言祝ぎの子 結 ー国立神役修詞高等学校ー


彼の正体がわかったのは随分とあとになってからだったけれど、私は初めて恣冀(しき)を目にした時、まるで最初から彼を知っていて、彼にずっと会いたくて、彼にずっと許しを乞いたかったような気がした。

それは誰かの感情と言葉を代弁しているかのような感覚で、ずっと長い間不思議に思っていた。

けれど今ならなんとなく分かる気がする。


名前を与えるというのは、命を吹き込むこと。命を吹き込み、その人を縛る。

おそらく、お母さんが私を産んだ時に私が鼓舞(こぶ)の明を引き継いだのと同じように、志ようさんから「巫寿」という名前を貰った時に私は大きな何を引き継いだんじゃないだろうか。

だから私の中には先見の明があって、志ようさんと運命を分かち合っている。

あの時、激しい後悔の切なさで胸がいっぱいになったのも、きっと、この名前や先見の明と共に志ようさんの想いも受け継いでいたからなんだろう。


志ようさんはどうして白虎に謝りたかったんだろう。

志ようさんに、一体何があったんだろう。

彼女は最後に、なんの祝詞を奏上したんたろう。