「はーい、ただいま〜」
「にゃにゃ。あんまっ」
ドアを閉め、ランプを壁にかけると朧げに部屋が照らされた。
私たちの部隊が宿舎として使っている廃ホテルの一室だ。基本的には複数人で使用するのだが、古参兵は一人部屋が与えられる。私は一人で眠るのが寂しいタチなので、欲を言えばユキノと同部屋がよかったのだが、今となってはこれで好都合だと言える。
「さぁさぁ、猫の配達員さん。お仕事ご苦労様です……よし、取れた」
コムギの首輪にぶら下がる鈴の中から、私は折り畳まれた手紙をとりだした。
そう、一人部屋は都合がいい。こうして“猫文通”を見られずに済むからだ。
「どれどれ……はぁ〜、アイツまたひとのことチビとか言って……ほんとムカつく。ね、コムギ」
「にゃん?あんまぁ〜?」
「ふふっ、そうだね。コムギもゴハン食べよっか」
木箱を合体させて作ったお手製のソファーに腰掛け、コムギを膝にのせてご飯をあげる。
炊事兵の子がコムギ用にと、塩味をつけずに(出汁で)調理してくれた鶏肉だ。
「はにゃはにゃはにゃ」と何やら喋りながら夢中で食いつくコムギを見て、私も自然と顔が綻ぶ。
────コムギが繋いでくれるよ。
あの日、リクは私にそう言って猫郵便の提案を持ちかけた。
曰く、コムギは食いしん坊なので、どうせ私とリクの双方からゴハンを貰うために行ったり来たりするはずだから……と。
それを聞いた際は、まさかと思ったけれど。彼の予想は大当たり。今ではコムギが向こうにいくタイミングまでなんとなくわかるようになった。
「いい子だね」
鶏肉に夢中なコムギの頭を撫でてやる。柔らかな毛並みに、秋の日差しのような温もり。
この子がいま、私に平穏を与えてくれている。
そして……文通というささやかな楽しみも。
いまではもう、ふたつとも無くてはならないものだ。
私のような“罪人”には、身に余るものだと思うけれど。
*
コムギが満腹になって眠りに落ちると、部屋がいっそう静かになった。
手の中には、今日届いた手紙……続きを読んでいく。
折り目のところが少し擦れて、白くなっていた。
たぶん、何度もポケットに入れたり出したりしたんだろう。
そういうところが、リクらしい────なんて考えが浮かんだ途端、はっとして私はパニックになった。
「うわっ。なんかいま……彼らしいとか……いやいやいや!違う違う……!」
ヘルメットに顔を埋めて「あ゛ーー!」と叫んだ。
こうすれば声が外に漏れないらオススメだ。
「ふぅ……よしっ」
少し上気した面影を残して、手紙のつづきに目を通す。
あれ、雰囲気が違う?
その文字の大きさというか、字の形状というか、文章から滲み出る“感情”が、いつものリクとは違ってみえる。
────その理由は、すぐにわかった。
『アサはなんで兵士になった?家族はいるのか?
俺の母さんは5年前に死んだけどさ。
“あの病気”で』
読みながら、自然と唾を飲み込んだ。
あの病気────
17歳までの子供はなぜか感染しないという、不気味な病気。
大人だけが感染して、大人だけが死んでいった、あのパンデミック。
私が7歳のとき、世界から大人がいなくなり始めた。
学校の先生がひとり、またひとりと休んで、戻らなくなって。
次第にテレビもラジオも止まり、街は泣き声と痛々しい咳の音で満たされていった。
「そっか……リクも、同じなんだ」
紙の上の文字は、続いていた。
『母さんが死んだ後は、隣のお兄さんが俺みたいな孤児をまとめてくれたけど、
そのお兄さんもすぐ病気にかかっちまって。
だから、俺は自分で兵士になったんだ。
“北部”に入れば食べ物があるって聞いたから』
妙に素直で、妙に正直で。それゆえに穿ってくる。心の奥を深く……深く。
私は手紙を持つ手の力をゆるめた。
「……似てる」
気づけば、そう呟いていた。
私だって、そうだった。
5年前のあの日、父も母も突然倒れた。
高熱と吐血……医者なんて来るはずもなくて、気がついたら、もう冷たくなっていた。
それから大人たちは次々にいなくなって、街は子どもだけになって。
そして混乱に乗じ、日本は入り込んできた外国勢力に食い散らかされ、国がいくつかに別れた。“南部連合日本”と“北部民主同盟”はそのうちのひとつだ。
そう、だから……飢えに耐えかねて、子どもたちは泣きながら武器を取る選択をして。例に漏れず、気づけば私はこの戦場にいた。兵士として。
リクの手紙を読んでいると、
私の記憶と彼の記憶が、靴ひもみたいにひとつの線で結ばれてしまう。
敵とか味方とか、もう関係ないじゃないか。
ふたりとも、あの崩れた世界の日々にあって、ひとりの子どもでしかなかったのだから。
「……どうしてかな」
言葉が漏れた。
こんな世界で、出会った相手が“敵”だなんて。
殺し合わなきゃいけないだなんて。
膝のうえのコムギをゆっくり撫でる。
コムギは眠ったまま、耳だけぴくぴく動かした。
「どうして……」
ぱさり。と紙がもう一枚隠れていた。ぴったりと折り畳んだものだから、2枚が重なっていたようだ。
その2枚目に書かれていたこと。少し震えたような、不恰好な文字の羅列にこそ、彼が私と共有したい感情を孕んでいるとすぐにわかった。
同じだ。私もずっと抱えている……同じ罪だ。
『なぁ、アサ……人を殺したことはあるか?』
私はテーブルの上に置かれた弾薬ホルダーを見やった。
ランプが朧げに照らしている。中身は空っぽだ。そこにあったはずの“オルゴール”はもうない。
失くしてしまったからだ。あの日、基地に帰還した時にはもう無かった。
あのオルゴールこそ、私の罪の証だったのに。
それを私は……
人を殺したことはあるか?
彼の問いに、私はちいさく俯いて答えた。
「……あるよ」


