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俺が在籍する私立爽青学園高校は、関東郊外に立地するそこそこの偏差値を誇る全寮制男子校だ。
全校生徒は三百名ほどで、俺が所属する第一寮をはじめとした四つの寮がある。
先輩や後輩、同級生たちとの共同生活を通して、自立心や社会性を育む校風で、広く東北や関西から生徒が集まっていることも特徴だ。
もうひとつの特徴は、ブラザー制度。
新二年生が、同室になった新入生の新生活をサポートするシステムのことである。
緊張しているだろう歓迎会で新入生をサポートするのも、当然、先輩ブラザーの役目だ。
去年一年ブラザーだった先輩に、俺は本当にお世話になったから。
恩返しではないけれど、新しくブラザーになる後輩は絶対にかわいがろうと決めていた。
そう、心の底から決めていたのだが。
「いや~、なっちゃんの新しいブラザー、くせつよだったね」
「海先輩……」
新入生の歓迎会が終わり、みんなで食堂を片づけるさなか。ぽむと肩を叩かれ、俺はどんより振り返った。
この学園で俺を「なっちゃん」と呼ぶのは、ただひとり。去年のブラザーの、大好きな海先輩だけである。
穏やかな見た目どおりに優しく、成績優秀。ついでに長身。
スペシャルな要素の詰まった憧れの先輩であるものの、さすがに今日ばかりははしゃぐテンションになれない。
暗い表情の俺を見て、海先輩は労わるようにほほえんだ。
「せっかくしおりまでつくって、歓迎準備万端だったのにねぇ」
「いや、本当に!」
あんまり張り切りすぎると、新入生が引くんじゃない、なんて。仲のいいやつらに呆れられながらも、せっせと準備したというのに。
「新入生の歓迎会なのに。なに聞かれても、依人はほとんど喋んないし」
「うん、うん。なっちゃんはフォローがんばってたね、えらい、えらい」
「それは、はい。ありがとうございます。でも、あいつ、ガチで『三〇七号室の高見です。一年一組です』しか言わなかったですよね……」
本当に、最低限の自己紹介すぎる。
……答えにくい質問もあったと思うけどさぁ。でも、好きな教科くらい、「はぁ」じゃなくて答えることはできただろ。
去年の俺なんて、「変なこと言って、空気止めたらどうしよう」とガチガチに緊張していたのに、この違いはなんなんだ。
溜息を呑み込んで、新一年生が集まる一角を見やる。
制服のブレザーこそ脱いでいるものの、みんなきっちり臙脂色のネクタイを締めていて、ピカピカした空気に満ちている。
片づけを手伝うドギマギした様子も新入生という感じで百点だ。
ただひとり、面倒くさいという雰囲気丸出しの依人を除いては。
質問タイムの司会担当だった寮生委員の愛想笑いを思い出し、俺は肩を落とした。
「あんな気まずい質問タイムはじめて見たんですけど、俺」
「大丈夫、大丈夫。俺もはじめてだったよ」
「海先輩。それ、あんまり慰めになってないです」
気持ちはうれしいけど、前代未聞ってことじゃないですか。
じとりと見上げた俺の頭を、よしよしと海先輩が撫でる。物言いも柔らかいので威圧感は皆無だが、海先輩はなかなかデカいのだ。
俺の身長が百七十三センチなので、海先輩は百八十三センチくらい。このくらい差があるとブラザーって感じでいいよな、と思う。
依人に十センチ縮めって言ってるわけじゃないけど。
「ごめん、ごめん。でも、まぁ、大丈夫でしょ。なんとかなるなる」
根拠がなくても安心効果抜群の励ましに、俺は「海先輩~!」と本気で縋りついた。去年一年間で培った信頼関係のたまものである。
またやってるよと言わんばかりの寮生の視線も慣れたもの。
ひさしぶりのよしよしを堪能し、疲れた心を休めていたのだが、俺はふと険のある視線に気がついた。
……って、なんだ。依人じゃん。
ぐるりと見渡して、得心する。
険のあると表現すると語弊はあるかもしれないが、片づけの手を止めた依人がドン引いた顔でこっちを凝視していることは事実だ。
海先輩から離れ、依人に声をかける。
「なに? 依人」
「いや、べつに」
「いや、べつにって。ぜんぜん、べつにって顔してないけど。どうした?」
本当に、もしかしたら、だけど。ドン引きした顔に見えただけで、困ったことがあって俺を見ていた可能性もある。
そっけない返事をものともせずに近寄ると、依人はわかりやすく顔をしかめた。その顔のまま、俺のうしろをちらりと見る。
「あれ、先輩のブラザーだった人なんですか?」
「ああ、うん。あれじゃないけど、海先輩ね。めちゃくちゃ優しくて面倒見のいい先輩で。そうだ、紹介しようか」
「いいです。頭撫でられて喜ぶのがブラザーの正解なら、絶対染まりたくないなって思っただけなんで」
海先輩、とにこにこで呼びかけようとした台詞を遮られ、俺はぴしりと固まった。
近くにいた一年生も、ぎょっと息を呑んでいる。
うん、わかる。新入生が入寮日にこんなこと言ったら、とんでもねぇってビビるよね。俺もそう思うもん。
だが、それ以上の問題は、海先輩まで巻き込んでこき下ろしたということだ。
ふぅと息を吐いて、「依人」と笑いかける。近くにいたかわいそうな新入生に対する配慮でしかない。
「ちょっと、俺と話そうか」
できれば、外で。今すぐに。人手は足りているし、少しくらい抜けてもかまわないだろう。
にこりと告げた俺を一瞥し、「べつにいいですけど」と依人が了承する。疑いようもなく、面倒くさそうな態度だった。
いい性格してるよなぁ、と心底げんなりしたまま、食堂の外に出る。海先輩に回復してもらったはずのHPは、完全にまたゼロ。
溜息を呑み、一階の談話室に入ったところで俺は振り返った。
「依人さぁ」
さすがにさっきの発言はないんじゃない、と続けるつもりだった説教が、目に入った依人の姿で立ち消える。
談話室に入ってすぐの壁に、堂々ともたれていたからだ。端的に言って、めちゃくちゃえらそうな態度。
……いや、本当、いい性格してるよ。
少なくとも、今から怒られるという顔じゃない。
待ちに待ったはずのブラザーによって蓄積され続けるストレスを、俺はなんとか抑え込んだ。そう。俺はあくまで注意をしたいのだ。
「よくわかんないけど」
本当によくわからないけど、喧嘩をしたいわけではない。穏やかに言い諭す方向に転換し、依人に一歩歩み寄る。
「依人がなんか気に食わないんだなってことは、よくわかった」
「はぁ」
「でも、それはそうとして、三年間ここで過ごすんだし。仲良くしたほうがいいと思うけどな。……その、お互いのために」
笑顔を向けた俺から視線を外し、依人は小さく息を吐いた。
完全に、聞き入れる気ゼロ。なんだこいつ、やべぇな。わりとまともなことしか言ってないつもりなのに。
俺の引きつった笑顔をよそに、依人はだるそうに腕を組み直した。
「俺は仲良くしないほうがいいと思いますけど」
「いや、なんで」
「俺、男が好きだから」
「え?」
男が好きだから。台詞の意味を理解し損ねて、間の抜けた声がこぼれる。その反応をどう捉えたのか、依人は無言で壁から背中を離した。
焦って呼び止めるより早く、伸びてきた指が、ひょいと俺の顎を掴む。
「先輩の顔も好みだし」
「……え?」
キャパオーバーを起こして固まった俺の顔をまじまじと眺め、依人はふっとほほえんだ。
「あんまり仲良くすると、好きになっちゃうかもしれないよ?」
いや、なんて。
廊下から、俺たちを探す海先輩の声がする。戻らないことを心配してくれたらしい。
応えることもできないまま、俺は至近距離で依人を見つめ返した。性格に難があっても、共学だったらモテたんだろうなぁと想像のつく、整った顔。
どこか挑発的な瞳の真ん中に映る俺の顔は、ものの見事に引きつっていて。
この先一年の前途多難さを、予言しているみたいだった。
俺が在籍する私立爽青学園高校は、関東郊外に立地するそこそこの偏差値を誇る全寮制男子校だ。
全校生徒は三百名ほどで、俺が所属する第一寮をはじめとした四つの寮がある。
先輩や後輩、同級生たちとの共同生活を通して、自立心や社会性を育む校風で、広く東北や関西から生徒が集まっていることも特徴だ。
もうひとつの特徴は、ブラザー制度。
新二年生が、同室になった新入生の新生活をサポートするシステムのことである。
緊張しているだろう歓迎会で新入生をサポートするのも、当然、先輩ブラザーの役目だ。
去年一年ブラザーだった先輩に、俺は本当にお世話になったから。
恩返しではないけれど、新しくブラザーになる後輩は絶対にかわいがろうと決めていた。
そう、心の底から決めていたのだが。
「いや~、なっちゃんの新しいブラザー、くせつよだったね」
「海先輩……」
新入生の歓迎会が終わり、みんなで食堂を片づけるさなか。ぽむと肩を叩かれ、俺はどんより振り返った。
この学園で俺を「なっちゃん」と呼ぶのは、ただひとり。去年のブラザーの、大好きな海先輩だけである。
穏やかな見た目どおりに優しく、成績優秀。ついでに長身。
スペシャルな要素の詰まった憧れの先輩であるものの、さすがに今日ばかりははしゃぐテンションになれない。
暗い表情の俺を見て、海先輩は労わるようにほほえんだ。
「せっかくしおりまでつくって、歓迎準備万端だったのにねぇ」
「いや、本当に!」
あんまり張り切りすぎると、新入生が引くんじゃない、なんて。仲のいいやつらに呆れられながらも、せっせと準備したというのに。
「新入生の歓迎会なのに。なに聞かれても、依人はほとんど喋んないし」
「うん、うん。なっちゃんはフォローがんばってたね、えらい、えらい」
「それは、はい。ありがとうございます。でも、あいつ、ガチで『三〇七号室の高見です。一年一組です』しか言わなかったですよね……」
本当に、最低限の自己紹介すぎる。
……答えにくい質問もあったと思うけどさぁ。でも、好きな教科くらい、「はぁ」じゃなくて答えることはできただろ。
去年の俺なんて、「変なこと言って、空気止めたらどうしよう」とガチガチに緊張していたのに、この違いはなんなんだ。
溜息を呑み込んで、新一年生が集まる一角を見やる。
制服のブレザーこそ脱いでいるものの、みんなきっちり臙脂色のネクタイを締めていて、ピカピカした空気に満ちている。
片づけを手伝うドギマギした様子も新入生という感じで百点だ。
ただひとり、面倒くさいという雰囲気丸出しの依人を除いては。
質問タイムの司会担当だった寮生委員の愛想笑いを思い出し、俺は肩を落とした。
「あんな気まずい質問タイムはじめて見たんですけど、俺」
「大丈夫、大丈夫。俺もはじめてだったよ」
「海先輩。それ、あんまり慰めになってないです」
気持ちはうれしいけど、前代未聞ってことじゃないですか。
じとりと見上げた俺の頭を、よしよしと海先輩が撫でる。物言いも柔らかいので威圧感は皆無だが、海先輩はなかなかデカいのだ。
俺の身長が百七十三センチなので、海先輩は百八十三センチくらい。このくらい差があるとブラザーって感じでいいよな、と思う。
依人に十センチ縮めって言ってるわけじゃないけど。
「ごめん、ごめん。でも、まぁ、大丈夫でしょ。なんとかなるなる」
根拠がなくても安心効果抜群の励ましに、俺は「海先輩~!」と本気で縋りついた。去年一年間で培った信頼関係のたまものである。
またやってるよと言わんばかりの寮生の視線も慣れたもの。
ひさしぶりのよしよしを堪能し、疲れた心を休めていたのだが、俺はふと険のある視線に気がついた。
……って、なんだ。依人じゃん。
ぐるりと見渡して、得心する。
険のあると表現すると語弊はあるかもしれないが、片づけの手を止めた依人がドン引いた顔でこっちを凝視していることは事実だ。
海先輩から離れ、依人に声をかける。
「なに? 依人」
「いや、べつに」
「いや、べつにって。ぜんぜん、べつにって顔してないけど。どうした?」
本当に、もしかしたら、だけど。ドン引きした顔に見えただけで、困ったことがあって俺を見ていた可能性もある。
そっけない返事をものともせずに近寄ると、依人はわかりやすく顔をしかめた。その顔のまま、俺のうしろをちらりと見る。
「あれ、先輩のブラザーだった人なんですか?」
「ああ、うん。あれじゃないけど、海先輩ね。めちゃくちゃ優しくて面倒見のいい先輩で。そうだ、紹介しようか」
「いいです。頭撫でられて喜ぶのがブラザーの正解なら、絶対染まりたくないなって思っただけなんで」
海先輩、とにこにこで呼びかけようとした台詞を遮られ、俺はぴしりと固まった。
近くにいた一年生も、ぎょっと息を呑んでいる。
うん、わかる。新入生が入寮日にこんなこと言ったら、とんでもねぇってビビるよね。俺もそう思うもん。
だが、それ以上の問題は、海先輩まで巻き込んでこき下ろしたということだ。
ふぅと息を吐いて、「依人」と笑いかける。近くにいたかわいそうな新入生に対する配慮でしかない。
「ちょっと、俺と話そうか」
できれば、外で。今すぐに。人手は足りているし、少しくらい抜けてもかまわないだろう。
にこりと告げた俺を一瞥し、「べつにいいですけど」と依人が了承する。疑いようもなく、面倒くさそうな態度だった。
いい性格してるよなぁ、と心底げんなりしたまま、食堂の外に出る。海先輩に回復してもらったはずのHPは、完全にまたゼロ。
溜息を呑み、一階の談話室に入ったところで俺は振り返った。
「依人さぁ」
さすがにさっきの発言はないんじゃない、と続けるつもりだった説教が、目に入った依人の姿で立ち消える。
談話室に入ってすぐの壁に、堂々ともたれていたからだ。端的に言って、めちゃくちゃえらそうな態度。
……いや、本当、いい性格してるよ。
少なくとも、今から怒られるという顔じゃない。
待ちに待ったはずのブラザーによって蓄積され続けるストレスを、俺はなんとか抑え込んだ。そう。俺はあくまで注意をしたいのだ。
「よくわかんないけど」
本当によくわからないけど、喧嘩をしたいわけではない。穏やかに言い諭す方向に転換し、依人に一歩歩み寄る。
「依人がなんか気に食わないんだなってことは、よくわかった」
「はぁ」
「でも、それはそうとして、三年間ここで過ごすんだし。仲良くしたほうがいいと思うけどな。……その、お互いのために」
笑顔を向けた俺から視線を外し、依人は小さく息を吐いた。
完全に、聞き入れる気ゼロ。なんだこいつ、やべぇな。わりとまともなことしか言ってないつもりなのに。
俺の引きつった笑顔をよそに、依人はだるそうに腕を組み直した。
「俺は仲良くしないほうがいいと思いますけど」
「いや、なんで」
「俺、男が好きだから」
「え?」
男が好きだから。台詞の意味を理解し損ねて、間の抜けた声がこぼれる。その反応をどう捉えたのか、依人は無言で壁から背中を離した。
焦って呼び止めるより早く、伸びてきた指が、ひょいと俺の顎を掴む。
「先輩の顔も好みだし」
「……え?」
キャパオーバーを起こして固まった俺の顔をまじまじと眺め、依人はふっとほほえんだ。
「あんまり仲良くすると、好きになっちゃうかもしれないよ?」
いや、なんて。
廊下から、俺たちを探す海先輩の声がする。戻らないことを心配してくれたらしい。
応えることもできないまま、俺は至近距離で依人を見つめ返した。性格に難があっても、共学だったらモテたんだろうなぁと想像のつく、整った顔。
どこか挑発的な瞳の真ん中に映る俺の顔は、ものの見事に引きつっていて。
この先一年の前途多難さを、予言しているみたいだった。

