「心して聞くように」

 兵舎の前に整列させられた第一小隊。
 その前に立ったのは、防護服の大人ではなかった。

 紺色の軍服を着た督戦隊の隊長────私たちより少し年上の、少年兵だった。
 青白い顔に、皮膚の上から浮き上がる血管。
 目の下には深い隈。その肩は、震えているように見えた。

 彼は乾いた唇を一度舐め、それから弱々しい声で口を開いた。

「大人の命令には、従ってくれ。僕たちも……仲間を殺したくないから」

 それは“脅し”ではなく“嘆願”に近かった。
 隊列に並ぶ仲間たちの間に、雪のような沈黙が落ちる。

 誰も声を発せず、ただ凍えた指先だけが小さく震えていた。

「日没と同時に、即応体制に移行する。着剣し号令を待つように。第一小隊は先陣を切って突撃し、敵塹壕を奪取すべし────」

 読み上げる声は、紙の上をたどるように平坦で、でもその端々に“痛み”がにじんでいた。
 彼もまた、私たちと同じ。
 “殺したくない側”の子どもなのだとわかった。

「……ふざけんな大人ども。お前らがやってみろってんだ」

 ユキノが隣で、小さな声でつぶやいた。
 聞こえているのかいないのか、隊長の目はただ紙を見つめたままだった。

「以上……解散」

 紙を握る手が震えていた。
 彼はそれ以上何も言えず、ただ私たちの前からゆっくりと下がった。


 *
 

 塹壕に降りると、そこは“底なしの冷たさ”しかなかった。
 日はまだ落ちきっていないのに、すでに地面の温度は氷みたいで、泥は固まり靴底にこびりつく。

 夜がきたら、攻撃が始まる。
 でもそれまではただ、待つだけ。
 この戦争の99%は“待つ時間”で、その待ち時間が人を静かに壊していく。

 ユキノが隣でしゃがみ込み、両手を吐息で温めながら話しかけてきた。

「アサ……寒いね」
「……うん。寒いよ」

 ユキノが私に身体を寄せてきた。
 でも、いつもあったかいはずのそのカラダから、温もりはあまり感じなかった。

 休戦の夜を想像していた自分が、いまはもう遠い誰かみたいに思えた。

「今日はクリスマスか……」

 リクは向こうに見える塹壕にいるのかな。
 もしそこにいたとしたら、私を殺すのは彼かもしれない。
 いやだな。そう思った時、灰色の影が塹壕を枕に睨み合う敵味方双方の射線をさっと横切っていった。

「えっ!?」

 思わず声が出た。だって、あれは────

「コムギ」

 どうして戦場に!?
 ダメだ、こんなところにいたら────!

「アサ!なにしてる、頭を出すなぁ!」

 ユキノの声。
 あ、まずいな。そう思った時にはもう遅かった。

 敵の塹壕に、ぱっと小さく花火が咲いたような光が見えた。
 刹那、板を踏み抜いたような乾いた音が脳に反響し、私のカラダは糸が切れた人形のように崩れ落ちたのが自分でもわかった。

 ────あぁ、撃たれたんだな

 そう思ったのと同時。目の前は真っ暗になり、私の意識はここじゃない何処かへと誘われていった。