訳あり後輩君と十秒見つめ合った結果、恋に落ちました。

「ここか……?」
 朔の家は、俗に言うオンボロアパートだった。
 借金の取り立てなどが来そうな、どちらかと言えば裕福でない方の部類の層。これはあくまでも俺の偏見なので、実際のところ分からないが、とにかくアパートは築五十年は優に超えていそうだ。
 そこの二階、二〇三号室のインターフォンを押した。
 ——ピンポン♪
 やけに大きな音で、外まで音が聞こえてきた。それだけ壁が薄いということだろう。
 扉がガチャッと開けば、制服姿のいつもの朔が現れた。
「はい」
 そして、すぐに扉は閉じられ——る寸前で、足をストッパー代わりに扉の間にいれた。
「ちょ、朔。待って」
 扉を無理矢理開けようとするが、朔も負けじと強引に閉めようとする。
「なんで先輩がいるんですか! なんでうち知ってるんですか!?」
「妹ちゃんのお見舞い。熱出たって聞いたから」
 コンビニで買った差し入れをチラつかせる。しかし、扉は一向に開く様子はない。
「帰って下さい。迷惑です!」
「あって損はしないと思うぞ!」
「損得の問題ではないです! とにかく帰って下さい!」
 朔が扉をガッと引いたその時、足ストッパーが限界に達した。
「痛ッ!」
 激痛と共に足を引っ込めた。
 扉も同時に閉まってしまい、その場は昼間の何とも言えない静けさだけが漂った。
 片足立ちをして、痛みに耐えながら柵にもたれかかる。
「朔のやつ、どこまで俺のこと嫌いなんだよ。てか、俺が何したんだよ……」
 文句を垂れていると、扉がほんの少し開いた。黙ってそれを見つめていると、ヒョコッと朔が顔を出した。
「……大丈夫、ですか?」
 一応、情は残っていたようだ。
 フンッとそっぽを向き、差し入れだけその場に置いて立ち去ろうとしたが、思った以上に足の痛みは強かった。上手く歩けず、その場にへたり込む。
 それを見た朔は、サンダルを履いて出てきた。
「先輩!」
「俺に構うなよ。もう分かったから」
 流石の俺も、ここまで拒まれて図々しく中に入れてもらおうなんて思わないし、二度とこんなお節介なことはしないと誓った。
「足、見せて下さい」
「嫌だ」
「冷やさないと」
「お前がやったんだろ」
「だからです。俺のせいなんで……すみません」
 珍しく塩らしい朔の顔を見て、俺は渋々痛む右足を出した。ローファーを脱がされ、靴下まで脱がされた。
(足、臭かったらどうしよ……)
 そんなことを考えながらも、月島のひんやりとした手が俺の足を躊躇いもなく持った。
「マジで、すみません」
 足の側面が赤くなっており、やや腫れているようにも見える。
「折れてたら、俺の」
「俺のせいだよ。俺が足を入れたから。自業自得ってやつ」
「と、とにかく冷やすんで、上がって下さい」
「良いのか?」
「嫌ですけど、良いです」
「嫌なら良いよ」
 ムスッとしながら立ちあがろうと地に手を付けば、朔は俺を軽々とお姫様抱っこした。
「わッ、や、やめろよ」
「先輩、ちゃんと食べてます? 軽すぎますよ」
「食べてるよ。毎日牛乳も飲んでるよ」
 それでも大きくならない俺の体は、成長すると思って大きめの制服を買っているにも関わらず、まだぶかぶかのままだ。残り一年半で、この制服はピッタリになるのだろうか。
 そんなどうでも良いことを考えなければやっていけないくらい、俺の心臓は破裂しそうだ。
 一生の不覚とは、こう言う時に使うのだろうか。いや、違うか。これはむしろご褒美だ。
 俺は小さい体を更に小さくさせ、心臓の音が聞こえませんように……と願いながら、されるがまま朔の家に入っていった——。
 
 ワンディーケーのその部屋は外観通りの内装で、生活感溢れていた。料理中だったのか、芳ばしい匂いが漂っている。
「すみません。先輩の家みたいに広くて綺麗な部屋じゃなくて」
「……」
 そんなことないと言いたいが、今はそれどころじゃないのだ。初めてのお姫様抱っこに感動して言葉が出てこない。
 それを勘違いしたのかは分からないが、朔は何とも寂しげな表情を落とした。
「お兄ちゃん、それ誰? お姫様?」
 ツインテールの可愛らしい女の子が、興味津々に朔の周りをぴょんぴょん飛び跳ねた。
 少女の問いに、朔は優しい笑顔を浮かべて応える。
「そうだよー。とっても可愛いお姫様」
「なッ」
 さすがにお姫様は……と言いたいところだが、朔と並べば、完全に王子様でないことは確かだ。押し黙る。
「先輩、やっぱり痛みます?」
「……少し」
「あんまり綺麗じゃないですけど、ここで休んでて下さい。冷やすもの持ってきます」
 そう言って、朔は畳の部屋に敷かれた布団に俺をそっと寝かせた。更には少女によって掛け布団までかけられた。完全に病人扱いだ。しかも、朔の匂いでいっぱいで、まだ抱っこされているような気分になる。
「えっと……」
 朔が冷凍庫を漁りに行ったので、俺は少女と二人で見つめ合う。
「星組の月島さらです。五歳です。好きな食べ物は、お寿司です」
 突然自己紹介され、戸惑いながらも俺もそれに倣う。
「えっと、二年三組の小日向悠人です。十六……今日で十七歳になりました。好きな食べ物は、ハンバーグです」
 キッチンの方から「え」と聞こえた気がしたかと思えば、さらの手が顔に伸びてきて、メガネを奪われた。
「寝る時は、メガネは外さないとダメなんだよ」
「あ、そ、そうだね」
「わッ! ほんとにお姫様だぁ」
 歓喜の声を漏らすさらは、俺の頭にヘアピンをつけて遊び始めた。
 とはいえ、五歳の女の子に怒るわけにもいかない。それよりも気になることが……。
「ねぇ、さらちゃん。お熱は大丈夫?」
「うん! 帰ったら下がってた」
「帰ったらって、早いね。安心だけど」
 保冷剤を持ってきた朔は、布団をチラリと捲って俺の足にそれを当てた。
「保育園からの呼び出しって、いつもこんな感じなんですよ。行ってみたら、けろっとしてて」
「へ、へぇ。大変だな」
「まぁ、ずっと熱出してるより良いですけど。それより、先輩。学校は?」
「サボった」
「何でまた」
「朔がいないから」
 いつか同じような会話をしたような気がする。立ち場は逆だったけれど。
 朔は、溜め息を吐きながら呆れたように聞いてきた。
「お昼は? 食べたんですか?」
「食べた……」
 スンスンと匂いを嗅げば、何とも食欲をそそる良い匂い。
「食べてない」
「どっちなんですか」
「食べてない」
 疑いの目を向けられている気がするが、メガネをしていないので、あまり気にならない。それよりも、朔の手料理を食べてみたいという気持ちが優った。
「待ってて下さい。先輩の分も準備してきますから」
「はぁい」
 気の抜けた返事をしながら体を起こし、手探りでメガネを探す。
 それはすぐに見つかり、かけるや否や、さらの無邪気な笑顔が目に飛び込んできた。
「やったぁ! せんぱいも一緒に食べるの?」
「さらちゃん。俺は朔の『先輩』だから、さらちゃんはねぇ……悠斗お兄ちゃんって呼んでね」
「分かった! せんぱい」
「だからね」
「お昼寝も、せんぱいとする!」
「さら、先輩を困らせちゃダメだよ」
 宥めるように朔が言えば、さらは不安げに聞いてきた。
「さらのせいで、せんぱいも帰って来なくなる?」
「さらちゃんのせい? 帰って来ないって?」
「あのね、さらの」
 その声に被せるように、朔がきつめに言った。
「さら! 良いから、お手伝いして」
「はぁい」
 さらは、朔の後ろをチョコチョコと付いて歩いていった。
 ――残された俺は、この部屋には似つかわしくないブランド物のバッグやアクセサリー、それらが置かれている場所を静かに眺めた。