展望台から帰る途中、梓はふと足を止めた。
胸に寄り添う小さな体温が、歩調と一緒に落ち着いていく。
街灯の柔らかな光が地面に映り込み、まるで街そのものが深呼吸をしているように見えた。
「……ミラ、ここで拾ったんだよね……」
独り言のつもりだった。
けれど声は、しんとした夜道に思った以上に優しく響いた。
そのときだった。
近くのベンチに座っていた年配の女性が顔を上げ、目を細めた。
「あら、その子……もしかして“あの子”じゃない?」
「……え?」
予期せぬ声に振り向くと、女性はゆっくりと歩み寄り、梓の腕の中のミラをまるで失くした思い出を探すような眼差しで見つめた。
その瞳には驚きだけでなく、懐かしさと、深い痛みが静かに揺れていた。
「やっぱり……。その子、ミラちゃんでしょう?」
胸がどくん、と跳ねた。
足元がふっと揺らぐような感覚に、梓は息を飲んだ。
「ミラ……の、飼い主さん……ですか?」
女性は頷いた。ゆっくり、まるで言葉に温度を乗せるように。
「私は、ミラの元飼い主のお母さんよ。三年前に……娘を亡くしてね。ミラは、その娘が保護して育てていた子なの」
梓は思わずミラを見下ろした。
白い毛並みがかすかに揺れ、腕の中の小さな命が、まるで「覚えているよ」と言うように喉を鳴らした。
女性は穏やかに続けた。
「娘はね、『miracle follow』っていう小さな保護団体をやっていたの。捨てられた猫を保護して、次の飼い主さんにつないだり……『悲しみを、誰かの優しさに変える場所にしたい』って、いつも言っていたわ」
その声は、遠くを見ているようでありながら、確かな誇りを含んだ、揺るぎない母の声音だった。
梓は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら尋ねた。
「……悲しみを、誰かの優しさに変える場所……?」
「ええ」
女性は優しく微笑む。
「娘はね、いつもこう言っていたのよ。『本当に奇跡を起こすのは猫じゃない。猫を通して、人と人の想いが繋がること。それがいちばんの奇跡だ』って」
梓の心に、言葉がゆっくりと沈み込む。
静かに、でも確かに、温度を持って。
遼が助けようとしていた猫。
その命が巡り巡って自分のもとに来たこと。
あの夜、遼の声がミラを通して届いたように感じたこと──。
偶然、なんて言葉では到底片づけられない。
女性はミラの頭に手を伸ばし、そっと撫でた。
ミラはその指先を歓迎するように、喉を震わせる。
「ミラはね、人の悲しみに敏感な子なのよ。誰かが傷ついていると、そっと寄り添って……。まるで繋ごうとしているみたいなの」
梓の喉がきゅっと縮む。
胸の奥に押し込んでいたものが、音もなく揺らぐ。
「遼も……もしかしたら……誰かを救いたかったのかもしれません。最後まで……誰かの命を繋ごうとして……」
言葉がそこで途切れた。
視界がじんわり滲む。
その瞬間、ミラが梓の指にそっと顔を寄せ、柔らかく鳴いた。
繋がっているよ。
そんなふうに語りかけてくるような、あたたかく、深く染み込む音だった。
梓はミラを抱き直し、震える息を静かに整える。
──遼も、この猫も。
悲しみに触れ、優しさへ変えようとしていた。
その想いは、過去から未来へ続く細くて強い糸で──
いま、自分へと届いている。
その事実に、胸の奥で静かな灯がともる。
梓はそっと目を閉じ、ミラの体温をもう一度確かめるように抱きしめた。
そのぬくもりが、確かに言っていた。
ここにいるよ。ちゃんと、繋がっている。
胸に寄り添う小さな体温が、歩調と一緒に落ち着いていく。
街灯の柔らかな光が地面に映り込み、まるで街そのものが深呼吸をしているように見えた。
「……ミラ、ここで拾ったんだよね……」
独り言のつもりだった。
けれど声は、しんとした夜道に思った以上に優しく響いた。
そのときだった。
近くのベンチに座っていた年配の女性が顔を上げ、目を細めた。
「あら、その子……もしかして“あの子”じゃない?」
「……え?」
予期せぬ声に振り向くと、女性はゆっくりと歩み寄り、梓の腕の中のミラをまるで失くした思い出を探すような眼差しで見つめた。
その瞳には驚きだけでなく、懐かしさと、深い痛みが静かに揺れていた。
「やっぱり……。その子、ミラちゃんでしょう?」
胸がどくん、と跳ねた。
足元がふっと揺らぐような感覚に、梓は息を飲んだ。
「ミラ……の、飼い主さん……ですか?」
女性は頷いた。ゆっくり、まるで言葉に温度を乗せるように。
「私は、ミラの元飼い主のお母さんよ。三年前に……娘を亡くしてね。ミラは、その娘が保護して育てていた子なの」
梓は思わずミラを見下ろした。
白い毛並みがかすかに揺れ、腕の中の小さな命が、まるで「覚えているよ」と言うように喉を鳴らした。
女性は穏やかに続けた。
「娘はね、『miracle follow』っていう小さな保護団体をやっていたの。捨てられた猫を保護して、次の飼い主さんにつないだり……『悲しみを、誰かの優しさに変える場所にしたい』って、いつも言っていたわ」
その声は、遠くを見ているようでありながら、確かな誇りを含んだ、揺るぎない母の声音だった。
梓は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じながら尋ねた。
「……悲しみを、誰かの優しさに変える場所……?」
「ええ」
女性は優しく微笑む。
「娘はね、いつもこう言っていたのよ。『本当に奇跡を起こすのは猫じゃない。猫を通して、人と人の想いが繋がること。それがいちばんの奇跡だ』って」
梓の心に、言葉がゆっくりと沈み込む。
静かに、でも確かに、温度を持って。
遼が助けようとしていた猫。
その命が巡り巡って自分のもとに来たこと。
あの夜、遼の声がミラを通して届いたように感じたこと──。
偶然、なんて言葉では到底片づけられない。
女性はミラの頭に手を伸ばし、そっと撫でた。
ミラはその指先を歓迎するように、喉を震わせる。
「ミラはね、人の悲しみに敏感な子なのよ。誰かが傷ついていると、そっと寄り添って……。まるで繋ごうとしているみたいなの」
梓の喉がきゅっと縮む。
胸の奥に押し込んでいたものが、音もなく揺らぐ。
「遼も……もしかしたら……誰かを救いたかったのかもしれません。最後まで……誰かの命を繋ごうとして……」
言葉がそこで途切れた。
視界がじんわり滲む。
その瞬間、ミラが梓の指にそっと顔を寄せ、柔らかく鳴いた。
繋がっているよ。
そんなふうに語りかけてくるような、あたたかく、深く染み込む音だった。
梓はミラを抱き直し、震える息を静かに整える。
──遼も、この猫も。
悲しみに触れ、優しさへ変えようとしていた。
その想いは、過去から未来へ続く細くて強い糸で──
いま、自分へと届いている。
その事実に、胸の奥で静かな灯がともる。
梓はそっと目を閉じ、ミラの体温をもう一度確かめるように抱きしめた。
そのぬくもりが、確かに言っていた。
ここにいるよ。ちゃんと、繋がっている。



