我が家にくることを拒んでいた理恵さんだが、半年以上家をあけて子供を放置したことを警察に通報すると言えば、嫌々ながら付いてきた。
そして、理恵さんを含め、我が家の庭で急遽バーベキューが開催されることになった——。
俺と朔、さらは、食材を調達する為に、近所のスーパーを訪れた。なので、大人三人が家に残っている状態だ。
「先輩。こう言ってはなんなんですが、あの人に何言っても無駄ですよ。今までも、警察や児相の人が、何度も注意しても聞かなかったんですから」
「うん。でも、母さんに任せたら大丈夫だと思う。この手の話は得意だろうから」
「え?」
母は、臨床心理士なのだ。アドバイスや注意喚起をする方ではなく、人の心理を読み解き、人の心の闇を引き出す。そして、人の心に寄り添う。そういう仕事。
今回は仕事ではないので、思い切り私情を挟みながらの解決策になるとは言っていたが、俺にどうこう出来る話でもない。後は大人に任せることにした。
「まぁ、今より悪いようにはならないだろ。肉、どれにする?」
「さら、この大きいの食べたい!」
「あー、これは手持ちが足りないかなぁ。せめて、こっちの肉の方が良いかな」
精肉コーナーで肉と睨めっこすれば、朔が財布の中を確認した。
「俺とあの人は、野菜だけで大丈夫なんで」
「何言ってんだよ。うちの家族がお節介でしてることなんだから気にすんなって。むしろ、無理強いして申し訳ないくらいだぜ」
「本当、すみません。バイト代が入ったら返しますので」
「え、朔。バイトしてんの? いつ?」
放課後は、部活が週三。保育園のお迎え等も考えれば、出来る時間は限られそうだが……。
「テレワークなんで、さらが寝てからしてます。PCでホームページ作成したりとか」
「うわ、何それ。カッコよ。てっきり、コンビニバイトみたいなのかと思った」
「国からの支援ばかりだと、心苦しくて……」
どうりでパソコンを使って何かするのが早いわけだ。結婚の誓約書だって、ものの五分で作り上げていた。
「そういえば先輩」
「ん?」
鶏肉をカゴに入れて朔を見上げた。すると、カートを押している俺の手の上に、ニコッと微笑む朔の大きな手が重なった。
「なッ、こんなとこで何してんだよ」
誰かに見られていないだろうかと、キョロキョロと辺りを見渡す。そして、手を引っ込めようとするが、朔の手は力強く握ってくる。
「先輩は、俺から逃げたいんですか?」
「は?」
「さっき、あの人に言ってましたよね。逃げたくても逃げられないって。あれは、つまり……」
「ち、違うって。あれは、それだけ愛されて幸せだなぁってことだよ」
それでも朔の疑いの目は晴れない。
「本当に?」
「本当だよ。ここ触って」
握られてない方の朔の手を掴み、俺はTシャツの上から胸元を触るように促した。
「こう見えて、朔といる時はドキドキが止まらないんだから」
「先輩……」
朔の表情が和らいだ。
「大胆ですね」
「はッ!?」
周りを見れば、客がこちらを見てざわついていた。
「ち、違うから! そういうんじゃないですから!」
見ず知らずの人たちに言い訳しながら、俺たちはどうにかこうにか買い物を済ませた——。
◇◇◇◇
そして家に戻れば、父は庭で火おこしの準備をしており、母と理恵さんは、食器を並べながら喧嘩をしていた。
「悠ちゃんなんてね、お目目クリクリで可愛いのよ! 馬鹿にしないでちょうだい」
「どこが、お目目クリクリよ。うちの朔の方が誰もが羨むイケメンなんだから!」
「母さんたち、なんの話してんの?」
呆気に取られながら買ってきた荷物を机に置けば、母にメガネを奪い取られた。
「ちょ、母さん。何してんの!? 見えないじゃん」
「ほら、見てごらんなさい。可愛いでしょ?」
母が得意げに言えば、理恵さんも感心したように近づいて来た。
「うわ、本当だ。なんでコンタクトにしないの?」
「えっと……」
ハッキリと顔が見える位置まで近付かれ、無駄に美しいその顔を見つめ返していると、朔に抱き寄せられた。
「母さん、良い加減にして。先輩まで誘惑しようとして、それ犯罪だから」
「犯罪って、失礼ね。見てただけでしょ」
「母さんは、十秒見つめ合ったらすぐに恋に落ちるんだから。ッたく、油断も隙もない」
呆れたように言う朔を他所に、理恵さんが母に言った。
「ねぇ、ハサミ貸してくれない?」
「ハサミ? 何に使うの?」
「私、美容師なのよ。ちょっと、イジらせて」
朔は俺を背後に隠す。
「母さん、もう随分とハサミ握ってないでしょ? 先輩に何する気?」
「何って、こんな可愛いのに勿体無いでしょ。私の美容師魂が疼いてしょうがないのよ」
「美容師魂って、それならちゃんと働いてよ!」
「まぁまぁ、何かしたくなった時がチャンスでもあるんだから」
母は理恵さんにハサミを持たせ、俺は風呂場に連行された——。
風呂場に座らされ、タオルを首元に巻き、その上にカッパを着せられた。されるがままになっていると、ハサミを持った理恵さんの雰囲気が変わった。メガネを外されたままなので表情は見えないが、なんとなく空気がピリリと張り詰めた感じがした。
緊張した俺は、とりあえず謝ることにした。
「あの……さっきは言いすぎました。すみません」
「え? ああ、まさかあなたみたいな子供に叱られるとは思わなかったわ。見た目に似合わず、良い度胸してるわね」
「ど、どうも」
「頭、下げないで」
理恵さんに頭を固定され、櫛を入れられる。
長く伸びた襟足を切られ、髪の毛がパラパラと下に落ちていく。
その手付きは、まだ現役を名乗って良いのではと思う程だ。素人目線なので、安易なことは言えないが。
「あなたのお母さん、変わってるわね」
「そ、そうですか?」
「いつも見たいに、聞き取りやら注意喚起されるのかと辟易しながらここに来たんだけど……叱られるどころか、急にあなたの自慢話されたわよ」
「俺の……ですか?」
「小さい頃のあなたの自慢話。あんまりうるさいから、朔の方が……って、ムキになっちゃって」
理恵さんの手がピタリと止まった。そして、その顔に影がさす。
「私ね、高校卒業してすぐにデキちゃって、でも、朔の父親には逃げられるし、散々だったの」
「…………」
「でも、朔は産みたかった。どうしても産みたくて産んだから、産まれた時は本当に感動した。生まれてきてくれてありがとう! って、心から思ったの」
「…………」
「それはもう可愛くて、でも、朔が泣く度に、どうして私だけって思うようになったの。周りの友達は飲み会して、コンパに行って、毎日楽しそうだった……それなのに、なんで私だけって……」
「でも」
「そうよ。そんなことで育児を放棄しちゃいけないことくらい分かってる。分かってるけど……優しくされたら、私……」
もう何も言えなかった。非難なんて出来なかった。
シングルマザーの苦悩や葛藤の末の今回の惨劇。
もしかしたら、俺の母……いや、この世の中の母は、皆同じ気持ちなのかもしれない。社会から孤立し、眠ることすらままならない子育て。おいてけぼりを食らったような気持ち。
俺は男だから分からない。子供を産んだことも育てたこともないから、口を挟むべきことではない。けれど、これだけは言いたかった。
「大変……だったんですね」
「……ぅう」
涙を堪えながら、コクコクと小さく頷いているのが分かった。
震える声で、理恵さんは言った。
「あ、あなたのお母さんがね、ママ友になりましょうって……いつでも来ていいよって……」
ああ、そうか。
この人は、男にだらしがないんじゃなくて、心の拠り所を探していただけなんだ。それを母は見抜いて……さすがだ。
ん? てことは、もしかして朔も別に俺でなくても良いんじゃ……不安になってきた。
——それから理恵さんは、俺の髪を整えつつ、産まれた時の朔やさらの話を泣きながらしてくれた。
そして、理恵さんを含め、我が家の庭で急遽バーベキューが開催されることになった——。
俺と朔、さらは、食材を調達する為に、近所のスーパーを訪れた。なので、大人三人が家に残っている状態だ。
「先輩。こう言ってはなんなんですが、あの人に何言っても無駄ですよ。今までも、警察や児相の人が、何度も注意しても聞かなかったんですから」
「うん。でも、母さんに任せたら大丈夫だと思う。この手の話は得意だろうから」
「え?」
母は、臨床心理士なのだ。アドバイスや注意喚起をする方ではなく、人の心理を読み解き、人の心の闇を引き出す。そして、人の心に寄り添う。そういう仕事。
今回は仕事ではないので、思い切り私情を挟みながらの解決策になるとは言っていたが、俺にどうこう出来る話でもない。後は大人に任せることにした。
「まぁ、今より悪いようにはならないだろ。肉、どれにする?」
「さら、この大きいの食べたい!」
「あー、これは手持ちが足りないかなぁ。せめて、こっちの肉の方が良いかな」
精肉コーナーで肉と睨めっこすれば、朔が財布の中を確認した。
「俺とあの人は、野菜だけで大丈夫なんで」
「何言ってんだよ。うちの家族がお節介でしてることなんだから気にすんなって。むしろ、無理強いして申し訳ないくらいだぜ」
「本当、すみません。バイト代が入ったら返しますので」
「え、朔。バイトしてんの? いつ?」
放課後は、部活が週三。保育園のお迎え等も考えれば、出来る時間は限られそうだが……。
「テレワークなんで、さらが寝てからしてます。PCでホームページ作成したりとか」
「うわ、何それ。カッコよ。てっきり、コンビニバイトみたいなのかと思った」
「国からの支援ばかりだと、心苦しくて……」
どうりでパソコンを使って何かするのが早いわけだ。結婚の誓約書だって、ものの五分で作り上げていた。
「そういえば先輩」
「ん?」
鶏肉をカゴに入れて朔を見上げた。すると、カートを押している俺の手の上に、ニコッと微笑む朔の大きな手が重なった。
「なッ、こんなとこで何してんだよ」
誰かに見られていないだろうかと、キョロキョロと辺りを見渡す。そして、手を引っ込めようとするが、朔の手は力強く握ってくる。
「先輩は、俺から逃げたいんですか?」
「は?」
「さっき、あの人に言ってましたよね。逃げたくても逃げられないって。あれは、つまり……」
「ち、違うって。あれは、それだけ愛されて幸せだなぁってことだよ」
それでも朔の疑いの目は晴れない。
「本当に?」
「本当だよ。ここ触って」
握られてない方の朔の手を掴み、俺はTシャツの上から胸元を触るように促した。
「こう見えて、朔といる時はドキドキが止まらないんだから」
「先輩……」
朔の表情が和らいだ。
「大胆ですね」
「はッ!?」
周りを見れば、客がこちらを見てざわついていた。
「ち、違うから! そういうんじゃないですから!」
見ず知らずの人たちに言い訳しながら、俺たちはどうにかこうにか買い物を済ませた——。
◇◇◇◇
そして家に戻れば、父は庭で火おこしの準備をしており、母と理恵さんは、食器を並べながら喧嘩をしていた。
「悠ちゃんなんてね、お目目クリクリで可愛いのよ! 馬鹿にしないでちょうだい」
「どこが、お目目クリクリよ。うちの朔の方が誰もが羨むイケメンなんだから!」
「母さんたち、なんの話してんの?」
呆気に取られながら買ってきた荷物を机に置けば、母にメガネを奪い取られた。
「ちょ、母さん。何してんの!? 見えないじゃん」
「ほら、見てごらんなさい。可愛いでしょ?」
母が得意げに言えば、理恵さんも感心したように近づいて来た。
「うわ、本当だ。なんでコンタクトにしないの?」
「えっと……」
ハッキリと顔が見える位置まで近付かれ、無駄に美しいその顔を見つめ返していると、朔に抱き寄せられた。
「母さん、良い加減にして。先輩まで誘惑しようとして、それ犯罪だから」
「犯罪って、失礼ね。見てただけでしょ」
「母さんは、十秒見つめ合ったらすぐに恋に落ちるんだから。ッたく、油断も隙もない」
呆れたように言う朔を他所に、理恵さんが母に言った。
「ねぇ、ハサミ貸してくれない?」
「ハサミ? 何に使うの?」
「私、美容師なのよ。ちょっと、イジらせて」
朔は俺を背後に隠す。
「母さん、もう随分とハサミ握ってないでしょ? 先輩に何する気?」
「何って、こんな可愛いのに勿体無いでしょ。私の美容師魂が疼いてしょうがないのよ」
「美容師魂って、それならちゃんと働いてよ!」
「まぁまぁ、何かしたくなった時がチャンスでもあるんだから」
母は理恵さんにハサミを持たせ、俺は風呂場に連行された——。
風呂場に座らされ、タオルを首元に巻き、その上にカッパを着せられた。されるがままになっていると、ハサミを持った理恵さんの雰囲気が変わった。メガネを外されたままなので表情は見えないが、なんとなく空気がピリリと張り詰めた感じがした。
緊張した俺は、とりあえず謝ることにした。
「あの……さっきは言いすぎました。すみません」
「え? ああ、まさかあなたみたいな子供に叱られるとは思わなかったわ。見た目に似合わず、良い度胸してるわね」
「ど、どうも」
「頭、下げないで」
理恵さんに頭を固定され、櫛を入れられる。
長く伸びた襟足を切られ、髪の毛がパラパラと下に落ちていく。
その手付きは、まだ現役を名乗って良いのではと思う程だ。素人目線なので、安易なことは言えないが。
「あなたのお母さん、変わってるわね」
「そ、そうですか?」
「いつも見たいに、聞き取りやら注意喚起されるのかと辟易しながらここに来たんだけど……叱られるどころか、急にあなたの自慢話されたわよ」
「俺の……ですか?」
「小さい頃のあなたの自慢話。あんまりうるさいから、朔の方が……って、ムキになっちゃって」
理恵さんの手がピタリと止まった。そして、その顔に影がさす。
「私ね、高校卒業してすぐにデキちゃって、でも、朔の父親には逃げられるし、散々だったの」
「…………」
「でも、朔は産みたかった。どうしても産みたくて産んだから、産まれた時は本当に感動した。生まれてきてくれてありがとう! って、心から思ったの」
「…………」
「それはもう可愛くて、でも、朔が泣く度に、どうして私だけって思うようになったの。周りの友達は飲み会して、コンパに行って、毎日楽しそうだった……それなのに、なんで私だけって……」
「でも」
「そうよ。そんなことで育児を放棄しちゃいけないことくらい分かってる。分かってるけど……優しくされたら、私……」
もう何も言えなかった。非難なんて出来なかった。
シングルマザーの苦悩や葛藤の末の今回の惨劇。
もしかしたら、俺の母……いや、この世の中の母は、皆同じ気持ちなのかもしれない。社会から孤立し、眠ることすらままならない子育て。おいてけぼりを食らったような気持ち。
俺は男だから分からない。子供を産んだことも育てたこともないから、口を挟むべきことではない。けれど、これだけは言いたかった。
「大変……だったんですね」
「……ぅう」
涙を堪えながら、コクコクと小さく頷いているのが分かった。
震える声で、理恵さんは言った。
「あ、あなたのお母さんがね、ママ友になりましょうって……いつでも来ていいよって……」
ああ、そうか。
この人は、男にだらしがないんじゃなくて、心の拠り所を探していただけなんだ。それを母は見抜いて……さすがだ。
ん? てことは、もしかして朔も別に俺でなくても良いんじゃ……不安になってきた。
——それから理恵さんは、俺の髪を整えつつ、産まれた時の朔やさらの話を泣きながらしてくれた。



