「ん……あれ?」
破れたカーテンから朝日がさしていた。
眠ってしまっていたようだ。
いつ寝落ちしたんだろう?手紙を読んでいてそのまま……だろうか?
そして、瞼の当たりに張り付いたような違和感。これは────
「泣いてた……の?なんで……」
わかっていた。それでも否定しなければならない。罪人の涙を肯定する理由なぞ無いからだ。
私は地面に落ちた手紙を拾い上げた。
そして一息おいて、ライターで火をつけた。「読んだら燃やす」これはふたりで決めたこと。やり取りの証拠を残すのは危険だからだ。
────人を殺したことはあるか?
その一文を、次第に炎が消し去ってゆく。まるで傷跡をまっさらにするかのように。
羨ましいな。私も……そんな風に、ふと思った。
その時。
「にゃにゃにゃお、あんまぁー」
コムギがドアに付けた“猫穴”から部屋に入ってきた。
元気いっぱい。尻尾をピンと立てて、まんまるの目で私を見つめては、鼻袋をぶぅっと膨らめている。
この子の可愛らしい顔をみたが最後。辛気臭い私の顔にも光がさすのだ。
「ふふっ。お鼻膨らんでる。なに、コムギ。お散歩してたの?」
にゃっとひと声。コムギは軽やかに私の膝に乗った。
ゴロゴロと喉を鳴らし、これでもかとカラダを擦り付けてくる。
「ちょちょ……すごい力。あれでしょ?まんま欲しいんでしょ?」
「あんまぁー!」
「ふふっ、やっぱりね。でもご飯がなぁ……」
昨晩、なけなしの鶏肉をあげたところだ。クラッカーならあるけど……私は明後日の方向を見つめながら、ポケットの中を弄った。
ふと、コムギの首輪の鈴が目に入った。ちらりと何かが中で動いているのが見えた。
「えっ!手紙!?」
素っ頓狂な声を上げたせいか、コムギがびっくりして逃げ出そうとする。
それを寸でのところでキャッチして、ジタバタするコムギを押さえ込んで鈴からそれらしきものを引き出した。
────やはり手紙だ。
無論、リクからの手紙。
だけど私は返事をしていない。これは初めてのパターンだ。なんだろう、と恐る恐る手紙を開いてみた。
『ごめん。あんなこと聞くべきじゃ無かったよな。
でもオルゴールのこと、話してくれてありがとな』
え……?
声にならない声が漏れた。
なんでオルゴールのことを?まさか────!
さっと立ち上がり、机の引き出しを開けて便箋を手に取る。
残りは5枚あったはず。いまは4枚になっていた。
「やっぱり……私、リクに伝えたんだ……オルゴールのことも……全部……」
疲労で意識が朦朧としていたからか、“あの時”の記憶に思考を刈り取られていたのか。無意識のうちに、私は手紙を書いて送ってしまったのだ。
心臓がけたたましく脈打っている。
知られてしまった。私が、リクにとっては味方である少女を見殺しにしたこと……しかも遺体からオルゴールまで奪ったこと。
「あぁ……どうしよう……もう、これじゃ私……」
終わりだ。そう思った。
この心地よい秘め事もおしまい。
手の震えが止まらない。まるで晩秋の枯れ葉が風に吹かれたように、手紙がカサカサと音を立てている。
私は耐えかねて、続きは読まずにライターで焼こうとした。そんな私を、可愛らしいちっちゃな“前足”が押し留める。
「にゃっ」
ダメだよ。そう言ってるようだった。
「コムギ……でもね。私、嫌われちゃったと思うんだ。だからね……」
いいから続きを読め。そう言わんばかりに、コムギは手紙に猫パンチを繰り出した。
かなり凶暴な右フックだ。手紙が破れてしまいそうなほどに。
「ちょちょ、わかったよ。わかったからやめて」
そうだ。この子は猫の郵便屋さん。そんなプロフェッショナルの前で手紙を読まずに燃やすなんて、とんでもない侮辱だった。
私はコムギの頭を撫で、手紙に手を添えてふぅっと長く息を吐いた。
そして指でなぞりながら言葉を拾ってゆく。
『俺も人のことは言えない。
もう……数えるのもやめたから。
だからアサ。自分をそれ以上責めるな。
失くした罪に苛まれてるなら、俺が拾ってきてやる』
文字を追う指先から感情が伝わってくる。
それは嫌悪感では決してなく、どこまでも混じり気のない優しさだった。
「責めるな……」
自分を責めるな。
そんな彼の言葉が……まるで消えない罪ごと私を抱きしめてくれたようで。そう思ったら、もはや止めようがない。心が震えるままに、私は手紙を握りしめてそっと泣いた。
溢れ出る想いに、もう嘘はつけない。
リクに会いたい。
彼のことが知りたい。優しさの陰に隠された痛みも全部。
あなたはどんな世界で生きていたの?
どんな傷があるの?
ひとりきりで……泣いていたの?
ポタポタと手紙に雫が落ちた。
しばらくそうしていたような気がする。
握りしめていた手紙が濡れてふやけてしまったあたりで、ようやく私は息を落ち着かせることができたのだから。
「にゃぉん」
最後までちゃんと読みなさい。そうコムギに促され、私は照れ笑いを浮かべた。
文字が滲んでしまったけれど、まだ手紙には続きがある。目を細めると、いまだ涙で掠れる視界に、とある一文が映った。
『この戦争。終わるかもしれない。
休戦の交渉が進んでるらしいんだ』


