カレーが美味しくできた、って北川さんに報告したら想像以上に喜んでくれた。俺はこんな風に患者に接したことがなかったから新鮮に思える。
「でもまさか月居先生と南君が一緒にカレーを作る仲だとはね……」
「はい?」
「だって、月居先生が誰か特定の人と仲良くしてるイメージはないですから」
「べ、別に仲がいいわけじゃ……ゴホッゴホッ!」
 顔にボッと熱がこもる。それに気づかれないように咳払いをした。
「最近食事もほぼ全量食べられてますし、採血結果も悪くないです。このままなら予定通り、手術ができそうですよ」
「本当ですか? それはよかった。ご飯食べないと南君に怒られちゃうから、我慢して食べないと」
「そうですよね」
 患者からよく聞く「南君が……」っていう言葉。
みんな彼の話をするときに嬉しそうな顔をしているから、南はみんなに慕われている優しい看護師なんだろう。
 仕事だってできるし根性もある。南は、もっともっといい看護師へと成長していくはずだ。
「あ、そうだ! 先生、今度は美味しいパスタのレシピを教えますよ」
「へぇ、パスタですか……」
「これが簡単ですが美味しいんですよ」
 北川さんが教えてくれたレシピを、「興味ありませんよ」という顔をしながらも、しっかりと記憶に焼き付けた。


 北川さんの病室を出て、ナースステーションに向かう。今日南は日勤だったはずだ。
『今日俺の家でパスタを作らないか?』
 そう誘ってみようかと勇気を振り絞ってナースステーションに来たはずなのに、どんどん決心が鈍ってきてしまう。
「やっぱり、やめようかな……南も疲れてるかもしれないし」
 忙しそうに病棟内を走り回る看護師を見れば、仕事が終わってまで付き合わせるのが申し訳なく思えてきた。
 医局へ戻ろう……ナースステーションに背中を向けた時、「先生、お疲れ様です」と元気に肩を叩かれる。振り返れば、そこには南がいた。
 南の顔を見ただけで顔が熱くなってきて、体が震え出す。心臓が爆発しそうな勢いで動き始めた。
「何か用事ですか?」
「あ、いや、別に……」
「そうですか。何かあったら言ってくださいね」
「南、やっぱり待って!」
 ニコッと笑ってナースステーションに入ろうとした南のスクラブをギュッと掴んだ。びっくりしたように振り返った南の顔を見上げる。速すぎる鼓動とナースコールの音だけが鼓膜に響いた。


「あのさ、さっき……北川さんから、パスタのレシピ聞いたんだ……。だからまた一緒に作ろう……」
「へぇ。北川さんから?」
「か、勘違いするなよ! お前とまた一緒に料理がしたいわけじゃないから。それに、別に忙しかったり疲れたりしてたら無理にじゃないし。でもせっかく北川さんから教えてもらったから……」
 声が震えてしまったから、スクラブを掴んだ手にギュッと力を込める。
 これじゃあ、北川さんのことを口実に南を誘ってるみたいだ……。
 素直に「一緒にいたい」と伝えられない自分が情けない。唇をギュッと噛み締めた。
「いいですよ」
 スクラブを握り締めていた手をそっと握られる。そのまま、南の大きな手に包み込まれた。
「どんなに忙しくても疲れてても、絶対に行きます。いつもの所で待ってますね」
「南……」
「パスタ楽しみだなぁ」
 フワリと微笑む南に頭をポンポンッと撫でられた。
「ナースコール鳴ってるから行ってきますね」
 颯爽と病室へ向かって行く南の背中を見送る。
 南が触れた手と髪に、温もりが少しずつ溶けていくのを感じた。

◇◆◇◆
 
 北川さんが教えてくれたパスタは、想像以上に美味しく仕上がった。それに感動してしまう。
 きっと赤ワインみたいなオシャレなお酒が合ったんだろうけど、生憎俺も南もそんな知識は持ち合わせていなかった。


 帰る途中、雑貨屋でパスタ皿や大きめの鍋を買ったり……今までの俺には必要なかったものが、少しずつ増えていく。
 南が「先生の家にはコップもない」と文句を言いながらコップも買っていた。
 二人で買い物をするだけでも最初は恥ずかしくて仕方なかったのに、少しずつ慣れてきて。南との思い出の物が増えていくことが嬉しかった。
 パスタを食べ終わったあと、リビングでゴロゴロしている南。疲れているんだろう、と食器をシンクに運び洗い物を始める。
 まるで同棲してるみたいだ……ってこそばゆい。耳が熱くなってきた。
「先生」
 小さな声が聞こえたあと、背中に温かなものがくっついてくる。その瞬間、ビクンと体が反応して体中が甘く痺れた。
「み、南、突然なんだよ」
「んー?」
「ちょっと、離れろよ」
「嫌です」
 俺は軽くパニックになっているのに、首筋にスリスリと頬擦りした後ギュッとしがみついてきた。
「先生、眠たい」
「お前は満腹になると眠くなるんだな? 子供みたいじゃん」
「俺は先生より年下だから甘えたいときもあるんです」
 完全に甘えた声を出す南を背中から引き離すなんて、もうできない。逆にもっと甘えさせてやりたい……そんな感情がムクムクと顔を出した。
 それでも照れ隠しに、「食器が洗いにくいんですけど」と文句を言いながら南の足を軽く蹴飛ばす。
「痛いなぁ。先生の意地悪」
 子供のように拗ねた声を出す南に、もっと力を込めて抱き締められてしまった。


「北川さんが教えてくれたパスタ美味しかったな?」
「はい。めちゃくちゃ美味しかったです」
「今度は何を教えてもらう?」
「俺、今度は和食がいいなぁ」
 今にも眠ってしまいそうな南に、そっと囁く。
「なぁ、南……」
「ん? なんですか? もしかして、泊まってけって……言ってくれるとか……?」
 冗談っぽく言ってるけど、触れ合う南の胸からドキドキッという鼓動が伝わってくる。緊張しているのか、体も少しだけ強ばっているし……。
 俺と同じだ。
 幸せなのに、少しだけ怖い。
「泊まってけって、言ってほしいの?」
「そりゃあ。先生とずっと一緒にいたいから」
「……じゃあ、泊まってくか……?」
「…………」
「…………」
「……はい……」
 心臓が張り裂けそうに痛くて。でもそれ以上に心が熱く震えた。


 その晩俺たちは、リビングにあるソファーで寄り添って眠りについた。
「南、ベッドに行くか?」俺の何気ない一言に南が珍しく顔を真っ赤にしたから、つられて俺まで顔に熱が籠る。慌てふためく南に、自分がとんでもないことを言ってしまったのだと気づかされた。
 ——ヤバイ……気まず過ぎる……。
 二人して顔を真っ赤にして俯いた。
「先生、俺は子供じゃありません。二人でベッドに寝るっていう意味わかってますか?」
「ご、ごめん」
「襲われたくなかったら、俺を煽るようなことを言わないでください」
「わ、ちょっと南!」
 怒ったような南に、強引に抱き締められてソファーに押し倒される。お互いの心臓がドキドキ高鳴って、室内にオーケストラがいるみたいだ。南の温もりに匂いにグッと胸が締め付けられた。
 近くにあったブランケットに包まれれば、温かくて、幸せで……心が蕩けてしまいそうになる。
 きっと今夜は眠れないだろう……。 
 『パスタを作ろう』じゃなくて、『一緒にいてほしい』って言えたらいいのになぁ。