※
繊細な野生動物という表現は、ちょっとあれかもしれないが、求める対人関係の距離感は人それぞれ。
依人が安心できる部屋を目標に定めた俺は、過剰にかまうことを控え、依人にとって居心地のいい空間になるよう必死に努めていた。いたのだが。
「結局、ぜんぜん帰ってこねぇし!」
一緒に勉強とか、一緒に風呂のレベルじゃない。この部屋で一緒に過ごす時間のほとんどが寝てるときなんじゃないの、というレベル。
叫んだのち、俺は勉強机の片づけに取りかかった。
現時刻、二十一時三十分。この時間を過ぎても帰ってこない場合、俺の精神安定のために探しに行くと決めているのだ。
ぺたぺたと迷わず廊下を進み、非常階段のドアノブをひねる。
「依人ー……、あ、いた」
依人がここにいる確率は、だいたい七十パーセント。
今日もいたとほっとしていると、外を眺めていた依人が俺を振り返った。
「うわ、また出た」
「また出たって。言ったじゃん、九時半過ぎたら迎えに行くって。依人も好きにしたらって言ったよね?」
軽く言い返し、依人の隣に並ぶ。
手すりに肘をついても当たらない距離を取っただけ、野生動物に配慮したつもりだったのに。依人は唇をつり上げた。
「たしかに言いましたけど。夏先輩はかわいいブラザーを信用してないってことですね」
「それを言われるとちょっとつらいんだけど、いや、でも、前科があるからな……!」
「前科って」
呆れたように小さく笑う横顔に、会話、続くようになったなぁ、と目を細める。
寮の部屋だとあいかわらずなことも多いけど、それでも。「はぁ」、「べつに」の二択だった時期を思えば、雲泥の差だ。
だからこそ、部屋にいてくれるようになったら、うれしいんだけどな。願望を抱えたまま、俺は問いかけた。
「っていうかさ。今さらだけど、依人よくここにいるよね。好きなの?」
「好きっていうか、静かだって聞いたから。実際、静かだし」
「聞いたって、え? 誰に?」
……依人、そんなこと聞ける先輩の知り合い、いたんだ。
それは、まぁ、集団生活の寮において、非常階段はひとりになることのできる穴場だと思うけど。
我慢できず、俺は「なんか、ずるい」と吐き出した。
「は? ずるいってなにが」
「いや、依人はぜんぜんずるくないし、悪くないんだけど、俺が教えたかった……。なんか、めちゃくちゃブラザーって感じじゃん……」
「なに言ってんですか」
悔しがった俺に、理解不能という顔で依人が首を傾げる。
「先輩がしおりに書いてたんでしょ」
「へ? 読んでたの?」
「……まぁ」
「マジで? ゴミ箱にポイ捨てしたんじゃなかったんだ……!」
部屋のゴミ箱で発見しなかっただけマシと自分を慰めていたので、感動がヤバい。
一転してきらきらした俺の反応に、依人は気まずそうに視線を外した。
「だって、捨てづらいでしょ、ふつう。がんばって手づくりしましたみたいなやつ」
「うん、うん」
「うん、うんって。それだけですからね、本当。ふつうに考えて、捨てづらいっていう」
「うん、うん」
相槌を繰り返し、よしよしと依人の頭を撫でる。
不機嫌そうな「ちょっと」という声と一緒に振り払われたものの、正直、まったくノーダメージだ。
「読んでくれてありがとね。いや、マジでかわいい。うれしい、かわいい」
「かわいくねぇし、頭ぐしゃぐしゃ撫でるのマジでやめてください。ほとんど背も変わんないでしょ、俺も先輩も」
「それはそうだけど」
でも、俺、先輩だし、ブラザーだしなぁとにまにましていると、依人が溜息を吐いた。
「本当、ここ、マジで距離感おかしい」
「でもさぁ、依人もここに来て一ヶ月じゃん。そろそろ慣れない?」
「慣れません」
「依人~」
和やかだった空気を一掃するピシャリとした言い方に、呼びかけが恨みがましいものになる。嫌がるふりではなく、本心とわかったからだ。
入学直後に比べると、たしかに会話は続くようになった。
でも、依人は自分が壁をゆるめたと気づくと、こういう態度を取る。だから、みんな、依人に近づくことを躊躇する。
それは、集団生活において、あまり望ましくないことだ。
「あのさ。よけいなお世話だとは思うんだけど。依人、交流する気ないままじゃん。かまわれたくないのはわかるけど、寮生活なんだし。最低限の交流は必要だと思うよ、俺」
「…………」
「依人のためにもだけど、周りのためにも」
黙り込んだ依人に、諭すように俺は言った。
郊外にある爽青学園の近くには、娯楽施設どころかコンビニのひとつも存在しない。
もちろん、学園内に購買はある。週末には市街地に行くバスが往復運行している。けれど、入学前までの環境に比べ圧倒的に娯楽が少ないことは事実だ。
ある種の閉塞的な環境で、寮内の交流が娯楽の中心になるのはあたりまえなんじゃないかな、と思う。
……ブラザーとしても場は乱してほしくないけど。それ以上に、依人に静かすぎる夜を過ごしてほしくないんだよな。
たまになら息抜きでも、毎日だと寂しい。押しつけとわかっていても、俺はそう思ってしまう。
「その、なんていうか、同室のブラザーは選べないからさ。俺と合わないのは申し訳ないと思うけど。でも、寮のある学校は依人が選んだわけじゃん」
夜風に揺れる依人の髪を見つめつつ、俺はできるだけ淡々と言い募った。
「寮生全員気に食わない、誰とも交流する気がないは、ちょっとわがままだと俺は思うよ。いろんな人間がいるに決まってるんだからさ、入った以上は受け入れる努力はしようよ」
慣れない説教に内心めちゃくちゃドキドキしていると、依人は髪を耳にかけた。前を向いたまま、静かに口を開く。
「べつに、気に食わないわけじゃないですけど」
「あ、じゃあ、仲良く……」
「でも、それとこれとは話が別だと思います」
能天気な提案を踏みつける調子に、思わずぎょっとする。続いたのは、諦めろと言わんばかりの言葉だった。
「それに、ひとり態度の悪い新入生がいたって、そこまでの害はないと思いますけど。そのうち空気になりますよ。あ、あいつは喋んないんだって。それで終わり」
「終わりって、あのね。依人」
「まぁ、だから、先輩は、同室の相手が最悪だったんだなと思って諦めてください。選べるもんじゃないんだから、しかたないですよね」
いや、ああ言えば、こう言うすぎるだろ。
沈黙した俺に向かい、依人は「それと」と言い放った。この瞬間に限って言えば、やっぱりめちゃくちゃかわいくない。
「全寮制の高校を選んだのは、地元を離れたかったからです。特待生待遇で入学できるのがここだけだったっていう消去法」
「……本当、ああ言えばこう言う」
もやりと動いた感情を呑み、唇を尖らせる。無遠慮に追及するには、開示された情報は重すぎた。
……だって、地元でなんかあったってことだろ、たぶん。
家族なのか、友人関係なのか、それ以外のなにかなのか。なにもわからないけど、そういう嫌なことが。
猪突猛進、若干ノンデリと評される俺にだって、その程度の線引きはある。手すりに肘をついたまま唸った俺を一瞥し、依人は意地悪く笑った。
「ほら。最悪でかわいくないでしょ」
だから、仲良くなるのは諦めてくださいってか。冷めた態度を貫くせいで大人びて見える横顔を眺め、俺は小さく息を吐いた。
依人が本当に交流が嫌なら、無理強いは駄目だと思う。でも。
……ぜんぶ、俺の予想だけど、やっぱり、こいつ、人嫌いなわけじゃないと思うんだよな。
意図的に嫌な言い方をしているんだろうなぁと思うときはあっても、明確な悪意を感じたことはない。
さっきの言い方もそうだ。「問題があるのはぜんぶ自分」と言っているようにしか、俺には聞こえなかった。
「あのさ、俺のモットーは『やってみないとわかんない』なんだけど」
「は?」
「いや、だから、試しに俺と仲良くしてみないかなと思って。死ぬほどうざいわけじゃないんだろ?」
なに言ってんだ、こいつ、という顔で固まった依人に向かって、にこりとほほえむ。
「自分で言うのもなんだけど、俺、わりと害はないと思うよ。沢見は馬鹿犬って言ってたけど」
「馬鹿犬……」
呆れ切った、なんなら、ちょっと引いた感じの反応はスルーして、俺はあえて自信満々に言い切った。
「気に食わないわけじゃないなら、まずは俺とブラザーとして仲良くしてみようよ。消去法で選んだだけだったとしても、同じ三年過ごすなら楽しいほうが絶対いいじゃん」
依人が壁をつくる理由はわからないけど、少しだけ共感できることがある。
ここに入学した当時の俺も、いろいろあって人との接し方がわからなくなっていたからだ。
そんな俺が楽しく過ごすことができるようになったのは、海先輩のサポートがあったから。
だから、俺も、海先輩が支えてくれたみたいに、後輩のブラザーを支えたい。依人と会う前から、決めていたこと。
じっと話を聞いていた依人が、ひとつ溜息を吐いた。
「俺のモットーは『他人に過剰に期待しない』なんですけど」
「え? ああ、うん」
それはそれで厨二なモットーだなと思っていた俺に、依人が問い重ねる。見事なまでに嫌そうな声音だった。
「先輩の言うとおり、試しにブラザーやってみたとして。ヤバいことになったらどうするんですか」
「ヤバいこと?」
問い返したものの、返事はない。しかたがないので、俺は答えになりそうなものをひねり出した。
「あー……、俺のうざさに依人がキレて、修復不可能なレベルで仲が悪くなるとか?」
たしかにそれはヤバいことだな。無言を肯定と捉え、苦笑する。
「でも、やらなかったら、これ以上、仲が悪くなることはなくても、仲良くもならないじゃん? だったら、俺はやってみるほうがいいな」
「マジ脳内お花畑じゃないですか」
「でもさ。やって後悔も嫌かもだけど、やらない後悔のほうがでかくない?」
そういったわけでの「やってみないとわかんない」。
後悔することはあっても、やらないよりはマシ。まぁ、もちろん、大後悔することもあるんだけど。
わたわたと自論を展開する俺を凝視すること、数秒。
勝手にしてくれと言わんばかりの投げやりさで「べつにいいですけど」と依人はオッケーを出した。
思いのほかすんなり得た了承に、ぱっと顔が輝く。
「え、本当?」
「仲良くしたいなら、満足するまで勝手にしてくださいっていうだけです。やったところで、俺も、先輩も楽しくないと思いますけど」
「それはないと思うよ」
あっけらかんと言い返した俺に、依人は一瞬めちゃくちゃ苦い顔をした。その顔を真正面から見据え、はっきり繰り返す。
「やってみないとわかんないけど、でも、きっと楽しいと思うよ」
まぁ、そうなったらいいなぁという願望も含まれているわけだけど。
笑った俺に、依人がなにか言おうとした瞬間、背後でバタンとドアが開く音がした。
「ふたり揃って部屋におらんと思ったら、なにしてんの、ちょっと、ほんまに」
点呼終わったで、という呆れた純平の声に、ぎょっとして振り返る。点呼時の不在は完全にイエローカードコースだ。
「嘘。マジごめん! 時間過ぎてんの気づかなかった」
「気づいてへんかったって。気にしときよ、とくに夏。もう二年目やねんから。というか、同じ部屋なんやで部屋で話したらええやろ」
「それはそうなんだけどさぁ」
「依人くんも。なんやかんやですぐにイエロー溜まるで、気ぃつけや」
「……すみません」
純平の注意に、依人が渋々といった感じで頭を下げる。その態度に、俺は笑いを噛み殺した。
自分だけのせいじゃないと思っていることがまるわかりで、かわいかったのだ。
……こういう素直さというか、幼さというか。結局、かわいいんだよな、なんか。
イラッとすることがないとは言わないけど、それも、まぁ、お互いさまなんだろうし。
悪ぶり切れないところも含めて、俺のかわいいブラザーということにしておこう。俺はそう思い切った。
純平と別れ、依人とふたりで部屋に戻る道すがら。ちょっと拗ねたような横顔に、改めて一年後に楽しかったと言わせてやると決意する。
そんなわけで。依人と同室になって一ヶ月近くが経った今日。お試しからでいいので仲良くしてみよう計画は始動したのだった。
繊細な野生動物という表現は、ちょっとあれかもしれないが、求める対人関係の距離感は人それぞれ。
依人が安心できる部屋を目標に定めた俺は、過剰にかまうことを控え、依人にとって居心地のいい空間になるよう必死に努めていた。いたのだが。
「結局、ぜんぜん帰ってこねぇし!」
一緒に勉強とか、一緒に風呂のレベルじゃない。この部屋で一緒に過ごす時間のほとんどが寝てるときなんじゃないの、というレベル。
叫んだのち、俺は勉強机の片づけに取りかかった。
現時刻、二十一時三十分。この時間を過ぎても帰ってこない場合、俺の精神安定のために探しに行くと決めているのだ。
ぺたぺたと迷わず廊下を進み、非常階段のドアノブをひねる。
「依人ー……、あ、いた」
依人がここにいる確率は、だいたい七十パーセント。
今日もいたとほっとしていると、外を眺めていた依人が俺を振り返った。
「うわ、また出た」
「また出たって。言ったじゃん、九時半過ぎたら迎えに行くって。依人も好きにしたらって言ったよね?」
軽く言い返し、依人の隣に並ぶ。
手すりに肘をついても当たらない距離を取っただけ、野生動物に配慮したつもりだったのに。依人は唇をつり上げた。
「たしかに言いましたけど。夏先輩はかわいいブラザーを信用してないってことですね」
「それを言われるとちょっとつらいんだけど、いや、でも、前科があるからな……!」
「前科って」
呆れたように小さく笑う横顔に、会話、続くようになったなぁ、と目を細める。
寮の部屋だとあいかわらずなことも多いけど、それでも。「はぁ」、「べつに」の二択だった時期を思えば、雲泥の差だ。
だからこそ、部屋にいてくれるようになったら、うれしいんだけどな。願望を抱えたまま、俺は問いかけた。
「っていうかさ。今さらだけど、依人よくここにいるよね。好きなの?」
「好きっていうか、静かだって聞いたから。実際、静かだし」
「聞いたって、え? 誰に?」
……依人、そんなこと聞ける先輩の知り合い、いたんだ。
それは、まぁ、集団生活の寮において、非常階段はひとりになることのできる穴場だと思うけど。
我慢できず、俺は「なんか、ずるい」と吐き出した。
「は? ずるいってなにが」
「いや、依人はぜんぜんずるくないし、悪くないんだけど、俺が教えたかった……。なんか、めちゃくちゃブラザーって感じじゃん……」
「なに言ってんですか」
悔しがった俺に、理解不能という顔で依人が首を傾げる。
「先輩がしおりに書いてたんでしょ」
「へ? 読んでたの?」
「……まぁ」
「マジで? ゴミ箱にポイ捨てしたんじゃなかったんだ……!」
部屋のゴミ箱で発見しなかっただけマシと自分を慰めていたので、感動がヤバい。
一転してきらきらした俺の反応に、依人は気まずそうに視線を外した。
「だって、捨てづらいでしょ、ふつう。がんばって手づくりしましたみたいなやつ」
「うん、うん」
「うん、うんって。それだけですからね、本当。ふつうに考えて、捨てづらいっていう」
「うん、うん」
相槌を繰り返し、よしよしと依人の頭を撫でる。
不機嫌そうな「ちょっと」という声と一緒に振り払われたものの、正直、まったくノーダメージだ。
「読んでくれてありがとね。いや、マジでかわいい。うれしい、かわいい」
「かわいくねぇし、頭ぐしゃぐしゃ撫でるのマジでやめてください。ほとんど背も変わんないでしょ、俺も先輩も」
「それはそうだけど」
でも、俺、先輩だし、ブラザーだしなぁとにまにましていると、依人が溜息を吐いた。
「本当、ここ、マジで距離感おかしい」
「でもさぁ、依人もここに来て一ヶ月じゃん。そろそろ慣れない?」
「慣れません」
「依人~」
和やかだった空気を一掃するピシャリとした言い方に、呼びかけが恨みがましいものになる。嫌がるふりではなく、本心とわかったからだ。
入学直後に比べると、たしかに会話は続くようになった。
でも、依人は自分が壁をゆるめたと気づくと、こういう態度を取る。だから、みんな、依人に近づくことを躊躇する。
それは、集団生活において、あまり望ましくないことだ。
「あのさ。よけいなお世話だとは思うんだけど。依人、交流する気ないままじゃん。かまわれたくないのはわかるけど、寮生活なんだし。最低限の交流は必要だと思うよ、俺」
「…………」
「依人のためにもだけど、周りのためにも」
黙り込んだ依人に、諭すように俺は言った。
郊外にある爽青学園の近くには、娯楽施設どころかコンビニのひとつも存在しない。
もちろん、学園内に購買はある。週末には市街地に行くバスが往復運行している。けれど、入学前までの環境に比べ圧倒的に娯楽が少ないことは事実だ。
ある種の閉塞的な環境で、寮内の交流が娯楽の中心になるのはあたりまえなんじゃないかな、と思う。
……ブラザーとしても場は乱してほしくないけど。それ以上に、依人に静かすぎる夜を過ごしてほしくないんだよな。
たまになら息抜きでも、毎日だと寂しい。押しつけとわかっていても、俺はそう思ってしまう。
「その、なんていうか、同室のブラザーは選べないからさ。俺と合わないのは申し訳ないと思うけど。でも、寮のある学校は依人が選んだわけじゃん」
夜風に揺れる依人の髪を見つめつつ、俺はできるだけ淡々と言い募った。
「寮生全員気に食わない、誰とも交流する気がないは、ちょっとわがままだと俺は思うよ。いろんな人間がいるに決まってるんだからさ、入った以上は受け入れる努力はしようよ」
慣れない説教に内心めちゃくちゃドキドキしていると、依人は髪を耳にかけた。前を向いたまま、静かに口を開く。
「べつに、気に食わないわけじゃないですけど」
「あ、じゃあ、仲良く……」
「でも、それとこれとは話が別だと思います」
能天気な提案を踏みつける調子に、思わずぎょっとする。続いたのは、諦めろと言わんばかりの言葉だった。
「それに、ひとり態度の悪い新入生がいたって、そこまでの害はないと思いますけど。そのうち空気になりますよ。あ、あいつは喋んないんだって。それで終わり」
「終わりって、あのね。依人」
「まぁ、だから、先輩は、同室の相手が最悪だったんだなと思って諦めてください。選べるもんじゃないんだから、しかたないですよね」
いや、ああ言えば、こう言うすぎるだろ。
沈黙した俺に向かい、依人は「それと」と言い放った。この瞬間に限って言えば、やっぱりめちゃくちゃかわいくない。
「全寮制の高校を選んだのは、地元を離れたかったからです。特待生待遇で入学できるのがここだけだったっていう消去法」
「……本当、ああ言えばこう言う」
もやりと動いた感情を呑み、唇を尖らせる。無遠慮に追及するには、開示された情報は重すぎた。
……だって、地元でなんかあったってことだろ、たぶん。
家族なのか、友人関係なのか、それ以外のなにかなのか。なにもわからないけど、そういう嫌なことが。
猪突猛進、若干ノンデリと評される俺にだって、その程度の線引きはある。手すりに肘をついたまま唸った俺を一瞥し、依人は意地悪く笑った。
「ほら。最悪でかわいくないでしょ」
だから、仲良くなるのは諦めてくださいってか。冷めた態度を貫くせいで大人びて見える横顔を眺め、俺は小さく息を吐いた。
依人が本当に交流が嫌なら、無理強いは駄目だと思う。でも。
……ぜんぶ、俺の予想だけど、やっぱり、こいつ、人嫌いなわけじゃないと思うんだよな。
意図的に嫌な言い方をしているんだろうなぁと思うときはあっても、明確な悪意を感じたことはない。
さっきの言い方もそうだ。「問題があるのはぜんぶ自分」と言っているようにしか、俺には聞こえなかった。
「あのさ、俺のモットーは『やってみないとわかんない』なんだけど」
「は?」
「いや、だから、試しに俺と仲良くしてみないかなと思って。死ぬほどうざいわけじゃないんだろ?」
なに言ってんだ、こいつ、という顔で固まった依人に向かって、にこりとほほえむ。
「自分で言うのもなんだけど、俺、わりと害はないと思うよ。沢見は馬鹿犬って言ってたけど」
「馬鹿犬……」
呆れ切った、なんなら、ちょっと引いた感じの反応はスルーして、俺はあえて自信満々に言い切った。
「気に食わないわけじゃないなら、まずは俺とブラザーとして仲良くしてみようよ。消去法で選んだだけだったとしても、同じ三年過ごすなら楽しいほうが絶対いいじゃん」
依人が壁をつくる理由はわからないけど、少しだけ共感できることがある。
ここに入学した当時の俺も、いろいろあって人との接し方がわからなくなっていたからだ。
そんな俺が楽しく過ごすことができるようになったのは、海先輩のサポートがあったから。
だから、俺も、海先輩が支えてくれたみたいに、後輩のブラザーを支えたい。依人と会う前から、決めていたこと。
じっと話を聞いていた依人が、ひとつ溜息を吐いた。
「俺のモットーは『他人に過剰に期待しない』なんですけど」
「え? ああ、うん」
それはそれで厨二なモットーだなと思っていた俺に、依人が問い重ねる。見事なまでに嫌そうな声音だった。
「先輩の言うとおり、試しにブラザーやってみたとして。ヤバいことになったらどうするんですか」
「ヤバいこと?」
問い返したものの、返事はない。しかたがないので、俺は答えになりそうなものをひねり出した。
「あー……、俺のうざさに依人がキレて、修復不可能なレベルで仲が悪くなるとか?」
たしかにそれはヤバいことだな。無言を肯定と捉え、苦笑する。
「でも、やらなかったら、これ以上、仲が悪くなることはなくても、仲良くもならないじゃん? だったら、俺はやってみるほうがいいな」
「マジ脳内お花畑じゃないですか」
「でもさ。やって後悔も嫌かもだけど、やらない後悔のほうがでかくない?」
そういったわけでの「やってみないとわかんない」。
後悔することはあっても、やらないよりはマシ。まぁ、もちろん、大後悔することもあるんだけど。
わたわたと自論を展開する俺を凝視すること、数秒。
勝手にしてくれと言わんばかりの投げやりさで「べつにいいですけど」と依人はオッケーを出した。
思いのほかすんなり得た了承に、ぱっと顔が輝く。
「え、本当?」
「仲良くしたいなら、満足するまで勝手にしてくださいっていうだけです。やったところで、俺も、先輩も楽しくないと思いますけど」
「それはないと思うよ」
あっけらかんと言い返した俺に、依人は一瞬めちゃくちゃ苦い顔をした。その顔を真正面から見据え、はっきり繰り返す。
「やってみないとわかんないけど、でも、きっと楽しいと思うよ」
まぁ、そうなったらいいなぁという願望も含まれているわけだけど。
笑った俺に、依人がなにか言おうとした瞬間、背後でバタンとドアが開く音がした。
「ふたり揃って部屋におらんと思ったら、なにしてんの、ちょっと、ほんまに」
点呼終わったで、という呆れた純平の声に、ぎょっとして振り返る。点呼時の不在は完全にイエローカードコースだ。
「嘘。マジごめん! 時間過ぎてんの気づかなかった」
「気づいてへんかったって。気にしときよ、とくに夏。もう二年目やねんから。というか、同じ部屋なんやで部屋で話したらええやろ」
「それはそうなんだけどさぁ」
「依人くんも。なんやかんやですぐにイエロー溜まるで、気ぃつけや」
「……すみません」
純平の注意に、依人が渋々といった感じで頭を下げる。その態度に、俺は笑いを噛み殺した。
自分だけのせいじゃないと思っていることがまるわかりで、かわいかったのだ。
……こういう素直さというか、幼さというか。結局、かわいいんだよな、なんか。
イラッとすることがないとは言わないけど、それも、まぁ、お互いさまなんだろうし。
悪ぶり切れないところも含めて、俺のかわいいブラザーということにしておこう。俺はそう思い切った。
純平と別れ、依人とふたりで部屋に戻る道すがら。ちょっと拗ねたような横顔に、改めて一年後に楽しかったと言わせてやると決意する。
そんなわけで。依人と同室になって一ヶ月近くが経った今日。お試しからでいいので仲良くしてみよう計画は始動したのだった。

