ーークラスメイトが、死んだ。
その知らせが舞い込んできたのは夏休みが明けてすぐのホームルーム。
担任は暗い表情で教室に入ってくるなり口をゆっくり開く。それまで騒がしかった生徒は雰囲気を察し、黙り込んだ。
「皆さん。おはようございます。夏休みが明けて久しぶりにみんなに会えたことが嬉しく思います。ホームルームを始める前に、ひとつ大事な知らせがあります」
ただ事ではない話し方にクラスメイトは一瞬ザワっとした。
でも、それはすぐに止まる。
「このクラスの仲間だった……櫻葉星(さくらば せい)さんが昨日、病気で亡くなりました」
「……え?ウ、ソでしょ……?」
担任の言葉を聞いて、時が止まったかのように感じた。
……今、なんて……?
言われた事実を受け入れられず、担任を見つめる。
それはみんなも同じようで。
「櫻葉さんが以前から病気で入院していることは知っていますね?お母様に聞いた話ですが最近は容態があまり良くなく、ずっと寝たきりだったそうです」
担任は、淡々と説明を始めた。
櫻葉くんは夏休みに入る前から入院していた。突然家で倒れたらしい。
詳細を聞くこともできず、そのまま夏休みに入り、みんな櫻葉くんに会うことはなかった。
そして、今日。
櫻葉くんが死んだという知らせを受けた。
一ヶ月間入院した後、呆気なく“死んだ”と聞かされても当然、受け入れられるはずがなかった。同い年のしかも同じクラスの仲間が死んだ。
「それで、昨日の夜中。容態が急変し、息を引き取ったそうです。まだ受け入れるのは難しいのは分かりますが、ご両親の要望もあり、みんなお葬式には参列してもらいます」
話が終わると。
担任は静かに涙を流した。
ハッとして意識を戻すと周りのクラスメイトも涙を流し、嗚咽を漏らしながら泣いている。
女子は涙で顔がぐしゃぐしゃ。
男子は泣くのを堪えているのか、目を赤くしながら手を思い切り握りしめている。
その光景を見ても、私はまだ櫻葉くんの死を受け入れることが出来なかった。
だって、私。
ーー昨日、櫻葉くんに会った。
昨日会った櫻葉くんが昨日死んだ。
あれは幻だったのかと疑いたくなったけど、昨日の記憶は鮮明に覚えている。
クラスの中でひとり、冷や汗をダラダラとかきながら怯えていた。櫻葉くんに会った最後の人が私なんて。
いったい、どういうことだったのだろうか?
***
遡ること数十時間前の、8月30日。
夏休み最後の昨日は、私は病院にいた。理由は櫻葉くんのお見舞いではなく自分の定期検診のため。
私、桐島緋翠(きりしま ひすい)は生まれた頃、心臓に病気を持って生まれた。手術をして事なきを得たけど年に一度の定期検診は必要なのだ。
昨日もいつも通り検査を終え、支払いを済ませたあと。お母さんが言った。
「そういえば、この病院に緋翠のクラスメイトが入院してるんじゃないの?バイト先の同い年の子。名前は……」
「櫻葉くんのこと?」
出口に向かう途中、思い出したように話され、私もああ、と思い出した。そういえば、担任はそんなこと言っていたっけ。
「そうそう!お世話になってるんだから、お見舞いくらいしていったらどうなの?」
確かにバイト先のクラスメイトでお世話にはなっているけど……。そこまで仲良くはないんだよね。
会えば少し話す程度で、特になにかあるというわけではない。
「別にいいよ。櫻葉くんのお母さんにはちゃんと挨拶してるし。そこまで仲良くないし」
「ダメよ。別のクラスの人ならまだしも同じクラスなんだから。周りの人を大切にしなさいっていつも言ってるでしょ?顔くらい出しなさい。お母さん、お花買ってくるから、先に行ってなさいよ」
お母さんは真剣な眼差しでそう言い放った。“周りの人を大切にしなさい”それがいつもお母さんの口癖。
言いたいことはわかるけどめんどくさいものはめんどくさい。
だけどそういう間もなくお母さんは病院を後にし、近くの花屋に向かった。
櫻葉くんは、物静かな男の子だけど何故かいつもクラスの中心にいた。頭は良く、運動こそ身体が弱くてできなかったが、みんなに優しい。
顔もそこそこイケメンでかっこいいって女子が騒いでいたっけ。まぁ、いわゆる“クラスの一軍男子”的な立ち位置に櫻葉くんはいた。
一方で、私はあまり目立たずひっそりと教室にいる陰キャ女子。肌を出すことが嫌いで、夏でもマスクとタイツ、長袖、メガネを手放せない、そんな変わり者。
だからみんな私に近寄らない。
私は“不審者”なのだから。
私は物心着いた時から肌を人に見せることは出来なかった。その理由は分かりきっている。
……自分の体に、“見える傷”を抱えているから。
それは病気で手術をした際にできた手術痕で“一生消えることの無い傷”。私には必要なものだったと理解してるけどどうしても受け入れられなくて。
胸にある傷以外の肌も必要以上に隠してしまう。
それをお母さんは理解してくれているけど同級生にはどうしても理解して貰えず。
17年間、ひっそりと生きてきた。
ーーコンコン。
真っ白な病室のドアをノックする。
以前櫻葉くんのお母さんから聞いた病室の番号を覚えていたので迷うことなくひとつの部屋にたどり着いた。
「櫻葉くん?入ってもいいですか?」
シン、と静まり返った病院の廊下に私の声が響いた。勝手には入れないので声をかけたのだけど中から返事は無い。
ここにいないのかな?と思いながら恐る恐るドアを開け、中を見ると櫻葉くんのベッドは空だった。
……なんだ。いないじゃん。
そう思いながら部屋を見渡した後、お母さんには櫻葉くんがいなかったことをメールで報告した。
病院内にはいるはずなので、少し探してみることにした。せっかくここまで来たのだ。少しでも様子を見とかないと気がすまなくなる。
そう思いながら、部屋を後にして散策を始めた。
歩き始めて数分後。
病院内をしばらく歩いても櫻葉くんは見あたらなかった。だんだん不安になり、本当に入院しているのかと疑いたくなる。
看護師に聞いても“個人情報だから”とあまり教えてくれない。
「……桐島さん……?……ゴホッ!」
「きゃあああ!さ、櫻葉くん……?」
一度櫻葉くんの病室に戻ろうと広場のようなところで回れ右をする。だけどその瞬間、名前を呼ばれ驚いた私は悲鳴をあげてしまった。
静かな病院に私の悲鳴がひびき、それと同時に看護師の鋭い視線が飛んでくる。慌てて頭を下げ、後ろを振り向くとそこには櫻葉くんがいた。
点滴をぶら下げ、以前よりもやせ細った身体を見て思わず息を呑む。
痩せこけた頬、本当に生きているのかと疑いたくなるほど色の悪い顔。
時折、ゴホゴホと咳き込む櫻葉くんは、まさに“病人”そのものだった。
「あ、あの……」
「……ケホッ。もしかしてお見舞い?」
少し黙り込んだ後、何とか口を開いた。だけどそんな私の声は櫻葉くんによってかき消された。
櫻葉くんの掠れた声に、私は小さく頷く。
何を話したらいいかわからなくて自分の袖をギュッと握りしめる。緊張で心臓がバクバクしているのがわかった。
「別に、気を使わなくてもいいのに。でも……ありがとう」
「……あ、気、気を使ってるわけじゃ……。自分の用事のついでだし……」
「用事?」
私が頷くのを見て、不思議そうに見つめる櫻葉くん。
その表情を見て、戸惑った私は余計なことを話してしまった。あっ、と思った時にはもう遅くて。櫻葉くんに聞き返された。
「あ、や、えっと……そ、それよりも体調大丈夫?」
なんて答えようかとしどろもどろになってしまった。上手く言葉が出てこなくて、キョロキョロと視線を動かす。
人と上手く話せない自分が嫌いで。
やっとでてきた言葉もなんだか薄っぺらく感じた。
「桐島さん?ありがとう。心配してくれて。今は割と大丈夫だよ」
そんな私を不思議に思ったのか話に答えながら、櫻葉くんはゆっくりと近づいてくる。どうしよう、どうしようと心の中で焦っていると。
いつの間にか目の前に櫻葉くんがいて。
身動きが取れなくなってしまった。
「あ、あ……よ、良かった……?」
逃げ出したいのに足が動かなくて。何もできずに私はその場で固まる。
視線を感じて、ゆっくりと顔を上げる。
櫻葉くんは私に近づいただけで何かすることはなかった。ただ真っ直ぐと、優しい眼差しで私を見ていた。
その優しい瞳に吸い込まれそうになる。
「大丈夫だよ。ゆっくり話して。僕は何があっても、君の味方だ」
長い沈黙のあと、櫻葉くんが突然そんなことを言った。なんでそう言ってくれたかは分からない。
だけど……“君の味方だ”。その言葉がやけに胸の奥に染み込んで。
暖かいものが心の中に広がった。
私も何か言わなくちゃ。
そう思いながら口を開いたけど。
「……あ、れ……?櫻葉くん?」
一瞬、瞬きしたあと。
目の前にいたはずの櫻葉くんがいつの間にか居なくなっていた。どこに行ったのだろうと辺りを見渡すがどこにもいない。
……さっきまで、櫻葉くん、ここにいたよね?
何が起こったのか理解出来なくて。
私はまた、その場で固まることしか出来なかった。
「緋翠ー!良かった、ここにいた。あなた、どこほっつき歩いてたのよ」
しばらくぼーっとしていたら、お母さんに名前を呼ばれ、肩を叩かれる。そこでようやく意識を戻した。
お母さんはそんな私を見て呆れている。
「どこって……。さっきまで櫻葉くんと話してたの。お母さんこそ、遅かったね?」
「櫻葉くんと話してた?あなた、何寝ぼけたこと言ってるの?お母さん、ちゃんと櫻葉くんの病室にお見舞い行ってたわよ?」
「え?」
櫻葉くんと一緒にいた事を話すけど、お母さんに衝撃的な事実を言われ、動揺を隠せない私。
だって、私……さっきまで櫻葉くんといたよ?
お母さんには病室にはいなかったってメールしたよね?
「櫻葉くん、寝たきりだったわ。あんなに痩せ細っちゃって。可哀想にねぇ」
戸惑う私を他所に話を進めるお母さん。
その内容が信じられなくて、私の顔は引きつっているのがわかった。
「どうしたのよ。なんか顔色悪いわね。お見舞いもできたし、帰りましょうか」
マスク越しでもわかるくらい私の顔色は悪かったらしい。
動けない私を“疲れた”と勘違いして出口へと引っ張っていこうとする。
私……幻でも見た?
そう疑ったけど私は確かに櫻葉くんと話していたのだ。
私はお母さんに引っ張られながら、家に帰ったのだった。
***
……これが、昨日起こった出来事。
私はしっかりと自分の目で櫻葉くんを見て、話をして。会っていたのに。
櫻葉くんが、昨日死んだのだ。
そう思うと急に呼吸が苦しくなって。現実を受け入れることが出来ない。
私が昨日話していた彼はいったいなんだったのだろう。櫻葉くんが死んだというのなら。
“お母さんが見た櫻葉くん”が事実なのだろうか。
浅い呼吸を何度も繰り返す。
「桐島さん、大丈夫?」
余程呼吸がおかしかったのだろう。普段話しかけてこない隣の席の女子生徒が話しかけてきた。
自分も泣いているのに、私のことを気にかけてくれていた。声をかけられたけど何も言えず、ただ苦しい呼吸を繰り返すばかり。
この先どうしたらいいかわからず、胸を抑えていた。
「あ、あの……、あの……」
「……保健室、行く?」
彼女は戸惑いながらもそう訪ねる。
私は頷くので精一杯だった。保健室という言葉に安心して、ようやく心が少し落ち着いた。
私はそのまま彼女に付き添ってもらい、保健室に行くことに。担任は泣いたせいで真っ赤になった目を前髪で隠しながら、話をしていた。
保健室まで少し遠いせいもあってか、廊下が長く感じて。たどり着くまでまるで生きた心地がしなかった。
長距離走をした後みたいに心臓は騒がしく、冷や汗も止まらない。流れた汗がブラウスに染み込んで気持ち悪かった。
「……すみません。ちょっと気分悪いみたいで。ベッドを貸して貰えませんか?」
「あらあら。桐島さんじゃない」
何とか保健室にたどり着き、中に入る。すると、私たちを見つけた保健室の先生は目を丸くして驚いていた。
入学してから何度かお世話になっていたので先生とは顔なじみ。私の事情も知っているので快くベッドを貸してくれた。
「あ、ありがとう……」
ここまで連れてきてくれた彼女にやっとお礼を言ったあと。
身体が疲れ切っていたのか、ベッドに横になった瞬間、意識を手放してしまった。
***
ーキーンコーンカーンコーン……。
遠くでチャイムが聞こえた。意識を手放してからどのくらいたったのだろう。
私はそっと目を開け、身体を起こす。
カーテンの隙間からオレンジ色の光が差し込み、今は夕方なんだとぼんやりする頭で思った。
「あ、起きたのね。なかなか目が覚めないから心配したわ」
私が起きたことにほっと笑みを浮かべる保健室の先生。先生と目があい、私はそこでマスクとメガネを外していたことに気づく。
慌てて、枕元にあったメガネとマスクをつけた。
「す、すみません。ありがとうございました」
学校で爆睡してしまうなんていつぶりだろうか。時計をちらっと見ると時刻は午後四時を指していた。
心做しか朝よりも頭の中がスッキリしていて身体が軽い。
「身体の具合でも悪いの?ここに来た時、すごく苦しそうだったね」
なかなか起きなかった私は、かなり保健室の先生を心配させていたらしい。先生は椅子を持ってくるとベッド脇に置いて座る。
「……具合、は大丈夫なんですけど……」
話しかけられて無視することはできない。
私は俯きながら答えた。
そう。
自分の身体はなんともないのだ。先生に聞かれて、今朝の出来事を思い出す。夏休み明けのホームルームでこんなことになるとは思わなかった。
クラスメイトが死んだことをどうやって受け入れようかと考えたところで、心がいっぱいになる。
それが身体に影響を及ぼし、今日一日意識を飛ばして過ごしていた。
「……」
この先どう話していいかわからず、黙り込む。話したはいいけど次の言葉が見つかるまで時間がかかる私。
「……もしかして、小林先生から、櫻葉さんのことを聞いたの?」
言葉が出ず、黙り込む私を見かねて、変わりに話してくれた。小林先生とは、担任の先生の名前。
櫻葉という名前を聞いて思わず顔を上げる。
「は、い。私、昨日……自分の定期検診のついでにお見舞いに行ったんです。その時までは、櫻葉くんは生きてて……。生きていた人が、その日のうちに死んだって聞いて、どうしても受け入れられなくて……」
先生の言葉に頷くと、その後は言葉が堰を切ったように溢れて止まらなかった。
誰にぶつけたらいいか分からないこの気持ち。身近な人が亡くなって、簡単に受け入れることは出来なかった。
話しながら、同時に涙も溢れた。
訳の分からない感情が後から後から押し寄せる。胸の奥が苦しくなって。
自分の顔は涙と鼻水であっという間にぐしゃぐしゃになった。
「……それでっ、苦しくて……。私は生きてるのにって……」
私だって心臓に病気を持っている。
だけど身体はほとんど他の人と同じように健康なのだ。運動制限もないし、生活に支障が出ることもない。
ただ、年に一度の定期検診をすませばいいだけ。
なのに……私よりも、みんなに愛されていた櫻葉くんがこの世から居なくなったのだ。
「苦しかったね。辛いね。桐島さんは、とても優しいね。こんなに泣いてくれて……櫻葉さんも、天国から見守っているよ」
号泣して、止まらない私をそっと優しく抱きしめてくれた。そんな先生もいつの間にか涙を流していて。
私を落ち着かせようと、傍を離れることはしなかった。
正直、櫻葉くんがいなくなっても私の生活には支障は出ない。でも……なんだか心の中にぽっかりと穴が空いたように感じて。
涙が止まらなかった。
櫻葉くんとは少し縁があったから?
バイト先でお世話になったから?
なんでこんな気持ちになるのか分からない。でも……自分の中に、確かに“悲しい”という感情があった。
自分のことばかり考えて、自分のことを優先して。こんな気持ちがあったのなんて知らずに寝ていた。
それが、今。
涙と感情が溢れて溢れて。
突きつけられた現実を受け入れようともがいていた。
……どのくらい泣いただろうか。
ようやく落ち着きを取り戻した私。泣きじゃくったおかげで、心が少しスッキリした。
「……すみません。もう、帰ります」
涙が止まり、ハンカチで拭いながらベッドから降りようとする。
「もう大丈夫なの?あまり無理しないでね?」
そんな私を心配そうに見つめる先生。
私はお礼を言ってから保健室を後にする。廊下を歩き、カバンを取りに教室に戻る。
「……え?」
教室に戻り、自分のカバンに荷物を詰め終わった時。櫻葉くんの席に一輪の花が花瓶と共に置かれているのを見つけてしまった。
その光景を見て、また胸の奥から苦しいものが押し寄せる。
太陽のに照らされながら青く光輝くその花はリンドウ。
リンドウは存在を示すようにゆらゆらと空いた窓から流れてきた風に揺られていた。
人が亡くなった時によく使われる花だったと聞いたことがある。それを教えてくれたのは櫻葉くんだった。
その教えてくれた張本人の机にリンドウが置かれる日がくるなんて。
嬉しそうに、楽しそうに花のことを話す櫻葉くんを思い出してしまった。
そして、私はまた、涙を流した。
それほどまでに、私にとって櫻葉くんの存在は大きなものだったと今になって、知らされる。
失ってから大切なものに気づくとよく言うけれど。
本当にその言葉通りだったと思ってしまった。それ以上櫻葉くんの机を見ることはできなくて。
カバンを掴むと、私は教室を飛び出していた。
「……ただいま」
何とか自分の家に着く。
自分が泣いたことをお母さんに知られないように、顔を下に向ける。
「……おかえり」
リビングに行くとソファに座り込んだまま、暗い表情をしたお母さんがいた。
お母さんの元にも、櫻葉くんの情報は届いただろうか。
「お母さん……」
あまりにも暗いその様子に思わず声をかける。
「聞いたわよ。櫻葉くん、昨日亡くなったって」
お母さんのその言葉を聞いて顔を上げた。
家でもこの話題を出されて。もうこの現実を受け入れることしか出来ないんだと思い知らされた。
お母さんは泣き腫らした目を私に向けると、ゆっくりと話し出す。
「あなたの同級生が亡くなるなんて……。聞いただけで泣いちゃって。昨日お見舞いに行って、会ったのにねぇ……。なんだか実感湧かなくて」
「……おかあ、さん……?」
話しながら涙を流すお母さん。
その姿がとても痛々しくて。いつも頼りになるお母さんが小さく見えた。寝たきりということが本当なら、お母さんは櫻葉くんとは話していないはず。
顔を見ただけなのに、こんなに泣いているなんて。
「 ごめんなさい。涙が止まらなくて……」
お母さんも、同じ気持ちだった。
現実を受止めきれなくて涙が溢れる。他所の子供のことなのにこんなに泣いているのだ。人の命が消えるということがどれだけ大きな出来事か、改めて思い知った。
「お母さん。私、櫻葉くんのお葬式に参加して欲しいって言われた。私だけじゃなくて、クラス全員参加だって」
何を話すのが正解か分からない。
ただ、最後のお別れをすることは伝えておかないと。
その後のことはよく分からなかった。
お母さんと話すことはしないでまっすぐ自分の部屋に向かうと制服を脱ぎ捨て、カバンを放り投げる。
クローゼットにあったジャージを掴み、それに着替えると。私はまた家を飛び出し、感情のままに走り出す。
「……う、あ……うわぁぁぁ!!」
はぁ、はぁと息切れしていたけど走るのを止めない。心臓は暴れ、呼吸は苦しい。酸素が上手く身体の中に入ってこなくて。
泣きながら、走った。
私は、生きている。
病気を持っているけど、生きている。
櫻葉くんは、身体は弱かったけど病気はなかった。それなのに……神様は理不尽だ。まだ17年しか生きていない命を容赦なく奪って。
必要とされている人間の命を消して。
私の方を……消せば良かったのに。
「……はぁ、はぁ……う、……くっ……」
すっかり日が落ちて、あんなに暑かった日差しも無くなった。真っ暗な闇が目の前に広がる。
私はいつの間にかこの街で有名な丘の上にいた。そこには公園があって、とても綺麗な場所。
呼吸を整えながら涙を流す私は。
いったい何をしたいのか分からない。
『……ごめんね』
胸に使えた苦しいものを吐き出そうとひたすら泣いていたら。
聞き覚えのある優しい声が聞こえた。
ハッとして顔を上げると目の前には白く、光り輝きながら咲き誇る『ゲッカビジン』という花があった。
月明かりと街頭の光しか明かりはないはずなのに。公園の周りはゆらゆらと白い光が揺れ、甘い香りが私を包み込む。
ゲッカビジンは夜にしか咲かない花。
日本で野生で咲くことはないから、きっと誰かが植えたのだろう。むせ込むほどに甘い香りを放ちながら咲き誇るゲッカビジンは。とても、美しかった。
「……櫻葉、くん」
たまらなくなった私は名前を叫ぶ。
なんで、君は私に会いに来てくれたの?
なんで……最後に会った人が、私なの?
ねぇ……教えてよ。
この苦しい感情を取り除いてよ。生き返ってよ。死んだなんて、ウソだって……“いつも”みたいに冗談だと笑ってよ。
泣いても泣いても枯れない涙。
そのまま私は、泣き崩れてしまったのだった。
“ただ、一度だけ会いたい”なんて思う私はわがままなんだろうか。そんな願いは叶うことは無いとわかっていても。
願わずにはいられなかった。
「櫻葉くん……なんで、最期……私に会いに来てくれたの……?」



