月居先生の恋愛カルテ


 俺は、ずっとモヤモヤ、そしてイライラしていた。
 ある日、手術を終えた俺は腫瘍科病棟のナースステーションで事務仕事に取り掛かっていた。入院患者の薬の処方をしたり、診断書や保険会社の書類を書いたり、カルテを書いたり……医者の事務仕事は意外に多い。
 そんな中、看護師達がキャッキャッと騒いでいる声が聞こえてくる。
「うっせぇなぁ」
 なんで女って生き物は、こうもうるさいものなのだろうか? 無駄口を叩いている暇でもあれば、本でも読んで勉強しろよな……そう嫌味を言ってやりなくなる。
 俺はそんな声を遮断するように、看護師達に背を向けようとした瞬間……思わず耳をダンボにした。


「日下部主任、クリスマスイブ夜勤なんですか?」
「えー! 彼女と過ごしたりしないの?」
「ってか、日下部主任、彼女いるんですか?」
 看護師達は日下部を取り囲み、気持ち悪い笑顔を振りまいている。
「俺には関係ねぇ」
 そう思ってはいるのに、仕事にもう集中なんかできない。俺は耳をそばだてた。


「彼女なんていないですよ」
「えー!? 本当ですか?」
「絶対嘘だ! こんなにイケメンなのに!?」
「好きな人もいないんですか?」
 明らかに顔を引き攣らせている日下部を見れば「お気の毒に……」と感じる。俺だったら即キレてるだろう。
「この病棟の看護師では誰が一番タイプですか?」
(あや)ちゃんじゃない? だって超かわいいじゃん!」
「先輩やめてくださいよ! そんなんじゃないですから!」
「あはははは……」
 日下部が愛想笑いをしているのを見て、遂に俺の堪忍袋の緒が切れた。
 綾ちゃんのどこが可愛いんだよ? ドブス共が……。
 

「あのさ、勤務中だよ? 無駄口叩いてる暇があるなら患者のとこ行けよ? うるさくて頭がキンキンする」
 俺が口を開いた瞬間、ナース室が凍り付く。今のこの空間なら、きっとペンギンも快適に暮らせることだろう。
「チッ……低能が……」
 舌打ちをして仕事を再開する。
 不愉快だ。日下部が好きなのは俺なんだよ……!
 蜂の子を散らしたように看護師達がナースステーションから姿を消す。シーンと静まり返り、ナースコールの音が響き渡った。


「何もあそこまで言わなくても……」
「はぁ?」
 そっと俺の近くの椅子に腰を下ろしたのは日下部だった。心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。
「またナースに嫌われちゃいますよ?」
「別にいい。気にならない」
 気まずい沈黙が流れる。その沈黙さえイライラした。
「大体お前もさ、女に囲まれてヘラヘラしてんなよ? 見ててキモイんだけど」
「え?」
「何が彼女いるんですか? だよ……本当にウザい……」
「月居先生、それって……」
「な、なんだよ?」
 いつにない日下部の真面目な顔に思わず息を飲む。


「それってヤキモチ、ですか?」
「はぁ?」
 素っ頓狂な声を出してしまう。慌てふためく俺を見て、日下部が嬉しそうに笑った。
「そっか、ヤキモチか……月居先生可愛いなぁ」
「お前、俺がいつヤキモチ妬いたんだよ!」
「そっか、そっか……じゃあ、クリスマス一緒に過ごしましょうね? ある公園に凄い立派なクリスマスツリーがあるんです。それを見に行きましょう!」
「お、俺は行かないぞ!」
「まぁまぁ。どうせクリスマスに予定なんてないでしょう? 月居先生とデートなんて嬉しいなぁ」
 なんて言ったらいいのかわからず、近所のように口をパクパクさせていれば、日下部がクシャクシャッと頭を撫でてくれる。
「ちょ、ちょっと日下部!?」
「楽しみにしてますね」
 日下部は手をヒラヒラ振りながら、ナースステーションを後にした。

 
 こんなガキみたいな扱いを受けているのに、俺の心はどうしてもザワザワ騒いで仕方ないのだ。


 もっと日下部を見ていたい。
 もっと日下部の傍にいたい。
 もっと日下部を独り占めしたい。
 クリスマスだって、出来れば日下部と過ごしたい。


 でも、それはなんでだ?
 日下部はこの感情を恋だって言ってた。俺は日下部のことが好きなんだと……。
 でも嫌だ、そんなの認めたくない。認めたら、きっとドロドロに溶けて日下部に溺れ切ってしまう。そんなのは駄目だ。
 俺は、完璧でなければならないんだから。