あれは、灰谷戦線に来てすぐの頃だった。
 まだ私が“兵士らしい顔”を作ることもできず、毎日怯えてばかりいた時のこと。

 廃ビルの影で交戦になり、私は瓦礫の隙間に隠れていたのだが、銃声が近づいてくるたび、心臓が喉から飛び出しそうで……私は逃げ出した。

 転がるようにして飛び込んだ小さな教会。
 荒い息をなんとかして押さえ込むと、ふと、目の前に人の気配を感じた。
 ────女の子だった。私と同じくらいの。
 敵軍の迷彩の戦闘服を着た少女が、腹を押さえながら倒れていたのだ。じっとりと、カラダの下には赤黒い血液が水溜まりを作っていた。

 顔は土で汚れて、唇は紫色で。
 もう長くはないんだと、私にも一瞬でわかった。

 少女は私に気づくと、僅かに首を動かした。

『……いた……いよ……ぉかぁ……さ』

 お母さん。そう言った気がした。
 
 私はというと、固まって動けなくて。銃を構えたまま、ただ震えていた。
 助けることもできず、とどめを刺す勇気もなくて。

 少女の腕が、ゆっくりと動いた。
 指先がポケットを探るみたいにして。小さな、金色の物体を取り出したのが見えた。

 それが、あのオルゴールだった。

 少女は、蓋を開けようとしていた。
 震える手で何度も、何度も。
 でもうまく回らなかったのか、歯車がきしむ音だけがカラカラと響いていた。

『……きぃ……よ……し……』

 切れ切れに漏れた声が、私の胸を刺したのを覚えている。
 歌おうとしていたのだろう。
 “きよしこの夜”を。

 だけど、その続きはもう出てこなかった。

 私の目の前で、少女は静かに息を引き取ったからだ。

 よくあることだ。こんな戦場では。
 仲間も、敵も、誰もがそうやって死んでいく。

 だけど────
 その時の私は、ただただ怖くて。

 死よりも、少女の手を握ることが。声をかけることが。
 戦っている敵が“人間”だと知ることが怖かった。

 そうだ。私は、少女を見殺しにした。
 いや、殺したんだ。私が殺した。

 戦争だから、と自分に言い訳しようとしても、
 あのときの視線が、ずっと胸の奥に残っている。

 まるで何かに促されるように、少女が落としたオルゴールを、私は震える手で拾った。
 拾うしかなかった。
 そのとき唯一できた、“なにか”だったから。

 それから、私はずっとあの壊れたオルゴールを持ち歩いていた。
 オルゴールを直せば。綺麗な音が再び奏でられれば……それが贖罪になるのではないかと思い込んで。

 でも、失くしてしまった。
 私はもう……誰にも赦されることはない。
 今度こそ、本当に誰かを殺してしまうかもしれない。いや、きっとその前に、殺されるだろう。

 ────それでいいと思っていたのに。

 今の私は……生きたいと思ってしまっている。
 コムギとリクに……温もりをもらってしまっている。

 許されないことだと……わかっているのに。