとね、と続けるつもりだった声かけが、音になる前に消える。
俺の手を依人が掴んだからだ。机ひとつ挟んだだけの、なんなら身を乗り出した分だけ、さらに近い距離で目が合う。
「え、っと……」
瞳の吸引力に負け、俺はたじろいだ声を出した。教室の前方はあいかわらずにぎやかなのに、なんだか妙に声が遠い。
「依人」
「先輩って」
「え? え、なに?」
きれいに重なった呼びかけに、またしても動転した声になる。でも、依人は気にしなかったみたいだった。淡々と俺に問いかける。
「俺が最初に言ったこと覚えてます?」
「最初?」
「歓迎会のあと、談話室で」
談話室。二拍ほど遅れて思い当たった光景に、俺は「ああ」と頷いた。その俺の顔をじっと見つめたまま、依人が言う。
「俺、男が好きだから。先輩の顔も好みだし、あんまり仲良くすると、好きになっちゃうかもしれないよ」
間違いなく聞いた覚えのある台詞で、質の悪い冗談と判じた台詞だった。
それなのに、改めて真顔で告げられたせいか、なんだかどうにも落ち着かない。
視線を泳がせたい衝動を堪え、俺は口を開いた。
「え、いや、……でも、あれって冗談じゃないの?」
「はぁ?」
誤魔化すように笑った俺と相反する声の低さに、ぎくりとする。心なしか、手を握る指の力が強くなったような。
「冗談っていうか、あの、俺が男同士のいろいろに偏見持つな的な説教したことに対する仕返しかなー、みたいな」
「…………」
「あの、依人?」
頭の痛そうな顔で黙り込んだ依人に阿ると、依人はめちゃくちゃ嫌そうに息を吐いた。「どうりで」と呟いて、俺の手を離す。
「平気な顔して触ってくると思った」
「平気な顔って、ぜんぶブラザー間の通常コミュニケーションじゃん」
「それは、先輩の思う『ふつう』でしょ」
わいわいと楽しそうに喋る同級生の声だとか、窓から入る風の音だとか。急速ににぎやかさの戻った室内で、依人はしれっと俺の反論を一蹴した。
そのまま黙々と手を動かし始めた依人を、じとりと見つめる。本当に、ああ言えばこう言うすぎるだろ。
「っていうか、逆に聞きたいんだけど。じゃあ、依人はどういう意図で言ったわけ。ほとんど初対面の、仮にも先輩に」
「ふつう、同室になる男にそういうこと言われたら、ヤバい、距離取ろうって思いません?」
「ああ、そういう……」
距離取ってほしかったわけね、と俺は納得した。まぁ、冗談か嫌味か牽制かのどれかだと思ってたけど。
はい、はい、とおざなりな相槌を打って、段ボールから衣装を取り出すと、今度は依人がじとりとした目になった。
「夏先輩って、たしかに害はないかもしれないですけど、ときどきめちゃくちゃ無神経ですよね。ノンデリっていうか」
「……今の俺の発言のどこがノンデリだったかわかんないけど、そこはごめん」
自覚はある、としおしお認めると、思いのほか穏やかな声が返ってきた。
「まぁ、べつにいいですけど」
「え?」
言葉どおりの許容した雰囲気に、落としていた視線を上げる。目が合った先で、ほんの少し依人の瞳の色が和らいだ気がした。
「俺も楽しくないわけじゃないんで」
「依人くーん、ちょっといい?」
へ、という間抜けな声とほとんど同時に響いた純平の呼び声に、慌てて視線を向ける。声の方向、教室の前方の入口にいるのは純平と、道長くんだ。
愛想良くぺこりと頭を下げた道長くんの隣で、純平がさらに声をかける。
「最後ちょっとだけ、依人くんに看板手伝ってもらいたいんやって。いい?」
「あ――、うん。大丈夫。ありがとね、依人。たくさん手伝ってくれて」
どうにかそう言うと、依人は「はぁ」と面倒くさそうに立ち上がった。でも、たぶん、本心から気が重いという顔じゃない。
歩き出そうとした依人に、俺は小声で呼びかけた。
「よかったね、依人」
「いや、マジで、それはよけいなお世話です」
反抗期さながらの悪態が、なんだか妙にほっとする。気づいた自分の心境に、俺は、はは、と苦笑いを浮かべた。
かわいくて素直なブラザーを熱望していたくせになんなのかと言われると、返す言葉はない。本当にないんだけど。
教室を出ていったふたりを見送り、ぽつりとひとりごちる。
「なんか、心臓に悪……」
結論。普段ツンケンしているブラザーが、急に素直さの片鱗を見せると、俺が死ぬ。
深々と息を吐き、俺はのそりと作業を再開した。急にデレるなよなぁとお門違いな文句を内心で吐きながら。
おかげで、なんか、謎にときめいちゃったじゃん。

