月居先生の恋愛カルテ


「本当に信じられない。あんなにポーッとした顔で元カレに付いていくなんて、あなた頭悪いんじゃないですか?」
「あの日下部、点滴の指示は?」
「そんなの、あなたを瀧澤先生から離す嘘に決まってんでしょ?大体ね、あのままどっかに連れてかれてエロいことされるのが、目に見えてるじゃないですか? それともそうされたかったんですか?」
「そ、そんなわけないだろう!?」
「だから、あなたは考えが甘いんです‼」


 俺が日下部に連れて来られたのは病棟ではなく、いつもに人でグダグダと時間を過ごしている非常階段だった。
 冬の昼間は本当に短い……十五時を過ぎたばかりなのに、もう辺りは薄暗くなってきている。
 日下部はイライラしているらしく、頭を乱暴に掻き毟った。スクラブからチョコレートの箱を取り出し、口に放り込む。そんな何気ない仕草が……悔しい程かっこいい。
 無理……苦しい……。
 俺は俯いて唇を尖らす。


 そんな子供みたいに不貞腐れる俺の頭を、日下部は優しく撫でてくれた。
「月居先生もチョコ食べますか? ほら、あーん?」
「え? あーんって……」
 箱からチョコレートを一つ取り出し、俺に差し出してくる。
「え? じゃなくて、食べるでしょ? あーん、してくださよ?」
「で、でも!?」
「いいから、ほら早くして」
「あ、あ、うん。あ、あーん……」
 日下部の勢いに押され渋々口を開いた。だって、これじゃあ子供みたいだ。


 それでも仕方なくカリカリッとチョコレートを咀嚼し飲み込めば、日下部が顔を覗き込んできた。
「美味しいですか?」
「う、うん」
「良かった。もう一つあげますよ? ほら」
「え? ちょ、ちょっと……」
「ひゃやくして(早くして)。ひょら(ほら)」
 日下部がチョコレートを口に咥えて唇を尖らせる。
 このチョコレートを食えって言うのかよ……。


 俺の顔は熱を帯び、トマトみたいに真っ赤になってしまった。それでも日下部が咥えているチョコレートは凄く美味しそうで……食べてみたい衝動に駆られる。
 きっと、あのチョコレートは甘いだろうなぁ。今まで食べてきたどんなチョコレートより。


 そっと瞳を閉じて日下部の咥えているチョコレートに噛み付く。
 その瞬間フニッっと唇と唇が触れ合う。心臓がトクンと一つ跳ねた。
「……フッ……はぁ……」
 唇が深く重なり合えばチョコレートが溶けて、甘い味が口内に広がっていく。
 口の中でチョコレートを取り合うように舌を絡め合って、甘い甘い唾液をコクンと飲み込んだ。
「めっちゃ美味かったでしょ?」
「馬鹿野郎……」
 背一杯の悪口が、冷たい北風に攫われていく。
 火照った頬に、そんな風が心地よかった。


🎄 🎅 🎄


「月居先生、当直お疲れ様です」
「あ、うん」


 机に向かい、カルテを入力していた俺を背後から抱き締めるのは……クリスマスイブに一緒に夜を過ごした日下部だ。
 一緒に過ごした……と言っても俺が当直で、日下部は夜勤だった。だから甘いエピソードなんてあるはずもない。おまけに、昨日は亡くなった患者んさんがいたせいか、慌ただしい夜だった。
 当直の俺はこのまま日勤まで働かなければならないけど、夜勤の日下部はこれで帰ることになる。
 夜勤明けのくせに、汗の匂いすらしない日下部に思わず抱き付きたくなる。


「今晩十九時。ここで待ってます」
「……え……?」
 日下部は自分のスマホの画面を指先でつつく。そこには、有名な公園の写真があった。
 大きなクリスマスツリーに賑わう出店……まるで夢の国のように見えた。
「待ってますから、必ず来てくださいね?」
「で、でも!」
「待ってます、からね」
「…………」
 にっこり微笑む日下部を見ると、何も言い返せなくなってしまう。
 こいつ、最近押しが強過ぎるだろう……。
「じゃあ、お疲れ様でした」
 そう言い残し、日下部はさっさと帰ってしまった。


 なんで俺が日下部なんかのために……そう思うと腹がたってくるけど、一応念のため日下部が待ち合わせに指定してきた公園を調べてみる。
「行くかわかんねぇけど……」
 そう呟きながら、一日中その公園のホームページを熟読してしまった。