誰でもいい先輩と、俺じゃなきゃ嫌な後輩

オレは、たぶんポンコツだ。

でも、そこそこイケメンで、勉強も運動もそこそこ得意で、困っているといつの間にか誰かが助けてくれる。

人間関係は良好だし、部活も楽しいし、なんなら授業だって楽しい。

そうやって、毎日ふわっと楽しく生きている。

だけど、ふと考える。

これって、いつまで続くんだろう。

卒業まで続く保証なんて、どこにもない。

ある日突然、よくわからない何かが起きて、この日常が終わるなんてことがあるかもしれない。

一人でゾッとした、そのとき。

「真中! あと10秒で来ないと遅刻だぞー!」

上から降ってきた声に、オレはのろのろと視線を上げた。

寝坊して、コンタクト忘れて、世界がぼやけてる。

中身ポンコツのまま、高校三年生になってしまった。

でも、たぶん誰も気づいてない。

オレは、こういうことに関しては無駄に器用なのだ。

三階のベランダから、茶色い髪の男子が身を乗り出している。たぶん園田だ。

「マジで? 10秒で行けるかな」

「今日テストだぞ!」

「なにもやってねー」

「絶対やってるだろ」

園田が笑い混じりにツッコんでくる。

「真中くん、まだ間に合うよ」

園田の隣から、高い声がした。

あの長い髪は、たぶん斎藤さんだ。

オレは二人に向かって、大きく手を振った。

「3秒で行く!」

――と言いつつ、のろのろと上履きを出して、のろのろ履き替える。

頭の中がまだ寝てる。

「ほんと、誰でもいいから朝起こしてくれないかな」

小さくつぶやいた、その直後――。

「誰でもいいなら、俺が起こしますよ」

耳のすぐ近くで、低い声が響いた。

落ち着いているのに、なぜか少し不機嫌そうな男子の声。

「……え?」

反射的に振り返る。

昇降口では、遅刻寸前の生徒が何人か、慌ただしく教室へ向かっている。

けれど、オレを見ているやつはいない。声の主らしい人物も、どこにも見当たらなかった。

心霊現象?

透明人間?

聞き間違いにしては、あまりにはっきりしていた。

声が、まだ耳の奥に残っている。

怖。

一気に目が覚めて、逃げるように階段を駆け上がった。

チャイムと同時に教室へ滑り込む。

「……っ、セーフ」

「真中、日直。テスト配れってさ」

園田がテストの束を手渡してくる。

「オレ、日直なの? コンタクト忘れて見えないんだけど」

三階まで一気に駆け上がったせいで、息が切れる。

「ま、がんばれ」

そう言って、園田はさっさと自分の席へ戻ろうとする。

「ちょっと待って。誰でもいいから手伝ってよ」

「真中……」

園田は足を止め、ちらっとオレの顔を見た。

「その『誰でもいいから』って、口癖なの? 普通に俺に言えばいいじゃん。目の前にいるんだから」

「そうかも……やばい?」

「や、うん。ちょっとな」

いつもなら、なにも言わずに手伝ってくれる園田が、なんとも言えない顔をしている。

その顔を見て、さっきの声を思い出した。

『誰でもいいなら、俺が起こしますよ』

もしかして、あれは雰囲気だけで綱渡りしてきたオレへの警告だったのかもしれない――。

◇

四時間目が終わると同時に、教室がざわつき始めた。先生が出ていくなり、誰かが叫ぶ。

「購買行くぞ!」

その声を聞いた途端、忘れていた空腹が戻ってきた。寝坊したせいで、朝からなにも食べていない。

焼きそばパンとクリームパン。いつも買う黄金セットが頭に浮かぶ。

早く行かないと、売り切れる。

オレは鞄から財布を取り出し、急いで階段を駆け下りた。

けれど、購買前にはすでに分厚い人の壁ができていた。

「押さないでくださーい」

購買のおばちゃんの声に、余計に焦る。

一歩踏み出そうとして、オレは足を止めた。目の前には一年生らしい小柄な男子がいて、その前には女子が二人いる。

(うわ……これは押せない)

それでも、とりあえず右手だけ、人の隙間から精一杯伸ばしてみる。

「誰か……」

口から勝手に声が出て、慌てて飲み込んだ。その代わり、心の中で念じる。

(誰でもいいから、焼きそばパンとクリームパン取って)

さすがに昼飯がジュースだけなのは泣ける。

その瞬間だった。

――ストン。

伸ばした手のひらに、何かの重みが乗った。

「え?」

見ると、そこには焼きそばパンとクリームパンが載っていた。さっき頭の中で思い浮かべていた、そのまんまの二つ。

「え、え?」

思わず周りを見渡す。でも、前にも横にも知っている顔はいない。

「三八〇円ねー」

売り場のおばちゃんの声に、我に返る。

「え、あ、はい!」

反射的にお金を払い、人の壁から抜け出した。

「ラ……ラッキー?」

これ、ラッキーでいいんだよな。

ちょっと……いや、かなり怖いんだけど。

廊下の端に寄り、手の中のパンを見下ろす。

背後では、まだ購買の騒ぎが続いている。

(どなたか知りませんが、ありがとうございます)

オレは心の中でお礼を言って、その場を離れた。

教室へ戻ると、園田が顔を上げて言った。

「お帰りー。どうかした?」

「パンが、空から降ってきた」

園田は、オレの手にある焼きそばパンとクリームパンを見た。それから、ゆっくりオレの顔を見る。

「……そっか」

「ほんとうだって。いきなり手の上に落ちてきてさ――」

「うん」

園田は、よかったなとでも言いたげな、生ぬるい顔でオレを見ている。

「あ、ジュース買うの忘れた」

「あるじゃん。そこ」

園田がオレの机を指さす。

そこには、パックの紅茶がひとつ、ぽつんと置かれていた。

「え?」

「真中がいつも飲んでるやつじゃん」

確かにそうだ。パックの紅茶飲料。オレの好きなやつ……だけど。

「でも、オレ、買ってない」

「そっか。買ってないのにあるなんて……よかったな?」

園田が真顔でつぶやいた。

良くない。

オレは手の中のパンと、机の上の紅茶を交互に見た。

欲しかったものは、全部そろっている。

それがなぜか、落ち着かなかった。

◇

クリームパンを食べながら、ぼんやり窓の外を眺めた。

校庭では、数人の男子がボールを蹴っている。一年生だろうか。昼休みまで元気だ。

顔まではよく見えなかったけど、その中の一人に、なぜか目が留まった。

黒髪で、ほかのやつらより頭一つぶん背が高い。とくべつ騒いでいる様子もないのに、不思議と目立って見える。

(あいつ……どこかで見たような)

足元に転がってきたボールを、その男子が器用に蹴り上げる。

上手いな。

ぼんやり眺めていると、その男子がふっと顔を上げた。

目が合った――ような気がして、慌てて視線をそらす。

(やっば。なぜか、めちゃくちゃドキドキする)

ごまかすように、クリームパンをひと口かじったけど、胸のざわつきは、なかなか消えなかった。