映画が始まったころから覚えていた違和感が、中盤に差し掛かり確信に変わる。
「なぁ? これってもしかしてBL映画……」
「そうみたいですね。多分ゲイカップルのお話なんだと……」
「えぇ⁉ だからジェンダーか……」
慌てふためく俺など関係なく、突然始まる主人公とその恋人のラブシーン……思わず目を覆いたくなったけど、好奇心のほうが勝ってしまう。
チュッチュッというリップ音と共に、重ねられる唇と唇。映像からも伝わってくる唇の柔らかさに、視線が釘付けになった。血液が沸騰したかのように熱くて、体がどんどん火照り出す。
——コラッ、静まってくれ。俺の体。
クッションを抱き締めて目をギュッと閉じた。
そんな俺にお構いなしに、映画はどんどん進んでいく。卑猥な水音がするような熱い口付けが交わされ、二人はもつれるかのようにベッドに沈んでいった。ギシギシッと二人の重みで軋むベッドの音がいやに艶めかしい。
『愛してる』
『僕もだ』
蕩けるような視線が絡み合い、また唇が重なって……ヤバい、鼻血が出そう。
緊張してるのにそれ以上に興奮してしまって……体に根っこが生えてしまったかのように動かない。
すぐ隣には南がいるし、今俺達が寄りかかっているのはベッドだ。どちらかが仕掛ければ、きっと……。
『先生。抱いてもいいですか?』
潤んだ瞳にテラテラと光る唇。熱の篭った声で誘惑されてしまえば、拒絶なんてできるはずがない。
『先生……』
『南……』
そっと唇が重なって、二人の中で何かが弾けて……それからそれから……。
――駄目だ、心臓が爆発しそう。
顔から火が出てしまいそうなくらい赤面してしまう。この部屋は酸素が薄いのかってくらい呼吸が苦しくて、金魚みたいにパクパクと口を開閉させて酸素を吸い込んだ。
こんなに心臓がドキドキしたら、南に聞こえてしまうのではないか……怖くなって体にギュッと力を込めた。
「先生、それ駄目です」
「わ、悪い」
「あんまり緊張しないで。こっちにまで伝染してくる。それに……」
「なんだよ……?」
不安になって南を見上げる。
「意識しちゃいます。なんかエロい気持ちになる」
「エロい……?」
「先生と、エロいことしたくなるって言ってるんです。わかってよ、鈍感……」
口元を押さえながらそう話す南の顔も、林檎みたいに真っ赤だ。
そんな南を見てしまえば、心臓も脳も心も……全部が爆発しそうになる。もうどうしたらいいのかがわからない。頭の中はグチャグチャだった。
「抱き締めるくらい、してもいいですか?」
「え? あ、あの……」
「俺は先生を抱き締めたい」
「南……」
「お願い、ギュッてするだけ」
不安そうに顔を覗き込んでくる南に、胸が締め付けられた。
苦しい……。
緊張しすぎて頭がボーッとしてくる。南の肩にコツンと額を押し当てて、静かに頷く。
俺も、南に抱き締めてほしかったから。
突然腕を引き寄せられたからバランスを崩して、南の胸の中に倒れ込む。南の胸に頬が当たってギュッと抱き締められて……心臓がバクンと跳ねた。
少しずつ感じる自分以外の体温に体が蕩けそうになる。南が首筋に顔を埋めてきたから、擽ったくて思わず肩が上がった。
逞しい胸に耳を押し付ければ、雷みたいにドキンドキンと拍動を打っている。
テレビから聞こえてくる低くて甘い喘ぎ声。その場面を見なくても、何をしているかがわかってしまうような布同士が擦れ合う音。そんな映画に感化されて、少しでも気を緩めるとタガが外れそうになる。快楽に、飲み込まれそうになってしまった。
少しずつ思考回路がトロトロに蕩けそうになる。
キスしたい……そう思って指先でそっと南の唇に触れてみたら、ビクンと体が飛び上がった。
「先生、俺に泣かされたいんですか?」
「ん?」
「そんな可愛い顔して誘惑しないでください」
意識が少しずつ遠のいていく感覚。南の声が現実味を帯びていない。
オーバーヒート……。
プシューッと空気が抜けていく風船みたいに、全身から力が抜けていく。そんな俺をもう一度ギュッと抱き締めてくれた。
その夜、俺は久しぶりに熱を出した。
「知恵熱ですか?」
って、俺の頭を撫でながら南が笑っていた。
いい大人が、抱き締められたくらいで熱を出したなんて、本当に恥ずかしいけれど……「知恵熱なんかじゃねぇし!」と否定することもできない。南の言う通りかもしれないし、連日のハードワークの疲れが一気に出たのかもしれない。
恥ずかしくなって、布団の中に潜り込んだ。
「可愛いなぁ。俺のベッドでいいならゆっくり寝ててください」
「いい、帰る」
「駄目ですよ。こんな状態で帰せません。ちょっかいなんて出しませんから、泊ってってください」
「…………」
布団の上から、ポンポンッと優しく叩いてくれる。少しだけ感じる南の重みが心地いい。
菊池さんに教えてもらった映画の内容なんて、ほとんど記憶に残っていない。
ただ今度菊池さんに会ったら、文句を言ってやろうと心に決めた。
◇◆◇◆
ピピピッ。
「まだ三十八度か……先生、俺、買い物に行ってきますけど何が食べたいですか?」
体温計を見た南が顔を顰める。それから俺の髪をクシャクシャと撫でてくれた。
ちょっとしたやり取りの中で、やっぱり南は看護師なんだなって感じる。気遣いとか配慮が半端ない。
「はい。冷たいアイスノンに交換しましょう? 頭上げてください」
「んー? ありがとう。南、仕事は?」
「俺は夜勤明けだから休みです。先生は職場に休むって電話しなくて大丈夫ですか?」
部屋の中を見回すと日差しが差し込んでいるから、もう朝なのだろうか? ぐっすり寝たせいか昨夜より体調が良かった。
「俺が『月居先生が熱を出したので休みます』って連絡しましょうか?」
「アホッ。どんな関係だって大騒ぎになるよ」
「どんな関係……って。少なくとも狭いベッドでくっついて寝る関係ではありますよね?」
「やめろよ、変な噂がたつ」
気恥しさを感じた俺は、寝返りをうって南に背中を向ける。
——昨夜ずっと隣に感じていた温もりは、南だったんだな……。
寒かったから、その温もりに夢中でしがみついた記憶がある。今思えば、恥ずかしくて死にそうだ。
「先生の寝顔可愛かったなぁ」
「な、何言って……」
「手を出さずに一晩耐えた俺の理性を褒めてください」
腰に手を回され後ろから抱き寄せられる。南の温かな吐息を感じたから、思わず布団を握り締める手に力を込めた。
「それとも、手を出されたかったですか?」
「な、なんだよそれ⁉」
「ちょっと残念そうな顔をしてるから。今から手を出しましょうか?」
チュッと首筋にフワリと柔らかなものが触れた瞬間、髪が逆立つような感覚に襲われた。
「南、俺が弱ってるからって調子にのんなよ?」
「だって弱ってる先生可愛い……」
「本気で怒るぞ?」
「えー、一晩、一生懸命看病したのに……」
クスンと鼻を鳴らす音が聞こえてくる。
「先生、怒らないでください」
「駄目だ」
「そんなぁ……」
「めちゃくちゃ怒ってるから、一時間口きいてやんない」
「あははは。一時間かぁ……。今の俺には長いなぁ」
こんな何気ないやり取りが、凄く好きだ。
どんなに可愛げがなくても、口が悪くても……南は笑って許してくれる。それさえも受け止めてくれる。それが心地いい。
「買い物行ってきます。何が食べたいですか?」
「んん……牡蠣雑炊」
「あ、口きいてくれた」
「南の馬鹿野郎」
「ふふふっ」
甘えた声を出しながら背中にピタッと抱きついてくる。こうされてしまうと、さすがの俺も「離れろ」なんて言えない。
南がどう思っているかはわからないけど、俺は買い物に行ってほしくなかった。ほんの少し離れるだけでも、寂しく感じられたから……。
「行ってきます」
優しい声が鼓膜に響いて、夢の中に誘われていく。
——あぁ、職場に電話しなきゃ。
薄れる意識の中、そう思った。
俺は滅多に熱なんて出さないから心細くなってくる。
「南、早く帰ってきて」
昨日初めて来た南の部屋にも、まだ慣れていなくて……どうしていいかもわからずに、どんどん不安は強くなる。
それでもクンクンと少し息を吸い込むだけで、南の匂いがした。
布団も枕もクッションも……。
『先生、何か食べたいものはありますか?』
南から届くメールが擽ったい。最近は誰かに看病をされたことなんてなかったから。
『ココア飲みたい』
『子供みたいですね。了解。お腹冷やさないように、ちゃんと布団掛けて寝てくださいよ』
『バァカ』
そんなメールのやり取りに、目を細めた。
「こんな南の匂いがする部屋にいたら、余計熱が上がりそう……」
火照る顔を両手で押さえて、枕に顔を埋めた。
「南、早く帰ってこいよぉ」
映画みたいな恋はできないけど、こんなドキドキも悪くない……かもしれない。



