🐾
夜が明けて土曜日午前十一時。
私はコーヒーの香りが漂うカフェ・トーティにいる。
ジッと、一点を見つめて。
『何をそんなに睨んでいるのニャ』
開店したばかりでまだお客さんがまばらな店内。カウンター席の隅に座った私の右隣、視線の先には、イスの上で香箱座りをした猫……昨晩、ザラメと名乗っていたサビ猫がいる。今日は首のヘッドホンはつけていない。
『俺は月曜の夜に来いと言ったのニャ。ニンゲンのくせに曜日も時間もわからないのかニャ』
あくび交じりの呆れたような物言いに、口元がヒクつく。
試しに耳に差したイヤホンを外してみる。
すると、猫は「ニャーニャー」と鳴き始める。
「やっぱり……」
イヤホンを差し直す。
信じられないけれど、昨晩の出来ごとは夢ではなかった。
あの後家に帰ってもずっと物の感触がリアルで、シャワーも浴びてベッドに入って眠りにつこうと目を閉じたところでおかしいと思った。
もちろん夢の中で夢を見ることだってあるけれど、現に今だってこのイヤホンを通せば猫の言葉がわかるのだ。
『そういえばお前、見たことあるような気がするニャ。メアリーが生きていた頃に』
私も同じことを思い出していた。メアリーがいた頃に何度か訪れたこの店に時々猫がいたことを。
彼女が亡くなってから足が遠のいてしまって、すっかり忘れていた。
「あなたって何者なの?」
耳打ちするみたいにコソッと聞いてみた。
「それ、ラジカセですか?」
突然の声がけに、イスの上のお尻が軽く浮いた気がする。
「最近では珍しいですね」
声の主は紅茶とサンドイッチを持ってきてくれた男性の店員さん。黒いベストにタイをつけている。おそらくこの店の今のマスターだ。
「す、すみません! お店の中なのにイヤホンなんて」
慌ててケーブルをグイッと引っ張る。
店内には上品かつ荘厳なクラシックが流れているというのに、イヤホンをしているなんて失礼すぎる。
「ああ、いえ。そういうつもりでは。自由に過ごしていただいて構いませんよ」
彼は落ち着いた声で穏やかに微笑んだ。
「ただ少し年季が入っているなと思いまして。私の祖母も同じようなものを使っていたので懐かしい気持ちになりました」
〝祖母〟の言葉に内心「やっぱり」と大きくうなずく。
三十代くらいの彼は、色素が薄いという感じのブラウンヘアで瞳の色はグリーンがかっている。
「あ、あの! お、おばあさまって、こちらのオーナーだったメアリーですよね」
「はい。そうですが」
「じ、実はこのラジカセ、おばあさまにいただいたんです」
私の言葉に、彼は驚いた顔をした。
「あ、えっと、わ、私大学でラジオ同好会に――熱っ!!」
話しながら紅茶のカップに触れてしまった。
「大丈夫ですか?」
「あはは。だ、大丈夫です――冷たっ!」
今度はミルクピッチャーを手から滑らせてしまった。カタンと音は鳴ったけれど、なんとかこぼさずに済んだ。
「すみません。うちはイギリス式なので冷やしたミルクを提供しているんです」
「あ、い、いえ! 私がドジなだけです」
私は初対面の人と話すとどうも緊張してしまうことがある。
おかげでバイト先の飲食店でも失敗を繰り返している。
「ラジオがお好きなんですね」
カウンターの向こうに戻った彼に言われ、コクコクとうなずく。
「遠くの誰かと時間を共有している感じが好きで。おばあさまとも何度かラジオの話をしたことがあるんです」
「そうでしたか」
「あ、あの!」
気になることがある。
「今は放送されていないんですか? コミュニティFM」
昼間の店内にブースはどっしりと鎮座しているという感じで、放送されていないのが不自然なくらいだ。
主のいないそれは、空っぽの宝箱のような寂しさも感じる。
「あー……」
彼は、言いにくそうに口籠る。
「もう撤去しようと思っているんです。あのブース」
夜が明けて土曜日午前十一時。
私はコーヒーの香りが漂うカフェ・トーティにいる。
ジッと、一点を見つめて。
『何をそんなに睨んでいるのニャ』
開店したばかりでまだお客さんがまばらな店内。カウンター席の隅に座った私の右隣、視線の先には、イスの上で香箱座りをした猫……昨晩、ザラメと名乗っていたサビ猫がいる。今日は首のヘッドホンはつけていない。
『俺は月曜の夜に来いと言ったのニャ。ニンゲンのくせに曜日も時間もわからないのかニャ』
あくび交じりの呆れたような物言いに、口元がヒクつく。
試しに耳に差したイヤホンを外してみる。
すると、猫は「ニャーニャー」と鳴き始める。
「やっぱり……」
イヤホンを差し直す。
信じられないけれど、昨晩の出来ごとは夢ではなかった。
あの後家に帰ってもずっと物の感触がリアルで、シャワーも浴びてベッドに入って眠りにつこうと目を閉じたところでおかしいと思った。
もちろん夢の中で夢を見ることだってあるけれど、現に今だってこのイヤホンを通せば猫の言葉がわかるのだ。
『そういえばお前、見たことあるような気がするニャ。メアリーが生きていた頃に』
私も同じことを思い出していた。メアリーがいた頃に何度か訪れたこの店に時々猫がいたことを。
彼女が亡くなってから足が遠のいてしまって、すっかり忘れていた。
「あなたって何者なの?」
耳打ちするみたいにコソッと聞いてみた。
「それ、ラジカセですか?」
突然の声がけに、イスの上のお尻が軽く浮いた気がする。
「最近では珍しいですね」
声の主は紅茶とサンドイッチを持ってきてくれた男性の店員さん。黒いベストにタイをつけている。おそらくこの店の今のマスターだ。
「す、すみません! お店の中なのにイヤホンなんて」
慌ててケーブルをグイッと引っ張る。
店内には上品かつ荘厳なクラシックが流れているというのに、イヤホンをしているなんて失礼すぎる。
「ああ、いえ。そういうつもりでは。自由に過ごしていただいて構いませんよ」
彼は落ち着いた声で穏やかに微笑んだ。
「ただ少し年季が入っているなと思いまして。私の祖母も同じようなものを使っていたので懐かしい気持ちになりました」
〝祖母〟の言葉に内心「やっぱり」と大きくうなずく。
三十代くらいの彼は、色素が薄いという感じのブラウンヘアで瞳の色はグリーンがかっている。
「あ、あの! お、おばあさまって、こちらのオーナーだったメアリーですよね」
「はい。そうですが」
「じ、実はこのラジカセ、おばあさまにいただいたんです」
私の言葉に、彼は驚いた顔をした。
「あ、えっと、わ、私大学でラジオ同好会に――熱っ!!」
話しながら紅茶のカップに触れてしまった。
「大丈夫ですか?」
「あはは。だ、大丈夫です――冷たっ!」
今度はミルクピッチャーを手から滑らせてしまった。カタンと音は鳴ったけれど、なんとかこぼさずに済んだ。
「すみません。うちはイギリス式なので冷やしたミルクを提供しているんです」
「あ、い、いえ! 私がドジなだけです」
私は初対面の人と話すとどうも緊張してしまうことがある。
おかげでバイト先の飲食店でも失敗を繰り返している。
「ラジオがお好きなんですね」
カウンターの向こうに戻った彼に言われ、コクコクとうなずく。
「遠くの誰かと時間を共有している感じが好きで。おばあさまとも何度かラジオの話をしたことがあるんです」
「そうでしたか」
「あ、あの!」
気になることがある。
「今は放送されていないんですか? コミュニティFM」
昼間の店内にブースはどっしりと鎮座しているという感じで、放送されていないのが不自然なくらいだ。
主のいないそれは、空っぽの宝箱のような寂しさも感じる。
「あー……」
彼は、言いにくそうに口籠る。
「もう撤去しようと思っているんです。あのブース」



