放課後の美術室。
部員は十五名と、他の部活動の部員に比べれば少ないが、デッサン、水彩画、油絵、彫刻など、各々が好きなことを極め、自由に過ごしている。
そして、月島が入部することが決定し、一通り自己紹介が済んだ。済んだのは良いが、皆の手はいつものように動かない。三年生の女部長から美術部の活動についての説明を受けている月島に目が釘付けだ。
ただ単に、その容姿に見惚れているというのもあるだろうが、誰もが「何故美術部に?」と思っているに違いない。見るからに爽やかにサッカーやらテニス、とにかく文科系ではなく運動系の部活に入るべき人間だと思っている。俺が一番そう思っている。あくまでも偏見に過ぎないので、口には出さないが。
一通り説明を受けた月島は、爽やかな笑顔で丁寧に部長に礼を言う。
「ありがとうございました」
イケメンだからとそれを鼻にかけて傲慢に振舞うでもなく、高飛車な態度を取るでもない月島は、一見好感が持てる。だから余計にモテるのだろう。
「何かあったら、い、いつでも聞いてね」
いつも大人しくて必要以上に喋らない部長まで目がハートになっている。
「あ、そ、そうだ。最初は誰か先輩について教わるんだけど、二年生には既に新一年生に三人ついてもらってるから、三年の……」
「俺、小日向先輩に教えてもらうので大丈夫です」
「は? 俺!?」
思わず塗らなくて良いところに赤色を塗ってしまった。
部長も戸惑いながら、俺とその隣にいる角刈りの大柄だが大人しめな男子を交互に見る。
「え、いや、小日向君は一年生の星名君についてもらってるから」
「へぇ」
不服そうに俺を見下ろす月島。一瞬の緊張が走る。
「お、俺は星名に教えないといけないからさ」
隣にいる星名の肩を組めば、星名は大きな体を縮こまらせて会釈する。
「えっと、なんか、ごめんなさい」
「星名が謝ることじゃないって。先に入ったもん順だし。ね、部長」
「そ、そうね。だから月島君」
「分かりました」
月島は、俺から視線を外した。
案外すんなりと引いた月島に驚きを隠せない。
しかし、昨日今日の付き合いなので、ここで粘ってくると思った俺は、ただの自意識過剰かもしれない。
「こ、小日向先輩。その、手を……」
星名に言われ、まだ彼の肩に手を置いていることに気付く。
「あ、悪い。てか、星名って、すっごいガタイ良いよな。運動とかしてんの?」
肩を触ったついでに二の腕も触ってみる。
「中学の時は、柔道部でした」
「は!? 柔道? それが、なんでまた美術部に?」
「不得意を伸ばそうかと」
「なるほど。だからそんなに下手なのか」
思ったことをついそのまま口に出してしまい、急いで訂正する。
「あ、ち、違うぞ。絵に上手い下手はないからな。どんな絵を描こうとも誰かが評価すればそれは上手いとういことであって、俺は星名の絵は好きだぞ」
「なんか、すみません。気を遣わせてしまって」
「いや、ほんと、今のは完全に俺が悪い。ごめんなさい」
俺は、自身の椅子に座りなおした。
しゅんとしながら、さっき間違えて赤く塗ったところに修正を加えていく。
そんな俺に、気を聞かせてか星名が声をかける。
「小日向先輩って、見た目と違いますよね。しゃ、喋り方とかも」
「あー、よく言われる。けど、多分、このメガネのせいだろ?」
度のキツい丸眼鏡を外して、手元で遊ぶように持った。
俺の顔を見た星名は一瞬固まり、何故か周りをキョロキョロと見た……ような気がする。
ぼんやりとしか見えないので良く分からない。星名が動いていたのは確かだ。
メガネを掛けなおせば、星名は俺の目もといメガネのレンズを見て前のめり気味に聞いてきた。
「小日向先輩の素顔って、皆さん知ってるんですか?」
「素顔……? さぁ? 見たまんまじゃね?」
「全然違……いえ、そうですね。見たまんまかもです」
「……?」
何故か、それから星名との距離が少し縮んだ気がした。物理的に。
◇◇◇◇
部活動の時間が終わり、帰り支度をしていると、星名も片付けを終えて声をかけてきた。
「小日向先輩」
「ん?」
「あの、今日一緒に」
そこへ、月島が後ろからもたれかかるように絡みついて来た。
「先輩、帰りましょう」
「ちょ、絡んでくんなよ!」
「だって、先輩に教えてもらえると思ったのに違ったんで」
「それと絡みつくのは関係ないだろ。距離感考えろって」
そして、周りの視線が痛い。
活動中は静かにしていた一年女子二人も話しかけて来た。
「つ、月島君って、小日向先輩と仲良かったんだね」
「同じ中学だったの?」
「そうだよー。何なら、小学校からの付き合い」
平気で嘘を吐く月島。信じる後輩女子達。
「へぇ、そうなんだ」
「うそつけ! 昨日知り合ったばっかだろ。誤解を招くからやめろ」
「はぁい」
「なんだぁ、違うんだ」
「でも、昨日知り合ったばっかりでこんなに仲良いなんて凄いね。じゃ、また明日」
「バイバーイ」
後輩女子らを見送り、月島からも解放された俺は星名の方へと振り返る。
「星名。さっき何て?」
星名は月島を一瞥してから、へらりと笑って鞄を持った。
「あ、いえ。何でもないです。また明後日部活で」
「うん、また」
笑って手を振れば、星名も大きな手を控えめに振り返してきた。
何だかんだ俺と月島が最後まで残ってしまった。美術室に二人きり、昨日と似たようなシチュエーションだ。
「ふーん。星名君だっけ? 先輩と仲良いんですね」
「一週間前からの仲だ」
「浅いですね」
「お前より長いよ。さ、俺らも帰るか」
壁にかかっている美術室の鍵を手に取れば、俺の顔の横から月島が壁に手を付いた。振り返れば、まるで壁ドン状態だ。
「な、何?」
「いや、せっかくなんで、昨日の続きしようかと」
「昨日?」
月島が俺のメガネをスッと奪い取った。
「十秒見つめ合ったら、人は恋に落ちるのか」
やれやれといった具合に、ぼやけた月島を見上げる。
「まだ言ってんのかよ」
「俺の目、見えてます?」
「見えねー」
「ここら辺だとどうです?」
どんどん顔を近付けてくる月島。
「ちょ、近い、近い! 見えないけど、近いことは分かる」
「見えないと意味ないです」
後ろから抱きつかれた時は、鬱陶しいくらいにしか思わなかったが、前からの威力はハンパない。男相手にドキドキしてしまう。メガネを取られてなかったら、俺は平常心でいられなかったかもしれない。
「ちょ、本当に近いって」
残り二十センチくらいで顔と顔がぶつかりそうだ。
「見えました?」
「ぼんやりだけど見えてるから」
「ぼんやりじゃダメですって。はっきり見えないと」
「見えてる、見えてる。見えてるから勘弁してくれ」
嘘なのはバレバレで、月島は目を逸らす俺の顎をクイッと持ち上げた。
「あ、目が合いましたね」
「近すぎて逆に見えんわ」
顔が触れ合う残り十センチくらいのところで、鮮明に月島の顔が見えた。
「いーち、にー、さーん……」
数を数えていく月島。
その数が増えていく度に速くなる鼓動。
「これ、ずるいだろ。普通に近いからだって」
「それは、俺にドキドキしてるって意味ですか?」
月島はニヒルな笑みを浮かべる。
その顔を見ないようにギュッと目を瞑る。
「し、ご、ろく、しち、はち、きゅう、じゅう! はい、おしまい!」
半ば突き飛ばすように月島の胸を押して離れた。
「ちょっと、まだ三ですよ」
「十数えたって」
「それは、数えただけで見つめ合ってませんから。もう一回です」
「嫌だよ。もう帰るから、メガネ返せって」
「嫌です」
俺は今日、いつ帰れるのだろうか。とにかく、メガネを返してもらわねば……。
部員は十五名と、他の部活動の部員に比べれば少ないが、デッサン、水彩画、油絵、彫刻など、各々が好きなことを極め、自由に過ごしている。
そして、月島が入部することが決定し、一通り自己紹介が済んだ。済んだのは良いが、皆の手はいつものように動かない。三年生の女部長から美術部の活動についての説明を受けている月島に目が釘付けだ。
ただ単に、その容姿に見惚れているというのもあるだろうが、誰もが「何故美術部に?」と思っているに違いない。見るからに爽やかにサッカーやらテニス、とにかく文科系ではなく運動系の部活に入るべき人間だと思っている。俺が一番そう思っている。あくまでも偏見に過ぎないので、口には出さないが。
一通り説明を受けた月島は、爽やかな笑顔で丁寧に部長に礼を言う。
「ありがとうございました」
イケメンだからとそれを鼻にかけて傲慢に振舞うでもなく、高飛車な態度を取るでもない月島は、一見好感が持てる。だから余計にモテるのだろう。
「何かあったら、い、いつでも聞いてね」
いつも大人しくて必要以上に喋らない部長まで目がハートになっている。
「あ、そ、そうだ。最初は誰か先輩について教わるんだけど、二年生には既に新一年生に三人ついてもらってるから、三年の……」
「俺、小日向先輩に教えてもらうので大丈夫です」
「は? 俺!?」
思わず塗らなくて良いところに赤色を塗ってしまった。
部長も戸惑いながら、俺とその隣にいる角刈りの大柄だが大人しめな男子を交互に見る。
「え、いや、小日向君は一年生の星名君についてもらってるから」
「へぇ」
不服そうに俺を見下ろす月島。一瞬の緊張が走る。
「お、俺は星名に教えないといけないからさ」
隣にいる星名の肩を組めば、星名は大きな体を縮こまらせて会釈する。
「えっと、なんか、ごめんなさい」
「星名が謝ることじゃないって。先に入ったもん順だし。ね、部長」
「そ、そうね。だから月島君」
「分かりました」
月島は、俺から視線を外した。
案外すんなりと引いた月島に驚きを隠せない。
しかし、昨日今日の付き合いなので、ここで粘ってくると思った俺は、ただの自意識過剰かもしれない。
「こ、小日向先輩。その、手を……」
星名に言われ、まだ彼の肩に手を置いていることに気付く。
「あ、悪い。てか、星名って、すっごいガタイ良いよな。運動とかしてんの?」
肩を触ったついでに二の腕も触ってみる。
「中学の時は、柔道部でした」
「は!? 柔道? それが、なんでまた美術部に?」
「不得意を伸ばそうかと」
「なるほど。だからそんなに下手なのか」
思ったことをついそのまま口に出してしまい、急いで訂正する。
「あ、ち、違うぞ。絵に上手い下手はないからな。どんな絵を描こうとも誰かが評価すればそれは上手いとういことであって、俺は星名の絵は好きだぞ」
「なんか、すみません。気を遣わせてしまって」
「いや、ほんと、今のは完全に俺が悪い。ごめんなさい」
俺は、自身の椅子に座りなおした。
しゅんとしながら、さっき間違えて赤く塗ったところに修正を加えていく。
そんな俺に、気を聞かせてか星名が声をかける。
「小日向先輩って、見た目と違いますよね。しゃ、喋り方とかも」
「あー、よく言われる。けど、多分、このメガネのせいだろ?」
度のキツい丸眼鏡を外して、手元で遊ぶように持った。
俺の顔を見た星名は一瞬固まり、何故か周りをキョロキョロと見た……ような気がする。
ぼんやりとしか見えないので良く分からない。星名が動いていたのは確かだ。
メガネを掛けなおせば、星名は俺の目もといメガネのレンズを見て前のめり気味に聞いてきた。
「小日向先輩の素顔って、皆さん知ってるんですか?」
「素顔……? さぁ? 見たまんまじゃね?」
「全然違……いえ、そうですね。見たまんまかもです」
「……?」
何故か、それから星名との距離が少し縮んだ気がした。物理的に。
◇◇◇◇
部活動の時間が終わり、帰り支度をしていると、星名も片付けを終えて声をかけてきた。
「小日向先輩」
「ん?」
「あの、今日一緒に」
そこへ、月島が後ろからもたれかかるように絡みついて来た。
「先輩、帰りましょう」
「ちょ、絡んでくんなよ!」
「だって、先輩に教えてもらえると思ったのに違ったんで」
「それと絡みつくのは関係ないだろ。距離感考えろって」
そして、周りの視線が痛い。
活動中は静かにしていた一年女子二人も話しかけて来た。
「つ、月島君って、小日向先輩と仲良かったんだね」
「同じ中学だったの?」
「そうだよー。何なら、小学校からの付き合い」
平気で嘘を吐く月島。信じる後輩女子達。
「へぇ、そうなんだ」
「うそつけ! 昨日知り合ったばっかだろ。誤解を招くからやめろ」
「はぁい」
「なんだぁ、違うんだ」
「でも、昨日知り合ったばっかりでこんなに仲良いなんて凄いね。じゃ、また明日」
「バイバーイ」
後輩女子らを見送り、月島からも解放された俺は星名の方へと振り返る。
「星名。さっき何て?」
星名は月島を一瞥してから、へらりと笑って鞄を持った。
「あ、いえ。何でもないです。また明後日部活で」
「うん、また」
笑って手を振れば、星名も大きな手を控えめに振り返してきた。
何だかんだ俺と月島が最後まで残ってしまった。美術室に二人きり、昨日と似たようなシチュエーションだ。
「ふーん。星名君だっけ? 先輩と仲良いんですね」
「一週間前からの仲だ」
「浅いですね」
「お前より長いよ。さ、俺らも帰るか」
壁にかかっている美術室の鍵を手に取れば、俺の顔の横から月島が壁に手を付いた。振り返れば、まるで壁ドン状態だ。
「な、何?」
「いや、せっかくなんで、昨日の続きしようかと」
「昨日?」
月島が俺のメガネをスッと奪い取った。
「十秒見つめ合ったら、人は恋に落ちるのか」
やれやれといった具合に、ぼやけた月島を見上げる。
「まだ言ってんのかよ」
「俺の目、見えてます?」
「見えねー」
「ここら辺だとどうです?」
どんどん顔を近付けてくる月島。
「ちょ、近い、近い! 見えないけど、近いことは分かる」
「見えないと意味ないです」
後ろから抱きつかれた時は、鬱陶しいくらいにしか思わなかったが、前からの威力はハンパない。男相手にドキドキしてしまう。メガネを取られてなかったら、俺は平常心でいられなかったかもしれない。
「ちょ、本当に近いって」
残り二十センチくらいで顔と顔がぶつかりそうだ。
「見えました?」
「ぼんやりだけど見えてるから」
「ぼんやりじゃダメですって。はっきり見えないと」
「見えてる、見えてる。見えてるから勘弁してくれ」
嘘なのはバレバレで、月島は目を逸らす俺の顎をクイッと持ち上げた。
「あ、目が合いましたね」
「近すぎて逆に見えんわ」
顔が触れ合う残り十センチくらいのところで、鮮明に月島の顔が見えた。
「いーち、にー、さーん……」
数を数えていく月島。
その数が増えていく度に速くなる鼓動。
「これ、ずるいだろ。普通に近いからだって」
「それは、俺にドキドキしてるって意味ですか?」
月島はニヒルな笑みを浮かべる。
その顔を見ないようにギュッと目を瞑る。
「し、ご、ろく、しち、はち、きゅう、じゅう! はい、おしまい!」
半ば突き飛ばすように月島の胸を押して離れた。
「ちょっと、まだ三ですよ」
「十数えたって」
「それは、数えただけで見つめ合ってませんから。もう一回です」
「嫌だよ。もう帰るから、メガネ返せって」
「嫌です」
俺は今日、いつ帰れるのだろうか。とにかく、メガネを返してもらわねば……。



