「ごめんください」
ちょっとしたデジャブを感じながら、アトリエを覗く。
広いスペースには天窓から明るい陽の光が差し込んでいる。
入り口近く受付のテーブルに昨日の女性、つまり福田さんが俯き気味に座っている。
「ごめんください」
二度目の呼びかけに、彼女はハッと意識を取り戻すように顔を上げた。
「いっ、いらっしゃいませ!」
ガタンと音を立てて立ち上がると、私に芳名帳への記名を促す。
「どうかされました?」
福田さんに問われ、今度はこちらがハッとする。ついまじまじと顔を見てしまった。幽体の時と同じ、やつれた顔に見える。
「い、いえ。見せていただきますね」
そそくさと展示スペースに移動する。
「わぁ」
明るい室内には、たくさんの猫の油絵が飾られていた。
キャンバスはA4サイズくらいのものから一メートルほどの大きなものまでさまざまだ。
けれど描かれているのは、どれも同じグレーの長毛猫だ。
おもちゃで遊んでいるところ、お腹を出して眠っているところ、それに肖像画のようにおすましした表情の絵もある。
どの絵も毛並みの柔らかさが伝わってくるような優しい筆致で、目は生きているみたいにキラキラと輝いている。
「かわいいですね」
一緒に展示スペースに出てきた彼女は、私の言葉に眉を下げて無言で笑った。
「お家の猫ちゃんですか? えっと……ムーちゃん?」
絵にはそれぞれタイトルがつけられていて、そのほとんどに〝ムー〟という名前が入っている。
「私も実家に猫がいて――」
「…………」
黙り込んだかと思ったら、福田さんの目から床にポタリと涙が落ちた。
「す……すぃませ……っ」
泣き出した彼女にどうすることもできずにワタワタと慌てていると、福田さんはポケットからすでにしなしなになっているハンカチを取り出して涙を拭い始めた。
「……死ん……じゃったんです、先週……」
「え」
「……だから、大好きなのに……見るのが辛くて……」
「す、すみません! 知らなくて」
彼女はハンカチを顔に当てたまま、首を横に振った。
「ずっと一緒……だったんですけど」
「……長い間、一緒だったんですか?」
今度はコクリとうなずく。
「私が……高校生の頃から、ずっと一緒で」
二十年近く一緒に暮らした家族だったということだ。胸が詰まって、かける言葉がなかなか見つからない。
「ムーがいるのが、当たり前だっ……たから……」
ポツリポツリと紡がれる言葉に耳を傾ける。
それからしばらく、ムーとの思い出を静かに聞いていた。
「昨夜も……喋る猫の夢なんか見ちゃって」
「え!?」
ドキッともギクッとも聞こえる音で心臓が鳴る。
「……話を聞いてくれるって言うから、ムーのことを話したのだけど」
昨日の音声とスタジオでの光景が頭に鮮明に浮かんで、変な汗が出てくる。
「『わかるわかる』なんて言ってくれていたのに……ムーのことを思い出したら食欲がわかないって言ったら……『早く忘れろ』なんて、言われてしまって……」
それで昨夜の
――『あなた全然わかってない。そういうことじゃないんです』
に、つながるわけか……。
よく聴こえていなかった部分のピースがはまった気がする。
「夢の中の猫にそんな風に言われるなんて、私自身の潜在意識で忘れた方がいいと思っているのね、きっと」
彼女は力無く微笑んだ。
「そんなことないと思います」
「え?」
「忘れる必要なんてないと思います!」
大切な家族が死んでしまったのに、忘れなければいけないなんて寂しすぎる。
「そ、そうかしら」
私は「うんうん」と何度もうなずいた。
ザラメはどうしてそんなことを言ったのだろう。何か誤解があるのではないだろうか? そうよ、猫と人間なんだもの。
「……あ、あの! 月曜の夜ってお時間ありますか!?」
「月曜ですか? はい、まあ……」
「夜の二十三時、一丁目のカフェ・トーティに来てくれませんか?」
ものすごく衝動的な行動だということはわかっている。
「そんな夜中に……ですか?」
そしてものすごく不審そうな顔をされるのも当然だと思う。
「大事なことなんです。どうかお願いします」
私は深々と頭を下げた。
ちょっとしたデジャブを感じながら、アトリエを覗く。
広いスペースには天窓から明るい陽の光が差し込んでいる。
入り口近く受付のテーブルに昨日の女性、つまり福田さんが俯き気味に座っている。
「ごめんください」
二度目の呼びかけに、彼女はハッと意識を取り戻すように顔を上げた。
「いっ、いらっしゃいませ!」
ガタンと音を立てて立ち上がると、私に芳名帳への記名を促す。
「どうかされました?」
福田さんに問われ、今度はこちらがハッとする。ついまじまじと顔を見てしまった。幽体の時と同じ、やつれた顔に見える。
「い、いえ。見せていただきますね」
そそくさと展示スペースに移動する。
「わぁ」
明るい室内には、たくさんの猫の油絵が飾られていた。
キャンバスはA4サイズくらいのものから一メートルほどの大きなものまでさまざまだ。
けれど描かれているのは、どれも同じグレーの長毛猫だ。
おもちゃで遊んでいるところ、お腹を出して眠っているところ、それに肖像画のようにおすましした表情の絵もある。
どの絵も毛並みの柔らかさが伝わってくるような優しい筆致で、目は生きているみたいにキラキラと輝いている。
「かわいいですね」
一緒に展示スペースに出てきた彼女は、私の言葉に眉を下げて無言で笑った。
「お家の猫ちゃんですか? えっと……ムーちゃん?」
絵にはそれぞれタイトルがつけられていて、そのほとんどに〝ムー〟という名前が入っている。
「私も実家に猫がいて――」
「…………」
黙り込んだかと思ったら、福田さんの目から床にポタリと涙が落ちた。
「す……すぃませ……っ」
泣き出した彼女にどうすることもできずにワタワタと慌てていると、福田さんはポケットからすでにしなしなになっているハンカチを取り出して涙を拭い始めた。
「……死ん……じゃったんです、先週……」
「え」
「……だから、大好きなのに……見るのが辛くて……」
「す、すみません! 知らなくて」
彼女はハンカチを顔に当てたまま、首を横に振った。
「ずっと一緒……だったんですけど」
「……長い間、一緒だったんですか?」
今度はコクリとうなずく。
「私が……高校生の頃から、ずっと一緒で」
二十年近く一緒に暮らした家族だったということだ。胸が詰まって、かける言葉がなかなか見つからない。
「ムーがいるのが、当たり前だっ……たから……」
ポツリポツリと紡がれる言葉に耳を傾ける。
それからしばらく、ムーとの思い出を静かに聞いていた。
「昨夜も……喋る猫の夢なんか見ちゃって」
「え!?」
ドキッともギクッとも聞こえる音で心臓が鳴る。
「……話を聞いてくれるって言うから、ムーのことを話したのだけど」
昨日の音声とスタジオでの光景が頭に鮮明に浮かんで、変な汗が出てくる。
「『わかるわかる』なんて言ってくれていたのに……ムーのことを思い出したら食欲がわかないって言ったら……『早く忘れろ』なんて、言われてしまって……」
それで昨夜の
――『あなた全然わかってない。そういうことじゃないんです』
に、つながるわけか……。
よく聴こえていなかった部分のピースがはまった気がする。
「夢の中の猫にそんな風に言われるなんて、私自身の潜在意識で忘れた方がいいと思っているのね、きっと」
彼女は力無く微笑んだ。
「そんなことないと思います」
「え?」
「忘れる必要なんてないと思います!」
大切な家族が死んでしまったのに、忘れなければいけないなんて寂しすぎる。
「そ、そうかしら」
私は「うんうん」と何度もうなずいた。
ザラメはどうしてそんなことを言ったのだろう。何か誤解があるのではないだろうか? そうよ、猫と人間なんだもの。
「……あ、あの! 月曜の夜ってお時間ありますか!?」
「月曜ですか? はい、まあ……」
「夜の二十三時、一丁目のカフェ・トーティに来てくれませんか?」
ものすごく衝動的な行動だということはわかっている。
「そんな夜中に……ですか?」
そしてものすごく不審そうな顔をされるのも当然だと思う。
「大事なことなんです。どうかお願いします」
私は深々と頭を下げた。



