────これが死後の世界?

 真っ暗だな……そう思った。
 
 たぶん……私は死んだはずだ。
 ユキノや分隊の仲間たちから援護射撃をもらい、遮蔽物から飛び出したまではよかった。
 重い弾薬を抱えて、射線をくぐり抜けて……必死に走って……そうしたら……突然風の塊に殴られたようにして私のカラダは宙を舞って……爆弾かなにかで……たぶん……死んだ。
 そっか。死んだんだ私。

「ゴロゴロゴロゴロ……」

 ……なんだろう?
 気づけば、雲の中でカミナリが寝転がっているような音がする。
 それも私の目と鼻の先から。
 ……というか、なんかモフモフした感触……?
 そして……なんだろ?
 なんか……お布団……そうだ。太陽にさらした布団みたいな匂いがする……
 すごくいい匂い……いい匂い……

 すー……すんすん……すんは、すんはっ

 吸って吸って吸って。
 これが天国の香りか。この謎のモフモフの匂いを吸いつくさんとする私である。
 ところが────

「にゃにゃっ」

 え?

「にゃおっ。あんまぁ〜」

 ……えっ?


 *


「んん……猫……?」

 目をゆっくりと開く。それと同期するかのように、私が顔を埋めていたモフモフがズルっと動き出した。
 支えを失った私の顔面は地面とお見合いした。

「痛っ……あ……これ……」

 土埃、そして硝煙のニオイ。そして、酸っぱいような……血の匂い。

「あぁ……なんだ。死ねなかったのね……私」

 上体を起こしてみれば、そこは見慣れた廃墟となった街の風景。灰谷戦線のど真ん中だった。
 だがしかし……空が暗い。電灯の類もEMPの影響で点くことはないため、ほんの数十メートル先はもう見えない。
 腕時計の盤面に目を擦り付けるようにして時間を見る。時計の針は『8』を示していた。つまり20時ということ。
 銃声も聞こえないところを見るに、戦闘はもう終わっているようだ。

「腕もある……脚もある……」

 少しカラダは痛むけど、骨が折れているわけではなさそうだ。
 とはいえ、吹き飛ばされて気を失っていた以上、死んだと思われて当然か。

「にゃんっ」

 こんな場所には不釣あいな、可愛らしい声。
 ────猫だ。
 私がさっきまで枕にしていた子だろうか。キョロキョロと声の主を探すも、この暗がりでは捉えられない。
 すると突然、「これで明るくなったろう?」と言わんばかりに、空がぱっと明るくなり、地面が青白い光で照らされた……これは照明弾だ。味方のものか、敵のものか定かではないけど。

「にゃにゃっ」

 再び可愛い声がした。振り向いた私は、目線を下げる。
 そこにいたのは、シャープな体型をした灰色の猫だった。ちょっぴり生意気そうな顔つきで、挑発的な笑みを浮かべたように口元がスマイルの形になっている。
 彼?彼女?は、とてもお行儀良くちょこんと座り、まんまるの瞳で私をじっと見つめて鼻袋を膨らませていた。
 そして、高らかにこう宣言したのである。

「あんまっ!」

 ……あんま?
 なんだろう?あんま……頭……?いや、猫語か……あん……まん……あっ!

「まんま……ゴハンってこと?」
「にゃにゃっ!あんまぁー!」

 大正解だったようだ。
 猫ちゃんはピンと尻尾をたてて、さっと私に歩み寄り、足に擦り付いている。

「えっと、ごめん……私……ゴハンは持ってないかも……」

 あたふたする私を尻目に、猫ちゃんは驚異的なジャンプ力をもってして、ひとっ飛びで私の肩に飛び乗った。落ちないように、私は背を丸めた。
 その時だ。背筋にぞっと寒気が走った。“人の声”が聞こえたからだ。

「生存者はいたか?」
「いや、みんな死んでるよ……しかも女の子ばっかりだ」

 照明弾に照らされ、会話の主を知ることができた。迷彩服姿の2人の男の子……ツノのような突起が付いたヘルメット……敵だ。“北”の少年兵たちだ。
 私はとっさに身を屈めた。そしてじりじりと瓦礫に身を潜める。
 敵は当然、小銃を持っている。私は……あった。拳銃がある。丸腰では心許ないと、ユキノが腰に差し込んでくれたものだ。
 とはいえ、戦って勝ち目などあるわけない。じゃあ降伏は……絶対にありえない。
 北の連中は鬼畜だ。同じ日本語を喋るだけの野蛮人……捕まるくらいなら自決しろ。そう教わっている。女は特に……地獄を見るからと。

 あぁ、そうか。ふと、私は気づいた。
 もしかしたら、ユキノはこの拳銃を護身のためではなく、自決のために渡したのしれない。

「にゃん?」

 ……あ、まずい。
 そうだった。猫を肩に乗せてたんだ。なんか忘れていたッ!

「あおん。あんまっ」
「し、静かにして……まんまは……えっと……後であげるから」
「にゃおー!あんま、あんま!」
「ダメだってばっ、お願い……!」

 私はいかに息を潜めていようと、猫にとってはお構いなし。元気いっぱいにゴハンを要求している。

「ん?おい、なにか聞こえたぞ」
「あぁ……そこに誰かいるのか?」

 ────逃げろッ!

 音を立てても構わない。私は猫を抱いて、脱兎のようにその場を離れた。