訳あり後輩君と10秒見つめ合った結果、恋に落ちました。

 あれから俺と月島は無言で昼飯を食べ、昼休憩が終わるギリギリまでそこで何もせず過ごした。
 五時限目の授業は頭に入って来ず、そのまま部活が始まった——。
 筆を水の中に入れると、水がゆっくりと青に染まっていく。それを眺めながら溜め息を一つ吐く。
「はぁ……」
「小日向先輩」
「はぁ……」
「小日向先輩、大丈夫ですか?」
「ん? 悪い。何だ? 星名」
「溜め息ばっかり吐いて、何か悩みですか?」
 無心で目の前の絵に没頭していたはずなのに、どうやら溜め息ばかり吐いていたらしい。
「そんなに吐いてた? 溜め息」
「五十回以上は吐いてましたね。何かあったんですか?」
 俺は右斜め後ろにいる月島をチラリと見た。
「んー、何でもない」
 星名も俺が見た方を一瞥した。すると、星名は椅子を引いて少し距離を縮めてきた。
「下塗り、こんな感じで大丈夫ですか?」
「どれどれ」
 俺も星名のキャンバスを覗き込む為に椅子を近付ける。
 黄色く塗られたそれを眺め、今は部活中なんだと改めて自分に言い聞かせる。
「中々良いじゃん。この調子で行けば、次の次くらいから本塗り出来るかなぁ」
「先輩みたいに上手く描けますかね」
 星名が俺の絵を覗き込んできた。
「俺のは水彩画、星名のは油絵、絵の感じが全然違うし、比べるなよ」
「そうなんですね」
 相槌を打つ星名は「そういえば」と言って、壁にかかっているカレンダーを見て聞いてきた。
「五月末から、先輩の絵が美術館に飾られるんですよね?」
「え、何で知ってんの!?」
 コンクールに応募したら、奇跡的に入賞したのだ。ただ、佳作なので、嬉しいような恥ずかしいような……。
「部長に聞きました。あの……見に行っても良いですか?」
「見に行くのは自由だからな」
「あ、いや、違いました」
「違う?」
 首を傾げて星名を見れば、照れたように目を泳がせている。
「えっと……一緒に見に行きませんか?」
「一緒に?」
「はい! 休みの日に、二人で」
「二人で……」
 軽く右斜め後ろを振り返る。
 すると、月島と目がバッチリと合ってしまった。しかし、月島はフイッと視線を逸らし、隣にいる部長に声をかけた。
「部長。俺の絵どうですか?」
「ん? どれどれ……」
「中々良い線いってると思いません?」
 二人は楽しそうに話し始めた。
 それは極当たり前のこと。月島の指導者が部長になったので、二人が話すのなんて自然なこと。それなのに、何とも言えない気持ちになり、胸がざわついた。
「——先輩。小日向先輩」
 星名の声で我に返る。
「あ、ご、ごめん」
「大丈夫ですか? 体調悪いんじゃないですか?」
「大丈夫。それより、美術館二十七日の日曜はどうだ? 体育祭終わった次の日」
「は、はい! 是非!」
 よほど俺の絵が見たいのか、星名の顔は歓喜の色に染まった。
「そうだ。先輩、連絡先教えて下さい」
 星名がポケットからスマホを取り出したので、俺もカバンの中を漁る。
「そういえば知らなかったな」
 ちなみに、うちの美術部は緩いのでスマホを触っても誰も何も言わない。基本的に、我が道を行く者の集まりだ。流石に顧問の先生がいる時は、皆控えているようだが。
「先輩のアイコン可愛いですね。ワンちゃんのぬいぐるみですか?」
「犬が好きなんだけど、俺犬アレルギーだからさ。せめて、ぬいぐるみで癒されてる」
「へぇ、犬アレルギーなんですね。可哀想」
「じゃ、続きやるか」
「はい!」
 それから俺たちは、各々絵に没頭した——。

◇◇◇◇

 部活が終わって片付けをしていると、月島が早々と片付けを終えて荷物を持ったのが分かった。
 先日はここで距離感バグを起こした月島が絡んで来たが、今日はそんなことは無さそうだ。
「お疲れ様でした」
 月島は、礼儀正しく扉の前で一礼してから出て行った。
 その後ろ姿を見ていると、十秒見つめ合う実験がしたかったが為に絡まれていただけだと改めて実感する。
 俺は月島にとって、ただの実験台。イケメンの娯楽の一部。それは、初日に分かっていたこと。それなのに、どこかで好かれてるんじゃないかと思っていた。月島にとって俺は、他の人よりも特別なんじゃないかと……そう思ってしまったのだ。
(自惚れって怖いな……)
 そもそも、住む世界が全く違ったのだ。あんなイケメン、俺には無縁の産物だ。
「小日向先輩。帰りましょう」
「あ、ああ。そうだな」
 雑巾を干した俺は、荷物を持って星名と部室を出る。
 しかし、星名は星名で違う気もする。月島ほどの美貌は持っていないが、また違った男らしい格好良さ。クラスでは一軍にいるような陽キャタイプ。
「なぁ、星名。なんで俺と一緒にいんの?」
「え……」
 まずい。
 俺はなんて失礼なことを口走ってしまったのか。そんなの俺が指導者になったからであって、星名が決めた訳でもなんでもない。多分、昨日の一件から気まずくならないように、星名なりに気を遣ってくれているだけなのに、その配慮すら台無しにする発言をしてしまった。
 焦った俺は、星名の前に出て後ろ向きに歩きながらアワアワと両手を振る。
「わ、悪い。深い意味はなくて、今日教室行った時にさ、陽キャのグループにいただろ? 俺なんかが星名と一緒に帰るのがおこがましいっていうか……一緒に美術館行くのも、気を遣ってくれたんだろ?」
「好きだから」
「え?」
「先輩が好きだから一緒に帰りたいんです。一緒に美術館行きたいんです。それじゃ……ダメですか?」
 率直に言う星名の顔は真剣そのもので、俺を見下したり馬鹿にしている感じは微塵も感じられなかった。
「星名、俺……」
「先輩、危ない」
 星名に手を引っ張られ、俺はそのまま星名の胸にダイブした。
「前見ないと、壁に激突するところでしたよ」
 後ろを向いて歩いていた為、突き当たりの壁に気が付かなかった。
「さ、サンキュー」
「いえ、案外おっちょこちょいな一面もあるんですね」
「わ、悪い」
 今日は良く抱き留められる日だ。
 月島といい、星名といい、俺の方が先輩なのに、まるで俺よりも歳上のような包容力。俺が背が低いせいもあるだろうが、それにしても頼もしすぎる。
 ただ、何故だろう。こうやって星名に抱き留められても、月島の時のようなドキドキはない。慣れてしまったのだろうか。本日二回目だから。
 何にせよ、俺と星名の先輩後輩仲は良好なことが判明した。
「星名。俺も星名のこと好きだぞ」
 ニッと柄にもなく歯を出して笑って見ると、星名は一瞬固まった。
「悪い。こんな間近でキモかったな」
「いえ……好きです。大好きです!」
「そんな連呼すんなって、誰かに見られたら勘違いされんだろ。てか、もう大丈夫だから離せ」
「あ、す、すみません」
 ——今のやり取りの全てを階段の下から冷ややかな目で月島が見ていることなんて、俺は気付きもしなかった。