イライラする。モヤモヤする。
 俺は多分、ずっとそんな感じで生活してる。

 窓の外は秋らしく澄み渡っているのに、俺の気持ちは曇り空どころか大嵐だ。
 休み時間に教室がザワザワしているのも耳障り。静かにしてくれ鬱陶しい。

 考えてることが顔に出ないように努めている俺、杉菜幸哉(すぎなゆきや)の席は窓際一番後ろにある。

 一年生で友だち作りに失敗し、二年生でもぼっちな俺にお似合いの、すみっこの席だ。

 俺は頬づえをついて、英単語帳をパラパラめくる。
 すると、後ろから声を掛けられた。

「杉菜くん、今日の単語テストの勉強中?」

 無遠慮に俺の英単語帳を覗き込んできたのは、学級委員の百合根朔(ゆりねさく)
 中性的な顔立ちで、ふんわりとした短い癖っ毛。王子様みたいだって、女子から大人気の男だ。

 人の良さそうな笑顔を浮かべる百合根に、俺はうんざりしながらうなずいた。

「うん、ギリギリまで見とこうと思って」
「休み時間に勉強してるの、まじめだー。僕、全然勉強してないや」
「へぇ、そうなのか」

 一体、何アピールなんだよ。
 勉強してないとか言って、お前はいっつも満点とってるだろうが。
 言いたいことを飲み込んでると、隣に固まってた女子たちから声がする。

「朔くん、それでもいっつも満点だよね! すごい!」
「うんうん、勉強しなくてもいいの憧れるー!」

 黄色い声に話し掛けられて、百合根の口角が上がった。
 わかりやすいやつ。
 チヤホヤされるのが目的で、わざわざ俺に話しかけてくんじゃねぇよ。
 努力をしなくても結果が出るイケメンは、かっこいいですね。

(それに比べて俺は……)

 窓にうっすらと映るのは、美容師に任せっぱなしの真っ黒な髪をした平凡顔。
 外見は何もかもが平均的。

 存在価値は平均より下かもしれないな。
 クラスのすみっこにいる、真面目と成績だけが取り柄の暗いぼっちってとこか。

 俺のことを下の名前で「幸哉」なんて呼んでくれる人なんていない。それどころか、名前なんて覚えてるやつもいないんじゃないか。

 努力していい点とっても、別に誰も褒めてくれやしないしな。
 小テストくらい、俺だっていつも満点なのに。

 ここまで考えて、俺は心の中でため息を吐いた。

(俺、百合根が羨ましいのか? ……めんどくさ)

 改めて、英単語帳をめくる。
 でも、頭には入ってこなかった。
 入ってくるのは、隣で百合根が女子たちと話す声だけ。

「ねぇ、朔くん~どうしたらそんなに勉強できるの?」
「えー? 授業聞いてたらなんとなく」
「いいなー! やっぱりかっこいい!」

 そんな、ぶん殴ってやりたくなるようなその会話を、遮るやつがいた。

「えー!? 努力してないやつの、どこがカッコいいんですか!?」

 いつの間にそこにいたんだろう。
 スラッと背が高くて、びっくりするほど整った顔の男子生徒が立っていた。

 大きな目を丸くして、グイグイと百合根と女子たちの会話に入っていく。

「すっごく努力してるんだって言える方が、圧倒的にかっこいいですよ!」

 百合根に喧嘩でも売ってんのかな?
 と思う、声のデカいそいつの名前は椿(つばき)
 下の名前は……。

「あ! 海斗(かいと)くん!」

 そうそう。海斗だ。椿海斗。
 前髪が長めの茶髪を横に流した、甘い顔の一年生。

 圧倒的な顔面と物怖じしない後輩力で、二年三年を男女問わず虜にしていると専らの噂。
 もちろん、一年生たちにも大人気。

 当然、俺は話したことは一度もない。存在も知られてないんじゃないかな。

 と、聞き耳を立てていた矢先のことだった。

「幸哉先輩もそう思いません?」

 ん? なんか聞き覚えのある名前が聞こえたような?

「幸哉先輩! 幸哉先輩もそう思いますよね?」
「え、え? お、お、俺?」

 椿は急に俺に話を振ってきた。
 しかも初手で名前呼びっていう、いきなりっぷり。
 想定外すぎて、俺はみっともなくどもってしまう。

(え? 俺の名前知ってんの? なんで?)

 大混乱しながら英単語帳から顔を上げた俺。
 バッチリ目線が合った椿は、テンション高くうなずいてきた。長めの前髪がサラリと揺れる。

「うんうん、英単語帳を持ってるアナタ! 杉菜幸哉先輩!」
「ハ、ハイ。も、もう一回、質問聞いていい?」
「自分は努力してるって、言えちゃう方がかっこいいですよね?」
「そ、そう……だな?」

 俺は椿の勢いに負けて頷いてしまった。
 女子たちの注目を奪われた百合根のジト目を、気にしてやってる場合じゃない。

 椿は白い歯を見せてドヤ顔になった。親指で自分を指し、大げさに胸を張る。

「でしょー! そして、努力してるかっこいいやつといえば俺! 見て見て今日の髪型! アイロン変えたらすげぇ決まりました! 貸してくれてありがとうございますスミレ先輩!」
「ねー! すごくいいでしょ? 海斗くん、いつも以上のイケメン~」
「スミレ先輩のセンスに感謝~! 次のバイト代入ったら買います!」

 どうやらスミレさんに、ヘアアイロンを返しにきたらしい。
 髪型を褒められた椿が、持っていたヘアアイロンを嬉しげに振った。

 コミュ強の椿は二年のクラスによく遊びにくるから、たまに見かけるけれど。
 俺にはいつもの椿と何が違うのか、さっぱりわからない。
 女子たちの褒め言葉が社交辞令なのか、本音なのかもわからない。

 でも、会話が和やかに進んでいるからそれでいいんだろう。

 俺は邪魔にならないように、また英単語帳に視線を向けた。
 俺は空気。俺は空気。

「海斗くん、今日も元気ねぇ」
「顔と元気が取り柄っすからね!」

 なんの謙遜もなく髪を撫でつける椿を見て、俺は思わず吹き出してしまった。

「それ、自分で言うのかよ。……あ」

 心の声がそのまま出てしまって、慌てて口を押さえる。

 けど、もう遅い。

 楽しげだった女子たちも、面白くなさそうな百合根も、もちろん話題の中心にいた椿も。
 みんなが見ていた。

 普段の俺は、話しかけられない限り黙っている空気だ。
 空気のくせに会話に入ってきたって、思われているんだろう。
 ブスブスと視線が突き刺さる。

(まずいまずいまずい! 空気のくせに空気を読めず空気を壊した……!)

 冷や汗をダラダラかきながら固まっていると、椿は体ごと俺の方を向いた。
 気まずい。
 決して目を合わせない俺に、朗らかな声が降り注ぐ。

「自分で自分を褒めると、気分あがりますよ! 幸哉先輩も! いつも満点ですごいんだから、自分を褒めましょ!」

 体全体が飛び跳ねたんじゃないかってくらい、心臓が大きく動いた。

(お、俺のこと、褒めてくれた……?)

 椿の顔を見なくたって、笑ってるのがわかる声。

 真夏の太陽みたいなヤツだ。
 嫌ってほど照り付けてきて、ジリジリ焦がされて。
 俺みたいな日陰ものは、一緒にいたら存在を消されてしまう。

 でもせめてお礼を言わなきゃと思って、俺は緊張でカラカラに乾いた口を開いた。

「あ、ありがと……確かに、お前かっこいいもんな」

 自分を褒めることはできなかったけど、椿のことは褒めることができた。
 すると、ドンっと机に大きな手のひらが二つ乗った。

「ありがとうございます!!」

 反射的に見上げたその顔は、眩しいくらいキラキラ輝いて見えた。