訳あり後輩君と10秒見つめ合った結果、恋に落ちました。

 キーンコーン・カーンコーン。
 キーンコーン・カーンコーン。
 一限目終了の鐘が鳴るなり、俺は教室を出た。
 廊下を歩き、突き当たりの階段を上れば、見知らぬ生徒がチラホラと教室から出てくるのが見える。
 ここは一年生の教室の前、全員後輩なので堂々としていれば良いのだが、部外者はやはり俺なので、萎縮せずにはいられない。
(今日の部活の時でも良いけど、早い方が良いよな)
 今俺に課せられているミッションは、星名に生徒手帳を返すこと——。
 星名のクラスである一年三組に向かう途中に、二組の教室を横目で見る。
 目に飛び込んできたのは、教室の真ん中一番後ろの席で、ノートに何か書き込んでいる月島の姿。
 誰よりも顔が良いから、すぐに目につくのだろう。そして、いつもの意地悪で生意気な月島とは打って変わって、真面目そうなその表情に胸がトゥクンと跳ねる。
 ギャップ萌えという奴だろうか。いや、まだ月島と知り合って四日目。ギャップもクソもない。俺は月島の何も知らない。そう思うと、胸がチクリと痛む。
 月島から視線を逸らし、俺は三組の前に立った。
 一旦深呼吸をしてから、そっと扉を開ける。恐る恐るそこから顔を覗かせて中を見れば、星名の姿はすぐに見つけることが出来た。
 星名は、クラスの一軍にいるような男子数名に囲まれていた。大人しそうな一面しか見たことがなかったので、クラスの男子達と話す星名の表情は、目を疑ってしまう。
(あれ、本当に同一人物か?)
 不思議そうに生徒手帳の写真と星名を交互に見る。
「小日向先輩。覗きですか?」
「わッ、月島!?」
 月島は、後ろから俺の頭の上に顎をのせてきた。
「星名君に用事ですか?」
「せ、生徒手帳を落としてたから」
「ふぅん。彼、美術部にいる時と全然違いますよね」
「だな」
 コソコソと覗き見ていると、入り口から近くの席の女子が控えめに声をかけてきた。
「あのー、誰か呼びましょうか」
「良い? じゃあ、ほ」
 星名と言おうとしたところで、月島に生徒手帳を奪われた。
「これ、星名君に渡しといてくれる?」
「分かりました」
 ポッと頬を赤く染めた女子は、生徒手帳を受け取り星名の元へと届けに行った。すぐに月島が扉を閉めたので、俺はその様子を見届けることなく戻ることに……。
 月島も自身の教室に戻ろうと俺から顎をどけて歩き出す。そして、俺は何故かその背中に声をかけた。
「なぁ、月島」
「何ですか?」
 振り返る月島は、どこか苛立ちを感じているよう。俺はその声に一瞬たじろいだ。
「あ、いや……何でもない。けど、お昼一緒にどう?」
「え? 俺が先輩と?」
 月島は目を丸くしているが、俺の方が驚きだ。何故、俺は月島を昼飯に誘っているのか。
「嫌なら良いけど」
「嫌ですね」
「——ッ」
 昨日の朝まではあんなに付き纏ってきたくせに、こうも率直に嫌だと、しかも即答されると、胸がチクリなんてもんじゃない。抉られたように痛い。
 しかし、そんなことを言えるはずもない。
「じゃあな」
 それだけ言って、自分の教室に戻る為に廊下を歩けば、星名が三組の教室から慌てたように出てきた。
「小日向先輩! 手帳ありがとうございました!」
 早く教室に戻りたいが、星名には謝罪もしたかった。
 俺は、月島が教室に戻っていくのを横目に見ながら、軽く頭を下げた。
「星名、昨日はごめんな」
「いえ、僕の方こそすみませんでした。せっかく先輩が家にあげてくれたのに」
 月島の扉を閉める手がピタリと止まった。
 そんなことも知らない俺は話を続ける。
「星名の嫌がることはしないからさ」
「あれは、嫌だったわけじゃなくて、むしろもっと触って欲しいって思ってしまって……」
「ボディビルダーあるある的な?」
「あー、ちょっと違いますけど……またお家、行っても良」
「先輩。早く行かないとチャイム鳴りますよ」
 星名の声は月島に遮られたが、二組の教室の中の時計を見た俺はそれどころではなくなった。
「あ、ヤバッ。じゃ、星名。また部活で」
「はい」
 俺は急いで教室に戻った——。

◇◇◇◇

 胸の痛みは取れないまま、昼休みに入ってしまった——。
 お弁当を見る度に、月島の『嫌ですね』が頭の中をこだまする。
「小日向。どうかした?」
「元気ないじゃん」
 佐竹と北条が、心配そうに聞いてくる。
 普通に良い奴らではあるのだが、この悩みを打ち明けても良いものか。
 いや、そもそも俺は何に悩んでいるのだろうか。それ自体が分からない。
「もうちょっとしたら体育祭だなぁって。運動苦手だからさ」
 全く違うどうでも良い悩みを打ち明ける。
「分かる。得意な人は良いけど、僕みたいな運動音痴は恥を晒す場でしかないからね」
 うんうんと北条が頷けば、佐竹も気だるそうに卵焼きを食べながら応える。
「まぁ、あんなのは時間が経てば終わるって。気楽に行こうぜ」
「だな」
 ウィンナーをパクリと口に入れれば、廊下の方がざわついているのに気が付いた。
「どうしたんだろ」
「さぁ」
「もしかして、また小日向に後輩イケメン君が用事だったりして」
「まさか」
 さっきフラれたばかりだ。キッパリと。
 だから、俺ではないことは確かだと、たかを括ってお茶を飲んだその時——。
「小日向先輩。せーんぱーい」
「——ッ!!」
 月島がエコバッグを見せつけるように、大きな声で呼んできた。思わずお茶を吹き出しそうになった。
「お昼、一緒に食べるって言ったの先輩ですよね。何先に食べてんですか」
「ちょ、だってお前が」
 距離があったので自然と大きな声になったが、周りからの注目を浴びていることに気付いた俺は、一旦黙って月島の元へと足早に向かう。
「お前が嫌だって言ったんだろ」
 教室を出るなり小声で言えば、月島は教室の中を指差した。
「先輩、弁当忘れてますよ」
「お、おう」
 せっかく注目から逃れたのに、またあの中に入らねばならないと思うと気が重い。しかし、弁当を放置して行くわけにも行かない。
 クラスメイトの姿を視界に入れないように歩き、俺は弁当を急いで包み直す。
「わ、悪い。俺、ちょっと行ってくる」
「うん」
「がんばれ」
 だから何を頑張るのか。
 俺はいそいそと小さくなりながら教室を出た。
 そして、抉られたような胸の痛みが和らいでいた——。