訳あり後輩君と十秒見つめ合った結果、恋に落ちました。

 翌日、俺と朔は市の美術館にやってきた。
 有名な画家の個展も開かれており、思った以上に人の出入りが多い。
 そんな中、朔はある作品の前から動かない。
「朔、さすがにもう良いって。他の作品見に行こうぜ」
「先輩が一緒に見ようって言ったんじゃないですか」
「言ったけど、それはデートの口実作りって言うか……チラッと見て欲しかっただけで……そんな小一時間も見ようなんて、誰も言ってないから」
 そう、朔は俺の冬の海を描いた作品から離れないのだ。穴があくほど見られ、これが手元に戻ってきたら、あげようかと思ってしまう程だ。
「あ、そうだ。近くに新しいカフェ出来たらしくって、そこでランチしようぜ。俺、腹減ったし」
「分かりました」
 なんとか朔が俺の絵から離れてくれた。
 ただ、朔が食い入るように見ていたから、その絵が一体どんなものなのか気になったのだろう。他の客がぞろぞろと俺の絵に群がってきた。
 それを横目に、朔はムスッとしながら呟いた。
「先輩をあんな嫌らしい目で見て。一発殴ってや」
「やらなくて良いから。あの人たちは、俺を見てるんじゃなくて、絵を見てるだけだから。誤解を招く言い方すんなよ」
「それはそうと、先輩。さっきメッセージ来てましたよね? 誰ですか?」
「誰って、友達だけど」
「へぇ、友達ねぇ」
 疑いの目を向けられ、俺は先程のやり取りを朔に見せた。
 それが、更に朔を不機嫌にさせる。
「俺と一緒にいるのに、他の男と連絡を取り合うなんて最低ですね」
「あ、確かに。ごめん……今度から、朔といる時は控える」
「俺のいないところでやり取りされるのは、もっと不愉快です」
「じゃあ、どうすれば」
 俺はイケメンを誤解していた。勝手に、イケメンは軽い男だと思い込んでいた。誰彼構わず相手にして、夢中にさせるだけさせてポイッ……のような。
 しかし、現実は百八十度違うようで、思った以上にその愛は重そうだ。朔の場合、家庭環境のせいもあるだろうが……。
「朔はどうしてんだよ。友達と連絡とらないのか?」
「俺は、そもそも誰とも繋がってませんので」
「え!? マジで!? 一人も?」
「一人も」
 朔がスマホを操作して見せてきた。
 そこには、母と高校、保育園、児相の四つしか連絡先が登録されていなかった。
「マジで?」
「マジです。別に連絡取りたい相手いないですし」
「一匹オオカミ的な……?」
「まぁ、そんなもんかもしれませんね。なので、先輩も連絡先を全て削除してください。ブロックしてください」
「え!? ガチで言ってる?」
「ガチですけど、何か?」
 アルカイックスマイルを向けてくる朔。彼は、相手にしちゃいけないタイプの人間だったのではないかと、後になって思う。
 しかし、それ以上に好きになってしまったので、後戻りはできない。
「い、一応。友達に言ってから削除させて。急に音信不通とか心配されるだろ?」
 それに対しての返答はなく、深い溜め息だけが、美術館の出入り口の自動ドアの開閉と共に出て行った――。
「朔、カフェこっち」
「はい」
 カフェに向かう途中、なんとも言えない沈黙が流れる。
 この沈黙が、俺は苦手だ。無理やり話を作る。
「さらちゃん、お兄ちゃんが良いって泣いてないと良いな」
「すみません。迷惑かけちゃって」
「いや、あれは母さんたちが自分から言ったことだし」
 さらを一緒に連れてこようとしたのだが、両親の休みが珍しく被っていたこともあり、言われたのだ。
『悠ちゃんたち、二人で遊びに行ってらっしゃいよ。さらちゃん、うちで見とくから』
 両親には軽く事情は伝え済みなので、朔に休息を与えてあげようという心遣いだろう。
 それに、子供が好きな両親は、普通にさらと遊びたくてたまらないのだと思う。あわよくば、うちの子に出来ないかと考えていそうな気がする。
 朔は、申し訳なさそうに頭を下げる。
「今日は帰りますから。本当、すみません」
「いや、だから良いって。好きでやってるんだから」
 返って気を遣わせるハメになってしまった。
 他の話題にしよう。デート中の会話で最適なのは――。
 俺は、母が観ていた昔のドラマを思い出す。
「あの……ご趣味は?」
「え? なんですか、急に」
「あ、いや……俺、朔のこと知らないなぁと思って」
 眉を下げていた朔の表情が、やや明るくなった。
「先輩が俺に関心を抱くなんて、嬉しいです」
「そ、そう? それなら良かった」
「まぁ、大した趣味はないんですけどね」
「ないんかい!」
 話が終わってしまった。間が持たない。
 好きな相手と一緒にいると沈黙も心地いいと聞いたことがあるが、実際問題違うと思う。沈黙はやはり気まずいし、話を盛り上げられなかった俺は、朔の中で評価が下がるのではないか、嫌われるのではないかと思ってしまう。
 そんなことを考えていると、目的のカフェが見えてきたので安堵した。
「朔、あそこ」
 道路の向こうを指さすと、朔は半歩後ろで立ち止まっていた。
「朔?」
 朔の目は、たった今すれ違ったカップルに注がれる。
 そして、その女性もまた朔を見たのが分かった。けれど、その視線はすぐに男性の方へと向けられる。
「朔、大丈……」
「先輩、すみません」
 朔はそれだけ言って、女性の方へと歩き出し、声を荒げた。
「母さん!」
「え、母さん……って、朔のお母さん!?」
 その女性は、二十代半ばと言っても通じそうな程に若く綺麗な女性。二児の母とは、到底想像もつかない。
「こ、この子、急に何言ってるのかしらね」
「理恵。君、子供いるの? しかも、こんなに大きな」
 男は朔の母こと理恵さんを疑いの目で見る。
「い、いる訳ないじゃない。私は独身よ」
 それでも、朔はすごい剣幕で言った。
「母さん! 俺は良いよ。けど、さらがどれだけ悲しんでるか分かんないの!?」
「もう、この子ったら。人違いじゃないかしら」
「人違いならどれほど良いか……」
 男は、理恵さんの手を振りほどく。
「ちょ、雄二!?」
「こぶつきは御免だ」
「雄二! お願い、話を聞いて。違うの……」
 理恵さんは男に縋るが、鬱陶しそうにそれをあしらい、そのまま男はタクシーに乗り込んだ。理恵さんだけがその場に取り残された——。
「フン、いいざま」
 口元を歪めて笑う朔に、理恵さんは掴みかかる。
「朔! あんた何してくれてんのよ!」
「さらを放置して遊び呆けてるから、こんなことになるんだよ。自業自得」
「うるさい! あんただって、あの子を置いてこんなところで遊んでるじゃない!」
「俺は……」
「あんたも私の血が流れてるんだから。どうせ、その顔で女の子を取っ替え引っ替え遊んでるんでしょう? 格好良く産んでくれてありがとうって、感謝されたいくらいよ」
 親子の喧嘩に部外者が口を突っ込みたくはない。そして、俺は今までに誰かに反論したこともない。だから、足がすくむ。
 けれど、朔が辛そうだから。朔の心が悲鳴をあげているのが分かるから——。
 俺はメガネをクイッと押し上げた。
「お言葉ですがお母さん。ヤングケアラーという言葉をご存知ですか?」
「な、何よ」
「先輩?」
 理恵さんは一歩たじろぎ、朔も戸惑いの色を見せる。
 こう見えて、俺はパッと見、真面目そうに見えるのだ。この牛乳瓶の底のようなメガネのおかげで優等生に見えてしまう。
「男子高校生が、土曜の昼間に遊びに出て何が悪いんですか? 子供の世話は、本来母親であるあなたがすべきこと。それは、れっきとした虐待ですよ」
「虐待って、暴力なんて私……」
「暴力だけが虐待なんて思ってる人、この時代にまだいたんですね。検索したら一発で分かりますよ。そして、家事育児、全て放棄して男と遊んでいるあなたと朔は、全くの別物です」
 チラリと朔を一瞥する。
「それに、朔は、あなたと違って責任感の強い男ですよ。責任取れなんて、半分冗談に決まってるじゃないですか。それなのに、付き合って早々にパソコンで何を作ったと思います? 結婚の誓約書ですよ。浮気しようものなら……そこは敢えて言いませんけどね、逃げたくても逃げられないんですよ! ここまできたら、とことん溺れてやりますよ!」
「な、何が言いたいの?」
 途中から自分でも何を言っているのか分からなくなり、一旦軽く深呼吸する。
「とにかく、あなたの息子さんは愛が重い……じゃなくて、良かったら、我が家に遊びに来ませんか?」
「「は?」」
 ——まさか、母からのお遣いを昨日の今日で実行出来るとは、この二人よりも俺の方が驚きだ。
『悠ちゃん。朔君のお母さんに会ったら、うちに連れてきなさい』
 多分、母もびっくりだろう——。